CubとSRと

ただの日記

プライドが高くて強欲な国、プライドが高いから嘘つきの国 (上)

2022年01月31日 | 心の持ち様
 軍艦島にあった「吉田屋」の女郎の正体

 英国人が持ち込む阿片禍を見て満州民族の清朝は禁止令を出し、阿片を押収しては焼却処分にした。
 漢民族は満州族と違ってひたすらふしだらで欲望に弱い。放っておけばみな阿片中毒になってしまうからだ。
 しかし英国は引き下がらない。1840年、軍艦20隻を差し向けて天津を攻略し、阿片貿易を認めさせたうえに香港も取った。
 日本は英国の所業に目を凝らし、昌平坂学問所から『阿片始末』を出して彼らの無体を周知させた。
 無用ないざこざを避けるために外国船打払いも一時ストップさせた。

 日本側には30年前のフェートン号の記憶があった。この英国船は長崎港に入り込んで出島のオランダ人を攫(さら)い、日本側に食料を出せと脅し、港を荒らし回った。
 そのときから英国の印象は悪かった。幕府は敵を知るために急ぎ「諳厄利亜(アンゲリア)語」辞典をつくり、この凶悪な国の研究を始めていた。
 そこに阿片戦争だ。やっぱり英国は思った通り性悪だった。驚いたのは同じ英語を喋る別の国が、負けた清に俺にも阿片を売らせろと凄んだことだ。「米国」と彼らは名乗った。

 こんな危ない国々が日本を窺う。どう対抗するか。幕府だけでなく各藩も真剣に思案した。
 まず「薩摩藩が自前で大砲と軍艦を作り始め」(加藤康子、元内閣参与)、萩藩と鍋島藩も倣って、いい鉄づくりを目指した。
 それが形になる前に案の定、無体の国からペリーがやってきて「江戸を火の海にしてやる」とすごんで見せた。金正恩の口ぶりとそっくりなところが笑える。

 自前の大砲作りは進まなかったが、ただ遅れて参加した南部藩の努力で釜石に大砲を作れる優良な鉄鉱石があることが分かった。
 あとはいいコークスさえあればいい鉄が作れる。いいコークスになるいい石炭は1891年、長崎港沖の端島(はしま)で見つかった。
 かくて1901年、八幡に製鉄所がオープンし、自前の石炭と鉄鉱石から自前のいい鉄の生産が始まった。

 (続く) 

 新潮文庫 
  「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
        高山正之著 より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 先に書いておくけれど、「プライドが高くて強欲な国」と、「プライドが高いから嘘つきの国」、付き合うならどっち?
 まあ、「付き合いたくない」ったって国は引っ越しできないから、嫌でも付き合わなけりゃならないんだけど。

 蛇足ながら、男女の仲に関して言えば後者の方が男女とも好まれる傾向があるように思います。「恋人は片目を閉じて見る」って言うでしょ?「嘘つき」に関しては「見ないようにする」か「自分にだけは嘘をつかない(はず)」と思い込む。そこが問題。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表意文字についてのメモ

2022年01月30日 | 重箱の隅
 表意文字について書いた日記を並べてみた。
 こういうことをするのにPCというのは本当にありがたい。

 日記に書いただけならもう大袈裟でなく何十冊ものノートを引っ張り出して酷い字で書かれたものを眺め直さねばならない。それをやると引っ越しや終活の大整理大会をやっている時と同じく、つい脱線して関係のない記事まで読み始めてちっとも先へ進まない。
 PCなら一瞬で探し物が分かるから、そういう心配はない。
 まあ、それはそれで「好事、魔多し」。代わりにもはや死語となってしまった感のある「ネットサーフィン」に嵌ってしまうんだけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 (彼の国は)漢字があるんだから新造語くらい自分らで作れそう(翻訳できそう)なものだけど、漢字は本来、個々を即物的に表すだけのものだから、考えたり説明したりする時には随分と使いづらいもの(らしい)。
 人口の一割(教養人)しか字が読めず、読めても個々の文字には色んな概念がないから複雑な説明ができず、仕方なしに日本で作られた翻訳語を使う。
 外来語を翻訳して使う以前に表記法が漢字しかないもんだから、あてはまる発音の漢字を探し出して持ってくる。そうなると、表意文字なのに表音文字としてしか使えない。
 考えてみたらホントに厄介な話。
 日本人みたいに「ばれつしゅぎ」、なんて読んで勝手に誤解する、なんてことはあり得ない。もっと言えば誤解する能力自体が、ない。

 そう考えれば、あの国の報道官は何とも激烈な言い回しでコメントを出すけれど、ああいう風にしか言えないんだな、と分かる。  

「馬列主義」?
2019年06月13日 | 重箱の隅

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 もう50年近い昔のことですが、NHKのラジオ講座で「中国語入門」というのがありました。
 高校生だったんですがそれを聴いていました。1965年から10年間続いた文化大革命の真っ只中の時期です。
 簡体字を知ったのはその時で、テキストにはローマ字によるルビが振ってありました。
 簡体字は日本の行書体や草書体を活字体にしたもので、書く手間を減らすために、日本に倣って始めたものでしたが、さらに時間を短縮するために、いずれはローマ字表記だけにする、その移行期間として採用したのだそうです。
 「時間を短縮するため」だけに自国の文字を捨てる・・・・。文字は文化そのものだから、それを捨てることは自国の文化を捨てる=否定することになる、とは考えなかったのでしょうか。いや、社会主義革命遂行の前にはそんなものは取るに足りない問題なんでしょうね、きっと。
 あれから50年経つわけですが・・・・。ローマ字表記だけになる日が来ることはあるのか?
 幸い(?)なことに、すぐ近くに自国の文字だけにして漢字を廃止した国があり、その経緯と結果を見ることができます。 それで、50年も経ってるのに、今でも漢字を使ってるのかな???

振り仮名の重要性
2019年06月19日 | 重箱の隅

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「漢字は表意文字」と習ったんだけど、もうひとつピンと来なかった。
 それがここに来てやっと(遅すぎる気も、しないでもない)、感覚的に分かったような気がする。
 「漢字」、或いは漢「字」という、「字」に目が向いてしまってたんだけど、これを「字」ではなく、「絵」として見たらどうか。一字が一枚の「解説絵」。見たら何となく意味が分かる。
 漢字が絵と違うのは、昔からモンタージュ技法が存在していたというところだろう。違う意味の「絵」を、二つないし三つ、一緒に書く。で、その一緒に書かれた絵をつなげて、言いたいことを探る。じっくり考えるのではなく脊髄反射的に「感じる」。
 これだったら、「見ただけで十分。発音なんてどうでもよい」、となる。
 エジプトの絵文字は絵が発音を表すのだそうだけど、漢字は意味さえ伝われば(それも「何となく」程度)良いのだから、ホントに文字通りの「表意文字」。

「中国」を終わらせた日清戦争 (後半)
2019年07月22日 | 重箱の隅

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 表意文字である漢字は、間違いなく朝鮮経由で日本に来ています。それでは十分でないから、と直接シナに習いに行きますが、朝鮮から入ってきたこと自体は間違いないし、少なくとも飛鳥、奈良の時代は朝鮮からの人々、文物が流入したからこそ、古代日本の発展があります。それは決して忘れてはならない。
 ただいつも言うことですが、その朝鮮渡来の人々は、現代の朝鮮人によって追い出された人々です。今、日本人の中にある半島の血は、百済や新羅、高麗の人々のものです。
 そして、日本にとっては決して喜ばしい存在ではない、李朝の名君「世宗王」だって、国のことを思って訓民正音を作らせたけれども、漢字を捨てることなんて考えていなかった筈です。
 漢文の形式をとらず、自国語を記す。そんな発想を世宗王が持ったのか、海の向こうの蓬莱島から聞こえてきたのにヒントを得たのか、それは分かりません。

 それでも、人はどういう姿勢の時に発展、進歩があるか、ということは何となく見えてきます。

言挙げせぬ国
2020年03月03日 | 重箱の隅

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「吹く」、「拭く」、「噴く」、「葺く」。

 こうやって並べてみれば、大和言葉としては同じ「ふく」でも、随分意味が違うようになっていることがわかる。
 時代が下るにつれて未分化な状態から意味が細分化されていき、使い分けられていった結果が、このような当て字にあらわされている。
 この「意味の細分化」は日本人のたゆまぬ努力の成果、というより「精華」なのだと思う。

 表意文字を表音文字として用いること(仮名という使い方)を始め、でも、表意文字としての働きはちゃんと今まで通りに重視する。
 こんなことだって批判的に見るか肯定的に見るかで、よほど違った絵(日本文化の解析)ができる。そこから日本の姿が見えてくる。


 「吹き矢」とは書くが、「噴き矢」とは書かない。
 管楽器の「歌口」を「吹き口」とは書くが「噴き口」とは書かない。
 「噴火」は「火を噴き出す」のであって、「火を吹き出し」たら巨神兵か火吹きの芸人だ。

 「吹く」は意識してやるものであって、「噴く」は辛抱できず、或いは思わず「する」ものだ。
 「火山の噴火」は山が耐えられなくなって「噴き出す」のである。決して「吹き出す」のではない。噴火みたいなもの、そんな意図的にやられたんじゃ、たまったものじゃない。

 というわけで、「思わず吹き出してしまった」りするのは、感激の余りの「笛吹き(管楽器奏者)」くらいのもので、「あまりのおかしさに」、または「びっくりして」という場合は「噴き出して」と書かなければ意味が通じない。

 「発音が一緒だからいいじゃないか」
 なんてことを言っている先には、「漢字を捨てた国」の現状があり、我が国も同じ轍を踏むことになる、と日本人は切実に感じるべきだろう。

 「ただの誤変換だ。目くじら立てるな」?
 いやいや。こういうことこそ大袈裟に騒ぎ立てることをしなければ、いつまでたっても日本国憲法の文章の異常さに気がつかないのではないか。


 ただ、ネット用語で、(笑い)が(笑)、→(藁)→(ww)→(草)となったり、バイク乗りがバイク海苔とか、yeahを書き間違えてyhaeと書いたのが面白いからと「ヤエ~!」と言い出したり、なんてのは、わざとやってる言葉遊びそのものだから、万葉仮名の頃の感性が今も残っているんじゃないか、と思ったりもしますけど。


吹く
2020年06月22日 | 重箱の隅

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何でも「外(と)つ国」からやって来るんだった

2022年01月29日 | 心の持ち様
 書評 しょひょう BOOKREVIEW  
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 これは戦争だ。検疫官が発生から五輪、そしてオミクロン蔓延
  成田空港検疫所が戦った600日の記録

  ♪
田中一成『成田空港検疫で何が起きていたのか』(扶桑社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 戦いはまだ続いている。
 圧倒的なマンパワーの不足。周辺住民の説得にかける時間と労力、ホテルの確保。そして激しいクレームの嵐。許し難い「専門家」や「自称有識者」が垂れ流すデマ。日本の表玄関である成田空港で「武漢肺炎」の流入との熾烈な戦いが現在も継続されている。
 本書はその現場からの中間報告で、著者は成田空港検疫所所長をつい先日まで務めた。巻末にマンパワーの充足、法律改正などの提言がなされている。
 さて読後の感想だが、検疫は飛行機の登場によって劇的に変化したということが第一である。江戸時代にも出島へ入港するオランド船からパンデミックが拡がり、明治になると渡来する人々がふえてコレラが大流行。三万人が死んだ。
 船の時代は沖合で海上検疫があり、発熱者などがでると検疫官が入港前に当該船舶に乗り込んだ。飛行機時代となると沖合待ちの時間がなく、潜伏期間が十日から二週間なので、どうしても入国後、二週間ホテルか自宅待機となる。
 この措置で海外の知り合いの多くが検疫制度に不満を述べていたが、かと言って、ちゃんと二週間待機後に飲み会にやってきた(苦笑)。
 本書はそれ以前の日本史の検疫実態については触れていない。
古代からパンデミックは必ず外つ国からやって来た。日本書紀によれば崇神天皇の御代で国民の半分近くが死んだ記録が、わが国初の伝染病とされる。崇神天皇時代に渡来人が夥しかった。伝染病は外国からである。
 遣唐使のころ、帰国した使節団は、太宰府で二が月ほど留め置かれた。伝染病罹患を懼れたからだ。古代においてもそれだけ検疫は五月蠅かった。
とくに太宰府の羅漢率は高く、聖武天皇の御代にはロックダウンしている。長崎の出島もそうだったが、だからこそ狭い場所にオランダ人らを閉じこめたのだ。
 藤原全盛の頃にも、長屋王を謀略で追い落として権力を握った藤原四兄弟は長屋王の祟りで伝染病を罹患し、ばたばたと四人とも死んだ。
 予防策は鎖国でしかないが、それが不可能とあれば戦前のように内務省への権限一本化だろう。内務省復活が提言されてしかるべきだろうが、誰もが口ごもっている。
 強権発動ができず、システムそのものが危機に即応できない日本。このままの趨勢では潜在罹患は増えていくだろう。


「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和四年(2022)1月29日(土曜日)
     通巻7201号 より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 良い物も悪い者もみんな外から入って来る。海を隔てるというのは本当に大変なことなんだと改めて思う。
 悪意を持ってやって来るものは言うに及ばずだけど、善意で以て押し付けてくる者に対して、お人好しな日本人はどう対処してきたか。
 普通に考えたら一瞬で蹂躙される(主体性を以て対応できない)はずなんだけど、日本はどうだったか。

 それにしても、出島をそういう形で捉えたら確かに・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表意文字の頸木

2022年01月28日 | 重箱の隅
 「枠」というのもおかしいし、「鎖」というのも自由度が高く、努力すれば断ち切れそうで、散々悩んだ挙句、「軛・頸木(くびき)」としてみた。いつもの通り、宮崎正弘氏の書評を拝見して思ったこと。

 「『表意文字』というのは『意味』をあらわす文字。『表音文字』は『発音』を表す文字」、とだけ習う。
 習ったら、そこから先を考えるようにすると「一を聞いて十を知る」ことになるかもしれないが、凡夫の身、十を聞いて一を知れば良いところ。

 「表意文字ったって、それを見りゃ発音も分かるようになってるよな?漢字は。偏が大まかな範囲を表して、旁が発音と具体的な意味も持ってなかった?」
 そう思っていた。象形文字とか会意文字・形声文字とか習ったから。
 でも、基本、表意文字は意味しかない。いや、「意味」ではなく「意」しかない。「味」はない。奥行きとか深みとかいう曖昧さ、茫洋性を拒否する。そんなものを受け入れたら物事の伝達がまともにできなくなるからだ。物事を正確に伝えてこそ文字。(気を付けねばならないのは、この場合は一方通行(伝達)であって、決して相互通行(やり取り)にはならないということだ。「伝える」ための文字が表意文字。)

 表音文字は、それこそ発音しか表さない。アラビア文字であろうがギリシャのそれであろうが、平仮名、片仮名、朝鮮文字、どれも文字を見るだけでは発音は分かっても意味は全く分からない。だから、やり取り(相互通行)の道具になる。それぞれの言語を知って、それぞれの表音文字の使い方(発音)を知っている者にとっては、それで十分だ。
 ただ、一字で「意」を表すことができないから、考える上で便利なモンタージュ技法が使えない。(その代わりに論理的思考は展開しやすいけど)

 問題は簡体字。あれは既に表意文字ではない。文字から意味が見えてこないからだ。見えていると彼らが思っているとしたらそれは間違いで、表音文字と同じように記号としてその文字の意味を「覚えて」いるだけだ。目を覆いたくなるような酷く杜撰な簡略の仕方をしてしまったから、もはや文字から「意」を「読み取る」ことは出来なくなっている。

 ・・・しかしこれが表音文字に「成る」時は来るのだろうか。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  書評 しょひょう BOOKREVIEW

 中国の皇帝に必要なものは『正統』、それを著すのが国爾
  天子とは黄皇帝の子孫であり、始皇帝の印象が必要だった

  ♪
岡田英弘『皇帝たちの中国  始皇帝から習近平まで』(WAC)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 現在の中国とは共産党王朝のことであり、中国共産党の最高指導者は『皇帝』となんら変わらないのであり、中国の歴史は皇帝たちの歴史であるとする岡田史学の基礎認識をもとに過去のシナの歴史をダイナミックに描く。
 「国家意識」とか「国民意識」とか、もっと近代的な言葉をつかえば「国民国家」とか、『愛国心』とか、シナ人には理解不能である。人民解放軍は国軍ではなく、共産党の傭兵である。
 したがって兵士らは、いかに上が鼓吹しようが、「愛国心」では動かない。軍閥の私利私欲で動く。軍の理論家が「国軍とすべき」と言えば、失脚するのだ。
 秦の始皇帝がシナ大陸始まって以来、『天下』を統一して『皇帝』を名乗ったが、実力だけでは支配者になれない。法的根拠なるもの、つまり天命の「正統」を見せつける必要があり、その原則のような正統性史論を書いたのが司馬遷である。
 岡田氏はこう言う。
 「司馬遷の『史記』を見ると、神話時代の『五帝』のうち、最初に天下に君臨した天子は黄帝で、その次の四人の『帝』はみな黄帝の子孫である。それだけではない、夏、殷、周、秦の王たちも、すべて「五帝」のどれかの子孫だということになっている」
 史実をみれば黄帝は伝説であって架空の神だし、始皇帝が由緒正しき出自などとは聞いたことがない。劉邦はヤクザの親玉だったし、明を開いた朱元章は秘密結社を利用して皇位を簒奪した生臭坊主。いやだからこそ彼らは秦の始皇帝が用いた「印爾」を必要としたのだ。
 「斑固の『漢書』によると、前漢の末、王もうが皇位の位を乗っ取ろうとして、伯母の王太后に『漢伝国爾』という印章を引き渡すように要求した。かつて劉邦が軍を率いて秦の都喊陽に入城したとき、秦王子嬰は降伏し、始皇帝の印章をさしだした。劉邦が項羽を倒して皇位の位についてから、その始皇帝の印章を引き続き使用したので、それから歴代の前漢の皇帝は、その印章を引き継いで『漢伝国爾』と叫んだ」(171p)
 以後、皇位を狙う人々は玉爾の奪い合いを演じる。
 シナ人のドライさは漢字が主因である。
 漢字とは表意文字であり、ドライな語彙の羅列だから漢詩にしても、感情の機微を表現できない。評者(宮崎)もいろいろなところでのべてきたが、恋愛感情、愛情の微細な表現はしにくいため、現代でも渡辺惇一の小説が中国でベストセラーになるのである。
 「やさしい」「奥ゆかしい」「みやび」という表現ができないのは、漢字の宿命であり、ましてや、現代の簡体字ともなると『心』のない『受』(愛)、『雨』のない『云』(雲)。横棒三本に縦一本(三+l)が「豊」なんて、日本人からは想像もできない文字体系を生み出した。
 例外があるという。
 それは十八世紀に沈復が亡妻を偲んでの『浮生六記』だけ。ほかに漢文で書かれたシナの恋愛小説なるものは、すぐに帯を解いて裸になり剥き出しのセックスでしかない。
本書の解説は岡田未亡人の宮脇淳子女史。最後に秦の始皇帝から溥儀までの歴代皇帝一覧年表がある。



「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和四年(2022)1月28日(金曜日)
     通巻7200号 より
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読みは甘いし、間は悪いし

2022年01月27日 | 日々の暮らし
 1月23日(日)

 「午後、一時雨」ではなく「午後一時から雨」という予報はほぼ的中。
 だったら朝のうちに出れば良かったのだが、朝既にいつ降り出してもおかしくないといった空模様。
 大体がこの一週間ほどは、日中小雪が舞い続けたり、或いは雨が降ったり、と散々な天気だった。
 そのくせ、夜は連日、昼の悪天候が嘘だったような星空が展開していた。

 それが今日に限っては昨晩から星は見えず、風があたることの滅多にない東の窓に強風が吹きつける。網戸が耳障りな音を立てる。いや、網戸ではなく雨戸だったのかも。

 とにかくそんなだから、今日は何もできないもの、と決めていた。
 「何もできないんだから早起きしなくてもいいや」、と気が緩む。それで、夜更かしをする。
 2時頃に寝て、3時前に目が覚め用足しに行き、5時前にも、そして6時過ぎにも、と何度も用足しに起きる。
 さすがに6時となると、もう起きてしまおうかという気になる。
 起きることにする。決心した。

 で、安心したのか、気が付いたら10時前。眠っていたらしい。
 いくら何でもこれはいけない、と起きて簡単にストレッチをして、メロンパン一個とカップスープ一杯の朝食。

 何とかブログを片付けたら既に日は沈もうとしている。
 夕食はレトルトカレーで済ませるつもりでいた。
 業務用スーパーで買った丸大のレトルトカレーは意外に美味かった。

 だが、カレー一杯と牛乳200ccで夕食、というのは何だか物足りない。
 しばらく自問自答する。
 「もう少し食べる?」、「どうしようか」
 「インスタントラーメン?」「連日になる」
 「スパゲティ?」「早くても5分以上かかる。生パスタは食べたから」
 「残っているパンは?」「載せる物も作らなきゃ」

 みんな中途半端だ。というわけで。
 結局、明朝のことも考えて茶碗一杯分だけ残っている御飯を温め、一昨日作った鯖の煮付けも温め、味噌汁も温めて、で改めて通常の夕食を摂る。
 カレーと牛乳は一体何だったのか?
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする