今回の旅の最大の目的は、5月12日に急逝した大学時代の友の墓参りである。墓のある場所は青森市の久栗坂という所で浅虫温泉のホテルが見える場所である。学生時代一度だけ彼の家に泊った事があった。家の裏手から数メートルも歩けば海岸だったと記憶している。冬は雪で大変だろうが、夏場は良い場所だ。
沖に浮かぶのは浅虫・湯ノ島である。
この地区は、かっては採石場でもあり、どのお宅の墓も立派である。「」としてまとまった地区でもあり、共同の墓地である。お寺は観音寺と言い浄土宗のお寺だそうだが、地区の方々の宗派はいろいろだそうだ。住職は宗派に関係無くお世話してみえる。
山は採石場 中央の煙突のある建物は火葬場だそうだ。
この地区の方の殆どが、ここで荼毘に付される。薪だから時間がかかると、案内して戴いた住職の奥様に説明して戴いた。それを聞いて、かってインドのガンジー首相の荼毘をTVで見た時の事を思い出した。1時間程度で灰になる現代の火葬場と違って、故人が本当に煙と共に空(極楽)に行くような気がする。
一般庶民が、今のような墓(墓石)を作るようになったのは、時代も相当下って江戸時代、まずは豪農・豪商からとか。平安時代は貴族でさえ墓といってもどこかの山中に埋葬し、印に石を置いた程度だったようだ。だから、墓参りに来た人(貴族)が墓の位置が分からなくなって適当に墓参りをして帰って行ったと何かの本に書いてあった。
一般に火葬にするのももちろん、江戸時代だろう。父の叔父さんが稲武(現豊田市)に住んでいたが、無くなった時ご近所の方々が土葬のために穴掘りをしたと、父がびっくりしていた。昭和40年代だった。京都・嵯峨野に、あだし野(化野)の念仏寺がある。字の通りかっては死者を運び骨になるまで放置したところだ。人の死骸が1時間余りで無くなる現代と違って、時間をかけて人の死骸の変化を見れば「人の死」の意味が理解できるような気がする。 死すれば穢土での地位や名声も全て無くなる。
でも、働く。生きた証を残したいからか・・・。
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