酒と葉巻とラーメンの日々 つれづれ日記 

無欲恬淡 酒と葉巻とラーメンを好む出張男の別荘・投資生活の実態をさらけ出します

何にもしない忙しき休日

2007-06-30 20:57:32 | 日記
ここんところうちに帰るのが遅かったせいもあって、疲労も限界にたまりにたまっていて、blogに日記を投稿する余裕もなかった。いや、たまにWEBを覗くことはあっても、書く気力が、なかった。

やっとこさの週末だから、今週もどっかの温泉地に行く計画を急遽たててはみたのだが、手帳を見ると、病院の診察予約が貼ってある。ああなんということだ。待ちに2時間、診察5分の悪名高き大学病院の予約票。これで半日はつぶれることは必至です。
仕方なく豊洲の病院の待ちあいで、なんだったか忘れたが、文庫本を読んで本当に2時間を待つ。診察(問診)は2分。ははは。
思いだした、読んでた本はイサイ先生の文庫本中「歌仙」だったか。

さて、昼過ぎに病院を後にして、本日のメインイベント、アキヨド、アドesタッチ&トライ、だったのだけど、忘れていた用件を次々思いだす。クリーニング屋にブツをださなきゃいけねえ、床屋にもいかなきゃならん。それで半日かかるとわかると、もう気力も失せる。

3年振りにパチンコなんかをやってみて、これがどうにもくだらないことに感心しつつ、大枚1万の浪費を悔やむ。

あとは酒だ。ドヤ街の定食屋でしこたまビールをあおってうちに戻ったのが午後3時。こんな蒸し暑さ最高潮の日に外に出る気は既に失せたので、さっきまで寝てた。

ふと起きて、やっぱり酒が欲しくなったので、うちから20mくらいにある焼肉屋にはいる。ここのおばちゃんにはよく他の飲食店でバッタリあう。なんだかにくめない、肥満気味の60歳ちょと超えのおばちゃんなんだが、妙に気が合う。土曜のこの時間だし、僕独りで8席の卓を占領してるのはどうにも気がひけるのだが、おばちゃんはそれでいいというから、まあ従うことにする。韓国のどぶろく、まっこりというらしいが、まあ旨い。既に2リッター目に突入してるのだが、酔いが浅い。うちに戻ってロンリコ151プルーフでもあおることにしよう。

さて、明日はよい日か、悪い日か、風が知ってるだろう。

箱根にて

2007-06-23 16:02:59 | 日記
登山鉄道の混みようったらなかったので、バスに乗って箱根の山をのぼる。しかし、このバスの運転はうまい。パーシャル付近のアクセル操作が絶妙なのだ。常にニュートラルステアでコーナーを旋回するから、ロールがなくて、乗客は快適だ。
富士屋ホテル前を低速で通り過ぎるのはご愛嬌か。

終点まであとどれくらいか。ああ、紫陽花が咲いているよと、同乗の子供が口にしたので、ふと窓外を仰ぎ見れば、そこには箱根の夏がかしこまっていた。

秋葉原異常なし

2007-06-17 14:36:18 | 日記
みまわり完了。
この季節の電気街はなにやら臭う。よく言えば汗くさい、悪く言えばドブくさい。いろんな国のひとはいるし、体臭も濃い薄いがあるんだろう。アジアの町ってな感じだ。梅雨いり後のこのピーカン、みな何しに来てるんだろうなどと思いつつ、LOOXUは展示品がないし、新しいesのタッチ&トライは月末だし。俺こそ何しに来てるんだと問われれば、上述のようにパトロールだと答えるより他なし。

今日はメモリカードリーダライタ、小型マウス、ニッ水電池(2700)×4個を買って、帰りのバスに乗りこむ。

いやあ暑い。ひとも街も、ほら、みんないい具合にゆであがってるじゃあありませんか。かわいいあの子はいまどこに、金の入り日にしゅすの黒。いやいやこれは秋の唄だ。

今年の夏は特別に暑そうだ。

深川モンチッチ

2007-06-10 17:38:13 | 日記
酒ぐせの悪いやつってのはほとほと救いがたいとたまに思う。宵の口から朝2時過ぎまでそんなのに付き合ってた。
俺にからむのは、まあよい。酒をひっくり返しすのもまあ構わない。ただし他の客に、ヤクザ口調でつっかかるんじゃねぇよ。おまえは矢吹丈か。そんだけ飲んで騒いで、勘定が高すぎる。文句があんなら、明日(今日)うちに取りに来い。これはどーにもいけない。たいして高いもんでもなかったろうに。逆だ。あんだけ飲んであの時間居座ってたら、安いだろうよ。

飲んだ分は払いなよ。ママはお前の30年来の兄弟より深い付き合いなんだろ。あんまし困らせんなよ。っていうか、お前、酒やめろ。

6月病かな

2007-06-07 20:38:44 | 日記
疲れがとれなくて困ってる。週末まで来てこんな風に書くのは訳ありで。このダルさときたら、なんだろう。いつかきた道、またぞろ恋の病だった。年中こんな状態であんたは楽しいのかと問われれば、即答、楽しくない。苦しいから病なんだと重ねていう。

ウッダルプラーデシュ州の天使<1>

2007-06-03 23:33:03 | 旅行
テレビの旅番組を聞いてたら、インドの話だった。大した記憶も残ってないけど、僕が26歳のときにふとバックパッカーのものまねがしたくなって、当時勤めていたデザイン事務所を辞めてインドを半年旅してたことがあった。なぜインドってのは、僕の小さい頃に読んだ、河童の覗いたインドって本の影響からだろうか、ゴダイゴのガンダーラの影響だろうか、行く先はインドと決めていた。何をするかって、当然旅なんだけど、当時の僕は今でもそうだけど思い込みが強くて、インドで死ねれば本望だくらいの心境だった気がする。

一月もカルカッタに居るとどうしても日本人のツレができてしまうから、僕はそれがあまり好きではない、北インドをプラプラ電車バスで移動して、途中ブッダガヤやらベラナシといった観光地をまわったあとデリーについた。デリーにも日本人はやっぱり多くて、しかもどうにもカルカッタとは様子がちがう。どう違うのかは書かないけれど、僕は南に向うことに決めた。目的地はクニャコモリ、コモリン岬だった。寝台特急に乗り込んで、コンパメントからずっと窓外をながめていた。ながめていたのは形だけで、実は日本に居るときに別れた女性のことをずっと考えていた。そう、「私はコレで会社を辞めました」って小指を上げるCMがあったけど、僕はまさにそれだったのだ。

30分で全部書こうと思ってたけど、ちょいと無理でした。続きは書くと思う。おそらく。