手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

PG、詩吟北詩連70周年記念大会練習、苫小牧駒沢・・驚きの引き分け

2006-08-20 21:00:36 | 身辺雑記
PG武市杯、書くのも嫌だ・・・・参加賞のお味噌をいただいて帰宅、「はい、参加賞」「あら・・また参加賞、昔は賞品もらっていたのにね・・・」「皆が上手くなったので、俺が下手になったわけでない」・・・家内との会話。1時から駒大苫小牧と早実の決勝戦、テレビを入れたが、1時半には北詩連の記念大会の構成吟総合練習に稲積記念会館に行かねばならない。後ろ髪惹かれる思いで出かける。稽古の途中、情報が入ってくる、1対1で延長戦に入っているという。3時半に稽古は終わって、常任幹事会が開かれることになっていたのですが、試合の結果を見てからにしましょうということに成り、事務室でテレビを見る。何と、15回引き分け、明日再試合ということになる。
 苫小牧よくやつた。早実の斉藤投手凄い!!!!15回でも145Kの速球をびしびし投げてくる。そんな相手と一歩も譲らず駒大田中も投げぬいた。
 両チームに、優勝旗をあげたいくらいだ。国民栄誉賞ものだ。感動した。
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駒沢 勝った! バレー 韓国に勝った! ロッテ 逆転負け・・

2006-08-19 21:52:20 | スポーツ

 午前中、PG 11;30帰宅、11時からの駒沢と智弁の試合を12時25分まで見て、詩吟平和に車で向かう。ラジオを聞きながら走る。平和について時7対4で勝っていたので多分勝つだろうと信じていた。それでも、あの智弁和歌山の強打線、どうなったか結果を早く知りたいと、早実の試合を聞きながら帰りましたが、放送の中で駒沢の結果が話されない。結局帰宅してテレビを入れて早実のシヨウ李が決まったのを見てから判りました。早実の斉藤投手は素晴らしい投手です、明日はいい試合になるのでしょう。駒沢の3連覇を期待します。

 夜、ロッテの試合とバレーの韓国戦をかわるがわる見ていました。バレーまた上手く成りました。特に今までに無いレシーブのねばりが見られるように成りました。昨日、キューバに勝ったのはまぐれで無いことがわかりました。是だと世界ランキングもAクラスの仲間入りかも・・・。

 ロッテ、6回まで5対1今日は楽勝か、と思っていた。すると7回マウンドに上がっている小野が一人の対戦も無く、交代。何かあったのでしょうがわかりませんでした。藤田になる。小笠原、セギノールを綺麗に討ち取ったからやれやれと思ったところが、次の稲葉にホームランを打たれる。そこで神田に交代、2アウトなんだから大丈夫と思っていた。判らないものです、神田はいきなり4球でランナーを出す。それをきっかけに何と都合5点を取られ、5対6で負けてしまいました。これで、プレーオフへの道は一気に遠のいたように思います。

 今日はバスケツトの試合もあったのですが、その結果はまだ聞いていません。
バスケットが世界の仲間入りできるとなると驚きなのだけれど、どんな試合だったのかスポーツニュースを楽しみにします。
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カラオケ  

2006-08-18 16:48:22 | 趣味
 
 歌が好き。声がいいわけでなく、上手いわけでもない。どちらかといえば音痴に等しい。しかし、自分の下手さをなかなか自分では認識できないものです。逆に自分は結構上手なのだと勝手に思い込んだりするのです。

 カラオケが出来る前から、一杯飲むといい気になって歌っていたものです。カラオケが出てきたのが確か、私が札幌に転勤になった頃からだと思う。スナックや居酒屋で一曲100円とか200円とかで、歌いました。名月赤城山などは一番得意でした。奥飛騨慕情の出たときは随分歌ったものです。PTAの全国大会に仙台に行ったとき、夜、キヤバレーに繰り出し、生バンドで奥飛騨を歌ったりしたのも思い出になっています。

 どちらかというと、ド演歌が好きで、北島三郎、鳥羽一郎の歌などを好んで歌っていたものです。
 現役を離れ、ハシゴ酒をしなくなり、今は居酒屋「いの平」さんだけが、私の飲みどころになっていて、ここの常連さんが歌好きで上手な方が多いのです。

 いつの間にか、北島、鳥羽の歌を離れて、酒場演歌がレパートリーの中心となっています。それも古い歌ばかりで、「涙の酒」とか「人情酒場」「ネオン川」、そんな調子です。

 一杯飲んで、皆で歌って、・・・一月に2~3回くらいですが、いい気晴らしです。


  
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裕次郎の歌碑「好きです札幌」

2006-08-17 19:42:21 | 無題
 
 昨日、羊が丘へ行き、クラーク像をデジカメに撮って来たのですが、その折すぐ横にある裕次郎の歌碑もついでに撮ってみました。

 羊が丘展望台からは、札幌ドームがさえぎるものなしに綺麗に、銀色の姿を見せています。コノ写真のバックにも写っているはずなのですが、拡大しないとわからない。この展望台には、もう一つ、日本ハムファイターズの球団移転記念碑がり、そこには、移転時の選手の手形とサインが刻まれたいます。写真の後方に見える林のむこうに羊が放牧されていて、林では夏ゼミがないていました。一寸懐かしく成りました。

 石原裕次郎の歌は好きで、幾つもカラオケで歌えるのですが、どういう訳か、この「好きです札幌」は歌う気にならないのです。今でも時々歌うのが「二人の世界」「錆びたナイフ」「北の旅人」くらいです。


 
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お寺参りー羊が丘ーPG-サッカー 今日はこんな日

2006-08-16 22:35:08 | 身辺雑記
塔婆供養にお寺に行く。お参りが終わると食事が出ます。いつものことですが、赤飯に味噌汁、そしておでん、おでんがおいしいのです。いつもはゆっくりいただくのですが、車を入り口に停めたので、奥の方が出るのにどけてくださいと言われるはずなので、急いで食べました。食べ終わるや呼び出しがかかりました。

 すぐに車を出し、そのまま、羊が丘のクラーク像の写真を撮りに行きました。何回も羊が丘にはいっているのですが、まだ写真を撮っていなかったのです。北大のクラーク会館前の像は撮りましたので、2枚揃えたいと思っていたからなのです。

 2時半に帰宅、暑いので、3時半過ぎまで昼寝をして、4時近くからPGに出かけました。がらがらでした。3コースを一人で2球づつ打ってきました。

 晩飯後、オシムジャパンの公式戦、イエメン戦を見てPCに向かっています。サッカー何か今一動きが悪い感じでしたが、2対0で勝ったのだからよしとしなければならないのでしょう。
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8月15日  15の夏 あれから61年

2006-08-15 21:52:44 | 随想
昭和20年8月15日、この日だけは忘れられない。それが終戦の日だったことと、もう一つの事情によります。

 永山農業学校の1年生で、6月から援農に行き、この日が援農の最後の日だったのです。午前中に援農先の農家から一旦学校に戻り、そして遅い夏休みに入ることになっていたのです。援農の厳しい仕事から解放され、故郷に帰り暫くゆっくり出来る嬉しさで心は一杯でした。

 学校に着き、暫くすると「本日12時に重大放送があるので、全員事務室前の廊下に整列せよ」という連絡がきました。廊下にラジオが出されていて、天皇陛下の放送だと言うことでした。それがいわゆる玉音放送、ポツダム宣言受諾の放送だったのです。ラジオの感度が悪く、音量も無いので私たちには殆ど何を言っているのか判りませんでした。10日くらい前に旭川もグラマンの空襲を受けていて、戦局が切迫しているのは判っていましたが、日本は最後の一人まで戦うのだと信じていたので、多分厳しい情勢だけれど、一層頑張れといっているのだろうと思っていたのです。ラジオの近くで直立不動で聞いていた担任の先生が、涙を流しているのを不思議に思っていましたが、日本が降伏して、戦争が終ったと知った時、ただ茫然とするだけでした。何か信じられないことが起こったという、変な違和感だけが心に広がりました。この援農とのかかわりで、忘れられない日となつたのです。

 あの日から61年過ぎたのですか。アメリカ軍がきたら大変なことになるような噂などがありましたが、特に混乱することも無く、アメリカの占領政策を受け入れ、戦後の復興が始まったのでした。
 
 日本と同盟国として戦ったドイツ、イタリヤも順調な復興をとげ、文明先進国となったのでした。変な抵抗はせず、しかし、民族の誇りを保てる努力をしながら国民が一つになって努力し敗戦国とはいえないような現在の日本を作り上げたのです。

 まだ世界で戦争をしている国、もう、一定の結果の出ている国などがあります。しかし、復興への道筋も見えないイラク、一日も早い、国を挙げての新しい国作りが、恩讐を超えてなされなければならないのでしょう。ただ、怨念のぶつけ合いだけでは、不幸の連鎖しかないのではないでしょうか。

 よそ者だからいえるのかもしれませんが、何故という気持が強いし、宗教的対立とすれば、宗教って何なのだと思ってしまう。判りません、判らないものは口を出さないのがいいのですか。テロリスト、標的はアメリカ?テロでアメリカがテロリストに降伏するでしようか、テロリスト、口実はどうあれ、人殺し集団でしかないことになる。それにしても、このような人たちに武器がわたるってどういうことなのでしょう。
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百田宗治  安足間

2006-08-14 21:59:01 | 随想

昨日、名古屋の妹(亮子)から、3本の冊子が送られてきた。私がブログに「安足間」の思い出を書き、その中で百田宗治の詩「安足間」をうろ覚えのまま書いたのを知り、自分の持っている資料を私に送ってよこしたのです。

 その一冊が写真のもので、これは安足間で「宗治祭」がもたれた折、実行委員会が発行したものなのです。写真は安足間に建てられている宗治の詩碑の拓本縮図なのです。以前に私がブログで紹介した詩文は、やはり大分間違っていました。改めて書いておきます。

       安 足 間       百 田 宗 治 

あんたろまから,こいという
     縁側から、正面に、大雪山の雪渓が
     見えると いう。
     石狩の上流が あふれて、
     泥やなぎの 根を洗っているのを、
     身にこいと いう。
     山女を 食いに こいと いう。
     寺もある。郵便局もある。
     望みなら、てごろの住居も
     建てて やると いう。
     薪にも 不自由は させぬという。
       埋もれに 子よという。
     死にに こよという。

 これが正確な詩文でした。名古屋の妹がこんな資料を持っていたのです。妹は旭川師範の予科に入学し、私が旭川師範の本科一年に入学した年、予科を卒業、家計の問題もあり、旧制中学卒の資格で、上川小学校の代用教員になったのです。その教員時代に、百田宗治の詩の主人公、安足間の万葉寺住職白川了照さんの主宰している短歌会に入っていたのです。(実は私、そのことを知らないでいました)

 今回、一緒に送ってくれた、冊子のもう一本は「村の本」という、昭和26年に発行された、これは歌誌なのです。中に百田宗治さんの「自伝的に・・・」という一文もあり、妹の短歌4首も収められていました。この村の本は第二号で継続発行を予定していたけれど、終に出せなかったのだそうです。百田宗治さんも続きを次号に書く予定にされていたようですが、それが実現できなかったのです。ともあれ、村の本の歌会を通して、つながっていたのです。

 さて、もう一本の冊子は、「北の大地」特別演奏会のシオリです。200年12月旭川で、DAN YEAR 2000の一環として、団伊玖磨先生が作曲した、混声合唱曲「北の大地」、その作詞をしたのが小野寺与吉さんなのです。小野寺さんは旭川師範の先輩で、安足間から通学していました。師範在学時代から詩人として活躍されていて、私もあこがれた先輩です。妹は、私より先に小野寺先輩とは交流があり、村の本の同人たちも皆交流があるのです。先に書きました宗治祭の実行委員にも名前を連ねています。そのシオリだったのです。

 北の大地の一郭、名さえ知られない安足間、そんなところで点されていた一つの明かりが、この送られてきた資料から今懐かしく私の胸に蘇る。

   

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8月13日(日)

2006-08-13 21:01:34 | 無題
 
 例年、今日13日が旭川の墓参り。今年は日曜とぶつかっていて、混雑しそうだったので10日に済ませた。パークの大会があるわけでもなく、まったくの日曜日、朝から暑い日です。いつもは出かけるPG、今日は夕方行くこととして、ごろごろしていると、家内が「扇風機を買う」と言い出す。クーラーはあるのです。しかし、くーらーを入れておくと居間のフローリングが冷たくなる、それが嫌なのだという。10時半ヤマダ電機に行き、扇風機を調達。その後甲子園の高校野球あまり見ないのだけれど、仙台育英と日大山形の試合を見る。仙台の立ち上がりすばらしかったのに、突然ピッチャーが、崩れたというか、なにかにとりつかれたように4点取られ、チャンスは山形のファインプレーにつぶされて、仙台が負けてしまった。

 夕方、娘が遊びに来るとの電話。何か食べに行こうという話になる。3時半過ぎて外に出てみるとかなり涼しくなっている。晩飯前にPG一回りしてこようと出かける。PG場はがらがら、キリギリス3番に行き、ふとバツタコースを見ると、竹谷さんがお一人でいらっしやる。それで、ネットを乗り越えて行き、ご一緒させていただく。バッタを回ってキリギリスを一回り、何と、お一人と思っていたのが奥様とお孫様が一緒だったのです。バッタを終わってキリギリスに行くとき、休憩所のところに女性の方と子供がいるのを見てはいたのですが、まさか竹谷さんの奥さんお孫さんとは気がつきませんでした。キリギリスの9番竹谷さん、ホールインワン、終わってひょっとしてコーロギを回るといわれるかと、聞きましたら、休んでいた奥さんに声をお掛けになられた。それで気がつき、お帰りになってください、私、もう少し遊んで行きます。といってまたキリギリスの一番に入りました。すると4番に小西さんがいるのです。小西さんも気がついて、2番に戻って私と一緒してくれました。そのあと、バッタを二人で更に二周して帰宅しました。

 帰宅すると娘二人と、孫の「まりちゃん」が来ていました。食事は結局「彩華」に行き、中華料理にしました。何か本当の日曜といった感じの一日でした。
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「雷」 「雨乞い」

2006-08-12 20:40:22 | 随想
先ほどテレビのニュースで、東京の落雷の様子が流れていた。8月の10日頃は昔から「雷」の時期とされていて、また逆に「雨乞い」などが話題になる時期でもある。

 「地震・雷・火事・親父」 怖いもののランク付けだけれど、1に地震・2に雷、是は納得できそう。火事・親父は今はランク外といえそう。火事が3位なのは、木造住宅が軒を連ねた昔のことで、4位の親父は家父長制度が厳然としていた遙か昔はいえたのかもしれない。今は「テロ」と「核」・・・どうも是はランクが上かもしれない。

 先日、名古屋の藤根さんの日記に、お母さんから聞かされた言葉として、「雷がなると梅雨が明ける」という一節があった。梅雨明けから、雷の時期になるということかもしれない。梅雨が明け、太平洋高気圧が流れ込み、そこに北からの冷たい低気圧が張り出すとその接点あたりで雷の大発生となるのでしょう。
 テレビの画面は、東京に凄い稲妻ともに落雷している様子が写されていた。電車が動かなくなったりもしたようだ。

 雷が鳴るときは、雨も伴うのだから旱魃気味の時は、恵みの雨となるのでしょうが、ことしは、雨は十分過ぎるほど降ったのだ。札幌は雨が欲しいくらいだけれど、まだ暫く期待できないみたい。8月の初めは水稲の花の咲く時期で、雨は困るのだけれど、この時期雨が無く、更に好天が続いたから北海道の稲作は一気に良い方向に向かっているのだろう。
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「目にはさやかに見えねども・・・」

2006-08-11 20:01:31 | 随想
  8日に「13夜の月」と何気なく書きました。実は、気がついていなかったのですが、8日は立秋だったのです。

 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」古今集の歌です。今年の気候は、地球温暖化のせいか、変な移り変りでした。夏が来ない、こないと思っていたら、8月に入って、突然夏に成った。3日ころからだったでしょうか、暑い日が続いています。雨といえば、何日降っていないのでしょう。雨が恋しい、特に農家の皆様は、待ち焦がれているのでしょう。天気予報ではまだ本格的な雨になりそうにない感じです。それでも、夜、涼みがてらに毎日のように庭先に出るのですが、この頃の風はたしかに忍び寄る秋を感じさせます。風には真夏を過ぎた涼しさがあります。こんな微妙な変化を捉えて和歌にしたのでしょう。

 暑さ寒さも彼岸まで、それまではまだ暫くありますが、暑くても夏は長いほうがいい、今日のニュースで、大通り公園のビヤガーデン昨夜で終了し、ビールは記録更新だったとか。まだやめるには勿体無い天候ですが、予定通りに終わるのですね。

 
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