「枠」というのもおかしいし、「鎖」というのも自由度が高く、努力すれば断ち切れそうで、散々悩んだ挙句、「軛・頸木(くびき)」としてみた。いつもの通り、宮崎正弘氏の書評を拝見して思ったこと。
「『表意文字』というのは『意味』をあらわす文字。『表音文字』は『発音』を表す文字」、とだけ習う。
習ったら、そこから先を考えるようにすると「一を聞いて十を知る」ことになるかもしれないが、凡夫の身、十を聞いて一を知れば良いところ。
「表意文字ったって、それを見りゃ発音も分かるようになってるよな?漢字は。偏が大まかな範囲を表して、旁が発音と具体的な意味も持ってなかった?」
そう思っていた。象形文字とか会意文字・形声文字とか習ったから。
でも、基本、表意文字は意味しかない。いや、「意味」ではなく「意」しかない。「味」はない。奥行きとか深みとかいう曖昧さ、茫洋性を拒否する。そんなものを受け入れたら物事の伝達がまともにできなくなるからだ。物事を正確に伝えてこそ文字。(気を付けねばならないのは、この場合は一方通行(伝達)であって、決して相互通行(やり取り)にはならないということだ。「伝える」ための文字が表意文字。)
表音文字は、それこそ発音しか表さない。アラビア文字であろうがギリシャのそれであろうが、平仮名、片仮名、朝鮮文字、どれも文字を見るだけでは発音は分かっても意味は全く分からない。だから、やり取り(相互通行)の道具になる。それぞれの言語を知って、それぞれの表音文字の使い方(発音)を知っている者にとっては、それで十分だ。
ただ、一字で「意」を表すことができないから、考える上で便利なモンタージュ技法が使えない。(その代わりに論理的思考は展開しやすいけど)
問題は簡体字。あれは既に表意文字ではない。文字から意味が見えてこないからだ。見えていると彼らが思っているとしたらそれは間違いで、表音文字と同じように記号としてその文字の意味を「覚えて」いるだけだ。目を覆いたくなるような酷く杜撰な簡略の仕方をしてしまったから、もはや文字から「意」を「読み取る」ことは出来なくなっている。
・・・しかしこれが表音文字に「成る」時は来るのだろうか。
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書評 しょひょう BOOKREVIEW
中国の皇帝に必要なものは『正統』、それを著すのが国爾
天子とは黄皇帝の子孫であり、始皇帝の印象が必要だった
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岡田英弘『皇帝たちの中国 始皇帝から習近平まで』(WAC)
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現在の中国とは共産党王朝のことであり、中国共産党の最高指導者は『皇帝』となんら変わらないのであり、中国の歴史は皇帝たちの歴史であるとする岡田史学の基礎認識をもとに過去のシナの歴史をダイナミックに描く。
「国家意識」とか「国民意識」とか、もっと近代的な言葉をつかえば「国民国家」とか、『愛国心』とか、シナ人には理解不能である。人民解放軍は国軍ではなく、共産党の傭兵である。
したがって兵士らは、いかに上が鼓吹しようが、「愛国心」では動かない。軍閥の私利私欲で動く。軍の理論家が「国軍とすべき」と言えば、失脚するのだ。
秦の始皇帝がシナ大陸始まって以来、『天下』を統一して『皇帝』を名乗ったが、実力だけでは支配者になれない。法的根拠なるもの、つまり天命の「正統」を見せつける必要があり、その原則のような正統性史論を書いたのが司馬遷である。
岡田氏はこう言う。
「司馬遷の『史記』を見ると、神話時代の『五帝』のうち、最初に天下に君臨した天子は黄帝で、その次の四人の『帝』はみな黄帝の子孫である。それだけではない、夏、殷、周、秦の王たちも、すべて「五帝」のどれかの子孫だということになっている」
史実をみれば黄帝は伝説であって架空の神だし、始皇帝が由緒正しき出自などとは聞いたことがない。劉邦はヤクザの親玉だったし、明を開いた朱元章は秘密結社を利用して皇位を簒奪した生臭坊主。いやだからこそ彼らは秦の始皇帝が用いた「印爾」を必要としたのだ。
「斑固の『漢書』によると、前漢の末、王もうが皇位の位を乗っ取ろうとして、伯母の王太后に『漢伝国爾』という印章を引き渡すように要求した。かつて劉邦が軍を率いて秦の都喊陽に入城したとき、秦王子嬰は降伏し、始皇帝の印章をさしだした。劉邦が項羽を倒して皇位の位についてから、その始皇帝の印章を引き続き使用したので、それから歴代の前漢の皇帝は、その印章を引き継いで『漢伝国爾』と叫んだ」(171p)
以後、皇位を狙う人々は玉爾の奪い合いを演じる。
シナ人のドライさは漢字が主因である。
漢字とは表意文字であり、ドライな語彙の羅列だから漢詩にしても、感情の機微を表現できない。評者(宮崎)もいろいろなところでのべてきたが、恋愛感情、愛情の微細な表現はしにくいため、現代でも渡辺惇一の小説が中国でベストセラーになるのである。
「やさしい」「奥ゆかしい」「みやび」という表現ができないのは、漢字の宿命であり、ましてや、現代の簡体字ともなると『心』のない『受』(愛)、『雨』のない『云』(雲)。横棒三本に縦一本(三+l)が「豊」なんて、日本人からは想像もできない文字体系を生み出した。
例外があるという。
それは十八世紀に沈復が亡妻を偲んでの『浮生六記』だけ。ほかに漢文で書かれたシナの恋愛小説なるものは、すぐに帯を解いて裸になり剥き出しのセックスでしかない。
本書の解説は岡田未亡人の宮脇淳子女史。最後に秦の始皇帝から溥儀までの歴代皇帝一覧年表がある。
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)1月28日(金曜日)
通巻7200号 より