CubとSRと

ただの日記

令和、令和と。

2019年04月30日 | 重箱の隅
ところで。
 令和、令和とうるさかったが、当然乍ら、ここ数日は「あと何日で平成が終わる」というアナウンスばかりが、テレビ、ラジオから聞こえて来た。
 「降る雪や 明治は遠く なりにけり」、だったか。何とも言えない句を思い出す。
 
 元号というのは「こんな世の中になってほしい」ということで、天皇が宣するものだ。早い話が「詔(みことのり)」「御言宣(の)り」、だ。
 「あと何日で平成が終わる」、なんて言い方は「もうこれからは平成でなくて良い」、「これからは平成な世の中でなくたっていい」というニュアンスを持つ。
 何故って、天皇の宣詞に言葉を返す(口答えする)ことになるのだから。
 天皇の言葉は天(天津神)の言葉。「承詔必謹(詔を承りては必ず謹め)」。元号も同じだ。
 だから「総理大臣ごときが決めて、官房長官が発表、とは何事ぞ!」と怒る人々の気持ちも少しは分かる。
 けど、天皇の言葉は天、天津神の言葉。総理大臣も官房長官も元号を案出した「有識者」達も関係ない。みんな天の命のままに行動したに過ぎない。
 元号が天皇の宣したものとされた時点で、それは天、天皇の言葉となるのだから、とやかく言えるようなものではなくなる。
 教育勅語が「有識者」によって案出されたものであっても、「御名」が記され「御璽」が押された時点で天皇の言葉となる、のと全く同じ理屈だ。
 更に明治期以降は一世一元となっているから、五月一日に新しく天皇が即位された時点で
 「これよりは『令和』の世の中になってほしい」
 、と、皇祖神の言葉として天皇が言挙げされたことになる。
 良いとか悪いとかではない。これが天皇の大御心だ、というだけのこと。
 我々国民は、ただその世の中の実現のために、日々を前向きに生きる、努める、だけ。
 「本、立ちて、道、成る」、だ。国の向かうべき方向を示すのが元号だ。
 「朕(ちん)爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ、咸(みな)其(その)徳ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。」
 とある教育勅語と同じく、天皇が命ずるのではなく、
 「こういう世の中にしたい。自分もそのことの実現のために努めようと思う」
 という意味からの「元号」。
 
 方向を示されたのだから、個々の国民がそれを胸に努めれば、気持ちはまとまる。



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・・・・で。

2019年04月29日 | 日々の暮らし
 「連休が始まったら人出が多くなるだろうから、閉門蟄居」
 、と、言いながら、早速、初日土曜日に買い物に出かけたんだった。
 そしたら、予想に反して気温が上がらず、予定を変更して距離を半分にすることにした。
 で、滅多ないこと喫茶店によってカレーを食べ、ストーブで暖を取ってホンワカした気分になれた、と。
 何やってんだかなあ~。
 
 ということで、以降は「連休中は大人しく閉門して・・・」と思っていたんだけど、考えてみれば買い物の一番の目的は「柿の葉茶」。
 これは東条に行かなければ買えない。
 じゃ、やっぱり行かなきゃならない。
 大人しくしていたいんだけどなぁ~、身体の方が大事だからな~。
 連休中で人が多く出ていても、そこはそれ、先ずは我が身を健康にしておかなくてはならないから、ちょっとくらい道が込んでたって、無理してでもいかなきゃなぁ~。
 うん、しょうがないけど行くしかないな。
 と、理由が見つかってしまったので、行かなきゃならない。
 というわけで、連休二日目の昨日(日曜日)、今度はちゃんと東条まで行った。
 昨日もカブで行ったのだが、途中数回道を譲ったんだけど、珍しいことに、ほとんどのクルマがサンキューハザードを点滅させた。
 これまでの経験からして、道を譲っても謝意を表されるのは5回に一度あるかないか、といった程度。
 昨日みたいに意思表示をされると、うれしいものだ。
 SRに乗っている時はそうでもないけど、カブの場合はほぼ無視される。
 もしかして、白・黄色・ピンクの区別がついてないんじゃないか、と思わされるくらい。

 気分は良いが、また寒い。前日は綿のセーターを着て行って寒かったんだった。
 でも、日曜日は気温が上がるから、ということで、セーターからスェットシャツに換えた。そしたら、またもや寒かった。
 だからと言って、一昨日ほど寒いわけではないから、何とか買い物を終え、でも二日続けて喫茶店に行ける余裕はないから、帰る。
 それに今日は大事なことがある。
 カブのオイル交換。

 これで本当に閉門。土日は出歩いたけど、今日からは大人しく家で・・・。
 あっ、今日は「昭和の日」ではないか!
 では、昭和天皇を思い浮かべ、お祝いをしなければ。
 ケーキを買いに行かなきゃ。


 ・・・・・で、今日もまた出歩くことになってしまった。
 しょうがないなぁ~。うん、これはしょうがない。

 お祝い事なんだから、しょうがないよね。

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ストーブがうれしかった

2019年04月28日 | バイク 車 ツーリング
 「明日は天気がいいみたいだから、リュック背負って野菜を買いに」
 …と書いて、実際に出たんだけど、書いた日記は大根のことだけ。
 それもツーリングじゃなくって。
 ま、そんなこともある。
 ところで昨日はいつもの道の駅じゃなくって、月に一回行くかどうか程度の、更に北の東条の道の駅に行くつもりでいた。
 それがまあ、寒いこと寒いこと。カブで、時速50~60キロなんだから、普段はどうということもないのだが、ここに来てグローブを冬用から春秋用に換えてしまっていたことを悔やむ。
 「じゃ、帰ってグローブを替えて出直し」
 、とすれば時間がかかり過ぎるから、いつもの通り、
 「ちょっと我慢すれば何とかなるだろう」
 、と無理して進み続けて三十年。
 ちょっとの我慢で済んだことは一度もなかった。
 いつも大いなる我慢を強いられ、この日もライナーが丸首なのでネックウォーマーをしていったのだが、体表全体が冷やされる。
 そして、降らない筈の雨が降り、足元を掬われるような強い横風が吹く。
 向かい風になれば身を伏せ、シートから腰を浮かして両ステップに立つ。
 色々工夫をするから、飽きる暇がない。飽きる暇はないけど、寒風と黒雲に向かっていくのは、嫌になる。
 
 そういうわけで、東条まで行くのは諦めて、三木の道の駅で買い物をし、帰り掛けに奮発して、カレーライスを食べ、コーヒーを飲みながら、全面ガラス張りの壁の下の方にあるカブを見ていた。
 走れないから、停めているカブと後ろに広がる景色、その眺めが何よりの御馳走だ。
 もうすぐ五月。山中とは言っても「瀬戸内の春」。だが今日はストーブが恋しい。
 外国製らしいストーブの耐熱ガラスの向こうで、太い薪がスローモーションのような炎を上げている。

 「連休が始まったら人出が多くなるだろうから、閉門蟄居」
 、としていたが、初日から禁を破った。

 まあ、そういうこともある。独り暮らしだから。



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大根

2019年04月27日 | 重箱の隅
 「明日は天気がいいみたいだから、リュック背負って野菜を買いに」
 、と書いた通り、今日は買い物に出た。
 例によって道の駅に行って野菜を買う。朝食用のレタス、ミニトマト、それから何にでも使える大根。
 ところで、何でも、「この大根!」「大根役者!」という時に使う「ダイコン!」は決して今言われているような使い方(下手な芝居を揶揄する時の決め科白)をするものではない、ということだ。
 大根はどんな料理にも合う。生でも食べられるし、おろし金ですりおろした奴は、火を通せば甘く、生のままならぴりっとした薬味になる。
 大概の場面で重宝されるが、アクが強くないから、どこに配置されても仕事は平均点以上を取る。
 その分、器用貧乏というか、重宝され過ぎて
 「本当の大根の味を探求してみたい」
 、という人は、まず出てこない。
 「(どうやって食べたって)当たらない」=「(芝居が)当たらない」。
 当たらないから「大根」。
 いくら洒落て言った言葉であっても、それじゃ大根が気の毒だ。
 まあ、この伝で行くと、あたる当たらないは主役の責任だから、「大根役者」というのは主役を張る役者だけが言われるべき言葉であって、周りを固めて主役を光らせるべき名脇役は、決して「大根!」なんて言っちゃいけないということになるんだが。

 大脱線をした。
 この大根役者、じゃない、大根を、今晩の酒の肴に、と思って買う。
 30センチほどの葉っぱは微塵切りにして酒、醤油、砂糖で味をつけ、片栗でとろみをつけて。日持ちがするから酒の肴にもなるし御飯のおかずにもなる。
 身は短冊に切って豚肉と炒めて中華出しと醤油で味付け。一味を適当にかけると、煮た大根と違って甘さが控えめになるので、煮たものの数倍食べられる。それこそ大根役者、だ。「当たりはしないが好まれる」。
 ついでだから「大根脚」。
 「昔は誉め言葉だったが、江戸後期から太い大根が出回るようになり、いい意味では使われなくなった」
 、とあった。
 何だか分かったようで分からない説明だ。
 細くて白くて長い大根と言えば練馬大根が有名だけど、そんな脚、褒めたと思う??
 それに、太い大根、って青首大根みたいなのを言うんだろうけど、そんな脚、ある???筋肉のつき方からしてあり得ないんじゃないかな?
 検索してみたら、三浦大根辺りが紡錘形で、脚に例えることができるかも、と思わされた。
 まあ、聖護院大根、なんてのもあるけど、ちょっとこれは・・・。
 「太腿か。それともふくらはぎのことか」
 ・・・そりゃあもう・・・。
 江戸時代に太腿の評判はいくら何でも、しないでしょう。
 見えないんだから。着物の裾が膝上数十センチ、なんて・・・。
 座敷牢に放り込まれるよ。


 ・・・・全く意味のない日記になってしまった・・・・。
 独り暮らしだもの、こんなこともある。

 いつものことだろ?独り暮らし関係ない?
 ん~、やっぱり、そうかな。



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重い

2019年04月26日 | 日々の暮らし
 う~ん。何だか気が重い。身体はそうでもないけれど。
 何でかな。
 一昨日のツーリングの疲れが、一日置いて出た?
 それとも?
 昨日、一度行ってみようと思っていた喫茶店に行けた。それが、行った途端に雨がぱらつきだして、大急ぎでエスプレッソを飲んで、しっとり濡れながら帰り着いたらやんだ。それで一気に気分が沈んだ?
 歳を取ると疲れが出るのにも時間がかかる、とは言うけれど・・・。
 いや、違うぞ。ツーリングは火曜日。翌日は水曜日で雨。
 喫茶店に行ったのは木曜日。いくら何でも三日目になって「疲れが出た」、なんて、なぁ~?
 でも、今日、何十年ぶりか、で11時まで寝てたから。
 怠ける、と言ったってこんな時間まで眠れること自体、あり得なかったから。
 三十代になった途端、六時過ぎには目が覚めるようになって、それが60過ぎに眠れない起きられない、が当たり前になって。
 これじゃいけないと思いながらも、なかなか早寝ができなくて。
 そうなると、犯人は今日の空模様だな。
 何しろ今日は空に暗い色の傘をかぶせたようで、その下、傘では覆い切れなかった空が少し浅い灰色で全周、覆っている。
 浅い灰色でなくて、薄く、でも青空が見えていれば希望が持てるんだけれど。
 それでも、少しでも気を晴らそうと、切れてしまった食料などを買いに出た。
 路面のそこら中に直径数センチの水に濡れた跡がある。雨?
 そんな気配は全くないが、雨が気まぐれに降った、空が水玉を落とした、としか考えられない。
 買い物をして帰ろうとしたら、シートに水滴がポツリぽつり。
 帰り着いたら本格的に雨粒が道路を濡らし始めた。
 慌てて家に入ったら、やんだ。
 雨がやんだ、だけじゃダメみたいだ。黴のにおいと同じで、少しでも降りそうな空模様なら、もう気は重いまま。
 とにかく青空が見えなきゃ。
 毎日の生活も、とにかくひとかけらの青空が見えなきゃ。
 見えない時は、見つけ出そうとしなけりゃ。
 というわけで、今日はもう大人しく晩御飯を食べて寝る。
 明日は天気がいいみたいだから、リュック背負って野菜を買いに行こう。



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