かおすさん(なんだか・・・共通項ありますね 丁寧に読んでくださってありがとうございます)、ぴーなつさん(鶴見では会えましたね。あまり時間がなくて、ほとんどお話することができなかったけれど また今度・・・)、naoさん(挙手ありがとう!! )、コメントありがとうございました。
それにしても、しばらくぶりです。このカテゴリー。お待たせしました。
・・・この前は2人の女性が、「死んでいるのがあんたの子供で、生きているのは私の子供よ!!」って言い争っていたんでしたね。しかも、その家には、その女性二人と赤ん坊しかいなかったから、誰も証明してくれる人はおりません。密室殺人というのとはちょいと違いますが、さて、ソロモン王 1)はどんなお裁きをしたんでしょう? 続きの始まり始まり
そこで王は言った。
「ひとりは『生きているのが、私の子で、死んでいるのはあなたの子だ。』と言い、また、もうひとりは『いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ。』と言う。」
そして、王は、
「剣(つるぎ)をここに持って来なさい。」
と命(めい)じた。剣(つるぎ)が持って来られると、
王は言った。
「生きている子どもを2つに断(た)ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与(あた)えなさい。」 2)
すると、生きている子の母親は、自分の子を哀(あわ)れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。
「わが君(きみ)。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください。」
しかし、もうひとりの女は、
「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください。」
と言った。
そこで王は宣告(せんこく)を下して言った。
「生きている子どもを初めの女に与(あた)えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ。」 3)
イスラエル人はみな、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。
(列王記第一 3:23-28)
これにて、一件落着(らくちゃく)~
ちなみに、ソロモン王がほかにどんな裁きをしたのかと、どんなことを言ったのか・・・ということは、旧約聖書の「列王記」や「歴代誌」、「箴言(しんげん)」とか「伝道者の書」、「雅歌(がか)」に記されています。
そして、『ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを効いた国のすべての王たちがやって来た(列王記第一 4:34)』そうな。その中には、有名なシェバの女王 5)もいます。
とりあえず、今日はこのあたりでおしまい。では、では、また~
【注】
1)ソロモン:イスラエル王国三代目の王。
・・・紀元前10世紀、ダビデ王から王位と領土を継承したソロモンは、強大な軍事力と、エジプトを始めとする周辺諸国との国際政策とによって王国を統治し、古代イスラエルに最大の繁栄をもたらした。英明な王ソロモンは、さまざまな施策で中央集権化を進め、諸国との交易や朝貢で莫大な富を蓄積し、都エルサレムに壮麗な神殿と王宮を造営した。ソロモンの知恵と栄華は諸国に知れ渡り、人々はその知恵を聞くために拝謁を求めたと伝えられる。
と誰かがまとめていた
2)食べ物じゃないんですから・・・もちろん、そんなことをしたら、その赤ん坊は死にます。
3)ここで、「もし、二人ともその子どもを譲り合ったりしたらどうなるの?」「もし現代の、子どもを虐待する親とかだったらどうする?」など、いろいろ考えられますが・・・このときは、これが一番はっきりする識別方法だったんでしょう。
というか、その当時、子どもは「神様からの授(さず)かりもの」。 今の日本では子どもが多いと「恥ずかしい」「大変だ」と思う方々もいますが、当時、「子どもがいっぱいいる」=「恵まれている」「祝福されている」という感覚だったんです。どちらかというと
4)エジプト:当時、文化的にも物質的にも栄えていた国。
5)シェバの女王:シェバは今日のサウジアラビアの中心部の地域に対する名称ですが、前1000年~700年ごろはシェバの権力が最も広く及び、黄金、宝石、香料等の交易によって著しく富んでいたそうです。
シェバの女王に関しては、たとえば、ヘンデルのオラトリオ「ソロモン」より「シバの女王の入城」 HWV67"Arrival of the Queen of Sheba" from "Solomon"
とか、けっこう絵画のモチーフにもなっていたような気がします。
参考にコピペhttp://www.h3.dion.ne.jp/~vincent/person/person28.html
それにしても、しばらくぶりです。このカテゴリー。お待たせしました。
・・・この前は2人の女性が、「死んでいるのがあんたの子供で、生きているのは私の子供よ!!」って言い争っていたんでしたね。しかも、その家には、その女性二人と赤ん坊しかいなかったから、誰も証明してくれる人はおりません。密室殺人というのとはちょいと違いますが、さて、ソロモン王 1)はどんなお裁きをしたんでしょう? 続きの始まり始まり
そこで王は言った。
「ひとりは『生きているのが、私の子で、死んでいるのはあなたの子だ。』と言い、また、もうひとりは『いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ。』と言う。」
そして、王は、
「剣(つるぎ)をここに持って来なさい。」
と命(めい)じた。剣(つるぎ)が持って来られると、
王は言った。
「生きている子どもを2つに断(た)ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与(あた)えなさい。」 2)
すると、生きている子の母親は、自分の子を哀(あわ)れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。
「わが君(きみ)。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください。」
しかし、もうひとりの女は、
「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください。」
と言った。
そこで王は宣告(せんこく)を下して言った。
「生きている子どもを初めの女に与(あた)えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ。」 3)
イスラエル人はみな、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。
(列王記第一 3:23-28)
これにて、一件落着(らくちゃく)~
ちなみに、ソロモン王がほかにどんな裁きをしたのかと、どんなことを言ったのか・・・ということは、旧約聖書の「列王記」や「歴代誌」、「箴言(しんげん)」とか「伝道者の書」、「雅歌(がか)」に記されています。
そして、『ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを効いた国のすべての王たちがやって来た(列王記第一 4:34)』そうな。その中には、有名なシェバの女王 5)もいます。
とりあえず、今日はこのあたりでおしまい。では、では、また~
【注】
1)ソロモン:イスラエル王国三代目の王。
・・・紀元前10世紀、ダビデ王から王位と領土を継承したソロモンは、強大な軍事力と、エジプトを始めとする周辺諸国との国際政策とによって王国を統治し、古代イスラエルに最大の繁栄をもたらした。英明な王ソロモンは、さまざまな施策で中央集権化を進め、諸国との交易や朝貢で莫大な富を蓄積し、都エルサレムに壮麗な神殿と王宮を造営した。ソロモンの知恵と栄華は諸国に知れ渡り、人々はその知恵を聞くために拝謁を求めたと伝えられる。
と誰かがまとめていた
2)食べ物じゃないんですから・・・もちろん、そんなことをしたら、その赤ん坊は死にます。
3)ここで、「もし、二人ともその子どもを譲り合ったりしたらどうなるの?」「もし現代の、子どもを虐待する親とかだったらどうする?」など、いろいろ考えられますが・・・このときは、これが一番はっきりする識別方法だったんでしょう。
というか、その当時、子どもは「神様からの授(さず)かりもの」。 今の日本では子どもが多いと「恥ずかしい」「大変だ」と思う方々もいますが、当時、「子どもがいっぱいいる」=「恵まれている」「祝福されている」という感覚だったんです。どちらかというと
4)エジプト:当時、文化的にも物質的にも栄えていた国。
5)シェバの女王:シェバは今日のサウジアラビアの中心部の地域に対する名称ですが、前1000年~700年ごろはシェバの権力が最も広く及び、黄金、宝石、香料等の交易によって著しく富んでいたそうです。
シェバの女王に関しては、たとえば、ヘンデルのオラトリオ「ソロモン」より「シバの女王の入城」 HWV67"Arrival of the Queen of Sheba" from "Solomon"
とか、けっこう絵画のモチーフにもなっていたような気がします。
参考にコピペhttp://www.h3.dion.ne.jp/~vincent/person/person28.html