今年のGW前半は、地元・八戸へ。
「おかえり」と、
家族、親族、八戸のキリスト集会(教会)の皆は、Welcome!で迎えてくれた。
ここ・東京に戻り、鶴見(横浜)の学び会に出たところ、大京町(新宿区)の兄姉方(=クリスチャン)が
「ああ。帰って来たんだね。お帰り」
と、素敵な笑顔で言ってくれた。府中の皆さまもそう。千葉の皆さまもそう。
昨日の、D京町の祈り会&学び会でも、そう。
************
私は、一介のさすらい人に過ぎず、生きている間、そうあり続けるが、
こうして、あちらにもこちらにも“家族”がいるのは、とても嬉しい。
さすらい人とはいえ、「おかえり」という響きは、― 時として、“誘惑”とさえ、感じてしまう程 ― 心地よい。
************
そして、いつか旅路が終わり、天に召されたとき、
「ようこそ」
より、
「お帰り」
と言われるほうが嬉しい、気がする。 へブル11:13-16
「おかえり」と、
家族、親族、八戸のキリスト集会(教会)の皆は、Welcome!で迎えてくれた。
ここ・東京に戻り、鶴見(横浜)の学び会に出たところ、大京町(新宿区)の兄姉方(=クリスチャン)が
「ああ。帰って来たんだね。お帰り」
と、素敵な笑顔で言ってくれた。府中の皆さまもそう。千葉の皆さまもそう。
昨日の、D京町の祈り会&学び会でも、そう。
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私は、一介のさすらい人に過ぎず、生きている間、そうあり続けるが、
こうして、あちらにもこちらにも“家族”がいるのは、とても嬉しい。
さすらい人とはいえ、「おかえり」という響きは、― 時として、“誘惑”とさえ、感じてしまう程 ― 心地よい。
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そして、いつか旅路が終わり、天に召されたとき、
「ようこそ」
より、
「お帰り」
と言われるほうが嬉しい、気がする。 へブル11:13-16