CubとSRと

ただの日記

「明日ちゃんのセーラー服」その後

2021年04月30日 | 日々の暮らし
 4月23日(金)

 昨日の分だけ書いてないと思っていたが、何と水曜日も日記を書いてなかった。書いておこう。

 火曜日(20日)は「掃除をしてパンを食べただけだった」、と書いている。
 つまり何もしてないみたいなもんだ、と。
 それで「水曜日はどうするか、マンガ買いに行くか」とメモしていなければ、水曜日は「失われた一日」になっていたかもしれない。
 結局、水曜日(21日)は夕方になってハーバーランドまで行ったんだった。
 「明日ちゃんのセーラー服」を見つけ、買うつもりで手に持ったまま店内を更にチェック。
 何度かネットで見かけた「ツーリンガール」の発行は竹書房だったからと、竹書房の棚を何度も見るのだが、見つからない。仕方がないので店員に聞く。
 すぐ調べてくれたが「1~3巻まで出ていますけど、ここには入ってきてませんね」との返事。
 取り寄せてもらうまでのこともないし、と続けて店内の書架を見ていたら、中村倫也主演のドラマ「珈琲いかがでしょう」の原作らしいマンガがあった。
 どうしよう。大人向けマンガだから、基本、高い。それに加えて「明日ちゃんの~」の画風とは全く違うタイプ、はっきり言うと好みではない。
 昔、「これ、面白いですよ」と勧められて何冊か読んだことのある倉多江美のマンガ。いつも冷静で論理明晰な彼女が、気持ちが先走ってつい殴り描きしてしまった、というような絵。だから話は面白いんだろうけど。
 というわけで、まだテレビ放映されてないだろう下巻の方だけ、買うことにした。

 折角ここまで来たんだし今日は飲んでも良い日だし酒の肴を買って帰ろう、と地下街に降りたが、えらく静かだ。
 間の悪いことに例の「月一度の全店休業日」らしい。

 仕方がない。帰るとするか。

 倉多江美のマンガ。30年?いや、もう40年近くになるか。
 70年安保の前後、社会を批判的に見る姿勢は漫画の世界にも浸透していた。


 
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併行はやめた方が良いかな

2021年04月29日 | 日々の暮らし
 4月20日(火)

 今朝はパンを食べるつもりでいたのだが、どこでどう間違えたのか、掃除をやりかけて日記を書き始め、習字をしてから外出を、と思っていたのに掃除を終えたのは昼。
 習字をして「今朝はパン」、のつもりがパンは夕方。一日一食、となる。
 勿論、そのパンは朝食べるつもりだったバゲット半分。
 レタスを載せ、ミニトマトを載せてハムを載せ、串を打っていつもの通り5センチ弱の幅に切る。
 焼いてないからパン屑の落ちる心配はないが、その分、当然のこととしてパンとの戦いは顎が疲れる。

 で、結局今日は掃除と、一回の食事だけ。

 明日、どうしよう。「明日ちゃんのセーラー服」の新刊が出たから買いに行く?
 六十も半ばを過ぎた爺さんがマンガ、それも「明日ちゃんの~」って「ロリコンか?それとも変態?」って思われそうだけど。
 小説「スーパーカブ」の挿絵で知ったこの画家の絵の見事さにすっかりファンになってしまい、「明日ちゃんの~」新刊が出る度に購入、既刊7冊は本棚に並んでいる。当然8冊目も並ぶべき。
 ・・・・・などと怪しげな理由を書いてみる。

 先日から江口のりこ主演の「ソロ活女子のススメ」というドラマを見ている。同僚や友人、異性などに要らぬ気遣いをせず、純粋に自身の興味、探求心のままに「それ」を経験、体験しようとする。ひとり動物園、独り水族館、一人プラネタリウムに、ひとりラブホテル。そして工場群の夜景見物クルージング。
 
 考えてみれば、「バイクに乗り始めたのが遅かったから」、「性格が悪いから仲間ができない」と思っていたけど、どうもそれだけじゃないらしい。
 独りで走っていることが好きで、その方が気が楽だからそうしてきたんじゃないか。
 「ソロ活爺さんのススメ」。
 爺さんは「終活」だけしていれば良い?そんなことはない。

 よし、決めた。買いに行こう。

 
 
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自信・自慢

2021年04月28日 | 日々の暮らし
 4月18日(日)

 やっぱり2時過ぎまで起きていて、今朝は8時半少し前に目が覚めた。
 風邪薬のおかげでよく眠れる。

 朝食を摂ったら出掛けようかと思っていたのだが、予報に違って雲の流れ方が重苦しい。
 時折り窓が明るくなるので、その都度やっぱり出ようかと思うのだが、着替えるという行動に出る前に外はすぐ日が翳り、部屋の中も夕方のようになる。

 「やっぱり出ない方が良いか。明日は文句なしの好天らしいから明日にするか。今日は日曜だし。人が一杯出てるだろうし」
 と思って、この日記を書いていたら、雨になった。

 昼、風呂に入る。
 夕方、三日ぶりに習字。と言っても三日前だって風邪で一週間以上筆を持っていない後、だったのだが。休むと三日なんてあっという間だ。
 毎日続けたって、元が元だから上手になるどうこうではない。
 ただ、たとえ数枚でも「毎日続けている」というのは、口に出さねば「自信」、口に出したら「自慢」、になる。
 「自慢」じゃダメだろう、と思っていたけど、考えようによってはそれだっていいんじゃないか。
 「『大風呂敷を広げる』ことで逃げ場をなくし、『背水の陣』を敷かざるを得なくするのだ」、と金田正一投手が言っていたということだが、日常生活でそんなに悲壮にならず、勿論、ネガティブにもならず、「それなりの」ちょっとのやせ我慢をすることは決して無意味ではないし、羽毛ほどかもしれないけど取り組みの重さは増す。

 同じ失敗を繰り返さぬよう、茄子の肉味噌炒めを作る。
 併せて「40分ほったらかし」でできるチキンソテー。
 傷み始めていたのを昨晩慌てて炒めた高菜。

 もう完全に治ったこととして、これらを肴に独り宴会。
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毎日思っている

2021年04月27日 | 日々の暮らし
 4月17日

 雨。一日降り続くという予報。

 木曜(15日)は予定を大幅に変更して、結局スーパーマーケットに行っただけ。風邪は治ったもの、と思い始めてから毎日「いや?今日治ったのかも」と思い続けるくらい、毎日少しずつ体調が良くなる。
 だが「本来の体調」という基準が、能く考えれば「あったような、なかったような・・・」なものだ。
 「正月は冥土の旅の一里塚」、は関係ないか、でも、物事というのは「めでたくもありめでたくもなし」じゃないけれど、意外に基準は定まってないものだし、それどころか両極から判断するのが常道だったりする。ほら、諺なんかはそれの最たるものだ、「善は急げ」だとか「急がば回れ」だとか。

 昨日、金曜日。遂に、というかやっとというか、ちゃんと着替えて、まず隣市のドラッグストアへ。鼻うがい液を買う。まだボトルに三分の一ほど残ってはいるがこれはそうそう傷むものではないから。
 それから道の駅に向かう。どうしても買っておきたかったのは茄子。
 昔と違って茄子はほとんど一年中、手に入るようになった。これで豚肉との味噌炒めができる。一週間以上前に買っていたのを、先日やっと使ったのだが、何本も傷んだのを捨てることになった。

 道の駅は珍しく空いていて、ウロウロすることなく車を駐めることができた。勿論、スパッと一発で、というわけにはいかない。乗り始めて十年近くになるが、運動神経の鈍さ故、とにかく慎重に停めようとする。これ以上傷めてたんじゃ年金生活でクルマを維持することはできない。
  
 ドアミラーに車の間を通り抜けようとする人影が映り、停車し切るのを待っているようだったので、取り敢えず合図に手を挙げ、屋根を閉めようとした。
 ところが、その人は通り抜けるのではなく左側に移動する。どうも左側に停めている人らしい。
 屋根が閉まる間中見ていて、「いいですね~」と声をかけてきた。

 少し年上の感じの夫婦で、「うちなんか軽です」という。
 「これ、軽です」と言ったら「えっ?」と言っていたが、素直に喜べない。彼らの軽ワゴンには「原発反対」のステッカーが貼られていた。
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メモ

2021年04月26日 | 日々の暮らし
 4月14日

 空咳がおさまらない。本当に嘔吐する寸前まで咳が続く。
 ほとんど発作みたいな感じで、でもひとしきり、半分遊んでいるみたいに咳をしていると、突然収まる。とにかくしつこい。

 咳き込んだ後、妙なことに疲れは全く残っていない。
 そういえば今日は片頭痛が全く出て来てないことに、今気付いた。
 昨日はまだ、一瞬でも片頭痛が起こりそうな予感だけはあったのだが、今日は十日近く続いていたことすら忘れていた。これは単なるボケかもしれないが。

 空咳に関しては、食後に薬を飲むことを忘れていたからと思われる。
 今度は本当に恢復した、と言ってもいいかもしれない。
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