CubとSRと

ただの日記

免許更新

2019年10月29日 | バイク 車 ツーリング
 台風の後辺りだったと思うが、免許更新の連絡葉書が来ていた。
 誕生日の前後一ヶ月、都合二か月の間に行けばいいのだが、やはり誕生日前に済ませたい。
 前々回はクルマを買う前に田舎で更新した。更新前にスピード違反をしたので(40キロの道を52キロほどで走ってしまった)、相も変わらず有効期限三年の免許。
 それに懲りて、前回の免許は「隠忍自重」を課してスピード違反だけは、と気を付けた。何しろ田舎だ、駐車違反の心配は、まずない。
 結果、やっとめでたく五年の有効期限の免許になった。
 だが、免許の細則が変わって、五年にはなったものの、青色免許だった。
 何だか残念なような気がした。身から出た錆ではあるのだけれど。
 原付免許を取って、僅か一週間で通行区分違反(逆走)。一ヶ月ほどで初めてのツーリング先でスピード違反(12キロオーバー。原付は30キロだから、42キロで走ったところを信号機のところで張っていた白バイに停められた)。
 中免を取りに通っていた教習所で初心者講習を受け、以降は「もうすぐ3年間無違反!」となる頃に不思議なくらい停められて、確か初めて5年期限の免許になったのは、乗り始めて12,3年も経ってからだった。
 その、やっと手に入れたゴールド免許も、数か月後に大型免許を取って青色免許に逆戻り。
 長かったな~。まあ、ゴールド免許になったからって違反が軽微になるわけではないんだけど。
 それに、その時は70になってるわけだ。高齢者講習、ってのを受けなきゃならないんだっけか。気が重いな。
 5年も先のことを言うなんて鬼も笑い死にするかも知らん。
 いや、それ以前に事故を起こしたり、遭ったりすればそんなことも言えなくなるんだから、贅沢なことは言うまい。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

OK

2019年10月25日 | バイク 車 ツーリング
 10月22日の日記から
  「そして、次にあるのが『試運転』という楽しさ。それをしたくて天候の回復を待つ。長いドライバーを前かごに入れて。」
 ・・・・と書いた翌22日、レンズを交換してもらうよう頼んでいた眼鏡屋に。
 カブで行くか、コペンにするか、朝まで迷っていた。
 眼鏡を受け取った後、野菜を買いに行く。きっとコペンの方が良い。
 でも、この日は即位礼のある日で、休日ということになっている。休日にはみんな家で大人しくしているか?
 そんなことは無いだろう、我が身を振り返ってみれば分かる。めでたい日だからこそ浮かれて外に出たくなる。
 道の駅に買い物に行く。ただでさえ人気の道の駅だから、駐車場がいっぱいになる可能性が高い。
 そうなると、軽自動車と言ったって、運転の下手な自分には駐車スペースを目敏く見つけ出し、スパッと後ろ側から華麗に停める、なんて芸当はできないから、周りの人に迷惑をかけることになる。
 ここはやっぱり、試運転を兼ねて、カブ、だろう、ドライバー持って。
 カブの調子は良い。アイドリングを僅かに高めにしたら暖機運転後の回転も安定しているし、せっつかれる感じもない。ニュートラルにしたってエンジンが止まりそうになることもない。
 道路は時間帯の関係もあってか、混んでいる様子はなかった。
 それどころか道の駅手前の市街地では、車も人影も普段に比べると随分と少ない。
 やはり今日は即位礼の日、特別な大祭なんだから出歩く方がどうかしているんだろう、自分も含めて。
 道の駅についてみると、やはりカブで来て正解だった、と思わされた。駐車場は3時近いというのに車で一杯。
 この秋、初めて里芋を買う。昔は嫌いな物のベスト3に入っていたのだが。
 まさかあれだけ嫌いだったものを心待ちにして買うようになるとは、と我ながら可笑しくなる。
 これを煮て酒の肴にする。
 バイクの調子が良くって、酒の肴にするものが手に入って、秋の夕暮れが近づいて。
 (なんでも、この日は台風も一つ消滅し、途中から空は晴れ、この時期には珍しい虹も懸かって、終わってみればも素敵な祭日になったんだとか。どこかの首相が飛行機から降りてくる際、雨の中、強風に傘をぶっ壊された、というのはご愛敬。)

 何ともおめでたい。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

試し乗り

2019年10月21日 | バイク 車 ツーリング
 4ヶ月近い前に書いた日記。
    ↓
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「もう大丈夫かな?」
             
 二ヶ月余り前。
 カブのエンジンが暖まってくると、ニュートラル時のアイドリングが狂奔し始める。そして一速に入れた瞬間、カブが飛び出そうとする。
 90ccとは言え、それなりにガクン!と来るから危なくてニュートラルにできない。
 何度かアクセルを煽ると収まるんだけど、収まらないこともある。
 そういう時は「ガクン」と来ることを覚悟するしかない。
 何とかしなけりゃと思って、「一度見て欲しい」とバイク店に言ってはいたが、なかなかエンジンが暖まった状態で店の前を通る機会がない。
 けれど、やっとのことで条件が揃い、店の前でカブを停める。
 店長、長いドライバーを持って来て、アイドリング調整ネジをちょっと触った後、今度は「そんな窮屈な角度で?」と思うような所についているネジを弄り出した。すぐにアイドリングの調子が安定した。
 「アイドリングスクリューとエアスクリューの二つのネジをバランスよく締める(或いは緩める)こと」
 、というのを、三十年以上バイクに乗っていて初めて知り、
 「これは自分でやらねば」
 と思った。
 大方のバイクは、アイドリングは道具なしでできるようになっている。
 が、カブはマイナスドライバーが必要になる。
 更にエアスクリューの方は、というと普段は弄らないものだから、というか弄らない方が良いから、妙な角度のところに、それも普通のドライバーではできないような奥の方に付いている。
 新しい形になるとネジの頭まで妙な形にしてある。言ってみれば素人が触ることを拒否しているネジ。
 何だか岡本太郎の「座ることを拒否する椅子」、みたいだけど。
 (その割に決心して座ったら意外と座り心地が良いそうで。岡本太郎もそれを狙ってのネーミングだったとか。そんなところも妙に似ている)
 だから、これ以降「思いついたら気軽にできるアイドリング調整」だけ、は、結構やっていた。

 一か月前。
 買い物に行くため、カブを引き出した。
 湿度が高かったせいだろう、何だか調子がおかしい。
 それなら、とエアスクリューを少し弄った。
 エンジンが掛からない。また弄って掛けようとする。
 掛かりそうな音がするのにかからない。
 こうなりゃ意地だ。
 段々掛かりそうな雰囲気の音すらしなくなった。
 薄暗くなって遂に諦め、当然買い物に行くことも諦めた。
 翌日の雨を挟んで、再度弄り始める。
 今度は呆気なく掛かった。

 以降、カブで出るときはその都度、長いドライバーを持って出た。
 気がつけばそれからもう一ヶ月。
 もう持って行かなくてもいいかな、と思い始めて数日。
 でも天災は忘れた頃にやって来る。
 用心に越したことは無い・・・・だろうか。
 それとも杞憂となるか。
 まあ、一点を見詰めていれば、必ず他で不都合が生じるものだから。
 大本である、乗る奴の体調を整えることの方が大事だろう。
            (6月30日の日記)
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 で、半月ほど前から、急に気候の変動(台風のせい?)があったためか、エンジンを掛けた時のアイドリングがやや低くなったような感じがしていた。
 特に問題があるわけではないのだが、これまでエンジンが温まるまでの数分間は少し高めで、暖まってからは落ち着いた感じになっていたのに、最初っから落ち着いた回転になっている。
 で、或る日、走り始めてすぐの丁字路突き当りで一旦停止したら、エンジンが止まってしまった。
 慌ててニュートラルにして掛け直し(90DXにはセルモーターがついてない)、一度空ぶかしして回転を落とさず一速に。右折、バス停に入り込んで確認。
 しばらくの間は信号待ちではニュートラルにしてエンジンが止まらぬよう気を付ける。
 気温が数日で下がったから、暖機運転をしっかりしなければならない。それに加えてアイドリングを少し高めておいた方が良いかも。
 アイドリングスクリューはSRも以前に乗っていたセローも、わりと気を付けていたが、エアスクリューの方は全く触る用がなかった。弄ることすら知らなかった。カブはそうではないのに、買い物に行く時しか乗らなかったから、そんなの、思いつくこと自体なかった。
 それを教えてもらって、こうやって自分で何とかしてみようとする。楽しい。
 30年以上乗って来て、今頃になってキャブレター調整(それも、2本のスクリューだけ)を、なんて、メカ音痴にもほどがある、と笑われそうだけど、楽しいものは楽しい。それしか言いようがない。
 そして、次にあるのが「試運転」という楽しさ。
 それをしたくて天候の回復を待つ。長いドライバーを前かごに入れて。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名案(?)

2019年10月20日 | 日々の暮らし
 ブログを書けば日記を書かず、日記を書けばブログを書けず。
 ブログはそれなりに居ずまいを正して(?)書く。ちょっと以上に格好をつける。
 側からはどう見えているか知らないが、少なくとも当人は、そう思っている。
 だから、それなりに頭を使うから、ちょっとは疲れる。
 対して日記は、とにかく忘れぬうちにその日起こったことを書いておく。
 それで何を食べたか、何をしたか、何を思ったか(というか、感じたか)、を書く。
 メモするだけだから、30分もあればノート一頁くらいは書けるし、疲れるというほどのこともない。
 段々に歳を取ってくると、ただでさえ「物忘れの良さ」には自信があったのだが、それに磨きがかかってくる。
 そんな老人力、要らないし。
 何より、「昨日何食べた?」「昨日何したっけ」と自問自答した時、思い出せないことほど苛立つことはない。
 で、勢い、日記を書くことに重きを置くようになる。ブログの方は「ま、今日はいいか」、となる。
 以前はそれでも良かったんだけど、歳とって頭が段々回らなくなると「今日はいいか」が「今日もいいか」になって、遂には「今日」さえ抜けて、「ま、いいか」だけになる。
 「右向いて、左向いたら一年」。気が付いたら何ヶ月も書かないで過ごし、
 「そう言えば、ブログ、いつ書いたっけ???」、・・・・なんて。
 でも、この「ちょっと以上に格好をつける」ことが、ボケの進行を阻むことに有効であることは間違いない。
 だから、日記を書くこと以上に、
 「ブログをちょっと以上に格好つけて書く(それも毎日)」
 ことは大事なことなんだ。
 けど、そのためには、最低でも、「昨日何食べた?」「昨日、何したんだっけ」を思い出せねばならない。その程度の記憶力がなければ文章自体、書けない。
 文字を書いている時、頭の中には次のことが浮かんでなければならないのだから。
 それで、「まずは日記」、となるんだけど、日記を書いてしまうと、何だか安心してしまって「じゃ、次はブログを」、とはならない。「風呂に入って、それからだな」、となって、寝てしまう・・・か、ネットニュースを見てしまい、他のことを思い出して何も書けなくなる・・・か、のどちらか。
 どうするんだ、これ。
 「毎日ブログを書こう」と決めてから、しばらくやってみたけれど、どうもいけない。
 それで、最近になってやっと気が付いた。午前と午後に分ければいい。どちらかを先にやり、もう一方を後にする。
 そうなると、日記が寝る前、ブログは午前、ってのが一番いい。
 年金生活で仕事はないんだから、時間は自由に使える。
 うまく行くか行かぬか、は自分次第。



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あっ!

2019年10月15日 | 日々の暮らし
 「月に一度の業務連絡(?)以外、ここに書かなくなってから、気がつけばはや一年。腰痛はすっかり持病になって、暑かろうが寒かろうが関係なしに、いきなり襲ってくる。」
 「けど、それは準備次第で軽減できる。問題は頭の老化。」
 「ん?いや頭こそ、準備次第か。筋力維持のトレーニングと同じで、油断せず日々思ったことを書きつけていれば、それが一番。反射能力を鍛えるだけじゃ、肝腎の能力(徳性に基づいた理性)は衰えるだろうから。」
 一ヶ月前、前のブログにこんなことを書いていたのに、僅か一か月後、ネットで以下のような記事を見つけ、「大発見!」みたいに思ってメモしていた。
 一ヶ月で書いたことを忘れる・・・・。
 ま、三歩で忘れるカラスよりいい、か。
 以下は、その中の一部。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  認知症は予防できる?9つの認知症対策|ポジティブに受け入れる心の持ち方暮らし方
             2019/10/14 07:00

 認知症は予防できる? できない? 認知症になるのが怖い、認知症が不安…。
 認知症に対してそんなネガティブな思いを抱えている人、必読。認知症の医療・介護を長年研究してきた医師の山口晴保さんによる講演会をレポート。
 「認知症有症率の実態調査によると、認知症は70才を超えると急激に有症率が上がり、5才ごとに倍になるという結果が出ています。85~90才では4割。さらに、95才以上になると8割が認知症になるのです。つまり、長生きすればするほど認知症になりやすくなるというわけです。残念ながら長寿にはもれなく認知症がついてくる。長寿と認知症はセット、健康に生きていれば誰でもいつかは認知症です」
 「認知症に対して不安や恐れを感じて心配して生きるほど、認知症にかかりやすくなるといえます。ネガティブな感情は脳にストレスとなって、ダメージを及ぼします。癌にならず、糖尿病にもならず、元気で長生きしたからこそ、認知症になれた。そうポジティブに考えることで、少しでも心が軽くなればいいと思うんです。認知症は長生きの“勲章”だと考えてみるのはどうでしょう?もちろん認知症になってしまったら、辛いことも悲しいことも多いのが現実ですが、認知症の当人も、介護する人も、認知症をポジティブに捉えることで、その後の人生をより幸せに生きられる。ポジティブな考え方や生き方によって認知症をなるべく先のばしにし、認知症になってしまったときは進行をゆるやかにすることもできるのです」
取材・文/介護ポストセブン編集部
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 大体「認知症」という言葉が誤解を招くんだな。あれは正確には「認知能力低下症」と呼ぶべきだ。「欠如」ではない。低下するのであって、なくなるのではない。
 加えて「認知力」ではなく「認知能力」。「作り上げて来た力(能力)」だから「低下する」。 
 低下の度合いが所属する社会に受け入れられなくなった時、社会は「認知力がなくなった」と断定する。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする