CubとSRと

ただの日記

どちらか分からない

2023年06月30日 | 日々の暮らし
 6月24日(土)

 昨晩はしっかり(?)転寝をしたので、それから日記を書いて二階へ行ったのは12時半頃になってしまった。
 確か、眠ったのは午前2時前。
 今朝、目が覚めたのは5時半。まあギリギリだけれど散歩に行くにはセーフ、な時間。

 ・・・・と思って、一度呼吸をしたら、7時を回っていた。
 そんな長い深呼吸、なんてあり得ない。まず間違いなくまた寝てしまっていたということだろう。寝る時にCD掛けたら一曲しか聞いた覚えがないのにいつの間にか再生が終わっていた、のパラレルワールド。

 ????といった実感しかなかったのだが、この時間になってから散歩に出るのは面倒くさすぎる。
 とにかく朝食を摂って出るのは12時前で良い。バイクを預けた後、歩いて帰るのだから、普段の半分の距離だけれど、それが散歩代わり。
 そう!見事な妥協というか折衷案でルーティンの手抜きを計画。OK!

 そう思って改めて壁の時計を見ると、時刻は7時ではなく8時だった。
 「これはいけない。あんまりゆっくりもしてられないか」
 、と、でもまずは血圧測定。
 寝ぼけているのか、ただボケているのか。どちらか分からない。

 ・・・・9時を回ってるというのに、目覚ましにしているFMラジオからは7時過ぎからやっている筈のピーター・バラカンの番組らしい音が聞こえる。
 「え?どういうこと?今日は特別の4時間枠?じゃ今日はゴンチチのは、なし?何だよ~ぉ」

 よくよく聞くと、「世界の快適音楽セレクション」、だった。
 血圧計で遊んでいるうちに10時近くになっていた。

 ぐずぐず起きて朝食を摂ったのが11時前。
 それでも車検のためにバイクを預けるのに遅いという時間ではない。
 
 今回は8万近く掛かりそうだから気が重いのかな?BMWは毎回10万は見とかなきゃならなかったから、それに比べたらマシな方だけど。
 あの頃は無職じゃなかったから。年金暮らしじゃそうはいかない。
 8万なんて、懸垂したら毎月の生活費に手が届く(?)。
 調子に乗って買い物に出ているわけにはいかない、か。

 
 というわけで、今日は車検にバイクを持って行った以外、外出なし。

 夕食は素麺(揖保乃糸)3束150グラム。豚肉を入れた温かいつけ汁をつくって葱を入れて、で十分満足。
 

 

 
 
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額の汗

2023年06月29日 | 日々の暮らし
 6月21日(水)

 6時5分から6時35分まで散歩。
 時間は30分程ながら家を出る時間が遅いから、それなりの気温になっていてすぐ汗をかいてしまう。何より困るのは帽子の中。

 額の当たる汗止めの部分は見た目と違って汗をよく吸収してくれる。
 その分、鍔(って書くんだって!刀の鍔と同じ。似てるから、だそうだけど)の付け根の部分にも汗が浸み出てすっかり濡れてしまう。
 そのままにしておくと塩分のせいで白く汗の染みができる。洗えばいいんだけど洗うと今度は帽子の鍔の縁が洗濯中に擦れて破れてしまう。貧乏ったらしい。(それでも捨てられず被ってるんだけど。)
 何か収まりが悪いな。キャップなんだから「つば」より「目庇(まびさし)」「庇」という方がいいか。

 で、先日から面倒くさいけど汗止めの部分にハンカチを当てて帽子を被ることにした。
 歩き終えて帽子を取ってみると、ハンカチの半分はびっくりするくらいすっかり濡れてしまっていた。当然帽子に汗染みは全くない。

 昔、年寄りが禿頭にハンカチ被ってその上から帽子を、という儀式(?)をしているのを見て、
 「髪の毛ないのに、あんな面倒なことしなくても」
 と思ったことがあるけど、髪の毛の有無なんて関係ないんだな。
 髪の毛があってもなくても汗はかくのだから。

 そして、今、禿頭に近づきつつある自分がそれをやっている。
 見た目は別にして、なかなかこれは具合がいい。

 

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膀胱炎?

2023年06月28日 | 日々の暮らし
 また6月19日(月)の分。

 日曜だったか、トイレが近くて困った。
 東条の珈琲店で用を足して出たのに(正確には入店時だけれど)、帰宅した時は尿漏れ寸前。危ないところだった。
 だが、問題はそこではない。排尿終了間際に痛みがあったこと。

 数日前から少し(痛みとまではいかないけれど)違和感のようなものがあったので、また膀胱炎になったのかもと思っていた。
 この日は帰ってから用を足しに行くたびに痛みが強くなっていく。そのくせ量は少ない。
 量は少ないくせにいきなり尿意を催すようになる。

 それが不安で出づらかったのだが、段々に様子も分かってきたので
 「ひよどり台程度なら行ってもいいかな」
 、と思い始めた。
 勿論、出る前にも着いてからも、まず用足しをして、帰る前にも行って、で何とか尿漏れのおそれを避けることができた。
 だが、排尿終盤時の痛みはまだ強くなり続けている。


 「膀胱炎の薬は、膀胱炎を治すためのものではない」

 初めて聞いた時は、「え?どういうこと?」と思った。
 薬というものは直接間接を問わず病原に働き掛けて、病原を退治、或いは弱体化させるものと思っていたのだが、そうではない薬もある、ということになる。

 「膀胱炎の薬は膀胱内の炎症を止めるためのものではない。ただの利尿剤だ」。
 尿を排出することによって膀胱内に炎症を起こさせている雑菌を洗い流す。排尿が雑菌の繁殖力を越えたら、膀胱炎は治る。結局は自分の自然治癒力が自身の身体を治してゆくのだ、ということらしい。

 確かにそう考えれば医者が「私が治すのではない。私は手助けをするだけで、あなたが自分の力で治すのだ」と言う理屈も能く分かる。

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孫引きですが

2023年06月27日 | 心の持ち様
 「過ぎたことをいつまでも言わず、未来を切り開くことに力を注ぐべき」
 というのは至言です。
 けれど、事実をなかったことにしたり、逆にないものをあったと言い張って謝罪と賠償を要求し続けたり、というのと表裏なわけではありません。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(読者の声2)
 外交評論家・故加瀬英明のコラム(2021年3月3日)から以下を引用。

 <憲法破棄せよ>。
 「私は1950年代末に、アメリカに留学した。 ニューヨークのコロンビア大学に通ったが、ヒュー・ボートンという教授がいた。教授は戦前、国務省の若い省員だった。私はボートン教授から、日本国憲法の成立の経緯をきいた。
 コーデル・ハル国務長官が日米開戦の6ヵ月前に、日本と戦って屈服させた後に、日本をどのように処理するか研究するチームを、極秘裏に省内に作った。  
 このあいだ、昭和天皇、東條英機首相をはじめ日米開戦を回避しようとして、日米交渉を通じて最後まで必死の努力をした。日本は蒋介石政権が大軍によって、国際的に認められていた上海の日本租界を攻撃するなど、さまざまな不法を働いたために、今日であれば国際的に容認される平和維持活動(PKO)を中国大陸で進めていた。
 11月26日に、唐突に手交されたアメリカの要求は、「ハル・ノート」として知られる。日本に対する最後通牒だった。

 若い省員だったボートン教授は国務省のチームに極秘を誓わされたうえで、その一員となった。ルーズベルト政権は日本が真珠湾を攻撃する半年以上も前だったが、日本と戦って屈服させることを決定していた。
 ルーズベルト大統領は日米開戦の6ヶ月前に、蒋介石政権のマークを機体に塗り、アメリカ軍飛行士が操縦するアメリカの150機の爆撃機と350機の戦闘機によって、中国大陸から発進して、東京、横浜、京都、神戸、大阪に奇襲爆撃を加えることを陸海軍合同委員会に立案するように命じ、7月に作戦命令に署名している。  

 ルーズベルト大統領が日本奇襲爆撃命令に署名した文書が、1980年代にアメリカのABCテレビによってスクープされたが、なぜか、NHK、朝日新聞をはじめとする日本の大手マスコミは報道しなかった。
 これらの爆撃機を急遽、イギリスに供与したために、この騙し討ち作戦は実現しなかった。
 対日戦争が始まると、国務省の研究チームに陸海軍からメンバーが加わり(まだ空軍がなかった)、日本が降伏する前年に第一次対日講和条約案がまとめられた。
 日本は軍備を一切持ってはならない、軍需産業も禁じる、民間の航空機さえ、1機も持ってはいけない、原子力の平和利用を含めて核の研究を永久に禁じるという内容だった。 

 日本占領が始まると、アメリカは占領軍総司令官のマッカーサー元帥に、それを下敷きにした政策を取るよう指示した。
 現行の日本国憲法は、ハル国務長官の研究チームが作った第一次講和条約案に近いものとなった。当時、アメリカは日本を徹底的に弱体化し、再起不能な国家とするために、現行憲法を強要した。現行の日本国憲法は憲法と装った、日本を無力化する不平等条約なのだ。
 先の日米戦争の責任は、いっさいアメリカにある。日本国民は目を覚ましてほしい。」


 晩年、氏は、憲法破棄すべし、という遺言を繰り返し述べておられた。自民党も、これを党是としていたが、忘れているらしい。
 「不平等条約」と認識するだけで、内閣の決議で今すぐ破棄できる。そもそも、「不当な憲法の改正条項に従う」と改憲は難しいという認識が狂っている。

 植民地の奴隷が、主人が去った後も命令に永遠に従っている姿。それは悲しいが従順な献身的な伝統をひたすら重んじる独裁徳川家の家来の態度。
 つまり、何も見ない考えない行動しない、「有益なバカ」。

(在米のKM生)


 
 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和五年(2023) 6月24日(土曜日)弐
        通巻第7808号 より
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羽仁五郎という名前を耳にすることはなくなったな~。

2023年06月26日 | 心の持ち様
 書評 BOOKREVIEW 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 なぜこうもトンチンカンな言論が日本に蔓延っているのか
  まっかな偽物、なにも知らない『専門家』、偽善家らは『営業左翼』で生き延びる

   ♪
 飯山陽『愚か者!  あっち系の懲りない面々』(ワック)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 読み出したら止まらない、語り口が井戸端会議で、判りやすい。「あっち系の懲りない面々」の矛盾と偽善が瞬間で把握できる稀な本である。
 語り口が現代風でテンポも速い。
 著者は中東専門家、それもイスラム思想研究家だから、前回の高山正之氏との対談も面白かった。
 この本でもイランとサウジの仲直りを中国が仲介したが、日本のメディアはまったく本質を理解しないで浮き足立った分析を展開した。このあたりの詳細は一番読み応えがあり、「こどもニュース」の解説者イケガミの言っていることがどれほどリアルな世界からかけ離れた愚論であるかが了解できる。

 徹底的にシリアスなのに漫談風だから面白さは二倍。抱腹絶倒のあと、残る感想といえば、左翼が日本にまだ生き残っているという摩訶不可思議な事態である。こればかりは評者(宮崎)には理解できない。

 なぜ司馬遼太郎や松本清張という左翼作家がまだ読まれるのか。それは戦後日本人が史観を失い、GHQが壊した歴史の中枢にあった日本精神が遠くへ行ったからだろう。
 上野千鶴子なる「天下の偽物」は、「営業左翼」だった。「おひとり様」は、営業看板で実生活は結婚していたというから偽善も甚だしい。
 しかしいるよね、この手の営業左翼たちが。。
 この箇所を読んで次は瀬戸内寂聴の批判が聞けるかと思ったが、三浦瑠麗批判へ飛んでいる。寂聴女史は売僧だったが、まだ偽宗教思想なるものに欺されている信者がいる。それもかなりの数である。

 戦後、GHQ路線にしたがった御用聞き学者、評論家がごまんと出て丸山真男などが代表するが、林房雄はかれら進歩的ブンカジンを珍歩的ブンカジンと一括していた。
 革命を煽った羽仁五郎など、豪邸に住んでいた。そのことに矛盾と認識できないという感性の持ち主だった。
 こうした「あっち系」のガクシャらが書き殴ったベストセラー本は、最近は古本屋も引き取らず産業廃棄物である。

 昭和四十年代に『営業左翼』が輩出した。
 野坂とか大島渚とか。大江とかがいたが、この世界の矛盾と偽善をかぎ取って開高健は離脱した。
 石原慎太郎も江藤淳も麻疹のような左翼的風潮に欺瞞を発見し、日本回帰した。おくれて清水幾太郎とか吉本隆明とかも営業左翼はやめたが、日本回帰は出来なかった。

 営業左翼全盛から半世紀をへたが、おどろくべし。まだ論壇の片隅にいたのだ。
 朝日新聞は嘗て「アカが書き、やくざが売って、馬鹿が読む」といわれた。いまは「馬鹿が書き、やくざも売らず、読者無し」となった。
 ところが奇妙な言説をはく「愚か者」たちと、彼らのコメントを好んで載せるメディアがハイエナのように生き残り、うろつきまわり、衆愚を育てている。だからヤマガミが出た。

 偽物の典型は前述の上野千鶴子、三浦瑠麗、イケガミ某、加藤登紀子など。三浦の論文は教員の立場から言えば論文の形式もなしていない落第点トカ。外国人でもエマニエルトッドやチョムスキーらをばっさりと斬る。

 さて本書を読みながら評者はしきりと新宿ゴールデン街の風景をなつかしく思い出したのだ。
 左翼全盛時代、前田という『論壇バー』でいかなり喧嘩をふっけられた。朝日新聞と文春(当時の文春はアンチ朝日だった)が同席する「花の木」では、本田靖春と天皇制をめぐって激論を闘わせた。
 この店は村上兵衛、柴田穂、佐々克行らのたまり場だった。アングラ俳優や左翼編集者があつまる某店はゴシップの吹きだまりのようで紫煙が立ちこめていた。あの雰囲気がいまはない。
 過日、昼下がりのゴールデン街を歩いた。もちろん店は閉まっているが、営業左翼がつどうような雰囲気はなく、歩いているのは出入りの酒屋と写真を撮影する観光客ばかり、あの時代ははるか彼方へ去ったのだ。

 日本はG7に足並みをそろえたがるが、ほかの六カ国とは文化も歴史も異なり、G7的な価値観を日本が共有する必要なはいとして飯山さんは、一言で言う。
『世界の価値観を決めるのは欧米じゃない』
新聞を読んでいかりがこみ上げたら、本書を読むとすっきりするだろう。

       ◎☆□☆み□☆☆□や☆◎☆□ざ☆□☆◎き☆□☆◎  



 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和五年(2023) 6月24日(土曜日)弐
        通巻第7808号 より
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