この店のファンは多いらしい。かくいう私も月に二三回はこの食い物をくらう。
特別に旨いわけではない。安いとか食らいやすいとか、そんなんではない。
知らずしらずに店の場所を調べて、土日になるとついそこに向かってしまう。
こういうのをファンとは言わないのかもしれない、中毒者か。
連休の中日とあって体調もなんとなく恢復してきたので昼過ぎに錦糸町へ行った。
ここの店は相変わらず客が少ない。まあそんなことはこっちには関係ないのだが。
閉められると天一難民になりかねないので、まあジュクでも一之江でも電車で20分だからそこまで深刻ではないのだが、しばらくは続けてほしい。
「スー大麺カタ」なんていつから使い出した符帳だろうか、病人は重傷であればあるほどつらつらっと何事もなかったようにこの台詞を店員に伝えて、あとは店おきの報知に読みいっている。
不思議に思うのだが店によって味噌と唐子のどちらかが不備なところがある。追いかけスープすら置いていない店もあった。それと、スー大に50円の追加料金を請求する店もある。フランチャイズとはいえまあ店舗ごとにやり方が違うってことなのだろう。
スー大を底まで飲み乾して、どんぶりの底の例の文句を苦笑いしながら絶対に口にしないことにしているひらひらの肉らしきもの、これをチャーシューと呼ぶのも気が引ける、でその冗句を隠して、ふらりと外にでるとなんだか元気が出てきた。天一のスープには即効性の回復薬でもはいっているのかしら、とにかく頭が次第に冴え始め、ああ天気がよいな、木場の美術館にでも行ってみよう、PCのメモリとデジビの予備バッテリもほしいな、じゃあアキバッパラだ、なーんて急に段取りをし始めた。ヒロポンみたいなもんか(笑)
学生の頃にツレのアトリエ兼実家が白川本店から30mくらい奥まったところにあって、よく通っていた。すぐ何軒か隣には餃子の王将総本店があったりして、一本隣の通りには上質な皿うどんを安価で出す店もあった。高野川の通りにはなんの用事もないので車のガスを入れるときにしか向かわなかった。京都なんて食いたくなるようなものがあまり無かった印象が強い。特に貧乏美学生にはね(笑)
今日は山鉾巡行だったんだな、とふと思い出して京都での記憶の一部分を書きだしてみた。
明日は上野の美術館にドレスデンの蔵品を観にゆこうと思う、他にもいろいろと用件をかたづけなければならない。体調が思わしくなくばまた車でまわるしかないな、あ、天一でスー大を腹に詰め込んでからって手も・・・いや連ちゃんはやめておこう。なんとすれば私は重症患者ではないから。