う~む、ここ最近、涙腺がゆるむことが多い。今日は、「花粉症になった?」とも言われた。そうかもしれません。
今日、職場にある娘さんがいた。
娘さん、と言っても、恐らく、私よりも20は年上で、どこかの一家の奥さんでもあろうその方は、
そのお母さんのことで一生懸命。
なかなかこまかいところまでおっしゃってくださったり、
他のNsが胃管の挿入を試みたり、膀胱留置カテーテルを入れるときもたいてい必ずいらっしゃって、
じ~~~っとよくご覧になっている。
私が、サーフロー(静脈留置針。テルモ社)を入れるときも、よくよく凝視されていたような。
・・・・一回で無事入ってよかった・・・と緊張したっけ。
今日は、その娘さんと、そのお姉さんが、末期ガンのお母さんについていた。
DNR希望。
できるだけ、本人が痛いことはやめて、と。
点滴も、2日前に中止した。
その頃、下顎(かがく)呼吸、始まっていた。
JCS Ⅲ-200~300.
今朝の時点は、すでに、血圧は触れなくなっていた。
モニターみつつ、
本人みつつ、
褐色色の液を吸引しつつ、
オムツを交換しつつ、
段々冷えていく四肢末梢、チアノーゼ色の強まる身体を感じつつ、
ドキッとしながら呼吸の回数やリズム、深さなどをみつつ、
この日、・・・せっかくこの1ヵ月半の効果が現れたのか、STさんも見捨てていた可愛いおばあさんが食事が食べられるようになったというのに・・・その方を他の病棟に送らなければならず、そのことにも後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、転ベッドの準備をしながら、
ちょくちょく足を運んでいた、そのところ。
他のNsも皆、何かと見ていたそのおばあさん。
午後、モニター上レートが伸びてきた。
呼吸も、まだ規則正しくも、浅く弱くなっていった。
娘さんたちは、ずっと手を握って、からだをさすったり、
声をかけたりしていた。
夕方、モニター上、もうアレスト(心停止)になりかけていた頃、
まだ、本人は、呼吸をしていた。
浅い、浅いものだったけれど。
そして、ある時間になった。
二人の娘さんは手を握り締めたまま、
母親の顔を見つめていた。
気丈なあの娘さんは、一つの手は握り締めたまま、もう一つの手で母親の唇に触れながら、私のほうを向いて、
こう言った。
「母さん。
泳げなかったし、
水の中で、30秒も息を止めることさえできなかったのよね。
それなのに、もう、さっきから口をパクパクさせることもしなくなった。
母さん、そんなに長く
息を止めることなんて、できないのに、
ね」
なんでもない風に、震えることもなく言う、その婉曲的な彼女独特のユーモアのあることばに、
私は、ただ背中に手を添えるしかできなかった。
いや、
「私も、1分以上は息を止めるのは難しいです」
とでも、言ったっけな。
ソウダ、ソウダ、
ソンナコトヲ言ッタンダヨ。
アア、ソウダ、ソウナンデス。
海女(あま)サンデモ アルマイシ、
生キテイル人間ニトッテ、息ヲ止メルノハ難シイ。
キレイにしたお母さんを送るときも、
彼女はしっかりしてしている様子だったが、
どんなにか、動揺していることが見て取れる動きがちらほら。
できることなら、
「お大事に」とお見送りできたら、いいのに。
だが、それは、いつの日か、誰にでも、必ず訪れる日。
今日、職場にある娘さんがいた。
娘さん、と言っても、恐らく、私よりも20は年上で、どこかの一家の奥さんでもあろうその方は、
そのお母さんのことで一生懸命。
なかなかこまかいところまでおっしゃってくださったり、
他のNsが胃管の挿入を試みたり、膀胱留置カテーテルを入れるときもたいてい必ずいらっしゃって、
じ~~~っとよくご覧になっている。
私が、サーフロー(静脈留置針。テルモ社)を入れるときも、よくよく凝視されていたような。
・・・・一回で無事入ってよかった・・・と緊張したっけ。
今日は、その娘さんと、そのお姉さんが、末期ガンのお母さんについていた。
DNR希望。
できるだけ、本人が痛いことはやめて、と。
点滴も、2日前に中止した。
その頃、下顎(かがく)呼吸、始まっていた。
JCS Ⅲ-200~300.
今朝の時点は、すでに、血圧は触れなくなっていた。
モニターみつつ、
本人みつつ、
褐色色の液を吸引しつつ、
オムツを交換しつつ、
段々冷えていく四肢末梢、チアノーゼ色の強まる身体を感じつつ、
ドキッとしながら呼吸の回数やリズム、深さなどをみつつ、
この日、・・・せっかくこの1ヵ月半の効果が現れたのか、STさんも見捨てていた可愛いおばあさんが食事が食べられるようになったというのに・・・その方を他の病棟に送らなければならず、そのことにも後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、転ベッドの準備をしながら、
ちょくちょく足を運んでいた、そのところ。
他のNsも皆、何かと見ていたそのおばあさん。
午後、モニター上レートが伸びてきた。
呼吸も、まだ規則正しくも、浅く弱くなっていった。
娘さんたちは、ずっと手を握って、からだをさすったり、
声をかけたりしていた。
夕方、モニター上、もうアレスト(心停止)になりかけていた頃、
まだ、本人は、呼吸をしていた。
浅い、浅いものだったけれど。
そして、ある時間になった。
二人の娘さんは手を握り締めたまま、
母親の顔を見つめていた。
気丈なあの娘さんは、一つの手は握り締めたまま、もう一つの手で母親の唇に触れながら、私のほうを向いて、
こう言った。
「母さん。
泳げなかったし、
水の中で、30秒も息を止めることさえできなかったのよね。
それなのに、もう、さっきから口をパクパクさせることもしなくなった。
母さん、そんなに長く
息を止めることなんて、できないのに、
ね」
なんでもない風に、震えることもなく言う、その婉曲的な彼女独特のユーモアのあることばに、
私は、ただ背中に手を添えるしかできなかった。
いや、
「私も、1分以上は息を止めるのは難しいです」
とでも、言ったっけな。
ソウダ、ソウダ、
ソンナコトヲ言ッタンダヨ。
アア、ソウダ、ソウナンデス。
海女(あま)サンデモ アルマイシ、
生キテイル人間ニトッテ、息ヲ止メルノハ難シイ。
キレイにしたお母さんを送るときも、
彼女はしっかりしてしている様子だったが、
どんなにか、動揺していることが見て取れる動きがちらほら。
できることなら、
「お大事に」とお見送りできたら、いいのに。
だが、それは、いつの日か、誰にでも、必ず訪れる日。