2月24日(土)
散歩はサボる。行く気にならなかった。
6時過ぎに起きたから?それもある(それが主因かもしれない)。
小学校は土曜日だから休みと思うが、7時前後になると部活動に行く中学生が湧いてくる、かもしれない。
そうでなくとも、土曜日なんだから勤め人が路上に出現する確率が高くなる。
こういうとき、何よりも面倒なのはトイレが近いということ。
散歩コースは住宅地だから、「夜陰に乗じて」という場所はほぼない。コンビニも折り返し地点の近くに在るだけ。
こういう時「ああ、齢は取りたくないもんだ。こんなに用足しの心配をしなければならなくなるとはなぁ」と溜め息の一つでもつけばよいようなものだけれど、溜息をついたって問題は解決しない。
そんなこと以前に若い時は「朝の散歩をする」なんて、そんな気は全くなかったし、実際そんなことをしなくたって体には何の問題もなかった。
やっぱりこれは「♪夏は冬に~あこが~れて冬は夏に~帰~りたい♪」と同じないものねだり。だからそういうことを言って嘆いて見せるのも「遊び」の一種なんだ、と段々感じる様になってきた。ほら、そのあれだ、「齢を取ると同窓会なんかは自分の病気自慢大会になる」、というやつ。「自分は大変な病気をした」、「いや俺の方が死にかけた」、と妙なことで威張る。
子供のころは我を忘れて夢中になって遊んだ。我を忘れているから涎を垂らしても気が付かない。
涎を垂らしてから気が付いて、流石にいくら夢中になっても「涎を垂らしながら遊ぶのはかっこ悪い」と思い始める。「夢中になっても我を忘れちゃいけない」という相反することを思うようになる。夢中と冷静のせめぎ合いが始まる。本当には夢中にならぬよう「加減」や「按排」をし始める。
(「按排」の「按」はじわっと推す。「排」は逸らすように引く。つまり「うまくごまかす」。或いは「宥める」。)
そして歳を取ると今度は、「夢中にならないように努め、冷静にふるまおうと努力している自分を見る」、ということすら「遊び」の一種として見るようになる・・・・気がする。
・・・・で、今日は食料の買い出しに、だけ行った。