CubとSRと

ただの日記

久し振り!

2024年11月30日 | バイク 車 ツーリング
 11月8日(月)

 5時45分から6時20分まで散歩。
 昨日は、後で後でと思っているうちに夜になり、結局習字をサボった。
 昨日のようなことがないよう、習字を一番先にと思っていたのだが、何となく先に朝食の準備。で、やっぱりPC を点けて天気の確認。それから習字。
 朝食は9時過ぎになってしまう。

 10時にSRで出る。
 雨は朝早くに上がっていたが、日陰は道路も未だ半乾き。
 昼から雨、ということなので早めに帰ろうと11時半に衝原湖の駐車場を出る。
 湖沿いに衝原の集落まで遡り、そこから先は緩やかに山の迫った田園地帯を走る。遠くに六甲山系が低く伸びている。

 近くの山が白く霞みだした。
 ギリギリで躱せるかと思ったのだが甘かった。
 「日の峰」に入った辺りから雨粒があたり始め、数百メートルも行かないうちに本格的な雨となる。文字通りの時雨に、家に着くまで囚われの身となってしまった。雨具を持っていたとしても着用する暇を与えてくれない雨で、身体もバイクも前面だけがびしょ濡れになってしまった。

 何年かに一度、こういう目に遭う。ただ、前回は夏だった。それはそれで楽しかった。11月半ばの雨はあまり楽しくない。まだ「氷雨」と言うほどではなかったのが救い、か。

 

 
 

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命日

2024年11月29日 | 日々の暮らし
 11月16日(土)

 父の命日。
 午後10時半を回ったころ、息をしてない、と病院から電話があった。
 息を引き取ったのを確認させられたのは日付が変わる寸前。
 だから実際には10時半ごろが本当のところ、となるだろう。
 
 誤嚥による発熱(肺炎)で入院して以来、毎日昼前に病院に行き、夕方4時過ぎまでベッドのそばにいるのが日課になって一ヶ月、いや二ヶ月近かったろうか。
 その日もいつものように「じゃ、帰るから」と言ってベッドのそばを離れた。
 本当にいつも通り何も変わったことはなかった。
 おそらくは10時を回って、痰が詰まったんだと思う。
 肺が炎症を起こすと、もう直しようがない。自身の体力と炎症部を直そうとして大量に生産される痰が頼みの綱らしい。
 けど、この痰は気管を塞ぐこともあるから気道を確保するためにその時々に吸引しなければならない。
 最初のうちはいい。けど、肺胞の炎症部分は次々に移動するから体力があっても延々と繰り返される鼬ごっこに体力は急激に消耗させられる。
 だから、肺炎は恐ろしい。歳を取れば危険度は加速度がついて高くなる。
 肺炎が直接の死因ではなくとも、急激に体力を消耗させることで主因になることが多いという。

 あれから10年になる。父が夢に出て来ることもなくなった。
 コロナ禍のせいで帰るに帰れず、遂に七回忌も行えずに日が経った。
 
 命日には晩年の数年間、禁酒を強いたことへの詫びと言うわけでもないが、大きめのぐい呑みに酒を一杯。
 と言っても、ここには神棚も仏壇もないので、神宮と靖國神社、それに地元の鎮守社の神札を祀った吊り棚に供えて置く。勿論、夕方にはそれをお下がりとしていただく。

 ぐい呑みを供え、朝食を摂り、9時過ぎにコペンで出る。
 北町の生協で米と麦を買い衝原湖の駐車場へ向かう。
 例によってネクタイを締め、ジャケットを着て行ったので、これまた例によって、 
 「何?今日はお見合い?結婚式?」とからかわれる。
 
 半分それを期待しているから、敢えていつも通りにネクタイを締めていく。
 塞ぎ込んだって時は戻せない。
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ボケてる

2024年11月28日 | 心の持ち様
 書評 BOOKREVIEW
 ~~~~~~~~~~~~~
 洒脱にして皮肉たっぷり、悠揚迫らぬ批判は中国古典で締めくくられる
   長い歴史のスパンから泡のような時局を論じ、本質を抉る

  加地伸行『平和ボケ日本 偽善者白書』(ワック)
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 平和惚けばかり、石破首相を筆頭に岸田文雄、野田聖子、三木谷浩史、浅田彰、辺見庸など偽善者を軽くいなしたうえでばっさり斬り捨てる。
(それにしてもトランプに早期に会いに行くと言っている石破総理よ、行くと馬鹿にされるから止めた方がいいよ)
 韓国、中国の肩を持って政治宣伝の片棒をかつぐ学者、文化人、ジャーナリストなどは「三流のチンドン屋である」と加地氏は一刀両断。
 カマラ・ハリスが勝つと民主党贔屓のチンドン屋も目立ったが、トランプ大勝のあとは沈黙している。
 左の「オピニオンリーダー」なんて偽善者の最たる類いだろう。

 平明な形容だが、肺腑を抉り出す批判の連続、しかもまったく嫌みがない、感情的ではない。すっきりとしているのだ。
 洒脱にして皮肉たっぷり、悠揚迫らぬ批判の文章は中国古典でしめくくられる。左翼偏向のメディアは『アホ・バカ』の一言でお終い。
 だから後味も清涼飲料のごとし。

 さて本書の核心のひとつが学制改革と国防である。
 「本来なら、肉体労働やサービス業等に進んで幸福な生活ができる者の大半が、なんと高校や大学に進学して不幸になってしまっている」。
 その通りである。学歴偏重社会が日本から活気をうばったのだ。
 「このような不幸な人生を歩む予備軍をつくっているのが、現在の高校や大学の大半なのである」。
 嗚呼「不幸な人生」という表現はじんときますね。

 率直に言って大學へ行くのは時間の無駄、そもそも看護士がなぜ四大を卒業しなければ資格が得られないのか。文科行政の利権だからか。

 関連して加地氏は外国人対策として、「彼らの安全を日本が担っている以上」、この人たちから年間二十万円ほどの「国防税」を取れ、現にスイスは外国人の長期滞在者らから年間三十万円ほどの「国防税」を徴収しているではないかとする。

 ここで評者(宮崎)の提言をくわえておくと、大學授業料を自衛隊に最低二年つとめた若者には免除にすると良い。自衛隊の恒常的人員不足がおぎなえるうえ若者に国を護るとはいかなることかを体験させられるではないか。
 自主防衛についても加地先生はこう言われるのだ。
 「自国が侵略されたとき、反撃を外国軍に頼るなどという国家に対して、だれが共に闘ってくれるというのだ。アメリカの青年兵が、生死の境に在るというとき、日本の青年は、喫茶店で珈琲を飲み音楽を聴いていて良い、というのか。それで良いのか、それこそ人間として」(168p)

 ここで詩経からの抜粋がある。
「他山の石 以て玉を攻(みが)くべし」
☆○◎☆み◎☆◎○や○☆◎○ざ☆○◎☆き☆◎○☆ 


「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)11月26日(火曜日)
         通巻第8522号 より


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 同号の読者欄に
 「集合写真撮影欠席はフジモリ大統領の墓参で渋滞に巻き込まれたためと言い訳。(一部抜粋)」(PB生、千葉)
 とあって、宮崎氏からのコメント。
 「故フジモリ大統領のお墓参りで、儀式的な集合写真を欠席したとすれば、それはそれで快挙では?ラストサムライを弔うことが烏合の衆の集まりより大事だと密かに示唆したかも。考えすぎ?」。

 この話は何度もネット記事で目にしましたが、勿論、「考え過ぎ」でしょう。宮崎氏、冗談で言っていると思います。実際に交通渋滞で遅れたらしいですから。
 この件について
「墓参りをするなら、大使館を守って殉職した兵士の墓にこそ参るべきではないのか」と言う意見や「大事な集合写真に遅れるとは何事か!(こっちがほとんどだったけど)」等の意見が見られました。
 けど、「烏合の衆の集まりである儀式的な集合写真よりラストサムライを弔うことの方が大事だ」、なんて考えもしなかった。
 遅れた云々は別にして、これこそが本筋。そして殉職した兵士は国のために戦ったわけだから、まずはその時の大統領が代表して墓参の栄誉を受けるのが当たり前。それが順序です。

 そんなことを考えもしなかった。ボケの一員だと自分でも思います。

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空気が重い 気が重い

2024年11月27日 | 日々の暮らし
 11月15日(金)

 朝、難しい判断だっが、4時半過ぎに起きる。
 空はすっかり曇っていて、いつ降り出してもおかしくない雰囲気。
 だが、「夕方一時間ほど、それもぱらつく程度」だとの予報。ホントかなあ?

 4時40分、散歩に出る。5時15分に帰る。
 4時過ぎから急激に明るくなっていたのが、今日は5時過ぎても薄暗いままなのは、曇り空のせいもあるだろう。
 習字を終えてもまだ薄暗い。

 9時半近くになって資源ごみをカブの前かごに積んで出発。
 北町の生協でゴミを出し、そのまま衝原湖へ向かうわけだから、資源ごみは普段より随分少ない。つまりゴミ出しは出歩くためのただの口実。

 それにしても、やっぱりいつ降り出してもおかしくはない空模様。
 こういう日は何か口実がなければ出る気自体、湧いてこない。
 
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なんとなく「天皇制反対」だった

2024年11月26日 | 心の持ち様
書評 BOOKREVIEW 
~~~~~~~~~~~~~
 日本の衰退、滅亡が近い。戦いを忘れ、忘国へ突っ走っていることにも気づかず
   男系男子の皇統は日本の伝統であり、信仰であり、文化の中枢だ

  ♪
葛城奈海『戦うことは「悪」ですか』(扶桑社新書)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 いまの日本および日本人の精神構造の爛れた現実、その悲惨さは病的と言って良い。
 国家安全保障をなおざりにし、アメリカ軍に防衛を依存し、平和は国連にまかせ、ひたすら「戦争は悪だ」と乙女の祈り。
 そもそも国際常識に照らして外国軍が駐屯していることは独立国ではない。
 我が国の領空は外国空軍の航空路が優先している。主権を犯されているにも拘わらず日本人にそうした認識がない。世界の常識は日本の非常識である。
 平和は軍備の備えがあって始めて抑止力が機能し、目的が達成される。国連はレトリックが飛び交い、何もしないぐーだら職員が高給を食むところ。国連に問題解決をゆだねるなどアホの骨頂である。
 米軍は日本の傭兵ではないし、中国が核戦争を辞さないとなれば、さっさと撤収するだろう。
 ベトナムでアフガンで、ワシントンが見切りをつけるや否や、米軍は電光石火のごとくに引き上げた。あとは野となれ山となれ!

 葛城さんは本書において、尖閣、拉致被害者、戦後教育などのタブーに挑んだ。そして彼女は「男系男子皇統を守る会」の会長として国連へ飛んで「女性天皇を認めないのは男女差別だ」という偏見に堂々と反対意見をのべてきた。
 本書の革新的部分はこの天皇伝統に関するチャプターにある。

 大学生時代まで葛城さんはなんとなく「天皇制反対」だったと正直に書く。転機は友人が貸してくれた本に「天皇は国の平和と国民の安寧を祈る人」と書かれていて驚いて以来だという。
 戦後教育は、この天皇の「祈り」を教えなかった。GHQが「神道指令」で「宮中祭祀を皇室の『私的な行事』にしてしまったからだ」(138p)
 天皇をエンペラーと訳したのが間違い、ツアーでもキングでもエミレーツでもない。適切な英訳をさがせば「プリーストキング」(祭祀王)である。
 孝明天皇は攘夷論の信者だったが文久二年五月に「時局御診念の御述懐」という勅書をだされ、結びの言葉を次のようにされた(診は「車」扁)。

 「唯に因習姑息,旧套に従いて改めざれば、
   海内疲弊の極、卒には戎虜の術中に陥り
    座しながら膝を犬羊に屈し、殷鑑遠からず、印度の覆轍を踏まば
     朕實に何を以てか先皇在天の神霊に謝せんや」

 (従来的慣習にとらわれ荏苒と時間を過ごせば国家は疲れ果て外国の餌食となり野蛮人に膝を屈することになる。印度の悪例を見よ。今、立ち上がらなければ、歴代天皇の神霊に顔向けができない)
 孝明天皇は嘆かれたのである。

 皇位継承問題は「有識者会議」が何回か開催され、座長にロボット工学の学者が選ばれて国民はたいそう驚いた。
 以後、メディアは「愛子天皇」をあおり、男系男子の万世一系という古来よりの伝統を葬り去ろうと暗躍を続ける。 
 八人十代の女性天皇はいずれも称制(中継ぎ)だった。
 第十五代応神天皇と第二十六代継体天皇はそれぞれが先帝の内親王に入婿というかたちで万世一系を継がれた。
 立太子と親王殿下がおられるのに愛子天皇論とはなんという社会風潮の乱れか、それもこれも歴史教育が間違っていて、女性天皇と女系天皇の区別がわからない。
 国連に巣くって陰謀が大好きな職業左翼が「男女差別」を持ち出して、女性天皇を勧告するなどは主権侵害である。

 「皇統(父系男系)を守る国民連合の会」は次の意見書を国連に出した
 「日本の皇室典範は古代伝統に基づく信仰であり、女性差別として扱うことは「宗教の自由」への侵犯である。カトリック教会の法王・枢機卿・神父などの聖職者、イスラムの聖職者はみな男性。なぜローマ法王やイスラム教国には「女性差別」を言わないのか。(中略)日本における皇統の男系一貫は、民族固有の価値観から生まれた文化として尊重されるよう」(155~156p)

 睡魔に襲われた日本男子よ、耳の垢をほじってよく聴きたまへ。


 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)11月22日(土曜日)
        通巻第8517号 より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 何となく「愛子天皇でいいんじゃない?」と言う意見。
 天皇は普段宮中にあって国家の祭祀を行われるわけですが、この発言からは国民が神様であって、天皇を指名、決定するのだという傲慢な姿勢が感じられます。
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