CubとSRと

ただの日記

料理

2024年06月30日 | 日々の暮らし
 6月13日(木)

 12日の晩は何となし、料理をせず以前に買った熊本の「団子汁」を食べる。
 これは「団子」、というだけで実際には平打ち麺。
 尤も本来は麺の形をしておらず、「団子」の文字通り小麦粉を練ったものを団子のように少しずつちぎったものらしい。
 ついでながら「団子」と書いて熊本では「だご」と発音するとか。
 昔読んだ津本陽の「薩南示現流」に出ていたと思う。「だんごじる」ではなく「だごじる」と言う(らしい)。

 これを甘い味噌汁の中に具の一つとして入れるだけ。当然腹持ちの良い食べ応えのある汁物となる。
 白味噌仕立ての雑煮の、餅の代わりに団子が入っているものと言ったらいいか。
 いずれにせよ普通に美味い。味噌が甘めのところが特に良い。

 味付けが甘めと言えば「伊勢うどん」。
 伊勢の食堂ならどこにでもある「伊勢うどん」。値段は素うどんと同じで、伊勢のうどんのメニューの中では一番安い。
 初めて食べた時はびっくりした。何しろ丼(どんぶり)の中に一目で茹で過ぎと分かる太いうどんが入っているだけ。他は何もない。出汁すら見えない。かけ忘れたのか?
 「うどんだけ入っている」、「うどんしか入ってない」どんぶり。狂気すら感じる。

 「もしかして底に?」と思って箸でうどんをさばこうとしたら、突然出汁で染まったらしい黒いうどんが出てきた。刺身につける溜まり醤油で、茹で過ぎてふにゃふにゃになったうどんを食べるのか??
 どう見たって美味しそうには見えない。いや、不味そうにしか見えない。
 美味しそうに見えたとしたら断言できる、「その感性は間違いなく狂っている」。

 「こんなもの注文するんじゃなかった」と思いながら食べたことをよく覚えている。
 「人は見た目が九割」。真っ黒いうどんもその悪魔のような色で、味覚はすっかり飛んでしまった。当然丼の底にある出汁を啜ろうなんて欠片も思わない。

 そんな記憶だけが残って数年後。
 「伊勢うどん」と言えばまずいうどんの代名詞、みたいに思っていたのだが、ふと、どんな味だったのか、そのまずさを言葉にしようとして気が付いた。
 いかにもマズそうな見た目は瞬間に思い出せるのに味は全く思い出せない。そりゃそうだ、出汁を舐めてみることすらしなかったのだ。舌に残っていたのは讃岐うどんの対極にある「コシのなさ」、だけ。

 最近、甘い溜まり醤油を手に入れた。
 少しの出汁と一緒に一煮立ちさせて、そこに長めに茹でたうどんを「かけ」て、卵を一個。刻んだ青葱を少々。
 「なんちゃって伊勢うどん」。くせになる味。


 
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これも「避諱(ひき)」につながる文化(文華)なんだろうなあ~

2024年06月29日 | 心の持ち様
 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)6月28日(金曜日)
        通巻第8308号   
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 李尚福前国防相と魏鳳和元国防相の党籍を剥奪。上将の階級も取り消し
 軍に闇のシステム、習近平がいかに綱紀粛正を呼びかけようが。。。
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 中国共産党第20期中央委員会第3回総会(3中総会)は7月15日から四日間、北京で開催される。直前となる6月27日の中央政治局会議で、李尚福前国防相と魏鳳和元国防相の党籍を剥奪する処分を決定した。

 また両氏は軍から除名され、それぞれの「上将」(大将)階級も取り消しとなった。国防相経験者が一度に2人も処分されるのは異例である。処分理由はいわずとしれた軍の汚職体質、というより軍の上納システムという悪弊にある。

 軍の汚職、腐敗は歴史的伝統であり、日清戦争で李鴻章が最新鋭軍艦を視察し武器庫を点検したところ、砲弾がなかった。横流しで売り払ったあとだった。
 人民解放軍となっても部署の交替で賄賂が流れ、また装備部などでは軍服やら長靴や装備末端にいたるまで業者から賄賂をとる。
 糧食も同じで業者から賄賂、当然おこる数量の誤魔化し、手抜き、質の低下があり、これらが中国製武器の性能の劣悪さに直結する。空母? 四日間くらいしか動かず、すぐ修理。
 潜水艦? 先々週だったか台湾のイカ釣り漁船近くに中国の潜水艦が突如浮上し、やがて護衛艦に守られて中国方面へ去った「事件」があった。潜水艦って、ふつう90日間は潜り続ける。

 少尉から中尉に出世するには前任者への『上納金』が必要とされ、たとえば上将への上納金は一億円が相場といわれる。ま、日本では退職金とその後の天下りがあるが、中国には軍に闇のシステムが存在し、習近平がいかに綱紀粛正を呼びかけたところで、この体質は治らない。失脚したふたりは「見せしめ」でしかない。
☆◎☆◎ミ○☆◎☆◎ヤ◎☆◎○☆ザ◎☆○☆◎キ◎◎○☆□

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そういえば。
 昔読んだ朽木寒三の「馬賊戦記」に、軍閥が割拠していた頃の刑務所(監獄)の話が出ていた。監獄の門前には何軒も骨董品の店があるんだそうだ。
 流行っているようにも見えないのに店はずっと営業していて、立派な骨董品が並んでいる。
 奇妙なことに或る日、骨董品が店先から消えるのに、数日後には同じものがまた店頭に並んでいる。そういうことが繰り返される。
 実は大金を持って買いに来る者がいる。届け先は向かいの刑務所長。
 骨董品を受け取った所長はそれを骨董品店に買い取ってもらう。つまり所長に多額の金=賄賂が入る。結果、収監されている大物の扱いが激変する、と。

 表面だけ見ると「とかくこの世は金次第」となるが、購入者―店主-所長―収監者は「避諱」の信念で固く結びついている。
 この「文華」は中華思想がなくならない限り消すことは出来ないのかもしれない。
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生活必需品と嗜好品

2024年06月28日 | バイク 車 ツーリング
 高齢者に
 「車がないと生活できない」と言われれば、成程と共感する。
 「車は趣味」と言われれば、「早く免許証返納しろ」と思う。

 一方は「だから『仕方なし』に乗っている」。
 もう一方は「理由なんかない。ただ『楽しい』から」。
 
 嫌々ながら運転する車。
 ワクワクしながら握るハンドル。
 安全運転に関する意識はどちらが高いだろう。

 人はともすれば生活必需品をぞんざいに扱う。
 生活に必需だからこそ大事に扱うべきなのだが。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 6月10日(月)

 買い物に出て、用事を済ませたらそこらを少し走ってみるつもりでコペンにした。ところがいざ出てみると思った以上に暑い。
 この時点で、午後そこらを走るなんてただの苦行になってしまうだけ、ということが容易に想像できた。
 そこらを走るのは明日に延期?明日はもっと暑くなるという。

 それくらいなら、と走り回るのはやめて一旦家に帰り、街に出て珈琲を飲むことにした。当然着替えてSR。
 帰り掛け、いつもの通りひよどり台に寄る。この道は有馬街道より視界が開けていて交通量も少ない。やや遠回りなのが玉に瑕。けどバイクには快適ロード。

 ひよどり台で買い物を済ませ、駐車場通路の左端を歩いていた。
 ふと振り返ると年季の入ったVolvoが何となしヨタヨタと走って来る。長いこと乗ってるんだな、と感心しながら前に向き直り歩いていると、何だかこちらに寄ってくるような気配。 
 まさか接触するようなことはないだろうけど用心に越したことはない。二三歩、急いで歩く。と同時に、後ろで何だかバリバリという大きな音がした。
 慌てて振り返る。そこに並べて駐車している原付やスクーターをひっくり返して蹂躙しているのか??
 
 果たしてあのVolvoだ。まだバリバリという音は続いている。Volvoも微速前進中。犯人は彼に間違いない。一旦停止するよう手で合図する。
 踏み潰し中の音の正体が分からない。バイクを轢いているようには見えない。
 下がるように言うと、今度は下がり過ぎて別の原付に当たりそうになり、そこにいた人が「あかん!当たる当たる!」と声を掛ける。

 車を降りてきたのは高齢の女性だった。古くからの友人が来たので車を出したのだという。微速前進で破壊されたのは二輪駐車コーナーに置かれた二つ重ねのパイロンだった。

 買い物を終え、帰途に就く。前をあのVolvoが走っている。遅いので左側の車線から抜こうと車線を変更したら、彼女もゆっくりと左側に。
 ウィンカーを点けてなかったから車線変更を考えていたわけではなかったらしい。話に夢中になってハンドル操作がおろそかになったか。
 助手席の「友人」が咄嗟に注意したのだろう、慌てて元の車線に戻った。

 車はどうしても(バイクより)注意力が散漫になりやすい。だからバイク以上に一人で乗るべきだ、と思っている。(当方に一緒に乗ってくれる人がいないことはこの際論外、とする。)その方が安全に運転ができる。そして妙にカッコつけたり意地を張ったりする必要がない。

 だが、この時ばかりは「助手」は居た方がいいな、と思わされた。

 
 


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遅い朝食、身体の不具合

2024年06月27日 | 日々の暮らし
 6月9日(日)

 どうせ今日は一日雨で外には出られないのだから、と夜更かしをしてしまい、寝たのは2時半。
 6時に掛けた目覚ましが鳴る前に目は醒めたが、やっぱり雨で「急ぐこともあるまい」とまた目を閉じたら8時過ぎになってしまった。

 朝御飯。
 茶碗一杯分の御飯はあるが味噌汁はない。味噌汁はないが鮭の切れ端はある。
 即席スープの用意(と言ってもカップを置いただけ)はしていたが、パンは冷凍しているのを焼かなきゃならない。それにサラダくらいは作らなきゃ。

 鮮度を考えて「ここはやっぱり御飯に味噌汁、鮭の切れ端だな」となって、準備にかかったのが11時前。
 結局「余裕はあるんだからゆっくりやれば」と思っていたら、ブレックファーストが限りなくランチに近いブランチになってしまった
 
 そして食べ終え、片付け終えたのは、11時55分だった。
 
 昼過ぎてから、椅子に座って頭を動かすと、ふらっとした。
 あの眩暈に似てはいるが、もっと範囲が広くなって、景色が反時計回りに30度程度傾き続けるのではなく、方位磁石がゆらりと30度くらい動くような感じ。
 あの眩暈に比べたら切迫感はあまりない。

 それよりもおかしいのは、身体を屈めようとすると左の肩胛骨の辺りだけ筋を引っ張られるように痛くなること。
 慌てて身体を伸ばして、左肩を後ろ、上方に向けて引き揚げるようにすると収まる。夕方までにそういうことが5、6度あっただろうか。

 原因を考えたが、突然のことなのでなかなか思い当たることがない。ただ左肩胛骨辺りだけ、というのがヒント。
 昨日3時頃、ほんの少し素振りをやった。ただ「やった」なんて胸張って言えるほどじゃない。わずか数十回だ。

 原因らしいのはこれだけしか思い出せなかったんだけれど。

 風呂に入って血流が良くなったからか、ほとんど痛みは感じなくなった。
 
 それにしても70になってからは色々なところが痛くなる。どこが痛くなるか全く予想がつかない。
 朝は何ともなかったのにいきなり痛み始めることもあれば、いつまでも痛いこともある。痛くて足が組めなかったのに、ものの数十秒で消えてしまうこともある。

 実に不便に感じるが、文句を言ってたってしょうがない。
 これからは常に「じゃあ、どうする?」と言い続けることが意外に身体(特に頭)には良いのかもしれない。
 
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韜光養晦

2024年06月26日 | 心の持ち様
  
「韜光養晦」路線から野心ぎらぎら満艦飾の「戦狼路線」へ
   ど派手の武威、領海領空侵犯の裏に何かが隠されているのではないか
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 韜光養晦とは1990年代に「最高実力者』(肩書きがないのにトップだった)、鄧小平が強調したスローガンで、「才能を隠して、内に力を蓄える」という中国の外交・安保政策の基本方針だった。出典は三国志、劉備玄徳の言葉で、この四字熟語にこめられていた意思は臥薪嘗胆、立志報復だった。

 中国は89年の天安門事件で国際的に孤立し、西側から厳格に経済制裁を突きつけられて、経済が頓挫したため、爪を隠して国際社会における存在空間を広げながら、基本的には、経済力もつける必要があった。他方で西側の中国制裁を「われわれの政権転覆を狙う『和平演変』だ」と言っていた。
日本が真っ先に西側の掟を破り中国に助け船をだした。

 北京五輪を契機に、中国はすっかり自信をつけたばかりか、2010年頃にGDPで日本を超えて世界第二位となると、米国以外の指導者すら見下ろすような態度を取り始め、胡錦濤政権後期に「韜光養晦」路線をすてた。日本に対しては傲岸不遜、上から目線で「教えてやろうか」という態度に変わった。やっぱり、臥薪嘗胆、立志報復のしっかりとした意思を含んでいたのだった。

 習近平となると鄧小平路線などきれいさっぱりと忘れ去り、というより習は鄧小平やエリツィン、ゴルバチョフを嫌っており、改革など眼中にはない。尊敬するのは毛沢東だから始末がわるい。

 韜光養晦は中国共産党指導部の記憶細胞から消えた。
 南シナ海に人工島を造成し、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ブルネイ、インドネシアと領海をめぐる諍いがエスカレートした。

 台湾海峡には連日、脅迫の武威、戦闘機から空母、巡洋艦に潜水艦、台湾侵攻は尖閣諸島占拠がセットになるから尖閣海域への海警艦船は武装して領海侵犯をくり返し、恫喝を継続させている。6月22日から23日の48時間で台湾上空に出現した中国の戦闘機は未曾有の77機に達した。

 米国の有力シンクタンクCSISは「軍事力の衝突によらずとも海警の陣容を見れば、海上封鎖で台湾を日干しにする能力がある」と報告書を出している。
 フィリピン沖合の珊瑚礁をうめたて、「ここは中国領だ、文句あるか」と白昼堂々の侵略行為を見せつけた。

 さらに過去数年来、南太平洋の島嶼国家群へ大規模に進出し、これら一連の中国の軍事的膨張にアメリカはすっかりつむじを曲げた。しかしそのアメリカとて、もはや単独での防衛は難しくなり日本のほかにインド、豪州とのシェアを重視している。

              
▼それでも中国を擁護しつづけたキッシンジャーはいなくなった
 
 中国の軍事的威嚇、恫喝の武威デモンストレーションは、米国、印度、日本、台湾、豪州を十分すぎるほどに刺激した。痴呆老人さえ習近平を独裁者と言い出した。強力なチャイナ・ロビィ、中国の代理人だったヘンリー・キッシンジャー元国務長官は視界から消えた。

 日本をも刺激した。なにしろ平和憲法、非武装中立の虚言を吐き続けてきた日本がGDP1%の防衛費枠を突破しても国民の反対はごく少数だった。バイデン政権は台湾にかれこれ十五回にわたって高性能武器を供与し、米海兵隊は台湾兵の訓練にあたっている。

 さらにはアメリカでスパイ気球、スパイクレーンに技術スパイ、スパイ根城の孔子学院と、あらかたの最新技術を盗み出し、ハッカーを大々的に仕掛け、TIKTOKなどを使ってフェイク情報をおくり続けた。これほど無神経な行為はないだろう。アメリカを怒らせるにフルセットだった。

 ちょっと考えて見ても、中国の立ち居振る舞いは愚かではないか。
自らの野心を相手に邪推させることは戦略的思考から言えば愚昧きわまりなく、孫子が生きていたら「おまえ、何をやっているんだ」と怒り出すだろう。
 しかし、もう一度よく考えて見ると、中国伝来の方式とは、外に向かって何かを喧伝しているとき、内部での矛盾を隠蔽している可能性が高い。
 おそらく共産党高層部と軍のなかで、熾烈な権力闘争が起きているに違いなく、そうした脆弱性を糊塗するためにも、外部に向かって威張りちらす、居丈高に横暴に振る舞って国内矛盾をすり替えているように思えてならない。

   ○☆◎☆◎ミ○☆◎☆◎ヤ◎☆◎○☆ザ◎☆○☆◎キ◎◎○☆□


 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)6月24日(月曜日)弐
        通巻第8303号 より
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