CubとSRと

ただの日記

下準備

2023年10月31日 | 日々の暮らし
 10月10日(火)

 三日振りになるのか、早朝散歩。随分久し振りな気がする。
 その割に身体に不具合はなく、普通に歩き、普通に帰った。
 「三日で不具合発生、なんて骨董品並みか」と思い返したりもするが、「三日で不具合」とまでは行かずとも、何かしら違和感があるのが当たり前の年齢になってきたんだ。用心は折節毎に改めよ。

 昨年、内視鏡検査の際に一晩病院に車を置かせてもらった(麻酔が残っているので運転はできないため)。
 今年もお願いできないか、と聞いたら今年はできないと言われる。
 「しょうがない、タクシーで行くしかないか」と思っていたのだが、近くの駐車場に停めて翌日取りに行けばいいじゃないか。
 駅の駐車場なら少し離れているけれど間違いはない。

 で、費用はどのくらい掛かるんだろうと思って、見に行くことにした。
 車なら1000~1500円。バイクなら500円。
 カブで行く?それともコペン?

 昨年は検査後の夕食は準備するのが面倒だろうと思って弁当を買って帰ったんだった。豪華そうな割に安くて「えらい良心的な」と感心して二種類買って帰ったんだけど、開けてびっくり。
 御飯が毛足の短い絨毯も斯くやと思うくらいにうっすらと敷き詰められているだけで(あれはきっとおにぎり一個分くらいのご飯しかなかった)、二つ全部食べても全く食った気がしなかった。イオン、畏るべし!
 そういうことはないように、今回は弁当屋でちゃんとしたのを買おう。コペンと関係ない話だけど。

 で、検査の翌日に車を取りに行き、その足で米や麦を買おう。
 酒も買いたいところだが、ポリープを切除することになれば一週間は酒は禁止ということだから、これは辛抱。そうだ、去年もこの一週間が長かったんだ。

 ・・・6時20分に書き始めて、今9時45分。
 たったこれだけを書くために3時間、は酷い。上げ底弁当にも圧勝する。
 ネットのニュースを見ていたから。
 正直、いつものことながら95%は時間の無駄遣いだったと思う。
 それでもやめられないのは残りの5%に「何かがある」かもしれないから。
 新聞なんかは「3割の事実」がある、みたいに言われて、対するネットニュースは桁違いの、「玉石混交どころか石ばかり」なんて言われてきた。

 しかし、マスメディアにははっきりとした「見識」がある。大新聞社になればなるほど「確固とした見識」を持っている。これは決してほめているのではない。
 「事実を伝える」のが新聞等のマスメディアの仕事なのに、「見識」という眼鏡を通して事実を眺め、受け取る側に「分かり易く整理して『説く』」のが仕事、と思っている。これが現実の報道になっている。

 「分かり易く整理して『説く』」ことのどこが悪いのか。実際学校教育では先生が生徒児童に「分かり易く整理して『説く』」ことに腐心しているではないか。
 でも、マスメディアは社会の木鐸たらんと努力はしても先生(先導者)ではない、ましてや煽動者であってはならない。「見識」のつもりの「思い込み」は何よりも危険だ。
 はっきりとしたその社特有の「見識」、悪く言えば「思い込み」による「決め付け」がある分、そしてそれが「大」新聞社であればあるほど「高い見識を持っている」と自他ともに認めるから、「事実」の報道は不鮮明になっていく。
 「玉」のある可能性は却ってネットニュースの方にあるかも・・・。


 なんてことを書いていると、また遅くなる。
 
 早く風呂に入って、明日の下準備の一番目、下剤を飲んで寝なきゃ。
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一事が万事(神は細部に)

2023年10月30日 | 心の持ち様
 「一事が万事」で、こんなのも。↓

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  「法律に書かれてないから国歌じゃない」。「国歌じゃないから歌わない」・・・という理屈。
 で、卒業式や入学式等の式典で起立もしなければ歌うこともしない。
 「じゃ、国歌にしようじゃないか」、と言うことで法律で制定した。
 どうなったか。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 国旗に礼!② (何人頭を下げたか)


 2012.10/23 (Tue)

 民主党鳩山総理の内閣が組まれた時のことだったと思います。
 各大臣閣僚が一人ずつ所信を表明する場がありました。演壇には演台と後方に国旗が立て掛けてあったと思います。

 テレビでも一部ニュースで流れたと思いますが、閣僚の大半は国旗に対して立ちどまり、目礼をすることをしなかった。
 大半は歩きながら一瞥した風であったため、一、二名の立ちどまって頭を下げた閣僚だけが目立っていました。

 「不肖宮嶋・・・」のフレーズで有名な宮嶋カメラマンだったか、が
 「国旗に会釈もせん、とはどう言うこっちゃ!」
 とエラク怒って書かれた文章を読んだ記憶があります。

 これまでは野党だった。別にそんなこと、考えもしなかった。
 それよりも周囲には元社会党議員だったのが一杯いる。
 「民主党」という名の「駆け込み寺」に逃げ込んで来ている。
 社民党ならずとも
 「日の丸の下で多くの人の血が流れ~」
 と今でも「戦争反対!自衛隊は違憲!」の思いを胸に議員生活を続けている。

 そんな議員が、予想だにしなかった閣僚となった。
 日の丸が演壇の後ろに掲げてあるなら、いやでも目に入り、それなりの社会的常識に沿った行動を採ったろう。
 けれど、演台の傍らに立て掛けてあるだけだ。頭なんか下げない。頭を下げる、なんて発想自体が、「ない」。


 ここで、老獪な(?)自民党ならどうしたか。
 自民党は元々保守思想?とんでもない。自由党と民主党が一緒になったのが自由民主党だった。
 後に民主党と自由党が出来てややこしいので自民党と言ってるだけだ。

 自由党は元々反体制の党だし、民主党は名前の通り民主主義を標榜する戦後思想で立てた党だから、それぞれ別の理由で戦前の政治・政党に対して反対意見を持っている。
 だから、極右もいれば極左もいる(今はそれほどでもない)。
 それが本来の自民党、ということになる。決して保守思想のみの保守政党ではない。

 思想的には非常に幅が広い。普通なら、とても一緒にやっていける筈がない。
 しかし、みんな「数は力」ということを知っている。だから法案を立てる時、ごく小さな妥協点を党内で探しだし、法案成立の可否を問われる時は党議拘束をかける。それで世情におもねりながら、戦後数十年政権与党で在り続けた。

 そんな自民党がもし野党で、国旗切り貼り事件のようなことが自党絡みで起こったならば。
 そしてそれがHPに載せられ、その後に政権与党に初めてなった、なんてことになれば。
 何よりもまず、この閣僚の所信表明のような時には「国旗に一礼せよ」と党議拘束以上の強さで通達をするだろう。世情におもねってきた「実力」で。

 民主党にはそれがない。反体制ではなく、体制の中で生まれてきた。
 そこへ違う意見の者が合流を申し出た。
 代表は言った。
 「民主党は民主党だけのものではない」

 いや、それは冗談ですけど。でも、あとで
 「日本は日本人だけのものではない」
 と言ってますからね。
 でも、流入した者は潰れそうになった社会党から逃げ出した者であり、自民党から飛び出した者であり、後は新生党、新進党、自由党と名を変え続けた大グループだった。
 成立の仕方は全く違うけれども、自民党と民主党、「外見の思想」は瓜二つだった。非常に幅が広い。

 しかし、成立の過程(歴史)が全く違うが故に、何か事に処する時、全く違った対応をする。
 一方は妥協点を探そうとし、もう一方は蜂の巣をつついた騒ぎになる。よく言えば「百家争鳴」だが。

 国旗に一礼をしない閣僚が半分以上いた。
 元社会党系の人々なんだから当然だ。
 又は戦後教育を受けて「国旗は揚げない。国歌は歌わない」で来たから当然だ。

 それが菅内閣の頃から全員が一礼をするようになった。
 「国歌は歌わない。辛気臭いから嫌いだ」という首相の下で。
 首相への当てつけか?そうではない。逆に首相から「一礼するように」と通達があったとしか考えられない。
 人に謝るとき、腰に手を当てたまま頭を下げる恰好だけするような人物だ。一事が万事、だ。国旗への一礼は形式以外の何物でもない。
 それが国民からの人気取りになると思えば、靖國神社の参拝だって喜んでするだろう。
 それが証拠に、「総理主導だ」と言ってわざわざ命懸けで作業をしている福島第一原発にヘリコで行ったではないか。自分が先頭に立ってヘリコから降り立つところを映せ、と拘泥していたではないか。

 「後日談」というのはこのことです。「国旗の切り貼り事件」を全く反省せず、だから国旗に対しての一礼を、「敬意」ではなく、ただの形式、としか見ない(見ることができない)、この党のお粗末さ、です。

 勿論、国旗はただの布きれです。
 しかし・・・                    
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こんな日記を書いていた

2023年10月29日 | 心の持ち様
簡単なことなんだけど
             
 天皇陛下の靖國神社参拝・・・ではなく、靖國神社行幸。
 (陛下の「参拝」されるのは、皇室の祖先神である天照皇大神を祀る伊勢の神宮をはじめとするいくつかの神宮だけです。あとは「行幸」か「御親拝」。)

 細かいことのようにいう人もあるだろうけど、「参拝はした。神道の礼式ではなくても真心は同じ」、と神前で一礼しただけの小泉総理の在り様。紋付き袴で行っても、ポケットマネーで賽銭を投げ入れ、一礼してきただけですよ?英霊達はどう感じただろう。
 ・・・・・・・・・・・・・・
 小池百合子氏が官公庁の省資源(冷房費の節約)のために、ドン小西氏に知恵を借りて「クールビズ」、というちょっと気の利いた名前の運動を提案した。
 それまでの「省エネルック」という野暮ったい名前のあまり効果の上がらない格好から何とか抜け出さなければ、ということだったんだけれど、結局、具体的には
 「ネクタイを一本取ってしまえば、~」
 みたいになってしまったのは、御存じの通りです。ただただだらしない服装になった。
 それが皮肉(?)なことに、民主党政権になって一気に国会内で流行した。
 だから、民主党政権が一番、貢献をしたと言えるかもしれません。
 一見クールビズとは関係がないような「神は細部に宿る」。民主党政権下のクールビズの大流行は、これの見事な実例なんじゃないか。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 本来の意味は「クール(涼しい)」、と、そこから派生したであろう語義の「涼しそうな、涼やかな(汗ひとつかかず、平然として)」の、二つの意味を重ねて、まあ、日本風に言えば、「朝飯前」とか「片手間」とか「お茶の子さいさい」みたいに、さらっと軽く、「ビジネス」をこなしてしまう。
 カッコ良く、スマートに仕事をやろうじゃないかということで、つくられた言葉だと思います。
 そして目的は「省エネ」。
 夏場はそうだけど、冬場は?
 「カッコ良く、スマートに」、ということで基本的には、「冬だってクールビズ!」でないとおかしい。
 「冬は暖房費節約のためにいっぱい着込んで、でも、カッコよく」、とはいかんでしょう。
 まあ、最近は「ウォームビズ」なんて言葉が使われることもあるけど。
 でも「暖かくて、もふもふしてて、それでいてスマートでカッコいい」ビジネススタイル、なんて聞いた事がない。
 だから、「クールビズ」って、当然「あいつ、カッコいいね、クールだ」という意味ではなく、「クール=涼しい」だけで、「カッコいい」は、なくなっていると見るべきでしょう。
 それで、最近は「クールビズ=ノーネクタイ」となってしまったのでしょう。
 実践する者の認識の甘さではないかと思います。上っ面だけ「お達しがあった」から、「右へ倣え」でやっている。
 「お上のなさることに間違いはございますまいから」を冷徹に、ではなく、ただただ諦めの目で見ているだけで、考えることはない。
 
 ついでながら、その「お上(政府)」も、推進する立場ながら、よくは分かっておらず、
 「ネクタイしないでいいんだよ。これで肩凝りが減るし、涼しいし、万々歳だよなぁ。オレ暑がりだからネクタイ、やだったんだ。何か嫁さんに首根っこ、押さえられているみたいでさぁ」
 ナンテことを閣僚が言っているかどうかは知りません。
 「認識の甘いのは、これを始めた前政権与党の自民党の説明が、十分でなかったからであーる!」
 、ということで、やっぱりこれも「ジミンガー」になるんでしょうか。
 「厳しく追求自民の失敗。笑って見過ごせ民主の無策」
 、なんてテレビ局や新聞社の壁に張ってあるかどうか、も、当然知りません。
 いずれにせよ、自民党政権下、小池百合子女史が牽引役となって始められたクールビズだけは、現政権与党も全く同じで、行っています。

 さて、前政権与党の総裁小泉首相のクレリックシャツももうひとつではありましたが、現与党の三代の首相。やっぱりこれも、何だかなぁ、です。
 そして、こういうことは、案外根が深い。
 「認識が甘い」のではなく、「認識能力が低い」のではないかと思って、過去を振り返ってみました。
 「たかがクールビズ、されどクールビズ」、です。
 瑣末なことでも、一つ一つをきちんと見て、正心で以って取り組むと、そこには必ずその人の人格が表れる。
 当然です。「そのことなりに、その人が全力で取り組む」のですから。本気にならざるを得ない。
 我々は「それ」から、彼の人格を読み取ろうとすれば良い。専門的な難しいことを政治家以上に分かろうとするより、政治家自身がどれだけ本気なのか、その一挙手一投足を同じ正心で以って見ればいい。
 全力で総理で「あろう」とした三人の民主党議員。その在職期間中に服装が変わるのは当然でしょう。また、変わらなければおかしい。
 総理という役職を懸命に演じることによって本物の総理になる。
 初代総理は、普段着がぶっ飛んでいました。
 それ以上言うべき言葉が見つかりません。そして、少なくとも総理を演じようという、「一途さ」は、なかった。
 あれば、いつまでも繰り返し流される鳩の物まねや、みょうちきりんなポーズを取っていたファッションショーなどへの参加はあり得なかった。
 二代目は、初め、服装をバカにしていた。
 高級な外国製のスーツの袖口の大きなタグをつけたまま国会に登場した時には、我が目を疑ったものだけれど、あれなら、ベントの仕付け糸だってそのままだったんじゃないでしょうか。
 それではイカンな、と気付いたのか、スタイリストに意見を聞き、急激に様子が変わっていきました。けれども、それは彼の人間性そのものとも言える、その場しのぎ、小手先細工だけのものでした。
 根底は変わらない。相変わらず、服装をバカにしている。
 いや、服装そのものより、「それを生業とする人」を、と言うべきかもしれません。いやいや、服飾に限らない。彼は、全ての職業をバカにしている。職を尊ぶ、とか、職によって人が育つことなど、見ようともしない。
 だからこそ、結果が出なければ、少しも努力を認めず誰でも叱り飛ばし、そのくせ、自己弁護は大得意。
 悪口大会になってしまいました。
 気を取り直して。
 現総理は一番まともです。ぶっ飛んでもいないしこつこつやろうという姿勢もある。ただ、周りを軽視もしないけど、考えてもいない。
 ところが、気にはしている。だから、ネクタイをしなかったか、と思えばその日のうちにまた、してみたりする。南洲翁とは全く違います。
 南洲翁は多額の俸給を、藩主、藩名を汚さぬために遣い、明治政府からの俸給は逆に「国民の血税であるから」、と自らのことには一切使わなかった。
 自分がどう言われようと「人をして言うに任せよ」という姿勢を貫いた。
 現総理は、周囲の評判を気にする。
 「奇兵隊内閣」「最小不幸社会」には呆れたけれど、ご機嫌取りの、自らを泥鰌に喩える演説や、上っ面だけの「正心誠意」もまた、結局上滑りするだけだった。
 一人、かりゆしを着ていたH前総理。
 デザイン性の高いシャツを着て、ノーネクタイだったのが妙にだらしなく見えたK総理。
 人目を気にして、無難を選ぶ現総理。
 自身のために、ではなく、見た人が涼しく感じることが、クールビズ。
 そう思って相手のことを思い遣る。
2012年5月26日の日記より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「一事が万事」。一挙手一投足にその人の本心が現れる。神は細部に宿る。
 「国会審議拒否はしない。ちゃんと出席する!」と高らかに宣言した翌日、開会の同時刻に結党集会を開いて、欠席・・・・。



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新党結成会見のこと

2023年10月28日 | 日々の暮らし
 ・・・と言っても、日本保守党のことではありません。13年前の日記です。しかし、構造は同じような気がする・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 2010.04/11 (Sun)
 今日は、昨夏の大敗北より延々と続く自民党の「反省会の日々」について書こうと思っていました。「夕刻の備忘録」ブログで色々と思うところがあったからです。

 「分裂している時ではない。政界再編成、なんて、今言ってる時じゃない。今は民主党を解体する時なんだ」という論旨と、「本当に反省会に意味があったのか」という辺り、思いつくまま書いてみようと思っていたのですが、やめました。

 やっぱり今日はなにが何でも新党「たちあがれ日本」です。

 散々に言われてきました。
 まだ党名も決まらないうちから「政策が決まってない」「年寄りばかり」「わくわくしない」「若い議員が参加をためらっている」「両極端が一緒になってうまくいくわけがない」「立ち上がれるんだろうか」「何?立ち枯れ?」

 「たちあがれ」なんて命令されたくない、などと言ってたのは江川女史だったか(まるで甘えん坊のわがまま娘)。

 買い物に行って帰って来た四時前、見られないと思っていた新党発足の記者会見をニコ動でやっていることを知り、5分遅れくらいで見始めました。

 「やっぱり、今日はこれ書いとかなきゃ」。
 見ているうちにそう思いました。

 そう思って一時間近い会見を見たのですが、一番目立って一番よく喋っていたのは石原都知事でした。平沼、与謝野両氏の三倍ぐらい喋っている。
 些か気になったものの「発起人が喋るのだ、文句を言うことでもない」。
 そう思って見ていました。

 何しろ都知事、言ってることがやたらカッコいいんです。

 「確かに齢を取ってるよ。けど、今、この年代、会って交すのは時候の挨拶じゃない。『一体政治はどうなってるんだ』ばかりだ。みんなこの国のことを憂えているんだよ。君ら30、40、50の者はどうだ。揶揄して足を引っ張ることなら誰でもできる。君ら若い者にやって欲しいんだよ。」

 見終わって、再度テレビのニュースで都知事の演説がメインになっている(やっぱり)のを見ました。そこではライブで見た時、都知事がチラッと言った青嵐会の話、それを流していたのです。

 若い人も既に調べられたかもしれませんが石原都知事の、あの40年近い昔の行動。今回はそれと同じだったと気がつきました。

 小説家として若いうちから確固たる地位を築いた氏が次に飛び込んだのは政治の世界でした。
 そしてまだ若い石原慎太郎という人物は同じ若い議員の平沼氏らと共に派閥を超えた「青嵐会」という政治グループを党内で結成したのです。
 代表世話人は故中川昭一氏の父、中川一郎。渡辺喜美氏の父、渡辺美智雄。都知事は当選一回目ながら、幹事長です。

 「若い議員の力が自民党に新風を吹き込む。自民党を変える勢いがある。」私もそう思いました。
 (三島由紀夫氏の事件から三年。私、ただの生意気な大学生でしたが。)

 ニュースの中でその「青嵐会」の名簿が映されました。
 各個人の名前の下に血判が捺されてありました。血判状です。血判状をつくっていたわけです。
 思い出しました。何も知らない当時、私は
「何とまあ。極道じゃあるまいし。血判だなんて」
と思ったのです。

 皆さんはどう思われますか?
 「かための杯に双方一滴の血を落とし、それを啜って義兄弟となる」というのが有名ですが、「この時代に血判なんて」と思いませんか?

 実は本来、日本では当たり前に行なわれていたのです。連判状はみんな血判でするものです。
 やっぱりちょっとでも指を切れば痛いですからね。段々行なわれなくなっては来ましたが今でも誓詞に血判を捺して神前、師匠に呈するところはあります。
(かく言う私も数度血判を捺しています。勿論、政治結社でも極道でもありませんよ、念のため。


 ちょっと痛いくらいで大して出血するわけでなし、却って寒稽古なんかの方が大変だと思いますが、「覚悟する」という意味ではなかなか効果的なやり方です。
 それを代議士が30名余り集まって、やった。(森喜朗、浜田幸一、野田毅、玉置和郎などもいた)
 三島事件が大きく影響している、とは思います。血判状ではありませんよ、「憂国」の思いが、です。

 田中総理が日中国交樹立のために北京に行こうとするのを、やめてくれと必死になって頼み込んだりした。
 (台湾を切り捨てることになるからです)
 あれから、三十有余年。

 あの時以上に酷い状態になっている。なのに青嵐会に代わるものがいるのか。与党の中でそれを必死になってとめようとする者がいないのなら自民党がやらなきゃいけない。その自民党はどうなのか。

 今日は朝から色々な番組でこれをやっています。
「揶揄して足を引っ張ることなら誰にだってできる」という知事の檄に対し、会見会場がしゅんとなったことを伝えたところはあったでしょうか。伝えたところがあったとすれば、日本の報道、まだ一縷の望みがあるのですが。

 蛇足ながら。
 青嵐会結成の際には血判を押したというのは本当の話で 、「何もそこまでやらなくたって署名で良いじゃないか」とか「時代錯誤だよ」「芝居じゃないんだから」等、色々意見もあったそうですが、「それが大事なんだ。意気込みを『自分』に見せるんだ!」ということで、参加者が集まって署名血判。
 「あいたた!切り過ぎた!」「え?血が出ないぞ」「おい、どの指を切ったらいいんだ?」と、まあ大騒ぎだったとか。何だか体育会系のノリみたいですが。しかし、やっぱり期待以上の結束力が生まれたそうです。

 
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10年前に思ったことが現実に

2023年10月27日 | 心の持ち様
 標題の通り、これは十年前の日記です。 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  2013.11/24 (Sun)

 今日は「野分(のわき)祭」だそうです。

 私は高校二年生だった。
 石造りの底冷えのする校舎で、確か二時間目の授業が始まるのを待っていた。
 チャイムが鳴って、いつもと違い少し遅れて担任の国語の先生が、入って来るなり何とも言えない茫洋とした物言いで「三島由紀夫が腹を切ったみたいだ」、と独り言のように言った。
 「心、ここにあらず」といった形容のままの風だった。
 何のことかさっぱり分からなかった。

 三島由紀夫の名前は知っていた。
 本を読むのは好きだったけれど、当時、若くして大家と呼ばれていた三島由紀夫が、「徴兵逃れをした」、とか「美輪明宏(当時の丸山明宏)と妖しい関係だった」、とか「ゲイだ」、とかいった話を聞いたり、ボディービルで造り上げた裸の写真を撮ったり、そのくせ自衛隊に体験入隊したり、東大に乗り込んで全共闘と論争をしたり、楯の会をつくったり、等を知っていただけで、「どうも好かん。ポーズだけの退廃的な作家じゃないのか」、くらいにしか思ってなかった。
 それが腹を切る?先生、何言ってんだ???
 夜、家でニュースを見てもまだぴんと来なかった。

 翌朝、図書館で新聞を見て驚いた。
 見覚えのある長い顎の首が廊下に「置いて」ある。
 腹を切った後、一緒に駐屯地に行った森田必勝(まさかつ)氏によって介錯をされ、森田氏もまた古賀氏に首を刎ねてもらった。

 その二人の首が廊下に「置いて」ある。それが新聞の一面に大きく載っている。
 おそらく人間の生首が新聞の一面に載ったのは、後にも先にもこれだけではないか。
 一社だけだった。他の新聞はそこを切り取って、載せてなかった。
 毎日新聞だとばかり思っていたが、どうもアサヒだけが載せていたらしい。

 いずれにしても大きなショックを受けた。
 何が何だかさっぱり分からない。こんなことが現実にあるのだろうか。つい先日まで「人類の進歩と調和」との謳い文句の下、大阪で万博があったばかりではないか。

 あれから43年。明日は「憂国忌」、だ。
 三島由紀夫の憂国の思いを、明日、マスメディアはどのように報道するのだろうか。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   「あれから40年」
                     (2010年11月26日の日記) 

 抜粋です。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 三島は「楯の会」の中に「憲法研究会」をつくり、改正草案に「日本国民は祖国防衛の崇高な権利を有する」と書いた。
 同時に「国民は徴兵を課されない」と書いた。
 国防は名誉ある権利だ。義務にしたら名誉が汚れる、と思ったのだ。

 (愛国心という言葉は)「どことなく押し付けがましい」。(国の一員であるのに)「国というものを向こう側に対象に置いて、わざわざそれを愛するというのが、わざとらしくてきらいである」という。「国境を以って閉ざされた愛」だ。
 「(愛国心は)官製の嫌なことば。日本は『大和心』で十分」(とも言う。)


 「三島に負け続ける我々ー自決から40年「右傾化の中身(を)問う」                                                                                  鈴木邦男
   (朝日新聞  平成22年11月26日付け)より

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 いつもながら、知らないことだらけです。
 祖国防衛の「義務」、ではなく
「崇高な権利」、を持つのだ、と。
 だから徴兵ではなく「志願」、となる。

 「愛国心」は官製語。なぜ「大和心」でないのか。
 なぜ、わざわざ対象に置いて「この国」、として愛するのだ。
 「我が国」ではないか。

 あの時(頃)も、そうでした。
 専門家、学者連の大方がこんな批判をした。
 「所詮、文学者の御遊びだ。」
 「国防とは、そんな簡単なものではない。」
 「国民を守る自衛隊が、銃口を国民に向けてはならない。」
 「文学に行き詰った結果だ。」
 三島由紀夫の思いは伝わっているのでしょうか。

 鈴木邦男氏は学生時代、「民族派全学連」を形成した「日学同(森田必勝氏が所属)」と「全国学協」の中で全国学協のリーダーとなり、全共闘などと武力対立。
 一時、新聞記者となるが三島の死により政治活動を始め、自衛隊の腐敗を糾弾しようと駐屯地に抗議に行き逮捕され、退社。
 進学塾講師をしながら、右翼団体「一水会」をつくった人です。
 (「そこまで言って委員会」に時たま出て、袋叩きにあっている人です。)

 ただ、彼の言動を見て三島由紀夫の死、同志の森田必勝の死によって、どれだけ衝撃を受け、「自分は一体何をしているのだ」と思い悩んだことを無視して彼を「わけの分からないことを言う人」と簡単にレッテルを貼ることは早計、と思います。

 生長の家学生寮で寮長をしていた彼は、玉置和郎、村上正邦と、一脈通ずるものを持っているということと同時に、生長の家に近い平沼赳夫氏とも共通する考えを持っています。ここではそれはおく、としますが。

 押し付ける気は毛頭ありません。
 ここでは、「三島由紀夫を切り捨てるか、見直すか。どちらが『我が日本』にとって、良いのか」とだけ、言って置こうと思います。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 明日、11月25日は三島氏が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹、自決した日です。

 今、特定秘密保護法案が成立しようとしています。
 「そんなに急ぐ必要がどこにある」という人がいます。マスメディアの流す情報を聞くと、そう思っている人が大半のようです。でも、そんなこと、「絶対に」あり得ない。
 「そんなに急ぐ必要がどこにある」、というのは「今のままで問題ない」と言うのと、等しいのですよ?
 テロリストや社会主義(?)国家に情報がそのまま流れると分かっていて、
 「情報を共有しよう」
 という能天気な国がどこにありますか?

 三島氏は、日本だけでそれが出来なければ、それはもはや誇りある独立国ではない、ましてや世界に冠たる日本文明の国ではない、と40年余り前に説かれたのです。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 (この日記にいただいたコメントと私の思ったことも併せて転載します。)

 こんにちは
 三島由紀夫のことはほとんど知りませんでした。
 有名な檄文は読んだことはありますが、割腹自殺の後に生首が新聞の一面に載ったとは・・・・・。

 字図らにこだわったのは文字に言霊が宿るとする言霊信仰によるものかもしれません。
 (わたしも物語を書いていた頃はニュアンスを考えたものです)

 からっぽの無機質の狡猾な日本人では、したたかな中国に対抗するのは難しいかもしれません。
 狡猾さにおいては彼らのほうが上ではありませんか。

   Comment by: ××さん   | 2013- 11-25 | 


 高校二年生、ですからね。翌朝、学校の図書館で新聞を見てびっくりしました。一紙だけでした。
 刎ねられた首はまっすぐには置けない、上を向いた形になってしまう、という当たり前のことが、妙にリアルでした。時代劇の曝し首は、大きな串のようなものに突き立ててなければ、あんな風にまっすぐにはならない、だから、本当はあんな風じゃないんだ、と、全く違う事を思ったりもしました。それだけショックだったんでしょう、誤魔化していたんだと思います、恐怖心を。

 日本人はやっぱり蓬莱島の住民なんだと思いますよ。生活の(生き残ることの)苦しさ、という事の実感が、ないんです。
 「みんな周りは良い人ばかり、苦しんでいる者を放っては置けない」
 それが人の姿、人の本然だ、と生まれた時から教えられています。からっぽで無機質なんだと思います。だから、理性で動ける。
 ただ、蓬莱島の住人だから、狡猾さは教えられていなかったのが、敗戦から、の付け焼刃で「狡くなれ。騙されるな」、と。

 だから、仰る通り、狡猾で強かなシナには対抗なんてできません。
 我々ができることはこれまでも、これからも、ただ一つの手段だけです。
 それは「いつでも淡々として刺し違えることができる」、ということです。
 防空識別圏に無人機が入ったら撃墜する。それを「宣戦布告だ」として、ミサイルが撃ち込まれれば淡々として撃ち返す。先人はそれしかできなかった。
 でも、それだからこそ、シナは日本に一目置かざるを得なかった。そう思います。
 今の共産シナはその歴史を知りませんから、朝鮮に対するのと同じ、強圧と武力で日本を抑え込もうとしています。
 「軍事力さえあれば、日本を支配できる」と、本気で思っています。刺し違える覚悟がなければ、本当にやられます。

    Comment by: 三つ切り   | 2013- 11-25 |

 
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