CubとSRと

ただの日記

何でもない

2019年11月29日 | 日々の暮らし
 昨晩、寝る頃になって、久しぶりに軽い胸やけがあることに気が付いた。
 あくまでも軽い胸やけ。
 寝て一時間くらいで目が覚める。またもや胸やけを感じる。こういうことは滅多にない。
 やはり昨日の酒が多かったか。それとも牛モツの煮込みが堪えたか。
 今朝も胸やけが残っていた。まずい。これはヒジョーにまずい。
 ・・・・と思ったが、よ~く考えたら、昨晩は牛モツと同じく朝来(あさご)で買ったにんにくの辣油漬けが美味かったので、食べ過ぎたのが原因ではないか、と思い当たった。
 それなのに今朝、またもやご飯の振り掛け代わりにして大量に食べてしまった。
 気が付いて、食後すぐに胃腸薬を飲んだが、やはり軽い胸やけがあった。結局はニンニクだったようだ。
 だからという訳ではないが、今日は出かけなかった。
 「ニンニク臭を撒き散らすかもしれないから」というわけではない。単にそんな気分にならなかったから。
 少しでも体調に異常があれば出歩く気にはならない。そして出歩かなくていい。
 仕事をしていれば、どんなに気乗りしなくても出歩かなければならないことややらねばならないことがあるが、無職には、それがない。
 引きこもっているわけでもないし、仕事をしなければ誰かに迷惑がかかるというわけでもない。
 気分次第で出歩くし、他国からきて生活保護を受けているわけでもない。
 受け取った年金は生活のために使っているのだから、世の中の役には立っている。
 引きニートだって、こどおじだって、他人に迷惑をかけているわけではない。
 あれ?
 考えてみれば昔ながらの「隠居生活」をしているだけだ。それに世間が「楽」「隠居」とか、「御」「隠居」とか言って羨望の目で見たり、からかったり、勿論、時には丁重に接したり。
 こど叔父も引きニートもあんまり変わらない。
 まあ、こど叔父や引きニートには体力があるから、三年寝太郎みたいにどう化けるかわからないけど。
 夕方になって、申しわけにSRのリアホイールのオイル飛びをワックスがけできれいにする。
 きれいにしたら乗ってみたくなる。
 でも、きれいになったリアホイールを見てニヤニヤするには陽射しが必要だ。
 ということで、明日は試運転(?)だ。
 クルマと違ってバイクは凹凸が多いから、陽射しを受けて輝いているところはホント、見飽きないんだよなぁ~。


 ~11月9日の日記から~


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「勤労感謝の日」という名称

2019年11月23日 | 重箱の隅
 御存じの通り、敗戦、占領された時(占領統治下、ですね)日本は、たった一カ国で全世界を敵に回して戦っていました。
 現実はどうあれ、戦勝国の側からすればそういう事です。
 それで、GHQは、まず日本の再興を阻むために何をすればよいのかと考えます。
 「とにかく、日本の社会の仕組みを根底から変える。そうすることによって、日本をあるべき近代国家の形で再出発させる。」
 言葉だけ聞けば何だか良いような話ですが、これ、明治から、昭和二十年までの日本の歩みを「なかったことにする」、ということですよ。「近代国家日本」、の全否定、です。
 実際そんなことはできません。記憶を書き換える、なんてSPEC、ない。
 (無理矢理、自社の敗戦前の方針を全否定して生き残った新聞社もありますが。)
 それで、「財閥解体」、とか「農地解放」、「公職追放」なんてのを習いましたよね、学校では。
 でも、この約八十年間で作り上げた「近代国家日本の成立発展」の仕組みの中心になる思想、精神について習いましたか?私だけかな?習ってないのは。
 それが「国家神道」です。皇室の祖先神として天照大神を祀るのだから、それは国の祖先神であり、ということは国民の祖先神である。そして、国民はみんな国のために命を捧げたならば国が祀るものである。
 「この形を何とかしなければ占領統治はできない。」
 だからそう考えたGHQがまずしたこと、一番力を入れたことは「神道指令」の発令でした。
「信教の自由」を前面に押し立て、皇室と国民を切り離す。靖國神社、全国の護国神社を一宗教施設として他の寺社と同列に置き、国家が祀れないようにする。
 そして、これを基に、「祝祭日」を廃止する。祝祭日、ってのは、概ね国家のことに関係しているでしょう?近代国家日本を否定(解体)するには祝祭日をなくすのが早道。
 大体、「祝日と祭日」の区別だって、今できない人、多いでしょう?
 私も数年前までそうでした、はい。反省してます。
 でも、日本人はとにかく必死で理由をつくって抵抗しました。何しろ、公職追放に関して、戦時中は反主流派だった学者や知識人がGHQに大挙して雇われているんです。内実を知っているそんな人間を丸め込まなきゃ祝祭日は廃止になります。本当に大変だったんじゃないでしょうか。
 というわけで、「勤労感謝の日」としているのは、そこで実際のところ、「新嘗祭」を何とかして残そうとの死闘が繰り広げられたんだろうなぁ、と思うわけです。
 おかしいでしょ?一体誰が誰に感謝してるんですか。
 全く違った意味になってるんです、表向きは。

  ~2013年11月22日の日記より~


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11月23日

2019年11月22日 | 重箱の隅
 「11月23日は『勤労感謝の日』。日本中の働く人に感謝する日、なんだな。」
 子供の頃はそう思う。そして
 「感謝、ってどんな風にしたらいいんだろう。お父さんお母さんありがとう、だけじゃないな。近所の人にもありがとう、という方がいいかなぁ~?」
 バカみたいな話ですが、子供の頃、こんなことを思ったのは事実です。自分を中心にして物事を考えることしかできなかった。だから「感謝しなけりゃならないのは、自分だ」と思っていた。
 でも、どうやったらいいか分からないし、どこの家も取り立てて何かをしている、という風でもなかったし。
 つまり、「誰が」「誰に」感謝するのかということがはっきりしていなかった。「安らかに眠ってください あやまちはくりかえしませぬから」、と同じです、誰が過ちを犯したんだ??
 でも、学校では聞いたような記憶があるんです。
 「日本中の働いている人に感謝する日だ」、って。
 それで
 「働いてない、おじいさんや働けない人は??」
 なんてことを思いました。昭和三十年代の終わり頃のことです。戦争に負けて二十年足らずの時です。
 「三つ子の魂百までも」とは言うけれど、戦後教育を受けた者に、とにかく「??」なことは山のようにありました。
 ただでさえ子供は「ねえ、ねえ。どうして?」の時期があります。その時に「道理」とか「物の感じ方」を学び始める。
 ところが戦後教育は、基本、「戦前の否定」、なわけですから家庭で習った「筋」を学校で否定することが往々にして、ある。
 (「東アジアの国々を解放するための大東亜戦争」が「軍部の独走による無謀な太平洋戦争」、とされたことなど)
 筋が二本でクロスオーバーしてるんだから頭の中は「???」になる。何を信じればいいんだ?
 だから「祝祭日」と言ったら「祝祭日」であって、まさか「祝日と祭日を合わせて祝祭日」と言ってるんだなんて。考えもしなかった。
 知らなかった、考えもしなかったくらいだから、
 「祝日と祭日、どう違うの?」
 なんて聞かれたら、「???」、で、
 「いいや、別に。休みだから!」
 「祝日とは、日本の祝日」、と書いてある記事を見たことがあります。噴飯ものですね、今見ると。まさか外国の祝日のこと、なんて誰も思やしないだろうに。
 で、「祭日」は、となると「祭日とは日本の祭日」、なんてことは書いてない。祭日の説明は、ない。
 あったとしても「祭日とは、祭りの日のこと」と書いてある。わかっとる、っちゅうねん!
 「祝日は国が定めた祝賀行事を行う日」。「祭日は国(正確には天皇)が祭祀を行う日」
 祝賀行事を行うのが祝日。祭祀を行うのが祭日。政府(政治)主体が祝日、天皇主体が祭日、と言ってもいいかもしれない。
 となると「勤労感謝の日」、じゃ、どちらかさっぱりわからない。
 けど「新嘗祭」と言えば、祭日だと分かる。「~祭」とありますから。
 今年の農作物の豊穣であったことを、天皇が国民の代表として神に献上し、奉告して、神前で神に感謝しつつ共に食される。
 「勤労者」に、ではなく、「神」に感謝する祭りが「新嘗祭」。
 でも、GHQによって出された神道指令により、天皇が祭祀を行う「祭日」は、全て廃止されたわけですから、「神に感謝」、ではなく、「(神である)天皇が全国の勤労者に感謝する」、という「天皇と国民が対立(対面)する、という形にしてしまった。
 巧妙ですね、やり方が。アメリカ人ってこんなに狡猾だったんでしょうか?
 とてもあの能天気なアメリカ人の発想からとは思えないんですけど。
 アメリカの選挙は火曜日だったんじゃなかった?「伝統なんだ」、とか言って。日曜日は教会に行かなきゃならないから、その後で遠くにある投票所まで、馬車で行く。(どんだけ遠いんだ!)
 工夫、摺り合わせ、なんてことはしない。目的と目標は重なっていて当然、みたいな国民性ですから、こんな姑息なことは考えないだろう、と・・・・。あっ、脱線した。
 まあそれはそれとして。
 「新嘗祭の当日まで、新米は食べない」
 という敬神の念篤い方も段々に増えて来られたようで、日本にまた日が昇り始めたような・・・・。
 ですが、何しろ品種改良も進み、ハデ干しもしない、稲わらも刈った端から細断してしまうというやり方が一般的になり、で昔よりも早く、新米、新穀が出回ります。だから新嘗祭まで待つ、というのもなかなか大変です。
 それよりも、書いてきた通り、11月23日は「祭日」、なんですから。
 祭祀を行うのは天皇陛下で、我々はその後ろに並んで敬礼(本当は最敬礼ですけどね、腰が痛くなります)をしている心持。実際に陛下の後ろに並ぶことはできませんし、陛下は代表として祭祀を行ってくださるんですから、我々は安心していればいい。
 だからどうでしょう、普段は合掌して「いただきます」、と食物に感謝しているでしょう?
 新嘗祭の日だけでも、「食物に感謝」ではなく、「神様に感謝」しては?
 新嘗祭の時は「合掌」ではなく、(神社にお参りするときは二拝二拍手一拝だけど)膳に向って一拝一拍手という正式な拝礼をしてみる、なんてのは良いかもしれません。
 もしかして、「何だ!合掌もしないで、手を叩くとは!行儀の悪い!」と怒る人が出てくるかもしれません。
 そしたらしめたもの。
 「え?これは正式な拝礼なんですよ」
 などと話を始められる。
 「今日は新嘗祭ですからね~~」って。


   ~2015年11月21日の日記から~

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勤労感謝の日・・・の前に

2019年11月21日 | 重箱の隅
 何となし、我々戦後生まれの日本人には、難しい話は「難しい言葉を遣わず、できるだけ分かりやすく噛み砕いて説く」または、たとえ話のようなつもりで、「言い換えて、感じが伝わるようにする」という、最善の策ならぬ次善の策に力を注ぐ傾向があります。
 初めから難しいことは分かる筈がないから、と諦めて、何でもかんでも「ほどほどが良い」で、納得してしまう。
 難しいことは、時が来れば、習練を積めば、分かるようになります。それを初めから簡単にしてしまえば、誰もそれを進めようとはしなくなる。「円周率を3とする」ようなものです。
 そんな考え方が、「新嘗祭」を拡大解釈したら「勤労感謝の日」となった、というような妙な納得の仕方を、現日本の常識にしてしまっている。
 そういうこともたまには考えてみる。

  ~2012年11月23日の日記から~

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酒買いツーリング

2019年11月14日 | バイク 車 ツーリング
 ~11月7日の日記から~
 10時頃、朝食。今朝も残っていた枕みたいなパンに、レタス・ベーコン・マスタードを挟んでサンドイッチ3枚。それに加えて味噌汁。これだけで結構イケる。
 12時頃になって買い物に出ようとした。
 初めは、隣市のドラッグストアーに行くだけのつもりだったが、そろそろ酒が切れる。
 晩秋だ、燗酒を飲みたくなってきた。
 岩津ねぎを買って鍋をつくる。それを肴にして燗酒を飲む。数年前からこの時期の楽しみになっている。
 で、葱を買いに行くついでに酒も何本か買って帰る。一石二鳥。
 去年のことを思い出してみた。それで数日前、ネットで調べた。
 「確かボジョレー・ヌーボーみたいなことしてなかったっけ」
 岩津ねぎはブランド化を図るため、数年前から販売解禁日を設定しているらしい。
 何年か前までは、時期になると主要道沿いに各農家が自前の露店を開いて値段もばらばらで売っていた。
 それが昨年は一軒も見当たらなくなって、時期を間違っていたんだろうかと思いながら道の駅に行くと、山積みになっている。
 何でも、高齢化が進み、みんな各自の店を閉めて道の駅に並べるようになったのだという。店番がいらないし、値段をつけるのも気にしなくていい。勿論、手間賃を道の駅に払うことになるのだろうけど、時間だけは自由になる。
 合理的ではあるが、たまに訪れる側からすれば情緒に欠ける。実質、値段も高くなってしまうだろう。
 ただ、ネットで解禁日を調べたら、それはそれでなるほど、と思う11月23日。新嘗祭の日だ。
 
 とは言え、それまで待ってると酒が飲めない。
 ならば、酒だけは確保しよう、と朝来(あさご)まで行くことにした。
 ここで悩む。もう昼だ。
 いつも必ずと言っていいくらい、道を間違えている。
 「今回は間違えない!」としても、帰りは夜になる可能性大。夜は運転したくない。
 最悪でも走り慣れた道までは帰っておかなければ、危険度が増す。
 山登りじゃないけれど、途中で引き返すこともあり、と自分に言い聞かせる。
 葱の束と酒数本、となるとバイクでは無理だから、コペンで行く。
 珍しいことに往復とも道を間違えることはなかった。当然、途中で引き返す必要もなかった。
 何度か行った酒の安売り店で香住鶴を三本購入。
 ただ、道路沿いに直売店はなく、念のために道の駅まで行ったけれどもやっぱり葱は手に入らなかった。
 帰宅は6時過ぎ。辺りはすっかり夜の闇。
 バイク通勤で帰りが夜になることは多かったけれど、夜は基本、クルマで走らない。
 だからだろうか、フロントガラスの向こうの夜は、なんだかよそよそしい。



 
 
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