CubとSRと

ただの日記

ムルティストラーダ

2020年07月31日 | バイク 車 ツーリング
 ・・・と言っても、あの有名なバイクのことじゃなくって。
 あれ、何でもイタリア語で「ムルティ」ってのは英語の「マルチ」。
 で、「ストラーダ」ってのも英語では「ストリート」。
 ということで、「どんな道でも走ってやるぜ!」みたいな意味なんだそうだ。
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 有馬街道を走っていると、ハンドルミラーに黄色いカブが映った。珍しい。
 昔、「ホンダ最後の国内生産カブ」として売り出されたリトルカブ、だろうか。
 通常のカブと違ってタイヤホイールが少し小さく、全体のバランスが何となく可愛らしい。緑と紺の二色しかないカブに比べ、十種類近い色のリトルカブがあって、黄色もそのうちの一つ、・・・だったんじゃないか。

 そのカブはハンドルに小型のウィンドシールドをつけ、前かごをつけ、リアキャリアにはリアボックスを装備し、と、完璧にオールマイティーカブ。イタリア式に言えばどこだって行ける「ムルティストラーダ」。これで排気量が50ccのリトルカブだったら笑うけど。
 何故って、50ccのままなら、法律上30キロしか出しちゃいけない。ひたすら他のクルマの迷惑になる。
 ここ、有馬街道では走行路と側溝との間の僅かな幅の路側帯を、原付バイクは言うまでもなく、車幅のあるスクーターや更に大きい250程度のバイク、スクーターも「有馬街道は民主主義、走行車はみな平等」とばかりにビュンビュン擦り抜けていく。無法地帯、とまでは言わないけど、決して行儀のよい走り方は、しない。それが分かっているから、クルマはセンターライン寄りを走る。
 だから、50cc、ノーマルのリトルカブだったら、無法な走り方は当然できないし、流れに乗った走り方もできない。

 けれど、ここまでの装備を見るに、これはきっと90か。60?或いは50ccのエンジンを下ろして、110のエンジンを積んでいる、とか。ボアアップして90近くにしているのかもしれないな。
 50のエンジンをいじったら88ccまで行くんだそうだ。
 90のエンジンはノーマル85ccらしいから、90のカブより、エンジンをいじった50のカブの方が力がある、ということになる。それ、かな?

 黄色のカブは見映えに違わずジェントルな運転で、有馬街道の急坂を上ってくる。ハンドルミラーにずっとその姿が映り込んでいる。
 そのカブは、道路の端を強引に追い抜いていくような素振りは、遂に見せなかった。

 ダム脇のトンネルを抜け、延々と続く車の列を見ながら走るうち、急に気が変わり、左折することにした。
 ウィンカーを点け、右手をちょっと上げて合図をしたら、向こうも同じくハンドサインを出して直進するのがミラーに映った。

 カブ同士、こういうところがたまらない。
 
 
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90分まで無料!

2020年07月30日 | 日々の暮らし
 6月20日
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 昼過ぎて、カブで三宮に向かう。市役所横の駐車場は一台分だけ、それも通し番号の1番の所だけ空いていた。
 やっぱり90分までは無料、というのは良い。「125cc以下は」という但し書きがなければもっといい。だけど、但し書きがあっても駐めちゃいけない筈の125cc以上のスクーターを素知らぬ顔して停めてる悪い奴も、必ずいる。

 考えてみれば、90分以内に戻ってきて移動させれば一日中無料なんだ、と今日初めて気づく。
 そうは言っても90分以上三宮辺りを彷徨い歩くことなんて、ないと思うけど。
 以前みたいに、書店によれば二時間、三時間は当たり前、なんてことは、老眼になってから全くなくなった。
 そのつもりで老眼鏡を持って行っても、目が疲れて一時間以上なんて立ち読みができなくなった。その都度「面白い本がない」「字が小さ過ぎる」、と言い訳して。
 ボケてきて読めなくなったから、と言うのが本当の所なのかも。

 ジュンク堂に向かう。
 何でジュンク堂という名前なのか、と思っていたら(本来は淳久堂)、これ、社長の名前なんだとか。
 系列の書店に「喜久屋書店」というのがあるけど、これは彼の父親の名前らしい。
 そう言われてみれば、「喜久」と「淳久」、確かに親子なんだな、と思う。
 数年前まで、フランス語か何かだろうと思っていた。

 今回、初めてちゃんとメモを持って本を買いに行った。おかげで時間はかかったけど本を見つけることができた。
 扶桑社の宮脇淳子著「朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏」。
 PHP文芸文庫の白洲正子著「鶴川日記」。
 どちらも、先日買ったWillの書評を見て。
 前の方は題名が難しそうだけど、朝鮮の歴史ドラマから歪曲を見出して行くというものだから、楽しく読める。
 
 残念ながら数年前に書かれたもので、先日まで放映していた「華政(ファジョン)」については書かれていない。「華政」も面白過ぎる設定と歴史解釈で、これもまた、歴史的事実となって朝鮮の歴史になっていくんだと思うと失笑するしかないんだけど、共通の知識があれば、間違いを指摘することも容易くなるわけで。
 政争に巻き込まれ、日本に逃げた王女が硫黄鉱山で奴隷として働き、帰ってきて・・・という話だったけれど、「鉱夫=奴隷」、という捉え方がすごいし、それで鉱夫頭になれば独立して親方になる場合もある、ってんだから、彼の国の人々の考える「奴隷」とは何かについて知ることもできそうな・・・あ、脱線してたんだった。

 もう一つの「鶴川日記」は白洲次郎と結婚した樺山正子のエッセイ。
 女傑として知られたが、あの白洲次郎の妻、というより、まずは樺山資紀の孫として、の物を見る目をいかんなく発揮したエッセイ(だと思う)。

 ということで、本は買ったぞ!・・・・・・。
 ・・・・・・あとは読むだけだ。

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カラスの仕事

2020年07月29日 | 日々の暮らし
 6月18日
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 結局、寝たのは3時近くだったと思う。
 それでも、ラジオは6時に起こしにかかってくる。起きたくなくてもストレッチをして、遅くとも7時過ぎにはゴミ袋を出して置かねば、と、とにかく起きる。
 幸い身体に痛いところはほとんどなく、Tシャツを被り、雪駄を突っ掛けてゴミ捨てに行く。
 ゴミは早くもそれなりの分量が出ていて、鴉除けのネットを掛けてあるその上に、信じられないことに食パンが一枚、ビニール袋と共に置かれている。
 勿論、わざわざそんなことをする人はないだろう。
 鴉がゴミ袋をつつき破って、パンが一枚だけ入っていたかなり丈夫そうなポリ袋を、引っ張り出したに違いない。

 それにしても不思議だ。何故、あんなふうに鴉がすぐ見つけるような捨て方をしたのだろう。最初から餌としてパンをやるつもりだったのか?
 食パンが一枚丸ごと残っていて(あ、あと切れ端も一つ)、いつでも食べられる格好になっているのに、鴉の姿が見つからないのも不思議と言えば不思議だ。

 ここまで書いてきて、ふと思いついた。
 もしかしたら、黴の生えたパンを一、二枚そうやって捨てたのを、目敏い「奴ら」が早速見つけ出し、やっとの思いで引っ張り出し、その場で食べ始めた。
 そこに人間が来たので、慌てて、取り敢えず食べ終われそうなのを咥えたまま逃げた。つまり一羽だけの仕業なのでは??

 その袋を放って置けば今は姿の見えない奴さん、すぐまた啄ばみ(と言うより、喰らい)に来る。
 ・・・だからと言って、当番でもない者が勝手に掃除にかかるわけにもいかない。
 で、持ってきた枯草と切った枝で一杯になっているゴミ袋を、その食パンの袋の上に置いて、パンの袋を引っ張り出せないようにしてやった。
 奴らがゴミを漁った後、きれいに掃除をしていくんならそんな意地の悪いことはしない。(・・・・・と思う。)
 生まれてすぐ、の鳥なら、雀のような野鳥でも人に懐つき、共生できるらしい。
 昔、そうやって放し飼いにされていた鮨屋に連れて行ってもらったことがある。
 店主の肩にとまって、大人しくしていた。時々客の肩にもとまる。
 鴉のように頭の良い鳥ならもっとうまくできるかもしれない。「鬼滅の刃」の使い鳥は鴉だったな、確か。例外に雀もいたっけ。
 けど、一羽ならともかく、あっという間に数十羽、数百羽になる。手に負えなくなって投げ出すと暴走する。六甲山の猪に餌をやってはいけないのと同じだ。手に負えなくなるのは分かっているから、決して餌をやってはいけない。
 鴉は神の使いなのだ。暴走させてはならない。彼らの尊厳を守ってやらねば。

 帰って朝食の用意。
 昨晩の肴の残りとご飯。
 それに加えて、バゲットを焼いて、ソース(昨日の残り)を塗り、食べる。
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三大欲求

2020年07月28日 | 日々の暮らし
 今日の晩飯、おかずは麻婆豆腐。豆腐二丁入れて作ったけど、ほとんど食べてしまった。
 
 兵庫県南部地震の後、一日一食だった時期がある。
 食べるものがなかった、というわけではない。朝食を摂る時間よりも寝る方を優先しただけのこと。昼食は別に理由があって摂らなかった。
 結局、食べるのは夜だけ、ということになるのだが、その夕食が一品のみ。
 今でも鮮明に覚えているのが、或る晩、麻婆豆腐を作って食べたこと。

 麻婆豆腐はそれまでにも能く作っていたけれど、特にその時期のを覚えているのは、やはり異常事態の最中だったからだろう。
 丼に軽く盛ったご飯の上に、これまた軽く麻婆豆腐を掛けただけの物を一杯。
 それで十分満足していたことを思い出す。
 あの時は確かγGPTだかの数値が異常に高く、禁酒中(2年くらい)だったせいか、毎日500グラムずつ体重が減って、半月ほどで65キロから57キロまで落ちたんだった。
 体調に変化は全くなかった(と言うより却って快調だった)から、病気なのでは?という不安は全くなかったが、周囲の人はみんな病気を疑っていたらしい。

 不安はなかったが、酒もやめ、食べるものもさほど欲しくはなかった、四十をいくつか過ぎたあの頃。時々一体何が楽しいんだろう、と思う毎日だった。
 生きていること自体が楽しいのではない。体がやってくれている「生きる」ということに対し、意識的なかかわりの結果である「楽しむ」「楽しい」という感情が入り込む隙はない。
 それにかかわろうとする「何か」が、「楽しい」と思わせてくれるから、というのが普通だ。一日働いて気持ちよく眠る、とか空腹を覚えて美味しく食を摂るとか。
 あの頃、それがなかったんだな、と漠然と思い返す。

 やっぱり「三大欲求(三大欲)」とはよく言ったもの、と思う。
 食欲、睡眠欲、性欲の三つがあってこそ、普通に「ヒト」という生き物なんだろう。
 加納治五郎が講道館で推奨したという「精力善用」という心構えの「精力」とは、三大欲がしっかりとした支えになってこそ、生まれるものだし、この「精力」がなければ「精(しら)ぐ」、つまり物事を追求、或いは追究することなどできない。
 そして、物事を追求、或いは追究することは、楽しい。

 あれから二十五年。
 65キロを超えることはあっても、60キロを割り込むことは一度もない。

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With 黴

2020年07月27日 | 日々の暮らし
 6月13日。

 今日は本当に「一日中雨」。
 しかし、数時間も「しとしとと降り続く梅雨」なんてのではなく、そのほとんどは「霧雨」。
 いつも通り、街中からは雲にしか見えないだろう、霧に包まれた世界。
 こう書くと何だか幻想的な雰囲気があって、そうだ、昔「霧の摩周湖」なんて歌があったな。
 そうそう!霧の晴れた湖を見ることができたら結婚できるとかなんとか。二度行ったが、どちらも霧が晴れることはなかったから、言い伝えは・・・そんなのはどうでもいい。もう大昔に過ぎたことだ。

 そういえば、昨日、コーヒーの菓子にと思って、プレーンクラッカーを一つ出した。
 しばらく放っていたアプリコットジャム(勿論、冷蔵庫に入れてたけど)も、久し振りに出して使った。
 何気なしに瓶を見ると、ジャムに白い黴が生えていた。
 糖分が多いから、ジャムには滅多にカビが生えないものだが、それでも限度はあるようで、数か月(半年?)以上も放っていたら、いくら冷蔵庫の中だとは言っても安心はできないらしい。
 まあ、瓶の口辺りに少し生えていただけだったので、ティッシュで拭い取ったらそれで良いだろう。明日から急いで食べよう。バゲット焼いて、塗り付け、菓子代わりにしてしまおう。

 それが今日はもっと酷いことに。こちらのダメージは大きい。
 大蒜の辣油漬け。
 四月の半ばに「朝来」の道の駅で買ってきたのを半分近く食べていたのだが、朝はパンだったり、夕食は三日に一度の「酒の日」だったり、で手を伸ばさない日がしばらく続いた。何しろ辣油に漬け込んであるんだから、常温でも、と高を括っていた。
 今日、なんだか視界に入った瓶の雰囲気が変なので、おそるおそる蓋を開け、中を見た。目に見える瓶の中の様子は・・・・あまり美味しそうではない。
 こんなんじゃなかった筈だが。少しだけど大蒜の良い香りがしていたのだが、今は全く匂いが届かない。
 鼻を瓶に近付ける勇気がない。自信を持って言える。絶対変な臭いになってる!
 更に凝視すると全体が微妙に白っぽい。僅かに漂ってくる臭いにも不穏な気配が感じられる。
 これはジャムどころではない。完全にアウトだ。あ~っ、勿体ない。
 大蒜という奴は久し振りに食べると活力が湧いてくるのが実感できるけれど、最近みたいに常用していると、当然のようになって、有難みを忘れてしまう。
 結果、腐らせてしまったようだ。
 我々は、日常こういう「常用していると、当然のようになって、有難みを忘れてしまう」ものに囲まれて(守られて?)暮らしている。
 で、
 「水と空気はただ、だ」とか「自衛隊は災害救助に特化すればよい」
 とか鼓腹撃壌を地で行くようなことを宣う。
 
 


 梅雨の合間、晴れた時に、買いに行くか。早ければ来週あたり。
 その時は、今度はSRか。
 いや、梅雨の合間、朝の3時頃に出発するならクルマ、というのもあり、か。
 でも、帰りには暑くて気が変になるから、やっぱりSRか。

 

 
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