CubとSRと

ただの日記

そして二台体制へ

2019年03月30日 | バイク 車 ツーリング
 楽しかった~。
 空気こそ抜かなかったものの、泥濘の道を走ってみたりもしたし、石ころだらけの道に突っ込んでいってみたり、なんてこともした。
 ブロックパターンの、バルーンのように太くて大きいタイヤは、見ているだけでも安心できたし、実際、走っている時、随分安定が良いような気がした。
  段差なんて関係ない。歩道から車道へは当然のこと、時には車道から歩道へ、だって何の気負いもなく移動できる。
 困ったのは荷物を積みにくいということくらいか。それだって雨具くらいなら縛りつけりゃいいだけのこと。
 他の荷物は持って歩かなきゃいい。
 2週間余り、乗っていただろうか。
 修理が終わったという連絡が入って、GBを受け取りに行く。
 同時にTWは返さなければならない。
 「面白いバイクでした」
 「良かったら、持っといてもらっても」
 「う~ん、それも考えたんですけどね。やっぱり・・・・。100キロがやっとですから、ツーリングには使えませんよね~」
 
 そして、GBに乗って帰る時には、セローを注文していたと思う。
 25ccの排気量の差と、TWの半分の太さしかない細いリアタイヤによる出力の違いは大きい。
 けれど、TWに乗っていなければ、セローに乗ることはきっとなかっただろうと思う。
 こうして二日おきに二台を乗り換える、という二台体制が始まった。
 スーツや靴は、一日、或いは二日で休ませ、長く使えるようにする。
 違う種類のバイクは、交互に乗らないとそれぞれの特徴が見えなくなるし、何より不調に気が付きやすい。
 加えて一方ばかり乗る(偏愛する)と、拗ねる。
 それは冗談だけど。 


 

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TW200

2019年03月30日 | バイク 車 ツーリング
 「けど、何で田圃にダイブすることになったんだろう」。
 随分考えた。どうしても分からなかった。
 何しろ突然道が消えたのだ。
 「???」
 と思っている間に、半回転してバイクの下敷きになっていたのだ。
 GBの修理が終わってから、その時に世話になった人達の所に礼を言いに行った。勿論、現場を見て原因を確かめることにしていた。
 
 原因が分かった。
 「なるほど。そういうことだったのか!そういうこともあるんだ。やっぱり調子に乗っちゃいけない」
 、と肝に銘じた。
 緩い左カーブの道を調子よく走っていた。見通しが良い。
 辺り一面は田圃で、先は丁字路になっているらしい。この道は左カーブのまま、左右に延びる道に合流している。
 「これなら、この速度で道なりに合流・・・」
 と思った時に合流地点に入る。バイクを左に倒し込む。
 そして、次の瞬間、道がなくなっていた。
 「??!」
 としか書きようがない。そのくらい唐突だった。
 十分に倒し込んでいた。それで曲がれる角度の道だった。
 なのに、何でコースアウトなんだ!?
 実は合流した道は、走ってきた道の半分の幅しかなかったのだ。
 走っていた道の幅は分かっていたけど、合流する道は横から見ているだけだから、道幅は分からなかった。まさか半分しかない幅の道に合流するなんて。
 でも、合流先の道は同じ幅かそれ以上の幅広の道に決まっている、というのはこっちの勝手な思い込みでしかない。
 だから、猛省するしかなかった。
 さて、肝腎な問題。
 バイクがない。明日からの通勤ができない。これは大問題。
 仕事には行きたくなくても行かなきゃならない。
 さあどうする。
 「困ったなあ。何か代車になるものはありませんか。原付は具合が悪いんだけど」
 自爆したのに、他人事みたいな顔で言うと、
 「乗り心地がだいぶ違うけど、直るまでの間、これに乗っていて下さい。パワーはないけど、安心して乗れますよ」
 、と何だか妙にゴツイバイクを出された。
 GBを持って来た時に置いてあったバイクだ。
 異様に太いリアタイヤ。それに比べてか細く見えるフレームとタンク。
 TW200だった。ずっと後に木村拓哉がテレビドラマで乗って、急に人気が出たバイク。
 空気が抜けていても走れる、場合によってはわざわざ空気を抜いて走るというバイク。
 石ころだらけの悪路でも泥濘の道でも余裕で走ることのできる「ラフロード命」、みたいな変な奴。乗っていたら、ついそんな道を探しに行ってしまいそうになる(だろう)バイク。
 以前からバイク雑誌で見ていて、面白そうだから一度は乗ってみたいと思っていたバイクだ。
 断る理由を探すのが難しいくらい。渡りに船。

 そうして「TW200のある生活」が始まった。


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二台体制の始まり

2019年03月29日 | バイク 車 ツーリング
 いつから二台体制にしたのだろう。いざという時、二台あれば心強い、といつも思っているけれど、何故そうなったのか、あまり昔のことで容易に思い出せない。
 けど、えらいもんだ。持っていたバイクを順に書き出してみると、その理由が突然浮かび上がって来た。
 「二台あれば心強い」
 GBを手に入れて、毎日を楽しく過ごしていた。
 手に入れて数か月後には信州の最北、戸隠から野尻湖まで行ったし、翌年には北海道、その次の年は東北縦断ツーリング。
 そのGBで田圃に落ちた。
 刈り入れ間近の田圃にダイブした。一見、ふかふかの布団のように見える稲穂の波は、だけど、優しく受け止めてくれるわけもなく。
 厚いレザーpantsに同じく厚い皮のジャケット。稲穂の波は無残につぶれてしまったけど、刈り入れを控えて水を抜き、半ば乾燥して柔らかな粘土のようになっていた田圃は衝撃を十分に吸収してくれた。 
 右に倒れたGBに右脚を挟まれた。田圃とバイクの間で、なかなか起き上がれない。やっとの思いで右脚を引き抜く。
 身体は全く損傷はない。興奮状態にあるからそうなのかとも思ったが、本当に怪我をしてない。田圃の泥が助けてくれた。更に半ば乾燥しているから、泥自体殆んど服についてない。
 GBも見た目には壊れたところは無いようだった。
 しかし、通りがかりの人にバイクを引き揚げてもらっていざ動かそうとしてみると、フロントフェンダーがタイヤに当たっている。何とか力づくで少し隙間を開け、やっとの思いで家に帰った。
 それでも、時々、タイヤと接触したようで、フェンダーの端の方が溶けてしまっていた。
 フェンダーの交換だけ、となりそうだったのが、実は落ちた勢いでハンドルの右ストッパーが折れ飛んでしまっていたことが分かる。
 ハンドルが右だけ切れ過ぎる状態になっているので、専門業者に無くなった部分を作り、溶接してもらう大手術を受けることになった。
 修理に何日かかるか分からない。
 ・・・ということは、通勤に乗るバイクがない!
 どうしよう・・・・。

 ということで、明日に続く。



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バイク置き場

2019年03月29日 | バイク 車 ツーリング
 勤務地が変わることになって、おっかなびっくりでバイクに乗り始めた時はアパート暮らし。バイクの置き場所がない。
 二週間程で引っ越した先も古いアパート。
 今度はバイクの置き場所を確保しなければならない。
 引っ越しする時
 「バイクの置き場所はありますか」
 と大家に聞いたら、
 「入口の所に置けばいい」
 と言われ、引っ越して来た。
 来てみたらアパート入り口の道路わきに溝があって、そこの路上に停めろと言う。
 いや、そりゃ無理だろう。クルマにちょっとでも当てられたら目も当てられないことになる。
 そう言うと、「溝に蓋をして(そこに)置けばいい」。
 格子状の網になった蓋を、と思ったらそれは溝掃除が大変だから木の板にしてくれ、と言われ、まあ、それならば、とホームセンターに行って板を十数枚買ってきた。
 見てくれは悪いが、溝の上の駐車場は意外に便利だった。
 一つだけ気になったし面倒だったのは、カバーシートをその都度、アパートの一番奥の自室前に持っていかなければならなかったこと。
 毎朝夕、カバーシートを畳み、丸めて、バイクから外したチェーンロックと一緒に部屋の前まで持っていく。二度往復をしなければならないから、他の住人の迷惑にならないようソロっと行き来しなけりゃならない。
 結局、いくらもしないで入り口階段下のスペースに置けることになり、これまた便利になった。見てくれの悪いのは相変わらずだけど。
 昔からの静かな住宅街で、人通りは全くと言って良いほど、ない。住み始めて6、7年も経てば、雨の後はバイクも濡れている。二枚目になったカバーシートも防水機能は、どこへやら。 
 「また買わなきゃ。これじゃ意味がない」
 、と、数日間、帰りが遅かったこともあって、カバーをかけないでいた日が続いた或る朝。
 
 キーボックスにキーを差し込んで無意識に回そうとした。
 回らない。
 「あれっ?」
 と思い、何度もやろうとするが動かない。
 昨日帰って来た時は何ともなかったのに。何でだろう。
 何で?なんて悠長に考えていられない。遅刻する。
 「しょうがない、セローに乗り換えて行こう」
 、となって遅刻は避けられたものの、SRが壊れた理由はやはりあれしかないだろう。
 仕事場から連絡をしておいたバイク店に行ってみたら、やはり、「あれ」だった。
 キーボックスにドライバーか何かを打ち込んで、強引に回そうとしたらしい。
 でも、エンジンが掛からなかった。
 セルボタンを探したけど、なかった。(SRだもの)
 キックで掛けるしかない。(SRだもの)
 夜中にキックでエンジン掛けるなんて、「泥棒してますよ」と自覚している人間にできることではない。
 きっと、近所の高校生が、SRがキックのみということも知らずに犯行に及んだのだろう。
 結果、盗っ人はバイクを取らずに逃げた、と。
 おかげで、SRは今でも鍵を二つ付けて走っている。
 たとえボロボロでも、防水機能は失せていても、カバーシートはちゃんと掛けること。ハンドルロックだけでなく、チェーンロックも掛けること。
 これ見よがしの防犯グッズでも何でもいい。悪いのは犯人だけど、盗られて困るのはこちらだけ。
 そして自身、隙を作った非は、認めざるを得ない。
 SRの鍵を見るたび、そう思う。
 「武器を持っていると使いたくなる。戦争が起こる」
 、なんて言い方する人がいるけど
 「鍵をかける。こちらの手の内は見せないで置く(相手を疑心暗鬼にさせる)」 方が効果的という現実を考えたら、随分間抜けだよね。
 「戦争しないと宣言したら、誰も攻めてこない」
 とか
 「攻めて来るなら来てみろ!話し合うぞ!」
 なんてのも。


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「猫が弾くピアノ」を聞く

2019年03月29日 | 重箱の隅
 さて、いつもの駐車場に到着した。
 ダム湖のほとり。
 3月に入って、急に貯水量が減り、湖底がかなりな広範囲にわたって露わになっていたけど、先週の雨で七分通り水が蓄えられた様。
 思ったよりも風はあるが、温かな春の風。花粉の飛散も既にピークを越えて数日が過ぎたようだ。
 しかし、平日だけどバイクが数台いるぞ。
 いつもの「昔々の悪童連中」のならわかるけど、今日居るのは「ごく最近の悪童連中」の新型バイク。
 学校はどうしたんだ?あ、今、春休みか。
 
 この頃は一週間が一日みたいな・・・、と言ったら言い過ぎか。
 とにかく日が経つのが恐ろしく早い。段々に加速具合がひどくなってきている。
 そう言えば、昔(20年以上前)、年長者に
 「この頃、一日の過ぎるのが早くて」
 、と言ったら
 「アンタ、何、言うとるんや。ボクなんか右向いて左向いたら一週間経ってる」。
 負けず嫌いかな?
 こんなところで勝とうとしなくたって、と思った。
 けど、この「右向いて左向いたら一週間」ってのが、すっかり気に入ってしまって、あれから随分月日が流れたけど、今でもこの言い回しを能く思い出す。
 考えてみれば30歳前後からもうそんなことを折々に思ってたんだ。「月日の経つのは早いなあ」って。
 けど、この歳になってみると、それがやっぱり「感慨」としては薄っぺらだったんだなあ、と思う。
 あの頃の自分が口にした「一日の過ぎるのが早い」、と、二十も年上の人の「右向いて左向いたら一週間」、は、重さというか中身が全く違う。
 単純に見たって、「早いなあ」と実感した物理的な回数、積み重ねた感慨が二十年分違う。
 だから同じ言葉を若者が発したからと言って
 「その歳で、そんなに深いことを考えているのか!凄いな!」
 と評する場合があるけど、あれって実は大きな誤解なのではないかな、と。
 同じ言葉を口にしたからと言って、同じ「味わい」まで分かっているなんてことはあり得ないだろう。
 「点滴、岩をも穿つ」は「点滴」が岩を穿つ。
 「僅かな力が岩を穿つ」んじゃなくて、「僅かな力の数万回、数十万回の積み重ねが岩を穿つ」。
 まあ、そこから、「何、若造の言うことだ、ただの知ったかぶりだ」
 と頑迷固陋の頑固じじいになり切るか、それとも
 「その歳で、そんなに深いことを考えているのか!後生畏るべし!」
 、と、負けん気を掻き立てるか。
 「老け込んでる場合じゃない!」と。
 以前にこんなことを書いた。
 ↓
 ひろさちやだったか、「生きることに意味なんかない」と書いていたことを思い出した。そうだ、意味なんか、ない。
 けど、そこに「意味を見出そう」、「意味を作ろう」とするのが人間なんだ。
 猫がピアノを弾くんじゃない。人間が猫の「弾く」ピアノを「聞く」のだ。 

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