石川啄木は北海等に2年ほどしか棲んでいません。それなのに彼の文学碑(歌碑)は、函館に、札幌に、釧路にと残されているのです。
こんな芸術家(彼は歌人ですが)は、異例だと思う。小説家を志しながら、小説家としてデビユウできずに早世し、余技に等しい短歌で名前を残したと言うのも不思議だ。飾ることなく、自分をさらけ出した歌の数々、赤貧の中で、志だけは熱く高く持ち続けた啄木。
「しんとして幅広き街の秋の夜の玉蜀黍の焼くるにほいよ」啄木の歌碑の近くでは、今もとうきびの焼くにおいが流れている。札幌の大通りにぴったりなこの歌が、もう一世紀に近い昔に歌われた歌だとは。多分、とうきびの焼かれていた所は、今の大通りと違うのでしょうが、それはどうでもいいのです。とうきびの焼けるにおいに、たまらない郷愁を感じる私には、心に焼きつく歌なのです。
写真にしたいと思いながら、実現しなかったのですが、昨日機会があって、デジカメに納めてきて、今日、A4の写真に仕上げて、私のアルバムに入れました。
こんな芸術家(彼は歌人ですが)は、異例だと思う。小説家を志しながら、小説家としてデビユウできずに早世し、余技に等しい短歌で名前を残したと言うのも不思議だ。飾ることなく、自分をさらけ出した歌の数々、赤貧の中で、志だけは熱く高く持ち続けた啄木。
「しんとして幅広き街の秋の夜の玉蜀黍の焼くるにほいよ」啄木の歌碑の近くでは、今もとうきびの焼くにおいが流れている。札幌の大通りにぴったりなこの歌が、もう一世紀に近い昔に歌われた歌だとは。多分、とうきびの焼かれていた所は、今の大通りと違うのでしょうが、それはどうでもいいのです。とうきびの焼けるにおいに、たまらない郷愁を感じる私には、心に焼きつく歌なのです。
写真にしたいと思いながら、実現しなかったのですが、昨日機会があって、デジカメに納めてきて、今日、A4の写真に仕上げて、私のアルバムに入れました。