CubとSRと

ただの日記

寒空

2022年02月28日 | 日々の暮らし
 2月16日(火)

 1時前に寝て、起きたのが7時前。また左腰辺りに痛みがある。
 少しマシになったと思っていたけれど、ホントに少しマシになった程度で、
「これは出るか、それとも今日はやめとくか、微妙なところだな」
 、と思って用心しながら起き上がる。

 カーテンを開けてびっくり。雪が降っている・・・までは行かない、雪が舞っている。
 西の空は雪雲が重く空を抑え込んでいる。

 これではコーヒーを買いに行くどころじゃない。
 そう思って予報を見ると、今日は一日中この辺り一帯に西から雪雲が次々に流れ込んでくる、とある。
 で、また夕方になると雲が取れて無風になり、長閑な夕暮れの時が訪れる、ってなことになるんだろう、と思っていたら、・・・そうなった。

 今日もまた風のない穏やかな星空。
 残っていたコーヒーは全部飲んだ。明日こそ買いに行かなきゃと思うが、明日が一番荒れるらしい。
 どうする?
 別にコーヒー飲まなくたって死にゃしないけど。
 心が飢えるわけでもないし。

 いや、分からんぞ。飢えるかもしれない。
 「建前」というものは「欲求」という支えがあって成り立ってるんだからな。
 欲求があってこそ建前が創造され、成立させようと取り組まれる。

 あ~っ、ないと思ったらよけい飲みたくなってきた。
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【ロシアのウクライナ侵攻】

2022年02月27日 | 心の持ち様
メルマガ「週刊正論」令和4年2月24日号
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【ロシアのウクライナ侵攻】

 ロシアが24日、ウクライナに侵攻を開始しました。この事態に際して、岸田文雄首相がどのような発言をするか注目していました。
 首相は同日昼、記者団に対し「プーチン大統領の発言などさまざまな報道があります。まずは情報の収集、そして事態の把握に全力で取り組みます。いずれにしても情勢は緊迫しておりますので、G7(先進7カ国)をはじめとする国際社会と連携しながら取り組んでいきたいと考えます」と述べました。

 その上でウクライナにいる邦人保護について「まずは情報収集、事態の把握に努めてています。その中で邦人の安全確保、これは重要な課題です。何が適切なのか、情報、状況をしっかり把握したうえで、的確に対応していきたいと考えます」と強調しました。

 これが日本国のリーダーの発言です。もちろん邦人保護は重要ですが、発言を聞いた複数の現役官僚から失望の声が寄せられました。
 ある官僚は「これは恥ずかしすぎて世界にとても発信できない」ともらしました。別の官僚は「今語るべきは、ロシアの侵攻により、民主主義という普遍的価値が危険にさらされている、戦後秩序が瀬戸際にあるとの危機認識でしょう」と語りました。

 岸田首相の対応ぶりを予言したかのような論文が3月1日発売の月刊「正論」4月号にあります。杏林大学名誉教授、田久保忠衛氏が書いた巻頭論文で、タイトルは「国軍がないゆえのビクビク外交」。

 「口先だけで大きなことを言うのは自由だが、軍事力の基本を米国に依存しただけの国家は国の形としては片肺だ。日本で高度成長時代に宏池会が中心になって謳歌した『軽武装・経済重視』はとどのつまり、現在の日本を形づくっている」

 まさに、プーチン大統領を非難することすらできない岸田首相の姿を予想したかのような書き出しです。岸田首相は宏池会会長です。

 岸田首相は24日午後の国家安全保障会議(NSC)会議後になってようやく「今回のロシアによる侵攻は力による一方的な現状変更を認めないとの国際秩序の根幹を揺るがすものであり、ロシアを強く非難するとともに、米国をはじめとする国際社会と連携して迅速に対処してまいります」と述べました。最初からそういうべきでしょう。

 前述の官僚は異口同音に「当然、中国はロシアの侵攻に対する米国や日本の対応をみている。台湾に侵攻しても大丈夫だと判断したら台湾も危ない。台湾有事は日本有事でもあり、日本の安全保障にも直結する」との危機意識を語りました。

 4月号では、今年9年ぶりに改定される国家安全保障戦略について、元陸上幕僚長の岩田清文氏が「中国に向き合う国家安保戦略“私案”」を提示しました。岩田氏は次のように記します。

 「この戦略(国家安保戦略改定)を誤れば、いずれ我が国は中国の覇権拡大に飲み込まれ、自由、民主主義、人権、法の支配というこれまで我が国が大事にしてきた価値観の下での発展が阻害されるという危機感を持つべきである。今年一年は国の命運を左右する分水嶺になると言っても過言ではないだろう
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同じ押しつけじゃないか!・・・え?本気で言ってる?

2022年02月26日 | 日々の暮らし
 アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む朝日

 「吉田清治が済州島で朝鮮人女を狩り出し、慰安婦にした」という話は真っ赤な嘘でしたと朝日新聞がやっと認めたのは30年も経ってからだった。
 その間、松井やよりが済州島を釜山に変えて「日本人巡査が朝鮮女を攫(さら)った」という捏造記事を書いた。吉田清治スピンオフ作品第1号だった。
 植村隆はソウルを舞台にして妓生(キーセン)と日本軍人の話を書いた。スピンオフ第2弾だ。
 
 そういう嘘の積み重ねを指摘したのが実は新聞でもテレビでもなかった。
 首相就任直前の安倍晋三が「吉田清治というペテン師の話を朝日新聞が広めている」と記者が居並ぶ前で告発した。

 メディアが政治を壟断してきた。田原総一朗は首相の首をいくつも取ったと言った。朝日も「安倍の葬式はうちが出す」と言った。
 その首相から挑戦状を叩きつけられた朝日はこじつけでもいいから言い逃れを懸命に考えたが、ダメだった。社長の木村伊量(ただかず)は結局、自分のクビを差し出した。

 後を継いだ渡辺雅隆(まさたか)は慰安婦の嘘を産んだ大阪社会部の出身だった。吉田清治を掘り出した清田治史(はるひと)は先輩で植村は同輩だった。
 それで編集が嫌になったか、労務担当になった。朝日を称して「アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む」という。そのヤクザを統括する役目だった。
 新社長になったとき、嘘も気にしない「意識」と裏も取らない「手法」を改めて「偏らない公平さ、多様な意見を入れる謙虚さ」を約束した。
 しかし書く方のアカはその約束をどうしたか。

 例えば編集委員の大野博人(ひろひと)はマッカーサー憲法が公布された11月3日の紙面であの「憲法が米国からの押し付けだから嫌だ」という見方を嘲笑った。
 将来への不安がある。日本人が書いた憲法にすればいい時代が来るなんて「幻想」だと。
 人はいろいろな意見を持つ。それを受け止めるのがこれからの朝日だと言ったヤクザの統括者の約束など気にもしていない。

 押しつけ憲法でいいじゃないかという主張に朝日お抱えの憲法学者、長谷部恭男も座興を添える。
 「米国が押しつけたのが嫌というなら明治憲法も押しつけではないか」と。
 一瞬、ペリーが押しつけたのかとびっくりするが、そうじゃない。「主権者の国民に明治政府が押しつけたじゃないか」
 
 網野善彦じゃあるまいし、日本の歴史に主権者なんて表現はなじまない。百歩譲って押しつけだとしても明治政府は日本人が仕切っている。
 マッカーサーの押しつけとは次元が違う。

 長谷部にはその違いが分からないらしいから今年3月、那覇市のビジネスホテルで起きた泥酔婦女暴行事件を例にとってみる。
 以下は朝日の記事だ。「知人らと観光で沖縄を訪れていた40代の女性会社員が前夜、飲酒した後、宿泊先のホテルの廊下で寝込んでしまった。
 目が覚めたら見知らぬ男のベッドにいた。犯されてはいなかった。抜け出して警察に通報し、見知らぬ男は準強姦の容疑で緊急逮捕された」

 沖縄では年間50件の強姦が起きている。ただ警察は発表もしない。今回も犯人が日本人だったら警察が動いたかどうか。情況も曖昧で現に犯人も部屋で寝ていて捕まっている。
 それを上記のように大きな記事にしたのは犯人が米国人だったからだ。
 朝日は日本人では騒がないが、米国人だから騒いだ。「米国人が日本人を犯した」と、民族感情に訴えた。

 吉田清治の嘘を朝日新聞がでっかく書いたのは慰安婦にされたのが「朝鮮人」という設定だったからだ。慰安婦が日本人ではネタにもならない。
 「日本人が朝鮮人女を拉致した。慰安婦にして、戦場で強姦した」と創ったからこそ慰安婦問題が大騒ぎできる材料になった。

 朝日新聞はずっと民族ネタを大切にして、それを飯のタネにしてきた。
 ただ憲法に限って米国人が書いても問題ないという。
 この辺が民族派新聞になり切れない朝日新聞の頭の悪さなのかもしれない。


  (2016年12月1日号)


新潮文庫 
 「変見自在 トランプ、ウソつかない」
        高山正之著 より
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諜報の本義

2022年02月25日 | 心の持ち様
「宮崎正弘の国際情勢解題」    
令和四年(2022)2月22日(火曜日) 通巻7227号より

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  書評 しょひょう 
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 

 諜報とは人を騙すのではなく誠心誠意、協力者と付き合うことが極意
  インテリジェンス戦争のマスター達は国益を求めて工作に命をかけた

  ♪
岡部伸『至誠の日本 インテリジェンス』(ワニブックス)
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 インテリジェンス戦争に詳しい岡部氏の最新作。
 岡部氏がインテリジェンスに興味を抱いたのはKGBによって睡眠薬を盛られて昏睡状態にされ、目覚めると財布からドル札が抜き取られていた事件がきっかけという。KGBの「警告」だった。岡部氏が産経新聞モスクワ支局に赴任し、北方領土交渉の機微に触れる取材をしていたときだった。
 本書は、その副題が示すように「世界が称賛した帝国陸軍の奇跡」を追って、とくに小野寺信、樋口季一郎、藤原岩市の三人のスーパー・インテリジェンス・マスターに焦点を充てている。
 当時、諜報、情報工作にあたった人たちの信条が「謀略は誠なり(誠とは真心から発するもので、事をなすには誠心誠意をもって従事すること)」。この精神で世界初の情報士官養成所「陸軍中野学校」を開設した経緯がある。
 小野寺信は連合国から「枢軸国側諜報戦の機関長」として畏怖され、共産党の転向者らとも交遊し、梁山泊の趣があったという。小野寺はヤルタ密約の存在を知り、終戦の土壇場でソ連が北海道へも攻め込むという機密情報を掴んだ。大本営は、この機密電報を握りつぶした。
 ヤルタの密約はFDRが、トルーマン副大統領にさえ見せなかったほどのもので、しかし英国では15部複製され、女王陛下以下の政府トップには共通の認識だった。
 日本の『同盟国』だったドイツの保安警察(SIPO)は、1941年に報告書を作成しており、そこには「日本の『東』部門 ──対ソ諜報の長はストックホルム陸軍武官の小野寺で、補助役がケーニヒスベルグ(現在のカリニングラード)領事の杉浦千畝とヘルシンキ陸軍武官の小野田寛」とした。
カリニングラードは、ロシアの飛び地。評者(宮崎)も、数年前に行ったが、瀟洒な海岸や美しい教会が並び、大きな教会の裏にあるカントの墓にはいまも花束が絶えない。
 日本のインテリジェンス工作員らはバルト三国やスウェーデンを舞台として、とくにソ連を憎悪していたので、日露戦争でロシアを負かした日本に近親感を抱いた小国の協力者がいた。
 1944年にストックホルムにおいて小野寺を訪ねた扇一登(海軍大佐)は「小野寺さんは他国の情報将校から『諜報の神さま』と慕われていた」という証言もある。 
 諜報は人を騙し、破壊工作を煽り、どんな手段を講じてでも情報を掠め取るという暗いイメージがあるが、小野寺は「情報活動で最も重要な要素の一つは、誠実な人間関係で結ばれた仲間と助力者」だとした。
 「その信念のもとで、他国の情報士官と『人種、国籍、年齢、思想、信条』を超え誠実な『情』のつながりを築いていった」(23p)
 樋口季一郎は杉原千畝の上司。ユダヤ人を救うのは人道主義に基づき、いずれ国益にも繋がると信じた。
 樋口は哈爾浜(ハルビン)において、海拉爾(ハイラル)、満州里などに分散していた特務を統一し、また白ロシア人をエージェントに抱えて、ソ連に潜入させた。ロシア革命を逃れてきた白系ロシア人はスターリンへの憎しみを抱いていた。樋口は「東洋のシンドラー」とも言われたが、スターリンの野望をいち早く見抜いた。 
 もうひとり、藤原岩市は「F機関」で知られる。諜報大国の英国も脱帽したほどの完璧なインテリジェンス工作を展開した。
 マレーシア上陸作戦は、それまでにマレーシアに写真屋、雑貨商などを表看板として在留邦人が一丸となって情報をもたらし、また英軍の動きを背後から監視して、日本の部隊へ通信していた。藤原機関は南機関、ハリマオなどを駆使し、チャンドラ・ボーズをインド独立軍の領袖に育てた。チャンドラ・ボーズはガンジーと対立するとされたが、近年モディ政権によってボーズへの再評価が浮上している。
 日本の情報能力は、高いのか低いのか分からないが、英国は日本にファイブアイズへの参加を呼びかける時代である。このような書籍が、日本の論壇に登場したことも、顕著な社会的変化のあらわれと言えるだろう。
     ●◎●◎

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《 諜報は人を騙し、破壊工作を煽り、どんな手段を講じてでも情報を掠め取るという暗いイメージがあるが、小野寺は「情報活動で最も重要な要素の一つは、誠実な人間関係で結ばれた仲間と助力者」だとした。
 「その信念のもとで、他国の情報士官と『人種、国籍、年齢、思想、信条』を超え誠実な『情』のつながりを築いていった」》

 社会の中に生まれ、社会の中で育ち、長じては社会を支え、発展させるのが人間。
 幸せな生活を送るために作られるのが社会(国もその一つ)、と言うのは大前提。つまりこれが本当の建前。この建前の前では本音が優先されてはならない。
 そして、それは国際間でも同じこと。国益のみを考え、国際関係を踏みにじる(破壊する)ということは、世界という社会全体を否定することだ。
 「諜報活動は社会を支え、発展させるためにある」のであって、決して「人を騙し、破壊工作を煽り、どんな手段を講じてでも情報を掠め取る」といった私利私欲(自国さえ良ければいい)の考えで行われるべきものではない。
 ・・・・・のだけれど・・・・。


 追記 
  早い話、正心(一心・真心)を以て向かい合わねば相手に響かない。正心を以て向き合っても響かないのが我汝の関係だから。そこを諦めず正心を以て向き合っていると、自然、相手もそれなりの対応をしなければならない気持ちになって来る。それを海舟は「外交の極意は正心誠意」「政治の極意は正心誠意」と言った。「誤魔化しなどをやりかけると、却って、こちらの弱点を見抜かれる」 
 で、ウクライナはどうなるか。
 
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忘れていた

2022年02月24日 | バイク 車 ツーリング
 4年ほど前の日記です。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 目的は「心地よく走る」こと
              2018年09月21日

 ~6月10日の日記より~
 5時に目が覚め、御飯を仕掛け、7時に起きてシャワーを浴びる。
 炊き上がった御飯で弁当を作る。
 弁当と言っても卵焼きをつくっただけで、他は昨晩のおかずの残りや、買い置きの漬物程度。
 御飯を俵型のおにぎりを作る「型」に詰め込み、味付け海苔を巻く。
 これでやっつけ弁当、できあがり。
 
 名所旧跡やイベント会場などを訪れる、或いは美味しいものを食べに、と、目的をでっちあげてツーリングに行く。
 でも本当の目的はただ、「走ること」。
 世間一般に言う「目的(或いは目的地)」は、世間一般に言うための言い訳、でしかない。
 「心地良く走りたい」だけ、だから弁当を持って出かけるのは正解。
 「金?あるよ。いつも食べたいものがあるから出るんだ、それがオレのツーリングだぜ!」
 というのは、それはそれでいいんだけどね。
 「『食いしん坊ツーリング』に徹している」。
 うん、いっそ潔い。
 私は金がない。だから心地良さに特化する。今、思いついた(どこかの大統領みたいだ)。

 東条の道の駅に行き、酒の肴用にホルモン焼きそばを買う。それだけで出る。
 土曜だからだろう、ツーリングのグループらしいのが記念写真を撮っている。
 いくつものツーリンググループと擦れ違う。
 まさかカブの前かごに弁当を入れてソロツーリング気取ってる、なんて、誰も思わないだろうな。
 いや、気取ってるんじゃない。本気でショートツーリング決行中だ。
 南下して三木に向かう。年に二、三度しか寄らない喫茶店に行く。
 「今日は・・・、車ですか・・・?」
 車にしては暑そうな、けど、バイクにしては軽装だし。と思ったのだろうか。
 小さなショルダーバッグ一つ、というのが我ながら妙と言えば妙だ。
 「今日はカブで来ました」
 さらに南下、明石に出る。稲荷山から明石海岸へ。
 大蔵海岸公園で、用意した弁当を出して昼食。
 「スーパーカブ」の主人公の女の子、小熊は観光色の強い避暑地清里で、気圧されぬよう精一杯胸を張っておにぎりを食べ、ソフトクリームを食べていた。
 こちらは長閑な初夏の海。(ただ、ちょっと暑過ぎる。)
 明石大橋が海峡をまたぎ、眼前に広がる淡路島につながっている。大きな景色。 
 この景色の中だ、お洒落な街並みなんかあったとしても色褪せてしまう。
 それが証拠にやっつけ弁当がキャンプのカレーライスに負けてない。
 カブのエンジン辺りからカタカタという音がする。
 気になる。耳からか、それとも振動からか、角のある感触が伝わってくる。
 SRのほどではないけれど、同じような感触だ。
 バイク店に寄って聞くと、やっぱり。シリンダーヘッドのタペット音だから、バルブクリアランスの調整をしようということになる。
 冷えてないとできない。ヘッドを開けるとガスケットも替えなきゃならない。

 今日、120キロくらい走ったろうか。
 
 つい先日のことだ。
 オイル交換をしてもらって、見ず知らずの人にチェーンにオイルを注してもらって。
 耳から入るエンジン音、それに排気音。身体に伝わってくる振動。こんなに気持ち良くなった。
 いや、元々は、こうだったんだろう。
 そうなると、バルブクリアランスの調整をしてもらったら、どんなことになるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 4年ほど前の日記で、この時は久し振りにカブで明石まで行った。
 たったそれだけのことがバイクに初めて乗り出した頃のことを色々と思い出させてくれた。

 何しろ就職して十二年。三十四歳でバイクに乗り出したのだから、感性はかなり鈍くなっていたと思う。それでも乗り始めた時は毎日が楽しくて、目に映る物がみんな新鮮に見えていた記憶があるから、清新の気はあったと思う。
 就職したての頃、爆音を立てて疾走する「カミナリ族」は既にいなかった。代わりに、暴走するわけでもない喧しいだけの「暴走族」がのさばっていた。
 バイクなんかに乗る奴はみんな不良だと思っていた。それが転勤で通勤のために車かバイクの免許を取らなければならなくなった。転勤してからならともかく、突然のことだから悠長に車の免許を取っている時間はない。バイクなんて考えもしなかった。原付だ、原付ならすぐとれるだろう。
 どうやって免許を取っていいかもわからず、視界に入った交番にこれ幸いと突撃し、原付免許の取り方を聞いた。

 何をやっても、新しいことに対する感情(新鮮な驚き)と、旧態依然とした職場の雰囲気に対する重苦しさとがせめぎ合って十年近く経った頃から、何となし慣れによる耐久性(鈍麻)ができてきたな、と感じていた。それは決して心地よいものではなかった。
 それがバイクに乗り始めて、その頃(学校を卒業したばかり、就職したばかりの頃)の感覚を久しぶりに思い出すことになった。

 そして30年後。カブの魅力に気付いたことで、またその頃のことを思い出した。
 「感性が鈍る」ってのは、決して年齢からじゃない。興味を持ったものに取り組もうとしないから、だ。



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