先週、北の地から、
素敵な、良い知らせを頂いた。
「衝撃的なことが起こった」
と、電話の先で、やや興奮した声が伝えてくれた。
いや、もしかすると・・・。
そう思い、今週、もう一度、確認してみた。
嬉しい知らせは、一回だけの話ではなかった。
だから、言える。
「おかえり」
と。
・・・もう、かれこれ約20年ぶりですね。
貴女のことを聞かれるたび(といっても、貴女のお父様やお母様のことほどではないけれど)、
「××(貴女の相方さん)でさえ10年かかったんだから、あともう10年はかかりますよ」
と言っていたら(思っていたら)、本当にそうなったとは。
状況も知っている人々としては、それでさえ楽観的なことで、
実際には、あと20年でも30年でもかかってもおかしくなかった。
貴女の相方さんのときでさえ、人々には奇跡のように思われた。
貴女のことを祈っていても、それは、奇跡を待つようなものだったけれど。
祈っていても、しばしば、ムリだろうと思っていたほどだったけれど。
おかえりなさい。
『主(しゅ)は私たちのために大いなることをなされ、
私たちは喜んだ。』
(詩編 126篇3節)