7月24日(土)
昨日はバタバタした一日だった。
11時過ぎ家を出て、11時半、コーヒーを買う。
いつもは下る北野坂を、今日は逆行して上る。そこからはいつもの通り。
北野町を抜けて山手幹線を東進、西宮に行く。
前回と同じく手鍋で湯を沸かし、買って行ったコーヒーを淹れてみた(勿論、湯はコーヒー用のポットに移し替えている)。これではっきりした。
今回は沸かした湯が足りず、少し時間をおいてまた湯を継ぎ足したから、間違いなく前回より味が落ちている筈だ。
にもかかわらず、やっぱり家で淹れた時よりも味に角がなく、まろやかな深みがある。腕が上がったのではない。間違いなくここの家が浄水器を設置しているからだ。
30分余り居て、帰る。クルマで行かなくて正解だった。着いた時も帰る時も来客用の駐車場は一杯だ。
寄り道をせず帰って、改めて買い物に出る。これが今日二つ目の予定だ。
一昨日、SRに付けていた時計の電池を換えてもらった。カブに貼り付けたダイソーの百円デジタル時計はまだ電池が切れる様子はない。
そのままの服装で、今度は懐中時計を持って出ようとしたしたら、また何か変だ。今度はすぐ気が付いた。針が止まっていた。
でも、これ、電池を換えてそんなに経ってるか?と思ったものの、じゃ、いつ換えたかと思い出してみると、やはりそれなりの年月は経っていることに気付く。
もう一つの安い懐中時計は、以前に「もうダメだろうと思います」と買った店で言われ、「今度止まったら捨てるしかないかな」と思っていた。
その「捨てるしかない」と思っていた時計が止まってしまって数か月。
「今度止まったら~」と言いながら、止まっているのに未練がましく捨てられないでいた。
そこへ一番長く使っていた懐中時計も止まってしまった。
こっちは捨てるわけじゃないけれど、それにしても何だか立て続け、みたいな気になる。
冷静に考えれば電池の寿命は同じようなものだから、交換時期が似たようなものなら切れるのも同じようなもんだろう。
いずれにせよ「捨てるしかない」と思いながら持っていた懐中時計も、最後のお勤めだ、これでダメなら諦めもつく。一緒に交換してもらおう。
続けて店を訪れることになるけれど、ここは流れのままに今度は懐中時計を二つ持って出掛ける。
今月は一週間以上も残った段階で生活費がなくなってしまった。
SRの車検費用が5万余りかかったことが大きいが、それ以外にも予定外の支出があった。ということで、信用金庫に寄り、出金。それから生協内の昨日の店に行く。
結局、今月は時計三個の電池交換で三千三百円。
「捨てるしかない」と思っていた時計も、電池を交換してもらったら動いていた。
「もうダメかもしれない、と言われてたんですけど」
と聞いてみたが、特にここがダメ、というようなことはなかったらしく、何だかもうしばらく使えそうな雰囲気。
一万円足らずの時計だけれど、十年も持っていればやっぱり愛着がわく。
故障で止まることもあるけれど、大方のことは「電池切れ」だ。
エネルギーを補填し続けていれば大概のことは続けられる。
この頭だって、生きていく、生活していく上で十分な栄養を補充し続けていれば、病気以外でダメになることはないし、その病気だって軽減できる。
安易に「電池切れ」で片付けないことが肝要なのかもしれない。