4年ほど前の日記です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目的は「心地よく走る」こと
2018年09月21日
~6月10日の日記より~
5時に目が覚め、御飯を仕掛け、7時に起きてシャワーを浴びる。
炊き上がった御飯で弁当を作る。
弁当と言っても卵焼きをつくっただけで、他は昨晩のおかずの残りや、買い置きの漬物程度。
御飯を俵型のおにぎりを作る「型」に詰め込み、味付け海苔を巻く。
これでやっつけ弁当、できあがり。
名所旧跡やイベント会場などを訪れる、或いは美味しいものを食べに、と、目的をでっちあげてツーリングに行く。
でも本当の目的はただ、「走ること」。
世間一般に言う「目的(或いは目的地)」は、世間一般に言うための言い訳、でしかない。
「心地良く走りたい」だけ、だから弁当を持って出かけるのは正解。
「金?あるよ。いつも食べたいものがあるから出るんだ、それがオレのツーリングだぜ!」
というのは、それはそれでいいんだけどね。
「『食いしん坊ツーリング』に徹している」。
うん、いっそ潔い。
私は金がない。だから心地良さに特化する。今、思いついた(どこかの大統領みたいだ)。
東条の道の駅に行き、酒の肴用にホルモン焼きそばを買う。それだけで出る。
土曜だからだろう、ツーリングのグループらしいのが記念写真を撮っている。
いくつものツーリンググループと擦れ違う。
まさかカブの前かごに弁当を入れてソロツーリング気取ってる、なんて、誰も思わないだろうな。
いや、気取ってるんじゃない。本気でショートツーリング決行中だ。
南下して三木に向かう。年に二、三度しか寄らない喫茶店に行く。
「今日は・・・、車ですか・・・?」
車にしては暑そうな、けど、バイクにしては軽装だし。と思ったのだろうか。
小さなショルダーバッグ一つ、というのが我ながら妙と言えば妙だ。
「今日はカブで来ました」
さらに南下、明石に出る。稲荷山から明石海岸へ。
大蔵海岸公園で、用意した弁当を出して昼食。
「スーパーカブ」の主人公の女の子、小熊は観光色の強い避暑地清里で、気圧されぬよう精一杯胸を張っておにぎりを食べ、ソフトクリームを食べていた。
こちらは長閑な初夏の海。(ただ、ちょっと暑過ぎる。)
明石大橋が海峡をまたぎ、眼前に広がる淡路島につながっている。大きな景色。
この景色の中だ、お洒落な街並みなんかあったとしても色褪せてしまう。
それが証拠にやっつけ弁当がキャンプのカレーライスに負けてない。
カブのエンジン辺りからカタカタという音がする。
気になる。耳からか、それとも振動からか、角のある感触が伝わってくる。
SRのほどではないけれど、同じような感触だ。
バイク店に寄って聞くと、やっぱり。シリンダーヘッドのタペット音だから、バルブクリアランスの調整をしようということになる。
冷えてないとできない。ヘッドを開けるとガスケットも替えなきゃならない。
今日、120キロくらい走ったろうか。
つい先日のことだ。
オイル交換をしてもらって、見ず知らずの人にチェーンにオイルを注してもらって。
耳から入るエンジン音、それに排気音。身体に伝わってくる振動。こんなに気持ち良くなった。
いや、元々は、こうだったんだろう。
そうなると、バルブクリアランスの調整をしてもらったら、どんなことになるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4年ほど前の日記で、この時は久し振りにカブで明石まで行った。
たったそれだけのことがバイクに初めて乗り出した頃のことを色々と思い出させてくれた。
何しろ就職して十二年。三十四歳でバイクに乗り出したのだから、感性はかなり鈍くなっていたと思う。それでも乗り始めた時は毎日が楽しくて、目に映る物がみんな新鮮に見えていた記憶があるから、清新の気はあったと思う。
就職したての頃、爆音を立てて疾走する「カミナリ族」は既にいなかった。代わりに、暴走するわけでもない喧しいだけの「暴走族」がのさばっていた。
バイクなんかに乗る奴はみんな不良だと思っていた。それが転勤で通勤のために車かバイクの免許を取らなければならなくなった。転勤してからならともかく、突然のことだから悠長に車の免許を取っている時間はない。バイクなんて考えもしなかった。原付だ、原付ならすぐとれるだろう。
どうやって免許を取っていいかもわからず、視界に入った交番にこれ幸いと突撃し、原付免許の取り方を聞いた。
何をやっても、新しいことに対する感情(新鮮な驚き)と、旧態依然とした職場の雰囲気に対する重苦しさとがせめぎ合って十年近く経った頃から、何となし慣れによる耐久性(鈍麻)ができてきたな、と感じていた。それは決して心地よいものではなかった。
それがバイクに乗り始めて、その頃(学校を卒業したばかり、就職したばかりの頃)の感覚を久しぶりに思い出すことになった。
そして30年後。カブの魅力に気付いたことで、またその頃のことを思い出した。
「感性が鈍る」ってのは、決して年齢からじゃない。興味を持ったものに取り組もうとしないから、だ。