『あなたの受ける分を 7人か8人に分けておけ。
地上でどんなわざわいが起こるか
あなたは知らないのだから。』
(旧約聖書・伝道者の書11:2)
地上でどんなわざわいが起こるか
あなたは知らないのだから。』
(旧約聖書・伝道者の書11:2)
誕生日も来る前の今春、思いがけないことが起こり、キャベツは「何が欲しい?」と聞かれた。
が、「ホッとアイマスク」以外にすぐには思い浮かばなかった。
昔から、お祝いで「何が欲しい?」と聞かれると、「時間」などと真心から言っていたものだが、
だからといって、無欲なわけではない。
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というのも、この4月1日、ある人が「(4月になったことだし…資産晒しておくか…)」と自分の資産を一部公開した。
計 60×、×××、×××
という数字(単位は円)が並ぶその画像を見て、「この金額(6億)があったら、欲しいものを多少買えるな」と感じたのだ。
ざっと考えても、
“皆”のための、土地購入(50坪2~3億円)・リノベーション・その後の固定資産税等の費用あれこれ(先ずここまでで4億は消化)だったり、絶版になった書籍の再販資金にしたり、
“家族”のための、ローン支払完了・弟妹の学費・介護費用だったり、
“自分”のために、中古物件購入・各種人生のイベント用費用・定年後の起業資金・・・等々。(以上寄付含めず)
つまり、自分の欲しいものは、たとえ6億あったとしてもそれで十分ではなく、先週続いた、福岡での3億8000万円強奪や銀座での数千万円強奪のそれよりも大きい。
「お金で購入できる範囲での欲しいモノ」でさえ、この始末。
無欲どころか、欲深だ。
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とはいえ、そもそも、そこまで得るのは楽ではない。
いや、クリスチャンとして、あんまりお金のことばかり考えるのは、正直、よろしくない。
いや、そもそも、お金なんて道具(ツール)であり、一種の集団幻想ではあり、
皆が同じ概念(幻想)を抱いているからこそ、お金はお金として機能しているわけだが。
色々と思い巡らした挙句、最終的に戻るのは、ここだった。
『栄華(えいが)を極めたソロモンでさえ、
このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、明日は炉(ろ)に投げ込まれる野の草さえ、
神はこれほどに装(よそお)ってくださるのだから、
ましてあなたがたに、
よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
・・・
だから、神の国とその義(ぎ)とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』
(新約聖書・マタイ6:33)
神(=主)は、草花にもあれほど優しいお方なのだ。いわんや、人においてをや、と。
だからこそ、第一とすべきことを第一とせよ、と。
それは、日常をおろそかにしろ、という意味ではない。
『だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。
労苦はその日その日に、十分あります。』
(同上 6:34)
主(=神)を第一とし、主がともにいることを覚えつつ、日々なすべきことを行うこと。
頂いた花々の香りをかぎつつ、それを想う。