CubとSRと

ただの日記

続 「電池切れ」

2021年07月31日 | 日々の暮らし
 7月24日(土)

 昨日はバタバタした一日だった。
 
 11時過ぎ家を出て、11時半、コーヒーを買う。
 いつもは下る北野坂を、今日は逆行して上る。そこからはいつもの通り。
 北野町を抜けて山手幹線を東進、西宮に行く。

 前回と同じく手鍋で湯を沸かし、買って行ったコーヒーを淹れてみた(勿論、湯はコーヒー用のポットに移し替えている)。これではっきりした。
 今回は沸かした湯が足りず、少し時間をおいてまた湯を継ぎ足したから、間違いなく前回より味が落ちている筈だ。
 にもかかわらず、やっぱり家で淹れた時よりも味に角がなく、まろやかな深みがある。腕が上がったのではない。間違いなくここの家が浄水器を設置しているからだ。
 30分余り居て、帰る。クルマで行かなくて正解だった。着いた時も帰る時も来客用の駐車場は一杯だ。

 寄り道をせず帰って、改めて買い物に出る。これが今日二つ目の予定だ。

 一昨日、SRに付けていた時計の電池を換えてもらった。カブに貼り付けたダイソーの百円デジタル時計はまだ電池が切れる様子はない。
 そのままの服装で、今度は懐中時計を持って出ようとしたしたら、また何か変だ。今度はすぐ気が付いた。針が止まっていた。
 でも、これ、電池を換えてそんなに経ってるか?と思ったものの、じゃ、いつ換えたかと思い出してみると、やはりそれなりの年月は経っていることに気付く。

 もう一つの安い懐中時計は、以前に「もうダメだろうと思います」と買った店で言われ、「今度止まったら捨てるしかないかな」と思っていた。
 その「捨てるしかない」と思っていた時計が止まってしまって数か月。
「今度止まったら~」と言いながら、止まっているのに未練がましく捨てられないでいた。
 そこへ一番長く使っていた懐中時計も止まってしまった。
 こっちは捨てるわけじゃないけれど、それにしても何だか立て続け、みたいな気になる。
 冷静に考えれば電池の寿命は同じようなものだから、交換時期が似たようなものなら切れるのも同じようなもんだろう。
 いずれにせよ「捨てるしかない」と思いながら持っていた懐中時計も、最後のお勤めだ、これでダメなら諦めもつく。一緒に交換してもらおう。
 続けて店を訪れることになるけれど、ここは流れのままに今度は懐中時計を二つ持って出掛ける。

 今月は一週間以上も残った段階で生活費がなくなってしまった。
 SRの車検費用が5万余りかかったことが大きいが、それ以外にも予定外の支出があった。ということで、信用金庫に寄り、出金。それから生協内の昨日の店に行く。
 結局、今月は時計三個の電池交換で三千三百円。
 
 「捨てるしかない」と思っていた時計も、電池を交換してもらったら動いていた。
 「もうダメかもしれない、と言われてたんですけど」
 と聞いてみたが、特にここがダメ、というようなことはなかったらしく、何だかもうしばらく使えそうな雰囲気。
 一万円足らずの時計だけれど、十年も持っていればやっぱり愛着がわく。

 故障で止まることもあるけれど、大方のことは「電池切れ」だ。
 エネルギーを補填し続けていれば大概のことは続けられる。
 この頭だって、生きていく、生活していく上で十分な栄養を補充し続けていれば、病気以外でダメになることはないし、その病気だって軽減できる。
 安易に「電池切れ」で片付けないことが肝要なのかもしれない。
 

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電池切れ

2021年07月30日 | 日々の暮らし
 7月22日(木)

 昨日は暑くて何もしていない。
 今日も暑くて何もしていない。

 ただ、昨日よりは、日が傾くと暑さがマシになった。(増し、ではない)
 それで、折角SRの空気圧調整もしたのだし車検も通ったのだから、と夕方5時を回って衝原湖に向かった。

 家を出て走り始め、何気なくハンドルを見る。何か変だ。
 すぐ異常の正体に気付く。
 ハンドルに巻き付けている腕時計が2時を指している。
 「ちょっとマシになったと思って出たのに、まだ2時?」
 と思い、
 「え?2時にマシになる、なんてこと、ある?」
 となって
 「そうだよ、涼しくなったと思って出たんだから。確か5時・・・」
 ということで時計が止まっていることに気付く。
 何か変だと異常を感じているのに、原因を分かるのに結構時間がかかっている。

 どうせ衝原湖まで行ってもUターンをして戻ってくるだけ。帰り掛け、ついでに生協に寄って電池を交換してもらおう。

 電池を交換してもらって帰宅したら7時前になっていた。

 さて、明日は西宮まで行かねばならない。どれで行くか。
 前々回は久し振りにSRで行って、帰り掛けに歩行者通行妨害で捕まった。
 明日は雪辱戦(?)とも思ったが、前回でなく前々回の、ってのも妙だ。
 そんな妙な意地を張らず、荷物を運びやすいコペンにするか、それとも暑さ対策にカブで行くか。暑さで、快適さを望めないのなら今回はSRは次点。

 決定に時間がかかる。頭も電池切れ、か?
 
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「平和」と「和平」

2021年07月29日 | 重箱の隅
 再掲ついでにもう一つ。
 でも、決して手抜きではありません。手抜きではありませんよ~。

 ・・・・・・・・・・・・・・・
 2014.06/04 (Wed)

 以前に、「同文同種」ということについて書いたことがある。
 正しくは「同文同軌」というのであって、同じ文字を使い、同じ度量衡(どりょうこう。はかり。物事の基準。車の「軌」)を使うこと。
 「つまり国が統一される、ということ」、なんだ、と陳舜臣が説明している。

 ついでながら「軌」というのは、道にできる二つの「轍(わだち)」のことだ。
 馬車が通れば土道に二つの轍ができる。この均等な幅の二つの溝は、底が締まって固くなっている。
 で、そこに車輪を落とし込んで走ると安定した走行ができる。
 それ故にこの「軌」の道を「軌道」というようになる。御存知、鉄道などを「~軌道」というのはそこから来ている。
 
 この「軌」、馬車によって間隔が違っていると土の道は轍だらけになって走りにくいこと、この上ない。
 だから、「同軌」にする。すると、当然道は快適に走行できる、と。


 同じ文字を使い、同じ文章を書く。それは同じ「考えの基本」となる。
 同じ「軌」にする。単位を共通のものにすることで、「生活しやすく」なる。
 だから「同文同軌」とは、「国を纏め上げる」「国を統一する」、ということになる。

 日本人はこれを、「同じ文字」、「同じ基準」と解釈する。それだけだ。
 そこには、「変化」「流動」などの予感・不安はない。
 勿論期待もない。「捉えて、終わり」、だ。
 概念として捉え、「同文同軌」という語は、その「形容」と見る。そしてそこからの「自然な発展」は喜ぶけれども、能動的に「展開させる」ということは考えない。

 しかし、シナでは違う。彼の国はこれ(文字や基準)を、「同じ」ではなく、「同じくする」と捉える。
 概念とか形容ではなく(学者的な、第三者的な立場ではなく)、「同じにする」ということこそが大事なのだ。常にそうしてきた。
 当然だろう、そうしなければ、そうやって常に働き掛けねば、侵攻や内乱で、いつ殺されるか分からないのだから。

 それで、「同じくする」。してしまったら、その現実が永遠に続くことを信じる。
 完成して(完結して)しまったのだから、発展はありえない。

 日本人は書いた通り、その本旨を把握することに全力を注ぐ。
 島国なんだから、入って来る新しい異質なもの、その基にある考えを、とにもかくにも把握しなければならない。
 それ(把握)に全力で取り組むうちに自国の能力を高め、いつも少し背伸びをする形で、冷静に発展してきた。
 パニックになって、上を下への大騒ぎ、なんてことは戦国時代だけだった。

 それでも朝廷はちゃんと存在し続けているんだから、世界に見られるパニック現象に比べれば、パニックというのが恥ずかしくなるレベルだ。

 やっぱりその時だって、日本は「奇蹟の国」だったわけだ。

 そんなだから、「同文同軌」を間違えて「同文同種」とやったって、さほど違和感なんてなかったのだろう。それどころか、敢えて間違いに目をつぶったんじゃないか、とさえ思う。
 「同じ文字を使う、同じモンゴロイド。大アジアの民、ではないか!」
 、なんて。

 でも、実は根本的に違うところがあるのだ、というのが「同」という文字の捉え方だった。
 日本は形容把握の、「同じ」、と見るけど、シナは動詞、行動の意味で「同じにする」、と見る。

 「文を同じくし、軌を同じくする」ことで、国を「統一する」。
 だったら「同文同種」は
 「文を同じにし、種(だから、この場合は民族)を同じにする」。

 つまり、本来、日本の国を動かすべき日本人の男を根絶やしにし、純粋な日本民族をなくす、漢民族だけにする、ということになる。民族浄化、というやつです。

 「同じモンゴロイド。大アジアの民!」
 なんてのは、本当に能天気な、日本人だけの妄想です。

 「漢民族をやめて日本民族だけにするのでは?」
 とか
 「アジアの民、で白人に対抗する、なんてのは?」
 というのは絶対にあり得ない。
 何しろ、中華の国なんですよ?蛮族である日本人を人として捉えますか?
 「人というのは我々だけのことである」
 とシナは思い、
 「人というのは正統を受け継いでいる我々小中華のことである」
 と、朝鮮は思う。

 さて。
 日本の学者が意図的にそういった誤用を広めたとは思えない。
 けれども「同じ文字を使う、同じアジアの民」というロマンチシズムは多分にあったろう。
 今なら「グローバリズム」だけれど、昔なら「大亜細亜主義」、だな、きっと。

 日本なら形容詞、情況の説明でしかない「同じ」だが、隣の大国は、動詞、働き掛けのための、極めて現実的な「同じにする」としか捉えない民族なのだ。
 それも、その歴史を省みるどころか自国の歴史を全否定し、共産主義思想で以て「国の夢」を実現させようと目論んでいる。

 その観点から見ると、「平和」なんかは、どんな風な意味になるだろう。
 「平和」、「平和主義」。九条の会の専売みたいになってしまったけど、安倍総理の言う「積極的平和主義」なんてのもある。

 「平和」。
 日本人はきっとこれを「平らか(情景)にして、和む」と読むのだろう。やはり情況を示している、と見る。
 その状態を描き、それに向かって問題を解決していこうというのが「積極的平和主義」。
 対して「今ある平和な状態」、を維持していこうというのが「平和主義」と言える。勿論「平和主義」は欺瞞的だ。「現実主義」ならぬ「現実容認主義」でしかないからだ。

 そうであっても「平和」は「平らか」と「和む」、二つの字が同等の意味合いで使われている。形容的、情況説明、静的な日本の捉え方だ。

 ではシナの「平和」に該当する語である、「和平」はどうか。
 「和」は目的であって「平」は手段だから、「平らか」ではなく「平らぐ」となる。
 「平らげて和する」。

 これまでの数々の激烈な報道官発言。その裏には何があるのかということを考える上で、こういうことについてちょっと考えて置く、ってことは必要なことなんじゃなかろうか。

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同文同種?とんでもない。

2021年07月28日 | 重箱の隅
2012.03/12 (Mon)

 先日、珍しく「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメを見ました。
 初めに猫娘が、プールの招待券を手に入れたから鬼太郎に一緒に行こうと誘って断られ、「じゃ、妖怪女子部で行くからいいわよ!」、と怒って帰る。

 一転して、当日集まった「妖怪女子部」。砂かけ婆と猫娘とろくろ首の三人。
 ろくろ首はスタイルは良いのだけれど、水が怖いものだから首を伸ばして・・・・。

 このろくろ首、実は日本の妖怪ではないみたいです。
 私は田舎者でよくは知らないのですが、昔いろんな所で見世物小屋が建っていた頃は、必ずこのろくろ首の見世物があったとか。
 中に入ると口上が例によって、
 「親の因果が子に報い~、生れ落ちたがこの子でござい~。何の祟りか首から上がどんどん伸びる身の不幸~。さ~あ~、ろくろっ首の花ちゃんや~い」
 「あ~い~」
 と返事をするや、首がするすると・・・・。

 見世物小屋では首がするすると伸びるんですが、これ、段々変わっていったものらしく、元々は首が身体から離れるのだそうです。

 夜になって横になり、眠ってしまったと思ったら、いきなりかっと目を開き、横たわった身体はそのままに、首は宙に浮き上がって、獲物を探し始める。そして、寝ている人の首に噛み付き、血を吸うのだそうです。
 で、夜明けまでに戻って来て、ちゃんと胴体にくっつかないと死んでしまう。
 夜な夜な人の肉を喰らい、血を啜るために身体から離れてさまよう。それがろくろ首。
 何とも恐ろしい妖怪ですが、不思議なことに眠っている(かどうかは分からないけど)横たわっている身体を動かし、どこかに隠してしまえば、戻って来た首は辺りを探し回って、飛び回り、終には夜が明けてしまって、力尽きて死んでしまうのだ、といいます。

 ろくろ首かどうかを調べるのは簡単なのだそうで、みんな着物の襟や包帯で首を隠している。何かの拍子に首を見ると、細い、赤い線が、首をぐるりと取り巻いている。その赤い線のところから、首が離れるわけです。
 もっとも、昼間は赤い筋が見えるだけで「いつでも離れますよ~」というわけではない。
 このろくろ首、支那では「飛頭蛮」と言うのだそうで、大陸南部にある怪異譚では有名なものだそうです。

 「飛頭蛮」。首が夜な夜な飛び回る蛮族。
 あっと思われた方、ありませんか。そうです。赤い線、というのは、首を切り離された跡で、ろくろ首というのは首を刎ねられた、既に死んでいる(筈の)人間のことなんです。
 考えてみれば、東南アジア一帯から台湾、(当然日本も?)まで、首狩りの風習がありました。それがないのは支那だけです。

 「首を刎ねられたら、冥府へ行けない。永久に死ぬことができず、生まれ変わることもできず、彷徨い続けなければならない。だから、首を刎ねると祟られるから、どんな場合でも、首は刎ねない。」

 というわけで、大陸では、あの残酷な刑罰の代表格である、「車裂きの刑」にしても、首に縄はかけず、手足だけを引きちぎろうとしました。
 日本では「苦しまなくても良いように」と介錯をしたり、また「苦しみを少しでも早く取り除いてやろう」と、罰であるにもかかわらず斬首という死刑の方法が行われていました。
 また「首を取る」ということは手柄そのものだったし、取られた方も「首実検」などをされるわけで、決して首は粗略に扱われることはありませんでした。

 これを恐れるのは、支那と属国である朝鮮だけでしょう。
 日本刀の美しさと、その切れ味の抜群であることは「日本刀乃歌」が詠まれたくらいだから、支那人も朝鮮人も一目置いているだろうと我々は思いますが、昭和10年代の大陸にそんなことを知る教養人が一体どれだけ居たでしょうか。
 それよりも、「日本刀で首を刎ねる」という噂だけが千里を奔ったのではないでしょうか。
 彼らにとっては、
 「ただ殺せば済むところを、何故、わざわざ生まれ変わることもできないように、首を刎ねるのだ!鬼(悪霊)だ!東洋鬼だ、日本鬼!」
 としかとれない。
 中華思想です。「首を刎ねる」より「屠殺」の方が百倍もマシだ、と絶対的な自信を持っている。
 周辺諸国の首狩りの風習にある「価値観」などは、一切認めない。
 それはそうです。「周辺に居るのは全て蛮族。オレ様は中華」、ですから。
そんな風習認める理由がない。

 ということはですよ、「同文同種」なんて、とんでもない。最初から「聞く耳持たぬ」というわけです。何しろ日本なんて東夷。野蛮な連中であって、同じ人間じゃない。

 「同文」というのは、「同じ文字を使っている」という意味ですが、「文字」は物事を記すためにあるのですから、「同文」というのは同じ文字を使って記される「物事全般」。つまり「文化」。従って「同文」とは「同じ文化」という意味があります。
 日本と支那。同じ文化?違いますね。
 そして、繰り返しますが支那は蛮族である日本の価値観、考え方など、一切「聞く耳持たぬ」。
 また「同種」は同じ種族。違いますね。

 「同文同種」というのは実は間違いなんだそうです。こんな言葉は存在しない。誤用だということです。「侃々諤諤(かんかんがくがく)」「喧々囂々(けんけんごうごう)」を一緒くたにして「喧々諤々(けんけんがくがく)」とやったのと同じ。一生懸命(初めは一所懸命)や誠心誠意(原典では正心誠意)と同じで。
本当は「同文同軌」、で、文字と度量衡(はかりの基準)を統一することで國をまとめた秦の故事に由来するんだと、陳舜臣が書いているそうです。
 これを聞き間違え「グローバル化の先陣(?)」を目指した(?)日本人学者が同文同軌を同文同種と間違って広めたらしい。
 「何となく世界市民って素敵だ!」萌えはこんなところにもあるんですね。


 ただ、余談ですが、笑い事ではない話をひとつ。
 「同文同種」だとしたら、恐ろしいことが起こるそうです。
 「同」を「同じ」、と読んでの、今回の日記ですが、「同」は「同じ」ではなく、「同じくする(同じぅする)」が本当の意味なのだそうです。形容詞的に用いるのではなく動詞的に用いる。「同じく(同じに)」+「する」、で「する」に重点がある。

 ということは、「同じ文化にし、同じ種族にする」、それが「同文同種」の本意。
 ・・・・・だったら、日本は属国となり、民族浄化が為されるということになる。
つまり、男はみんな殺され、女はみんな彼の国の男の妻となって子を産まねばならない。
 さもなくば、男と同じくみんなころ・・・

 ひえ~~~。
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目から鱗が何枚も・・・

2021年07月27日 | 重箱の隅
 書評

 
 言葉で理想を述べても、実際にやることは異なるというシナ人の特性
  人工的な暗号解読だった漢字が、じつは歪んだ性格形成の本源だった

  ♪
岡田英弘『漢字とは何か 日本とモンゴルから見る』(藤原書店)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 日本人の大半が漢字を誤解している。漢字を通して中国人を判断するのも、文化的に大きく誤解をしている。
 漢字は表意文字である。そこには言語学的に、表現力においても自ずと限界があり、現在・過去・未来の動詞変化が欠如しており、まして助動詞も、前置詞も、形容動詞もない奇妙な言語が中国語なのだ。
 ところが、文字を持たなかった日本に五世紀頃から流入し始めたため、日本は中国を文化大国として崇めるという倒錯した価値観と風潮を産んだ。
「一衣帯水」、「同文同種」という、歴史を誤断させる事態を招いた。
 中国に於いて儒教は理想を述べたに過ぎず、実態とは乖離がある。ところが日本はその理想を実践した。道徳を実践した意味で日本は珍しい国であるが、それは本書では書かれていない。
 漢字は長江流域で生まれたことは明らかなのだが、黄河中流の洛陽盆地で発展した理由は、「この一帯だけ黄河を渡ることができた」からだ。すなわち「洛陽盆地は、異なった生活文化を持つ人びとが接触するユーラシア大陸の十字路だった」
 2021年7月に発生した大洪水は、この洛陽盆地に最大の被害をもたらした。鄭州、洛陽、開封は古代から何回も王朝の首都が置かれた。
 岡田氏は記した。
 「漢人にとって漢字を学ぶのは、外国語を使って暗号を解読するようなもの」であって、じつは「漢人の論理の発展を阻害した。どういうことかというと、表意文字の特性として、情緒のニュアンスを表現する語彙が貧弱なために、漢人の感情生活を単調にした」からである。『源氏物語』のような優雅な恋愛を描けないシナの文学! 最近、なぜ渡辺惇一の小説が中国で読まれるかは、この特性を理解すれば納得がいく。
 科挙制度とは、雑多な言葉を喋る多種社会のなかで、共通する暗号を用いてコミュニケーションを成立させることができるエリートを養成することに目的があり、したがって彼らは古典を丸暗記する。
 それゆえに科挙は、「儒教の経典や古人の詩文の文体に沿った表現しかできない」ことになる(29p)。
 嚆矢は秦始皇帝で、漢字を統一し、3300字を公認した。つまり漢字を統一するために、ほかの文献を処分したのだ。それを「焚書坑儒」と歴史家は言うが、儒学者を生き埋めにしたという事実はないと岡田氏は言う。
 日本人が中国人をみて、なぜ個人と家族が基軸の価値観なのかと衝撃を受ける。
「漢字を基礎としたまったく人工的な文字言語が極端に発達したため、それに反比例して音声による自然言語は貧弱になってしまった。だから、一般の漢人にとって心が通い合うのは生活を共にする家族だけになり、その範囲の外にいる人びととは文字言語におんぶした紋切り型のコミュニケーションしかできない」。
 ところが他方で、「漢字はシナ文化圏(皇帝の支配圏)という商業ネットワークには欠かせないものだった」(59p)。
 つまり、こういうことなのである。
 「シナの社会が、少なくとも紀元前221年の秦の始皇帝の統一以来、個人主義の傾向が強く、政治の場ではそのときそのときの利害によって目まぐるしく離合集散が繰り返される。自分以外のだれも頼りにはできない。そうした環境で身を守って生きのびる術は、つねに口先では言葉の辻褄を合わせながら、言葉と関係のない行動をとるほかにはない」(91p)。
 日本人はシナ文学の理解をも間違えた。漢詩は理念であって情感ではないのである。中国語は情緒の表現が出来ない。だから「心中」が理解できない点ではアメリカ人と同じである。ましてや赤穂義士?
 「国破れて山河あり」なる漢詩を情緒的と捉える日本人は、漢詩を日本語化して解釈した所為であり、「そもそも漢詩は古来、『志』、つまり理念を表現するためのものとされてきた」(96p)のである。
 そして「洛陽の紙価を高める」という故事に象徴される出来事は紙の発明(105年)だったのである。紙は高価なものだったので、「宮中の製紙工場の独占生産で、紙を分けて貰うには帝室の許可が要った」。
この制度は魏呉蜀の三国志時代にも同じだった。ということは何を意味するか?
 ここが大事である。
 「書物を書くということは、魏志倭人伝の時代には、それほど重大な行為だったのであり、したがって女王・卑弥呼の使がシナに来たからといって、それだけのことで魏志倭人伝が書かれ、後世につたえられるはずがない。それはそれだけの、政治的な理由が必要である」(155p)
 つまり政治的プロパガンダを目的に魏志倭人伝は書かれたのだ。その魏志倭人伝を金科玉条の如く仰ぎ見る日本の古代学者って、岡田先生がもし生きていたらどう評価されただろうか?


「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和三年(2021)7月26日(月曜日)
通巻第6995号 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 明日は以前に「同文同種」について書いた日記を転載します。 
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