普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

オバマさん登場と日本企業

2008-12-27 16:46:25 | 企業経営

 今朝の読売テレビの「ウェークアップ!ぷらす」で塩川正十郎今年の最大のニュースとしてオバマさんの大統領選の勝利をあげ、その理由としてその主張の「Change」のように米国が大きく変わる可能性があるのに、この儘では日本だけが取り残されるのではないかと言っていたのに強い印象を受けました。
 塩川さんはそれ以上のコメントは言わなかったのですが、話の成り行きからみて、最近の金融危機や日本企業の素早いリストラの動き、非正規社員の大量解雇などが頭に逢ったのでしょう。

 私は素人ながら前々から日本の経済、軍事、企業の経営の全てに米国一辺倒で良いものかとブログで書いて来ました。
 06年の 「その場凌ぎの政治から抜け出すために

・世界の歴史で見るように、ローマ帝国その他の世界を制覇した国々は必ず何時かは滅びるか衰える。
・米国も多くの不安要因を持っているし、世界からみれば必ずしも好感を得ていない
・若しその様な評判の悪い米国がぽしゃった時、それに頼りきった日本の世界における立場はどうなるか
と言う様な日本として基本的な且つ難しい問題を研究するために、シンクタンクを設立しては
と言うアイディアを書きました。(*注記)

 07年3月の 「米国との関係の見直し
」には米国の情勢の変化として、死に体と言われるブッシュ政権、日本の孤立化、米国と中国の経済的結びつきの増大などを上げ、特に米国経済を支えてきた、住宅バブルの雲行きの悪化もその一つに取り上げました。
 その後も米国型の市場中心主義、自由主義経済など、米国型の企業か株主のもの、成果主義の問題、何がなんでも米国一辺倒のやり方に疑問を投げ、これを研究する機関の必要性を書いてきました。(*注記)

 そして今回の金融危機です。
 私が言う様に米国は「ぽしゃり」ませんでしたが、金融やビッグスリーは「ぽしゃり」かけています。
 そして塩川さんの言うオバマさんの登場です。
 彼の政策はブッシュさんと違ってブレーキのついた市場上主義経済、ビッグスリー救援と言うかっての自由主義経済からいざと言う時の政府の介入のようです。

 日本での企業のリストラも、米国流の企業は株主のもの企業の設備と同じ立場に置かれている従業員を、設備と同様に要らないものか切って捨てると言う、以後の彼らの生活無視の有無を言わさぬ首切りと言う、昔では考えられぬ米国流のやり方です。
 これが米国の社会では通じるかも知れませんが、日本人の心情はまだ完全に米国型になっていないために、大きな社会問題になろうとしています。
 私はビッグスリーに学ぶこと
で書いたように、日本型の経営にも多くの優れたところがあり、外国の良い所は取りいれても、日本の良い所は残したり、それを積極的に外国にそれを発信するべきだと思います。
  オバマさんが率いる米国が変わろうとしているのに、日本だけが従来型の米国の流追随していては塩川さんが言う様に、日本だけが孤立するかも知れません。
 今回の金融危機やオバマさんの登場は、日本に取ってもその行き方を考え直す良い機会だと思います。

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*注記:参照
       グローバル資本主義の見直し 
       米国型市場経済中心主義は万能か 


品物扱いの非正規従業員

2008-12-26 16:31:46 | 企業経営

 25日の読売新聞の「論点」で 法政大学の藤村博之さんが「非正規社員の削減」について書いていました。
 その対策として、
・労働者が身を守る方法として、パートや派遣でも、企業でも重要な 仕事を任されたひとの立場は揺らいでいないことを考えて、企業からから必要とされる様に自分の能力を高めること。
・企業は日本の競争力の源泉である「ものづくり」の強化、中長期の視点での経営、米国型でない日本型の株式市場を作ることを上げている。
を上げていました。

 私も前にも何度か同じような提案を書いてきましたが、特に2番目の提案は長いスパンで見た日本型の経営、「短期の利益を求める海外の資金が本当に日本に取って必要なのか」など書いてきた私しては大賛成です。

[企業にとってとても便利な労働者派遣法]
 然し藤村さんの非正規社員の大量解雇の理由として、
 金融ビッグバン→株式市場の米国型化→四半期毎の行政の開示の野義務化→これを怠れば株主の代表訴訟→企業の1年単位の利益最大化→非正規社員の雇用は経営者に取って訴訟リスクを負ってまで守る対象でなくなる→今回の大量解雇
を上げていました。
 然し私は今回の大量解雇は企業はその防衛の為に非正規社員を切ったので、藤村さんの言う「株主代表の訴訟リスク」の恐れなどは二の次だと考えが公平な見方だと思います。
 それを容易ににしたのは、労働者派遣法の制定と労働基準法の改正と派遣会社の発生です。
・大企業は非正規社員を切ろうと思えば、請負会社と派遣会社との契約を切れば良い
・そして労働者を首にすると言う会社にとって人聞きの悪い評判や、企業倫理や企業の社会責任などの批判は全て請負会社と派遣会社(何故か両者ともよそ事のような顔をしている)が全て引き受けてくれる
・そして、請負会社と派遣会社はお客様である大企業には何も言えない
・そして、大量解雇の後始末は国や地方自治体がやってくれる
・そして、経団連の会長は「この問題の解決は景気の回復だ」と全て政府の責任だと言わんばかりの態度で済ます
 藤村さんは多分これらのことは全て判っていても、短い文章の中では書き切れなかったのだろうと思います。

[非正規従業員の実数を知らない企業のトップ]
 私はその藤村さんのホームページを見ていて、気になるエッセイ、検証日本企業の人事、正社員が競争力の源泉を見たので紹介します。
派遣労働者を受け入れると、派遣会社に代金を支払う。この費用は、企業の会計処理上、人件費ではなく物件購入費や管理費に組み入れられていることを読者はご存じだろうか。
・企業では派遣や請負な間接雇用の人数は末端の部門では判っていても、企業全体としては、正社員の数はわかるが、その他の非正規の社員の実体を知らない
・これで、本当に効率的な人事管理ができるのだろうかと心配になってくる。
・ある電機メーカーの人事部が各事業所の人事担当に調査を依頼して、間接雇用の人数も含めて集計した。すると驚くくらいの数の派遣労働者や請負労働者が働いているという実態が明らかになった。しかも、研究開発の重要な部分で派遣労働者が多用されており、自社の競争力の将来に不安を抱いたという。その結果その会社は正社員を積極的に雇用するようになった。
・サービス業のある会社で、「本当の人件費」、会計上の費目に関係なく、広義の人件費を計算すると、十年前とまったく変わらなかったそうだ。
・正社員の解雇が難しいために、数の調整のしやすさが派遣や請負を使うメリットだと考えられている。確かに、短期的には人件費の削減になり、コスト競争力を高めるだろう。しかし、中長期の企業競争力を考えると、必ずしも得策とは言えない。新しい財やサービスを生み出したり、斬新な仕組みを考え出したりすることによって出てくる競争力は、正社員によって担われているからである。人事部は.何が競争力の源泉かを見極め、それを強化する人事施策を展開しなければならない。

 企業の人事部、当然に企業のトップが非正規従業員の実数を知らないなど考えられないほど酷いと思いますが、藤村さんのエッセーには皆さんも御存知の方が多いと思いますが、かなりの注釈がいります。

[品物扱いの非正規従業員]
 正規の社員の費用は固定費として計上されます。
 私どもが働いていた製造業では一部を除いて設備の運転員はすべて正規社員でした。
 設備のメンテナンスや製品の流通などは業者に任せること多く有りましたが、それは変動費として処理されました。
 その場合必要な技術、設備や工具などは全て業者で提供していました。(最近の非正規社員の提供は単に人員の提供だけです。)
 その理由は勿論社外発注による経費の削減です。(藤村さんはこのことを多分書き忘れています。)
 大企業の社員は実際に受け取る給与は外注の社員のそれより多いのですが、企業の経理上では社員の給与の上に社員管理に関する膨大な間接経費が加算されるので、帳面上からの正規社員の費用と外注への(比較的少ない間接費を含む)支払い工賃の差は5~10倍近くにもなりますので、企業にとってもは外注の魅力は大きかったでしょう。
 中国などの台頭に伴う相対的な企業の競争力の低下のために、企業は労働者派遣法などを政府に請求して、昔は固定費扱いだった設備の運転員の費用を、外注化し経理上からも固定費の大幅な削減をしました。
 そして外注の労働者のみの導入は変動費で処理されました。
 変動費だから企業の業績が悪いときに、部品納入の下請けへの発注を削減すると同じように、非正規社員を削減することが出来るし、固定費である程度身分を保証された従業員を首にするなどに伴う良心の呵責の念など感じずに済みます

 然し正規社員も人間です
 そんなに遠くない昔は、企業の人員の大半を占める設備の運転をする人達も小集団活動で改善提案などして来ましたし、それが企業の業績向上に大きく貢献して来ました
 現在の製造業やサービス業ではその設備の運転をする人達の大半を身分不安定、安い給与の、当然のように意識の低い非正規社員で占めています。
  技術とチームワーク(それも成果主義の名のもと壊した?)しか売り物のない企業がどうして世界で勝ち抜いて行くのでしょう

 自由主義経済、グローバル化、規制改革の名の元で、長期的視野に立った企業の経営をその場限りの経営にし、従業員の首を切って企業の業績を上げた株主と経営者だけが儲かることで、改善活動やチームワークを誇っていた従業員の意欲を低下させるなどを、米国の陰謀だと言う人もいる様です。
 その真偽はとにかく、米国は自国の都合の良いとばかり言うと非難しても仕方がありません。
 日本がお手本のしてきた、その米国の金融も製造業の中心のビッグスリーも破綻をしています。
 日本は、日本人は、日本の企業はどうあるべきかを考え直す時期に来ていると思いませんか。

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グローバル資本主義の見直し

2008-12-23 16:18:48 | 企業経営

 昨夜の私たちの英字新聞輪読会では珍しく早く終わったので、残りの時間は雑談に終わりました。
 話題はいつものようにあちらことらと飛んで、非正規社員のホームレス化、EUの中でワーク・シェアリングをしている国、俗悪犯罪の続出、鬱などの精神病の一般化、浮き世離れした日本の国会などなど。
 私の「小泉さんが自民党を壊すと言ったが、今は日本も壊わしかかっているような気がする」との意見を出しましたが、「今このようなことが起こるなんて誰も想像しなかった」と年寄りの私にやんわりと反論されました。

 たまたまその夜ネットを覗いていると産経の「正論」に多摩大学教授の中谷巌さんの「世界大不況をどう克服するか」と言う論文を見つけましたのでその内の日本として考えなければいけないと思う部分を紹介します。
各国一丸での財政出動とグローバル資本主義の見直し
 世界経済は大不況局面に入った。この不況を克服するには少なくとも3、4年、長ければ数年の期間が必要なのではないか。
 重要なことは、日本を含む世界各国がこのことを深く認識し、協調して大規模な財政出動に踏み切ることである。間違っても自律的回復に委ねるといった新自由主義的発想に回帰するようなことがあってはならない。グローバル資本を国境を越えて自由に動き回らせることが「正義」であるとした新自由主義こそ、今回の危機の主たる原因であることを思えば、それは間違いなく自滅行為である。
・市場原理主義とは決別を
 アジア通貨危機は、グローバル資本がちょっとした情勢の変化をきっかけに大量に流出したために発生した。今回も、アイスランドのような小国に分不相応な巨大な資金が流入し、一時期、同国は未曾有の繁栄を享受したが、今度は一転して、それら資本が大挙して流出したため、国の存亡を問われるほどのダメージをうけた。
 このように、グローバル資本という名の「モンスター」に「鎖」をつけないことには世界経済は、今後とも極度に不安定な状態に身を任せざるを得なくなる。しかし、人類が「自由」という禁断の実を食べてしまった以上、人間は「自由」を完全に捨て去ることはできない。「自由」のない計画経済では元も子もなくなる。
 他方、だからといって、資本の側から出され続けるであろうとめどもない「自由」への要請に対して、適度の自制を求めるような強力な国際的取り決めができなければ、世界経済は「自由」によって滅びることになるだろう
 子供が父親からの厳しい躾なしには健全な大人として育ちえないように、グローバル資本主義が健全な地球市民として成熟するためには、それ相応の厳しい国際的な規制が必要なのである。この点についても、国際協調は待ったなしである。少なくとも、規制などなければないほどよいという「市場原理主義」とはわれわれはもうそろそろ決別しなければならないのである。

 私はこれを見ていて欧米各国が世界中を植民地化した後、日本も同じ真似をして最後に日本だけが侵略国家と決めつけられると言う「ババ」を引いた ことを直ぐ連想しました。
 勿論この連想は正確ではありませんが、グローバル化の名前のもとで、日本も欧米各国の真似をしなければ、乗り遅れてしまう と言う強迫観念で同じ船に乗ってきたのでしょう。
 輸出に頼る日本としては、市場主義経済の恩恵を受けて来ましたし、逆に中国の台頭で競争力が相対的に低下し、その対策として賃金が安くて何時でも首切りが出来る非正規従業員の採用で何とか凌いできましたが、結局は金融・経済の危機で中谷さんの言う様なグローバル化の波に日本も翻弄されているのでしょう。

 私は06年の8月のその場凌ぎの政治から抜け出すために
から何度か米国型の市場経済中心主義、米国中心の経済、そしてそれが少し可笑しくなりかけている今でも米国追随一辺倒でよいのか、など日本の実情や日本人の心情にあったシステムの導入など、基本的な問題を考えるシンク・タンクの必要性を書いて来ました。(*注記)
 そして私の心配が幸か不幸か殆ど当たってしまいました。
 然し素人の悲しさで、今回の金融危機に際しての米国と欧州各国の対応の差を見て判るまで、自由主義経済やグローバル化の話には首を捻っていても、それが正確には米国型の自由主義経済やグローバル化であることを始めて実感しました。

 日本は米国のヘッジファンドのためにアジアの通貨危機が起こったときはEU各国と協力して、自信をも持って自由主義という名の金融資本の横暴を止めるよう米国に注文をつけるべきだったような気がします。
 それが安倍さんの言う主張する外交です。
 然し事実は飽くまでも米国追随一本槍で今までやってきました。
 多くの企業は米国を真似た成果主義の導入で日本の強みだったチームワークが弱まり、生産工場では派遣社員という名のロボツト化で何時でも首を切られると言う、かっての家族主義的経営から、かさかさした米国型の経営になってきました。
 米国並みの経営をすれば結局は資本力の差、中国のように低賃金と言う競争力の差で勝負が付いてしまいます
 今回の日本で起こっている非正規社員の首切りに伴う問題の原因となっている労働者う派遣法など労働者問題の関係法案の見直しも中谷さんの言う様に何もかも自由でなくて、何らかの規制(私の意見では日本人の心情にあった)を加えるべきだったと思います。
 そうしなかったために今回の問題についても大企業は減産を決めただけで、「首を切ったのは、請負会社か派遣会社なのでその責任は彼らにあるので、後のことは知らない、それから先は行政の責任だ」と言う日本人の心情に反した好き勝手な発言になるのです。(もっとも世論の反発に会って何社かは契約が切れてあとも宿舎を期限付きで提供し始めたようですが。)

[日本のこれから]
 経済面で言えば、中谷さんの言う規制のかかった自由主義経済、私のようなずぶのど素人でも判るような、米国中心の経済の見直しや、日本の国情や国民性にあった日本型市場主義経済への見直しをし、そのような日本の考え方を世界へ発信する時期が来ているような気がします。

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*注記:参照[その場凌ぎの政治から抜け出すために]シリーズの関係分
      その場凌ぎの政治から抜け出すために (06/8/09)
      石油問題と米国との関係の見直し (08/01/20)
      日本経済と社会問題の見直し (08/01/23)
      その場凌ぎの政治から抜け出すために(3) (08/08/14)
      評価の高い日本型経営 (08/11/23)

 


ビッグスリーに学ぶこと

2008-12-20 16:39:45 | 企業経営

 昨日のエントリーで日本企業が今のままで行くと米国のビッグスリーの後追いをすることに成りかねないと書きましたが、今日はそのビッグスリーに代表される、米国流の経営のやり方と従来の日本の経営を考えて見たいと思います。

 それで米国企業を代表するGMの歴史をWikipedia
で拾って見ました。
・戦後、1950年代にはGMはアメリカ最大の会社となる
・オイルショックによって小型車の需要が高まると、いすゞ等の開発協力を得たモデルなどの販売戦略の転換が進められたが、品質と生産性の悪化が顕著となる

 当時の日本の企業は米国から導入した品質管理の概念の実用化と生産管理の改善と生産性の向上に取り組んでいました。
・1984年にはトヨタとの合弁会社設立、QCに関するノウハウの吸収に努め、国内の工場のリストラ、労働条件の引き下げといった生産性を向上する取り組みにも着手
 日本のQC活動やノウハウは企業の家族的経営と修身雇用→企業への忠誠心→自主管理活動から生れたものです。
 そのころ景気の変動もありましたが、余った従業員は関連会社などに出向させて何とか雇用を確保していましたし、中には新日鉄から冠婚葬祭会社まで出された人さえいたそうです。
・1990年代を通じたアメリカの好景気は、フルサイズSUV・ピックアップトラックなどの需要を生み出国内のシェア低下には歯止めが掛からなかったものの、高い利益率維持
・2000年頃からは環境保護問題の高まりなどで、消費者の嗜好は再び燃費の良い車にシフトしたが、GMは小型車部門のジオを整理・縮小していた。
 日本の企業は長期的なスパンで考えて燃費の良い車の開発に専念したのに、GMは企業は自分の物だと思っている株主の短期的の利益の要求に応えたのでしょうか?
・9/11直後に販売量が落ち込んだ際には、生産量を落とさない方針を採ったため在庫が増加。在庫を捌くために販売店へのインセンティブの上乗せや値引き販売を激化させる悪循環に陥り、2005年までに企業収益は一気に悪化し、格付け会社からは社債を「投資不適格」にランク付けされる
 自分だけ儲けさえすればよいと言う米国の株主は当面の配当が良ければ、そのため後の企業の業績が下がっさてもその前に売り抜ければ良いと考えいたのでしょうか?

 日本企業、特に製造業では、労働基準法のために長時間の労働の制限があり、労働組合の存在のためにサービス残業などさせられないと言う厳しい条件の中で、何とか生産性を向上させ、自主管理活動の一貫としての改善活動でその技術を向上させ、何とか世界の企業の太刀打ちできる力を持って現在まで来ました。
 逆に言えば厳しい規制と労働組合の存在が、結果的には企業の競争力を付けて来たのだと思います。
 (正確に言えば日本全体の生産性が低いと言われているのは、事務部門、流通・農業などの他の部門の総合的な生産性が劣るため、そして技術面での弱点は大学での基礎技術の研究が弱いことだと思います。)

 今回の雇用問題は、低賃金でしかも何時でも切れる非正規従業員の導入と言う、一昔のように多くの人達の意見を取り入れてこつこつと作り上げた生産管理システムに比べて、余りにもイージーゴーイングなやり方が今回のような問題が起こっているのだと思います。
 政府が言う様3万人が離職とそれに伴う社会不安、しかも少子高齢化のなかでは輸出減に対応する内需拡大など出来る訳はありませんし、テレビでも今それを言う専門家も殆ど居なくなりました。

 これに対して企業にも言いたい所が一杯ありますが、昨日も書いたので今日はNHKの持論公論の「不安を減らす雇用対策をの一節を紹介します。
 
非正規雇用の人たちは、安い賃金で働かされ、いつ解雇されるかわからない不安を常に感じながら、働き続けなければなりません。しかも、セーフティネットの網からもこぼれ落ちてしまう。こうした人が働く人の3人に1人を占める今の社会、本当にこのままでいいのでしょうか。あらためて、議論しなければならないときに来ていると思います。
 一方で、厳しく問われなければならないのは、企業の姿勢です。今、住まいがないという派遣社員を突然、放り出しているのは、日本を代表する大手企業です。政府に規制緩和を求め、いわば、働く人たちを犠牲にして国際競争力をつけてきたはずなのに、世界的な不況の波にさらされたら、ひとたまりもないというのでは、一体、何のための制度改正だったのでしょうか。苦しくても、利益をあげている企業は多いし、これまで内部にためてきた資金もあります。役員の報酬を減らすなど、身を切る努力もしていません。それなのに、これまで、安い賃金で働かせてきた派遣社員を業績にかげりが出た途端、百人、千人単位で削減する。これで社会的責任を果たしていると言えるのでしょうか

 昨日も書きましたが
・成果主義重点よりチームワーク重点
・ドラスティックな経営より人を大切に扱う家族主義的な経営
・モチベーションを給与、昇進で高めるより、それに加えて企業への忠誠心で高める
・短期的な利益追求より長期的な発展
・企業は株主のものより、株主・経営者・従業員のものの考え
などGMが真似してきた日本の技術やQCの管理手法は、日本の経営手法が産んだものです。
  
そのような経営手法れを全て棄ててしまって、GMのやり方をそのまま真似したり、米国なみに経営者が大きな収入を得たり、先のことを考えずに当面の株主の要求に応えて配当を上げたり、非正規とは言え従業員をロボットや物扱いにして首を切ったりして、日本がいまのような厳しい市場中心主義経済の社会を勝た抜いて行くのでしょうか。
 このまま米国流そのままの経営をすれば、何時かは米国のビッグスリーの二の舞を踏む事になりはしないでしょうか。

 勿論中国などの膨大なしかも低賃金の新興国の台頭などで、相対的な日本企業の競争力が落ちていると言う厳しい環境の変化もありますが、このまま米国流の経営手法で良いのか、従来からの日本的な経営手法の良い所をどう活かすのかもう一度考え直す時だと思います。
 少なくても人的資源しかない日本が、その人達をロボットや物扱いにするのは、人道的にに許されないのは勿論ですが、経営面から考えも余りにも勿体ないと思いませんか

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日本は「競争社会」か「連帯社会」か?

2008-11-26 11:22:15 | 企業経営

 NHKの教育テレビで午後11時直前に放送される「視点・論点」で、「競争社会」と「連帯社会」と題して東京大学名誉教授の田端博邦さんが印象に残る意見を述べられていたのでその要点を紹介する。

競争社会と連帯社会
・フィンランドを始めとする北欧はもちろん、欧州諸国のほとんどの国では小学校から大学までの教育が、原則として、すべて無償で、教育費が高いのは日本とアメリカだ。
・ここには、教育に関する基本的な考え方の違いがある。
 フィンランドのような無償の教育制度がとられているのは、教育を受ける本人の利益になるだけではなく、社会全体の利益にもなる、という考え方があるからだ。
 他方、日本やアメリカでは、教育の利益を受けるのは個人であり、その個人または親が、教育費用を負担すべきだと考えられている。
日本やアメリカのような考え方を基礎にする社会は、社会を個人の利益を中心に構成する「自己責任」の社会だ。
・そうした社会では、すべてのひとが少しでもよい生活をしたいと考えるので、激しい競争が生まれる。
 米国や日本の社会を「競争社会」とすれば、北欧の諸国は、「連帯社会」と言える。
 そこでは、個人が互いに協力して支えあう、助け合うということが、より重要な原理になる。
「競争社会」と「連帯社会」との違いは、教育にとどまらず、社会で働くときの、労働時間などの労働条件や、失業したときの生活保障や教育訓練の機会、医療や年金などの社会保障についても同様だ。
・日本の最近の若者の貧困問題は、こうした「競争社会」の負の側面を示している。
 北欧やヨーロッパでは、こうした場合に生活保障付きの教育訓練機会が提供されるのが普通で、老後の生活保障についても、同じようなことがいえる。
・地理的な社会のあり方の違いに注目して言い換えると、「連帯社会」は「ヨーロッパ型資本主義」に、「競争社会」は「アメリカ型資本主義」にあたる。
 前者を「社会的市場経済」、後者を「自由主義的市場経済」などと呼ぶこともある。

・この社会の違いについて言えば、一般に、「連帯社会」の程度が強まるほど労働組合の組織率が高くなるということだ。
 労働運動の強い国ほど、つまり働いている人が強い発言力をもつ国ほど連帯社会的な社会になる傾向がある。

歴史の変わり目
 今回の世界金融危機は、1929年の大恐慌以来の経済危機であるといわれているので、時代のあり方を大きく変える可能性がある。
 米国経済は非常に自由主義的な「競争社会」的な経済体制→労働組合の団結権や団体交渉権を認めるなどかなり「連帯社会」的なものにシフト→“新自由主義”と言われる「競争社会」に戻る。
・先日の金融サミットでは、アメリカとヨーロッパとの考え方の違いがかなりはっきり出ているが、金融危機の解決には、政府や中央銀行の役割が重要であるということが共通に認識され、金融危機を生んだヘッジ・ファンドなどの自由な行動を規制するルールと監視が必要だとされていいる。
 ここでは、 「競争社会」の土台になっている自由市場のあり方が問題にされている。
 金融危機が「競争社会」の欠陥を露呈するものであったとすれば、身近な問題である、行き過ぎた受験競争や過労死・長時間労働などの働き方は「競争社会」の弊害が限界点に近いものになっていることを示唆している。
 このような社会のあり方に代わる新しい社会のあり方を考えるべき時代に入りつつあるということができる。

[私の意見]
 田端さんとしては、僅か10分間で大きな問題を話すので、話したり無いところも多かったと思うが、つぎのような問題点がある。
(そう言う私も紙面が限られているので書き足りないことばかりですが、ご了承下さい。)
 ・田端さんの言われる「競争社会」と「連帯社会」が生れた差は労働組合の組織率にあると言う意見を日本に当てはめるのはなんとなく違和感を感じる。
 然しいつも言う事だが、田端さんの言う様に労働組合を支持基盤とする民主党と、資本家を支持基盤とする自民党の間の政権交代は、行き過ぎた「競争社会」や「連帯社会」に成らぬようにためには是非必要だと思う。
・田端さんは日本を競争社会の分類に入れているが、国民皆保険、年金制度など「連帯社会」的要素も多い。
 また企業もかっては(多分一部では今でも)家族主義的経営をしていたし(または現在もしている)。
 詰まり企業内の連帯社会があったし、小集団活動に象徴される、チームワークの強さや企業への忠誠心は、日本企業の競争力の強さの一つの要因だった。
 ・田端さんが指摘されたような状態を促進させたのが、中国の台頭により日本企業の競争力の低下と言うやむを得ない状況もあったが、小泉・竹中路線による(年次改革要望書に従ったと言われる)構造改革に伴う、米国流の成果主義に代表される経営方式や自己責任の考え方の浸透だ
 つまり日本がグローバル化の名の元に「競争社会」に大きくかじを切ったのはごく最近の話だ。
 良く考えて見ると米国は世界のリーダーではあったが、先進国の中で経済システムの考え方で米国だけが 孤立しており、日本がその米国にのこのこついて行ったのだ
 私が素人ながら米国流の市場経済中心主義より、日本人の価値観に合った経済のシステムや企業経営を考える事、そしてそのためには価値観のやや似た西欧諸国のことを参考にすべきと繰り返し書いて来たが、田端さんの言う様に今考え直す時期に来ていると思う。

 それと田端さんが指摘された教育の問題など、
問題を複雑にしているのは、日本を取り巻く環境が大きく変化しているのに変わらないものがあることだ。それは官公労や日教組、官僚組織など親方日の丸の組織に属する人達の考え方だ。
 然しこれについては、紙面が限られているので次の機会に纏めてみたい。 

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評価の高い日本型経営

2008-11-23 15:36:04 | 企業経営

[評価の上がった日本]
 近頃の報道によると日本の評価が世界的に上がっているそうだ。
 昨日の日本テレビ系列の「ウェークアップ! ぷらす」でも日本総合研究所の寺島実郎さんが最近中国、韓国、西欧を廻って、識者との話し合いの印象として、日本への尊敬と企業のもつ日本文化への憧れを感じたと言っていた。
 この現象は勿論今回の米国発の金融危機で、殆どの国が大打撃を受けその通貨の価値が落ちている中、日本円だけが上がっていることによる現象であること。
 そしてその理由は日本が過去にバブルの崩壊の言う厳しい過去の反省に基づき金融バブルに積極的に関与しなかったと言う、あまり自慢にならない理由だが、我々は一部マスコミの悲観論ばかりでなく、日本のことを前向きに考えても良いような気がする。

[米国型と日本型の経営]
 今回の金融危機で特に目立った報道がある。
 トヨタ自動車の2009年3月期連結決算の予想で、その営業利益が08年3月期実績の2兆2700億円の半分にも届かない1兆円を下回りそうなこと、然し次期の研究費を膨大な額(9000億?)を用意していること。
 一方、GMを始めとするビッグスリーが既に低燃費車開発などの設備投資を促進する目的で250億ドルを低利で融資することを決めているが政府に、対して更なる支援要請をしているが、それに対して議会の抵抗が強い事。
 その理由にはビッグスリーが環境に優しい車の開発を怠って事と、経営陣が桁外れの待遇を受けていることだそうだ。

 日本の企業の特徴は小泉改革に付随して米国流の経営の考え方の浸透で少しは変わってきたようだが、依然として企業は株主、経営者、従業員のものと言う考えが残っているので、その利益は今回のトヨタの研究費にみられるように長期的の視点で配分される。
 また米国流の成果主義の考え方の導入で、大分薄れたと思うが家族主義的考えもあり、その経営者と従業員の給与の差額はやや少しは大きくなった所もあるが、それは一部の会社に止まっているようだ。

 米国の会社は言うまでもなく、投資先の企業の愛着も何もない、目の前の儲けしか考えない株主は(当然の話だが)短期的な利益を分捕ろうとし経営者はその手腕に応じた給与を要求する。
 私も日産のゴーンさんのように経営者の力が企業の経営を左右する程大きいと思っているが。
 その結果が現在の米国のビッグスリーの現状だ。
 その原因として、米国ビッグ・スリー支援と日本
にも書いたが、環境問題に消極的だったブッシュさんのミスリードもある。

 日本は小泉・竹中路線で米国型の市場経済中心、自由主義経済を推進してきた。
 そしてそれに伴う米国型の企業経営理念、会社は株主のもの、金が全ての考えが導入され、日本企業が得意としてきた小集団活動に象徴されるチーム・ワークを否定するような成果主義が浸透してきた。
 小集団活動は企業はみんなのものという考え方、家族主義的経営に基づく、企業への忠誠心がなくては出来ないことだ。

 そして世界的金融危機になって日本的企業経営が改めて、世界から見直されていることには考えさせられることが多い。
 私は「その場凌ぎから抜け出すために」シリーズで何度も米国型市場経済中心主義の見直しのためのシンクタンクの設置の必要性を書いてきたが、私は小泉・竹中路線を批判するつもりはない。 (*注記)
 小泉さん流で言えば政府の政策に対して企業をどうするかは、企業経営者の自己責任だ。

[日本の企業経営と政府の責任]
 日本流のやり方を評価されてきた今こそ、企業経営者は今までのやり方を見直すときに来ているのではないか。
 先の寺島さんの発言を受けて、元財務相の塩川正十郎さんが、経済発展の要素は技術力、流通力、金融力だが、日本のこれがバランスが取れた唯一の国だから、これを武器にして伸びて行くべきだと言っていた。
 本屋での立ち読みで見たのが、長谷川慶太郎さんが新幹線や原発などの日本の優れた技術力を活かすべきだと書いていた。
 私は日本の金融力には首を捻るし、それらの総合力の足を引っ張っているのは日本の政治力だと思う。
 昔は戦後日本の発展は政治家が何もしなかったからだと言われていたが、久しぶり小泉さんのリーダーシップで政治が経済に介入してきた。

 これからは市場中心主義経済や自由主義経済の良い面を取り上げるのは勿論だが、日本流の経営手法の良い所もとりあげ、組み合わせて行けばなんとか活路が拓けるような気がする。

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*注記:下記参照
 
その場凌ぎの政治から抜け出すために
  石油問題と米国との関係の見直し
  日本経済と社会問題の見直し 


日本と日本企業

2008-08-08 12:29:58 | 企業経営

[企業経営者の倫理感]
   私は6日の政治家や学者が言わない経済問題で、政治家、学者や評論家が経済問題を論議するとき、既知の事実と思ってか、それとも意識的かは知らないが、自説に都合の悪いことは触れない例を上げた。
 
 その中で、「経営者は必ずしも企業活動による社会貢献などの企業家としての倫理観を持っていない」ことに触れない例として、中国の台頭に伴う競争力の相対的低下→非正規労働者の採用によるコストカット→賃金格差の発生→通り魔事件など社会不安の発生と繋がっているのに、他人事のように考えているので、社会に対する影響を考えずに自社の利益のため為だけを考えて、簡単にコストカット出来る非正規労働者をどんどん採用し続けていると書いた。

[日本と日本企業]
 この問題を大きく捉えて日本と企業の関係で考えて見たい。
 政府の責任は、常識的に考えて国土を護ること、日本人の生命財産を護ること、日本人の生活を保証することだろう。
 そして日本人の責任はその政府の活動に協力することだろう。
 ここまではよく分かるが企業の国と国民に対する責任と言う事に対しては良く判らない。

企業の責任
 まして、経済のグローバル化が進み企業の事実上の国籍がどこにあるか判らない状態になって「日本と日本企業」の関係がいよいよおかしくなっているようだ。
 その第一の例が先に上げた、非正規労働者の雇用増加に伴う社会不安の増加について、企業やそれを統括する経団連(多分皆日本人)から何も意見が出ないことだ。
 それどころか、経団連はそれにも飽き足らずに悪名高い残業第ゼロ法案を政府に提言した。
 これは日本人の企業に対する忠誠心から自らサービス残業をする傾向が強いことを悪用してさらにコストカットをしようと言うものだ。

金型の図面の問題
 過去のことを言えば、中国に進出した企業が、下請けのノウハウが一杯詰まった金型の設計図面を、金型の製品と同時に提出させ、その図面を中国側の下請けにそのまま渡したそうだ。
 その一番の被害者は日本政府から生命財産(この場合は知的財産)を護って貰うはずの下請け会社だ。
 これらに懲りて、日本政府は「知的財産推進計画2004」
を発表して、知的財産の保護制度を強化の中でわざわざ(金型図面等の管理保護等を徹底する)の項目を入れねばならなかった。
 常識で考えると、政府から言われずとも、日本の企業が日本の競争力強化のために、知的財産権を保護しようと考えるのは当然だと思うのに、政府の指導を受けねば企業が動かないなど、企業の考え方は日本政府や日本人と完全に食い違っている。

国民を犠牲にした企業の優遇政策
 竹中平蔵さんは良く法人税を下げれば、企業が海外で蓄積した利益を日本に持ち込み、日本の経済が活性化すると言っているが。
 これを企業側から言えば、日本経済はどうなっても良い、自分たちだけが儲けをがっちり確保して生き残っても良いと言う事になる、それをどうするかは日本政府の責任だと言う事になる。
 これはまるでアパートの借家人が、家賃を下げ、設備を良くして貰わねばよそに出て行くと言う考えと同じだ。
 家主である日本政府は、一般住民の犠牲(法人税下げ→所得税増税の可能性、格差の発生に伴う社会不安などの)を払っても大手の借り主のために特別の計らいをしなければならないのだろうか。

企業活動を通じての社会貢献
 いくら大手企業の経営者と言っても、日本の住民としての責任がある筈だと思うのだが。
 企業経営者が日本人であり、日本に対して、愛着心があるのなら、その立場を護る一方日本のためになるのはどうしたら良いかを考えるのが当然だ。
 「企業活動を通じての社会貢献」が日本の企業の古来からの理念だった筈だ。

中国と日本の比較
 今、中国の産業界で大きな変化が起こっているそうだ。
 北京近くの大手の製鉄所は公害防止のために奥地に移転を余儀なくされているそうだ。
 海岸部の工業地帯では、従業員の給料が上がって採算が悪化し、従業員との間のトラブルが発生、それを抑えるために政府はそれらの工場の未開発地域の移転への圧力を加えている。
 そして手作業などに頼る効率の悪い工場が破産するまで放置。
 中国の技術力向上のために付加価値の低い外国企業の工場への特別な優遇処置の廃止と言う様に、中国政府は中国全体の発展のために強引とも思える処置を行っている。
 それは中国が独裁政権だから出来るのだ。
 
 然し日本の民主主義の国だ。
 それには国民やその国の企業の協力を仰がねば何も出来ない国だ。
 日本政府は伝統的な、大企業の発展→収益の向上→その効果が従業員の所得向上と下請けの業績向上→日本全体の経済の発展 の考え方で大企業への優遇策(企業側から言えば未だ足りないとおもうだろが)を取ってきた。
 然し事実は、下請けイジメ、史上空前の利益は株主の配当の向上と経営者の収入増に廻り、一般従業員の収入低下と国の優遇策の効果は現れないままだ。

企業経営者も日本人
 企業特に大企業の日本人経営者はグローバル化の名の元で俺たちは世界人など思っいる人達もいるだろうが、その一方で日本人としての意識を何時も持って行動して貰いたいものだ。
 そうでないと何時かは普通の日本人からの意外な反発が何らかの形で起こるかもしれないことを考えて置く方が良いと思う。

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インドの企業家と日本の企業家

2008-07-29 06:33:24 | 企業経営

 27日のNHKの「インドの衝撃:第3回“世界の頭脳” 印僑パワーを呼び戻せ」 の放送は日本の実情に比して考えさせられることばかりだった。
 その内容はNHKのガイド
によると、
 鉄鋼王と呼ばれるラクシュミ・ミタル氏、米シティグループの再建を託されたCEOのビグラム・パンディット氏、ともにインド生まれの「印僑」だ。
 世界130カ国に暮らす印僑の数は合わせて2,500万人の内、最も多い250万人が暮らすアメリカでは、印僑の9人に1人が年収1億円以上、人口は0.5%ながら、全米の億万長者の10%を占める。数学や金融に強い特質ともに、彼らの力の源泉となっているのが、世界に張り巡らされた印僑のネットワーク。成功者が若い印僑に、国際ビジネスや起業のノウハウを伝授、成功の連鎖が起きている。
 そして今、本国インドが急成長を遂げる中、アメリカの頭脳となってきた印僑たちが、相次いでインドに帰国し、新しい産業の担い手となりつつある。
 優秀な起業家を生み出し続ける印僑ネットワークや、印僑のスーパー人材を狙ったヘッドハンティングの動きを追い、世界を揺るがす印僑パワーの核心に迫る。
と言うかなり印象的なものだった。

 放送の中で特に印象に残ったこととそれに対する日本の現状について考えてみた。
・インドのエリート達の能力の源泉は、大学における数学教育と討議中心の教育から生れた科学的な分析力と人を説得する力の育成だ。
日本:さまよえる「博士」25%「浪人」
(読売新聞)の報道によると、卒業後の就職に特に苦労しているのは文系の学生で、企業側も「専門知識で頭はこちこち」「社会常識や協調性に欠ける」として、その採用には消極的だそうだ。
 優秀な学生が潰しが効かないからと言って、パートや派遣などで単純労働をするなど、今のような人材不足の日本で如何にも勿体ない話だ。
 入学試験で数学が嫌いだから位の単純の理由での文科系の生徒の希望者が多いからと言って、卒業後使い物にならぬ人を育成するために、ただでさえ苦しい教育予算を割くなどは今までのやり方は改めるべきではないか。
 国家の品格を書いた藤原正彦さんは、技術者はもっと文系の本を読むべきだと言ったが、文系の人達も数学などの科学知識も持たねば、今の時代を勝ち抜くことは出来ないのではないか。
 そのためには文系の大学でも入試には数学もとりいれ、授業にも常識の範囲の科学気技術を教える必要があるのではないだろうか。
 放送ではインド人のエリートの能力の一つに「討議中心の教育から生れた人を説得する力の育成」上げていたが、私はその討議で人を説得するに必要なのは、自分自身の考えをもつことと、人を納得させる独創力が生れたきたとおもう。
 日本の大学でもかなり改善されたと思うし、言うは易く行うのは難いが、自分自身で物事を考え、新しい物や考えを創り出す能力の育成が大切だと思う。(*注記)

・インドの成長に伴い米国での多くの人材がUターンを始めている
・米国で成功した人達が祖国の発展のためのTIEと言う新規企業家支援のネットワークを作り活動をしている、
 その活動は米国で活躍するCEO達参加によりコンベンションの開催
、ベンチャー企業立ち上げのコンサルティングから、現在はファンドを作り企業立ち上げの投資まで行っている。
日本:今の日本は派遣労働者の増加→格差の発生→そのストレスから来る異常な事件の発生など社会の不安の原因となっている。
 しかし派遣労働者問題に大きく関わっている企業側、そのまとめ役の経団連から日雇い労働の規制強化反対の声は聞こえても、今の社会不安の対策の声は全く聞こえてこない。
 日本をリードする立場の経団連は日本社会のことをどのように考えているのだろう。
 勿論、個々には、育英資金提供や環境問題に取り組んでいる企業もあるが、企業集団としての動きが殆ど見えないのは何故だろう。

・印僑の活動の源泉は祖国に対する愛国心だ。
とNHKは放送で言った。
 しかし日本人の愛国心などNHKの放送では聞いたことがない。
 これはNHKだけでなくて、マスコミを含むに日本全国の現象だ。
 何しろ安倍さんが「国を愛する」ことを道徳に入れようとしたことが大問題になる国だ。
 愛国心など口に出さずとも、日本という社会の為に何かをすることが如何に大切なこと誰でも知っている。
 しかしスポーツを除いて国のためになることをやるに余り熱心でない人達の中には、単なる個人主義だけでなくて、国のためすること→軍国主義に繋がるのではないかと言う、自分で気づかないブレーキが働いているのではないだろうか。
 愛国心を直ぐ軍国主義に繋げる、トラウマからもうそろそろ抜け出て良いと思うのだが。

・優秀な外国人の導入で発展を遂げた米国は、優秀なインド人の流出よる成長の鈍化を恐れて米国の大学へのインド人学生の入学希望者増加(そして卒業後の定住)のためのコマーシャルをインドで流しているほどだ。
日本:自民党の中川秀直さんが労働者1000万人導入の計画を発表して問題になっている。
 私は従来からの政府の方針の優秀な、または一芸に秀でた外国人の導入には賛成だし、少子化の止まらない現状では積極的に進めるべきだと思う。
 何故なら単純労働者の導入と違って優秀な人材の導入は社会格差が起こる可能性は少ないからだ。
 そして混血によりより優れた日本人が増えてくる可能性もあるからだ。
 しかし、問題は米国のコマーシャルを真似しても日本の大学に優秀な学生が集まる保証は何もない。
 外国人学生誘致より先に魅力ある大学作りが先決だと思うのだが。

 私はもとシンガポールにいた体験から、中国系やインド系の人達の優秀さ肌で感じて、もし中国が共産主義から、インドがカースト制度から脱却すれば、いずれも経済大国になるだろうと思っていた。
 事実、中国は世界で無視出来ないさ存在だし、インドはカースト制の現状は知らないが中国に継ぐ大国になろうとしている
   日本は後進国を指導すべきだと良く言われるが、逆に彼らかも学ぶことも多いことを忘れてはいけないと思う。

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*注記:
 私は元技術者だが、英語の勉強のために文系の短期大学に入ったことがある。
 教養科目の哲学の教師が講義の最初から最後まで「孔子曰く、とかカント曰く」ばかり並べ、教師自身の考えは一言も無かったのを不思議に思った記憶がある。
 文学の講義では、夏目漱石やトルストイの研究も大切だが、それよりはそう言った文学を創り出し、社会にも大きな影響を与える作家をどうして育て上げる教育をしないのか、疑問に思ったことがある。
 勿論、門外漢の人がちょっと文系の授業を覗いただけで的外れもあり、大学と言っても出来立てほやほやの大学だったので、今では私の母校も、その他の大学でもより優れた教育をしていると思うが、実利一辺倒の一技術者が当時の文系の授業を聞いたときの感想だ。

 


私の経験からみた成果主義

2008-07-28 07:25:39 | 企業経営

 バブル崩壊から中国の台頭への競争力強化の一貫として今までの年功序列主義から成果主義を取り入れた会社が増えてきた。
 しかしこれも必ずしも万能でなくて、社内のコミュニケーション不足、モラルの低下などの現象から早くも見直しの動きもあるそうだ。

 今日は私の経験から成果主義評価の意味することを考えて見ることにした。

[困った社員だった私]
 私は設備管理担当の技術者としてある大企業に入社した。
 会社勤めを続ける内に、若かった私は始めて、私が超の名が付くほどの典型的なB型の性格で、一つのことに集中する(学校では明らかに美徳だった)がポカも時々あること、独りよがりで周りのことの気配りから足りないこと、他人や私自身の勤務成績などに無関心なことに気づいた。
 特に最後に書いたことは、後になって考えると成績の査定で従業員のやる気を出させる会社のやり方にまったく沿わない困った社員だった。

 日中は暇さえあれば現場に出て、工員達とだべりながらその仕事ぶりを見物する。
 設備管理に特に必要な充分な目配りが足りないために時々仕事でポカをする。
 退社時刻になると、特に仕事がなければ、同僚達が残業して働いているのを尻目に、 早々に退社して夜学の工業専門学校(今の大学)へ行ったり、新制の大学に英語を勉強に行く。
 おまけに年に数回は趣味の山登りで何日も休暇を取る。
 それで事務所内の評判はさっぱり。
 昇給も最低だったと思うがそんなことには全く無関心。

[新設の工場へ転勤]
 そんな成績の悪い私にも、年功序列制のお蔭でにも新設工場への転勤に伴う係長昇任のチャンスがやってきた。
 私の担当現場のスタッフだったBさんも、私と同じ保全課に係長として配属されてきたが、同年配で途中入社だった彼と同時昇任したことを考えると、私の評価は最低だったのだろう。

・A課長の英断
 赴任先は企業の生き残りを賭けての超大型の新設工場だった。
 私の上司のA課長は、当時の同規模の会社にしては最低人員の保全課の設立、そのスタッフも場所でやっかい者扱いにされていた技術者(私ものその一員)を引き受け、当時削減の方向にあった工員の古手をスタッフとして登用するなどの思い切った方針を建て実行してきた。
 A課長は建設工事中は全てのスタッフを建設部門に派遣し、同部門との協力関係を強化した。

・工事基準作成
 第一期の工場は新規の立地で土地の実情が掴めなかったことと、会社としては始めてのエンジニアリング会社の使用でスタートの開始からトラブル続出だった。
 工場の運転開始後、建設、保全の合同による工事基準作成が行われた。
 これはA課長の英断で建設時に関係部門に保全スタッフを投入し、とかくぎくしゃくしがちな両者の関係改善をしたのが実を結んだのだ。
 保全課から何人かの関係者が出たが、この種の仕事が好きな私が自然に中心となった。
 私にとって幸いだったのは前場所から除け者扱いにされてきた優秀なCさんの協力があったことだった。
 建設部門のD課長もAさんと同様に太っ腹の人で保全の人達の細かい申し入れを殆ど受け入れてくれた。
 私たちは建設、設備管理のための工事基準だけでなく、将来の保全活動に必要なものは全て工場規則に入れて貰った。
 第二期、第三期の工事は前期の工事のトラブル解決のノウハウを折り込んだ基準と工場規則のおかげで前回と見違えるほどトラブルは激減した。

・保全制度の確立
 保全関係で言えば、新設の工場では企業としては最初のコンピューターの導入による全く新しい管理方式を考えていた。
 私とCさんを中心した保全課のスタッフは導入担当の経理課の人達ととあわや喧嘩かと思われるほどの激論の末、予備品管理、保全管理の多くの部門で当時としては最新鋭の管理方式を設立した。(*注1)
 超気弱な私がこれまで出来たのは、A課長が後ろでどっしりと控えていてくれたからだ。

・管理者失格の私
 しかし気配りが苦手の私は課内に大きな波紋をもたらした、先輩係長を無視して自分勝手に仕事を進めているいると言う批判だ。
 それと前後して私の目配り不足のため、職人気質の工員から転身したスタッフの部下が苛められ退職という問題が発生した。
 一方、同僚のB係長はその派手な言動と気配りで課内の若い人達(私の部下を含む)の人心を掴んでいた。
 当然、評価はBさんの方が管理者としては落第の私より上だっただろう。

 私は管理者としては、設備改善を指導した二名の部下に工場長賞を取らせた。
 その部下達の担当現場の課長や、保全制度運営の円滑化を図るために、コンピュター導入で喧嘩をした経理の課長も私をある程度褒めてくれたが、それが工場としての私の評価に繋がらないのは当然だった。

新工場立ち上で活躍した人の処遇
 なお私の上司のA課長は当時としては最新鋭の設備管理方式を確立した業績にも関わらず派手な下請け業者との交際が災いして(彼の奥さんの言によれば)不遇なままに早死にした。
 新設の大工場の建設の大きな業績を上げた太っ腹のD課長は、本社とのコミュニケーションが悪いとの理由で、旧帝大卒にも関わらず子会社の常務取締役で終わった。
 そして私を支えてくれた優秀なCさんは中途退社してエンジニアリング会社に入った。

[海外出張の経験]
 ・南米出張

  そんな管理職としては落第生の私に新しいチャンスが来た。
 南米で建設したプラントがスタートからのトラブルど動かないのと言うので、同設備の保全に詳しくて英語の出来る私が選ばれたのだ。
 そこではプラントの設備で最初に動かす筈の送風機が故障のため、それ以降の機器の試運転さえできないまま約1ケ月以上放って置かれたままだった。
 プラントの建設を請け負った日本の会社、その機器を納入した現地の会社の人もそのトラブルの解決が出来ないと言うのだ。
 私は到着後、片言の英語で現地の工員を使って機械を総分解し、羽根のバランスを取り、再び組み直し、弱かったケースを補強した。
  結果は幸いにも一回の試運転で成功し、私が到着後2日でプラントがスタートした。
 そんな工事の指導が出来たのは、私の若かったころ工員の人達とだべりながらの彼らの仕事を見よう見まねで覚えていたからだ。
  そして現地の人達となんとかコミュニケーションが出来たのは、人から白い眼でみられながら、夜学で英語を勉強したお蔭だ。

  工場のスタート後、独り残ったお人好しでお節介な私は、新しい工場で保全制度を作り上げた経験を活かして、本務以外の現地の保全のやり方の改善を現地課長に提案し、現地の会社幹部の人達からの要望で、保全の眼からみた次期プラントの機械選定の注意事項を話した。
  帰国後、出張先の会社の社長から私の会社の社長宛で私の派遣に感謝する旨の感謝状が来て、この種の出張先からの感謝状は会社では始めてのこととして、本社中の評判になった。(*注2)

・自分の作った規則で始末書提出
 しかしポカの多い私らしく、良い事は続かずに、退職後下請け会社に移ったA課長から引っ張られて、同会社に出向が決まったが、その出向直前と言うのに私の担当範囲の工場で下請け会社がボヤ騒ぎを起こし、私は自分の作った工場規則違反で、私としては始めてで最後の始末書を書かされる羽目になった。

・中東出張と最終評価
 出向先からまた私の元の会社が建設した中東の工場のメンテナンスに派遣されたが、南米の例と同じく、出向先の工員を指導して数々の現場のスタート・トラブルを全て解決した。
 勿論のその助けとなったのは、若いころの現場経験、勉強した英語と新設工場で作った技術標準だった。(*注3)

 そして私の最終的な評価は、海外業務を主管する本社で行われ、旧中卒としては最高評価の部長待遇で退社することになった。
  
詰まり私にとっては幸運にも、延べで僅か約二年間の海外の業績が約40年以上勤めた会社での最終評価になったのだ。

[成果主義について]
 欠点だらけ、毀誉褒貶の多い私の経験から言えば成果主義とか従業員の評価は
・見方や立場によって、評価する人によって、同じ時期の同じ人でも評価が異なるので正しい評価は非常に難しいこと、そして評価者はその事実を良く認識しておくこと
・評価は長い眼でみた、またその人の将来を考えた上での評価も大切なこと
 (私と同じころ夜学に通っていた多くの優秀でやる気のある人が卒業後退社した)
・成功例は大いに取り上げるべきだか、一時的な失敗を見ただけの評価では、特に今の時期の若い人たちには、退社等の大きな影響を与えるかもしれないこと
・会社と言うチームにとっては、地道な仕事をする人が腐らないようそれなりの評価をすること
・管理者の評価は本人自身の評価やその部下の問題行動などの評価は良くあるが、その部下の能力の伸びについても適切な評価をすること
 
成果主義では上司も評価の対象になるので、上司独りが光輝いて出世街道を走る一方、自分の業績を横取りされた部下が腐ってしまうことが起こり安い。
・そして最終的には仮に成果主義を取っても、私の持論である、伝統的なチームワークや家族主義的経営感覚を忘れないことなど慎重に行うことが望ましいと思う。

 なお私の出身会社の本社で見聞きしたことや、成果主義の会社の勤務の経験なども書かねばならぬところだが、余りにも長くなりすぎるので省略するので、もしご興味のある方は成果主義の導入について を見て頂きたい。

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*注1:経理課と論争になった一番の問題はコード化の問題だった。
今でも多く使われているが、予備品などを2367632と表記すると言う経理の提案を、これではそれを調べるための特別の字引がいるが、それでは少数の保全人員で処理出来ないといって、12C10002(12は工場番号、C100は機械の名称、02は部品の番号)主張して遂に押し切った。
そして標準にも機械名称の付け方を入れた。
 退社後、私の出身の工場が保全活動の優秀な工場に送られるPM賞を受賞した。
  そして私たちが作った、コンピューター利用の保全制度や各種の標準が受賞の大きな要因となった。

*注2:派遣中に圧縮機で小さなトラブルが発生したが、それは日本で同じメーカーの機械で同じ現象から最後にはの思い掛けない部分の破壊大事故を起こした経験から、圧縮機の現象→結果→対策のノウハウを標準に入れていたのを思い出して、未然に大事故を防ぐことが出来た。
 もしこの事故が南米で起これば優に半年のプラント停止になるところだった。
 私はそれを保全担当の当然の仕事として、本社にも報告しなかったが(当然私の評価には繋がらなかった)、それが南米における最大の業績だったと思っている。

*注3:
・断って置くが、私が若いころ現場に出て工員たちとだべりながら彼らの仕事をみたのは、単なる暇つぶしで現場に出たり彼らと話するのが好きだったからであり、学校に行ったのも、若いころの有り余るエネルギー発散の場所として普通の人はアフター・ファイブを楽しむ代わりに学校を選んだだけの理由で、将来のことを考えてしたことではない。
 もしそれを計画的にする資質があれば今のように凡人で終わらなかったかも知れない。
・中東出張中に日本の親会社から来ている保全スタッフが原因不明の理由で私の部下を突然殴打する事件があった。
 これも後になって気がついたのだが、親会社からの派遣チームの長が、南米でも一緒だった人と言うこともあり、彼がチームの責任者である保全担当者を経由せずに、親しさのあまり私に直接依頼し、私も何も考えずに仕事をして来たのに、彼の不満が爆発したのだろう。
 しかし、上司へは勿論、彼に対しては先輩に当たる私に当たることが出来ないので、私の部下に当たったと考えれば良く判る。
 またしても私の気配り不足がこの事件を起こしたのかも知れない。


日本の経済環境に変化?

2008-07-21 15:58:17 | 企業経営

[経済面での米国依存脱却]
 昨日のフジテレビの「報道2001」で、自民党の高市早苗さん、民主党の河村たかしさん、社民党の福島瑞穂さん、元大蔵省財務官の榊原英資さん、評論家の荻原博子さんなどが出席して日本の抱える経済問題の討論をしていた。
 その中で印象に残ったのは、萩原さんの米国型市場中心主義の導入→企業の競争力強化→派遣労働者の増加によるコスト削減→労働者の平均給与が低下、一方米国型の経営の考え方まで取り入れた結果、経営者の収入増加と株の配当金の増加で社会格差が拡充しているの指摘。  
 榊原さんの原油高騰の対策として、日銀の貸し出し金利の引上げ→外国からの円に対する投資増加→円高にになり相対的に原油購入価格が減ることになるの発言。
 社民党の福島さんがそれに乗って、外貨準備をドルだけに頼らずユーロ債も買って、危険分散すべきと主張していた。
 サブプライムローンの破綻で苦しい運営を迫られている米国に対して、元大蔵省の高官の榊原さんの、なお一層のドル安に繋がり米国の足を引っ張るような発言は一昔では考えられなかったことだ。

 私も素人ながらも前にもかいたように(*注1)、日銀の貸出金利を上げたら良いと思うし、日本はもっとユーロ債を買うべきだと思うが、今まで異常なほど米国に気をつかってきた日本が、果たしてそんなことを今になって米国に言えるかどうか、言えないにしても秘かに方針転換できるかどうかは政府の決断に関わっている。
 然し、いずれにしてもこの様な発言の出る事は、米国の威信が落ちている事、そして日本の経済の行き詰まっていることを示しているのかも知れない。

[従業員への処遇の見直し]
 このような変化は各企業の中でも現れているそうだ。
 先日のNHKの「クローズアップ現代」によると、企業の中でも今までの、経費削減、成果主義による従業員の締めつけを見直し、従来型の家族主義的運営、企業への忠誠心の育成、改善活動の復活などを考えている企業が次第に増えて来ているそうだ。
 そしてその例として今までカットしてきた福利厚生費を増額して、従業員間のリクリエーションに使っている実例を報道していた。
 そんな企画も従業員の発想に任せているそうだが、彼らの自己啓発やコミュニケーションの強化のための企画など、日本の社員は流石に違うなと思わせた。
 日本では日本型の市場主義経営がベストと考えている私としては企業の運営方針のの変更は良い傾向だと思う。

[今までの日本と日本の経営者の歩み]
 それにしても何時も思う事だが、そんな優秀な社員が経営にタッチするようになると、途端に多くの人達が何故、普通の経営者になるのだろうか。
 以前にも書いたが、日本の復興期には企業の経営者は、当時の通産省の指示により経済拡大路線を走るだけで日本は急成長することができた。
 バブルの絶頂期に新聞紙上で、企業は正業に戻るべきだと、苦言を呈したのは、私の知る限りでは(正確には他に言った人もいたかも知れないがごく少数だったと思う)当時の日経連の鈴木永二さんだけだった。
 バブルの破裂と前後して一国二制度の方針を転換した中国の台頭に出くわした。
 丁度その当時は小泉さんと竹中さんによる構造改革が始まった。
 数々の規制緩和を行い後は各企業の自己責任に任せた。
 そして企業の経営者が直面したの超低賃金と膨大な人口を持つ協力なライバルの出現だ。
 自己責任として放り出された今まで政府の指導に馴れてきた経営者は米国の手法を用いた。
 大幅なリストラと、派遣労働者の増強によるコストの削減する一方、欧米式に企業の利益を経営者と株主に配分した。
 中には、経営危機に当たってもリストラを避けたトヨタとか、家族的経営の出光グループなど、経営者の理念にそって従業員を大切にする会社もあったがその数は限られていたようだ。
 そして日本としても、苦しい中でも米国に頼りきった経済と、日米同盟と言う名で保護して貰っている米国への遠慮と両方で、超低金利→円安ドル高、800兆にも及ぶ赤字の中でも、ドルで保有する外貨準備を運用もせずに放置したままだった。
 そして現実は世界における日本の経済上の地位は低下する一方、日本経済の伸びは先進国では最低レベルを維持したまま、日本企業の再建に資する筈の超低金利の資金ははサブプライムロンーンのバブル、その崩壊後は原油への投機資金に廻され、それが石油の価格の高騰や、食糧を中心とする物価の値上がりに続いている。

[日本と日本企業のこれから]
 現在でも、小さな政府か大きな政府かの議論が別れているようだが、少なくとも従業員と企業の設備と同じ位置に置く欧米型の経営理念が日本の実情に合わないこと、日本には貴重かつ唯一の資源である人を活用するしか生きる道はないこと、もうこれからは従来のような米国一辺倒では日本経済が立って行かない事が判って来き始めたのだろうか。
 企業経営者はこれからは如何にして日本独自の方法で生き抜いて行くかを考え、日本政府は米国のすくなくとも相対的な地位低下した今、日米関係はどうあるべきか、日本の進路を誤らないように舵を取って貰いたいものだ。

*注1:参照
        投機資金の横行と日本
       
原油価格暴騰で日本が出来ること
        カテゴリー → 企業経営


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金が全てで見失った行政の使命

2008-07-18 15:56:47 | 企業経営

[競争入札透明化の波紋]
 2~3日前のテレビで、宮崎県の東国原知事の談合防止政策や競争入札の透明化が思わぬ現象を産んでいると放送されていた。
 詰まり東国原さんが前知事の談合疑惑後で辞職の後を受けて、その撲滅を謳って当選し、それが着々の実行に移されたのは良いが、競争入札で受注した業者のいくつかが破産して、その受注した工事の一部に遅れが出ていると言うのだ。
 その極端な物の例として某河川の洪水対策工事を受注した二業者とも破産し、その後を受けた業者の内の一つもまたも破産して、台風時期を前にしているのに、工事が大幅に遅れ地もと住民や県議会から知事の責任の追求の話が上がっているそうだ。
 そして東国原さんが、競争入札制度の見直しの記者会見で失言をしたとしてまた叩かれているそうだ。

[財政優先政策で見失った本来の行政の使命]
地方自治体の仕事を生活補助費より少ない収入で働く人達
 私は4月22日の小泉さんがやってきたこと、またはし残したこと事
で、官庁の仕事の一部の競争入札による民営化に伴い、清掃などの一部の業種では企業間の競争激化のため、従業員の給与を法定の最低賃金まで下げる業者が現れ、官庁の仕事をするのに生活補助を受ける人より少ない収入で生活する従業員まで出てきた、と言うNHKの「クローズアップ現代」の報道を紹介した。

老人介護施設の危機
 また厚生労働省の老人介護費の削減政策で、老人介護施設で働く人の中で、特に結婚を前にして、働き続けたい意志はあっても、少ない給与と将来性のないことで、退職する人が他の業種の従業員の数倍にも上り、新しい施設への就職希望者が少ないなど深刻な問題になっているそうだ。

 ここで考えさせられるのは、政府や地方の行政機関が費用ばかりに拘って、その本来の目的を見失い掛けているのではないかと言う事だ。
 金は勿論大切だが、それ以上に大切なのは高齢化に伴って飛躍的にニーズが増大する老人介護施設の増強と、そこで働く人達を如何に確保するかであり、この目的と金とを如何に旨くバランスを保つかだ。
 地方の行政機関で言えば、その基本的な使命は市民の幸福の追求、市民生活の安定化である筈だ。
 財政だけのために、地方行政の執行を委託する地もと業者を、競争入札の名で締めつけ破産させて市民であるその従業員を苦しめたり、生活補助を受ける人より少ない収入の「ワーキングプア」の市民を作るなどの本末転倒の結果を産むことなど、自治体の使命では無いはずだ。

[私の提案]
 それで私は自分の現役時代に、ある企業の設備関係の工事の入札から監督まで当たった経験から談合なしの地方自治体での入札制度に付いて考えてみた。

地もと企業中心の中小工事の場合
・市の公共工事の将来の工事量の予想規模を業者に知らせ、縮小、撤退、合同など、過激な競争から共倒れにならない様な企業の自主的な運営方針決定の参考とさせる。
・地方での工事の主体は地もと業者、一部を外部からの業者とする。(例えば地もと8~9に対し外部 1~2など)
・地もと業者の入札の最低価格を決めそれ以下のものは排除するようにし、経営を無視したような無理な入札をしないようにする。(例えば予定価格の80%を限度とする。)
・基本的には価格競争だが、多分どの自治体でもやっている、技術力、ノウハウ、信頼性などに加えて、受注実績も考慮に入れるような配点をして入札業者を決定する。
 受注実績と言っても、地もと業者では実績の多い方が有利になる方向でなく、実績が少ない方が有利になる様な配点をする。
 それは
 実績が多い企業は技術力、ノウハウ、信頼性で既に加点されている。
 実績の少ない新しい企業や、目立たないが真面目に仕事をする企業にもチャンスを与える、
と言う二つの理由からだ。
 その配点により、過去の実績の多い優良企業が例えば、60~80%、新企業や目立たない企業が20~40%など、自治体ののぞむ企業の育成に繋がるような配点が望ましいと思う。
 勿論このような加点による入札企業の決定は完全な透明性が求められ無ければならない。

地もと企業では手が出せない大工事の場合
 地もと企業の利用予定計画を考慮する以外は完全な競争入札とする。

小さな組織での市場経済主義
 私の意見を一言で纏めれば、地方自治体では市場経済万能主義ではなり立たたず、宮崎県の例にみるように、地方の住民の生活の安定のため、また市民や県民を使う企業の育成など行政機関のコントロールが欠かせないという考え方だ。
 そしてグローバル化した今では、世界から見ればちいさな存在の日本でも、市場経済万能主義や、金が全ての考え方では国が成り立たず、政治の介入が必要なことは、日本で起こっている数々のことが証明していると思う。

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漁協の全国ストと流通業者

2008-07-17 10:37:18 | 企業経営

 燃料価格の急騰がもたらす、日本漁業の窮状を訴えるため、15日、漁協が全国一斉に休漁した。
 これに対して17日の読売社説
は概略次のように述べている。
 漁船の燃料となる重油価格は、この5年で約3倍にになり、操業コストに占める燃料費の比率は3割を超える。「省エネ努力ももはや限界だ」と主張し、政府に対して、燃料費の補てんなどの直接的な補助を求めている。
 だが、原油高に苦しんでいるのは漁師だけではない。農家や運輸業界も同様だ。厳しい財政事情を考えれば、税金のばらまきにつながってしまう燃料費への直接補助は困難だろう。
 複数の漁船が輪番で計画的に出漁する場合、残った船への休漁補償などには、国の支援が検討されてもいい。その場合でも、漁業の構造改革につなげていくことを前提とすべきだ。
 日本の漁業界も、国の支援を求める根拠として、漁業の体質をどう強化していくのか、青写真を示す必要がある。
 一斉休漁は、流通業者や消費者も、魚消費のあり方を見直す契機になる。特に、流通システムにはメスを入れなければならない。
 魚の価格はセリで決まり、燃料費の上昇分を転嫁しにくい。しかも、流通業者は、売れ残って捨てる魚のコストまで、流通経費に上乗せしている。
 100円の魚が売れても、60円はスーパーの取り分で、漁師の収入は24円だけだ。経費を差し引けば、もうけはいくらも出ない。
 これでは燃料費が高騰すれば、たちまち赤字になるのも無理はない。流通の効率化や計画的な仕入れを進めることで、漁師の取り分を増やす努力が必要だ。

[私の疑問](*注1)
・なぜ窮状を流通業者に訴えないのか
 先ず漁協の全国ストのニュースを聞いて直ぐ違和感を持ったのは、漁協の訴える先が政府とは見当違いではないかと思ったからだ。(*注2)
 一つには読売の社説が指摘したように、燃料の高騰の影響を受けているのは漁業だけでないので、赤字財政に悩む政府が漁業だけを特別扱いにする訳に行かないことだ。(事実、政府はその方向に動いている。)
 もう一つは、市場経済で動いている日本だから、燃料高騰で赤字になるならその売り手先と交渉すれば良いのに何故しないのか、もし交渉が旨く行かなかったのなら、デモは政府だけでなく何故、大手流通業界にもデモらないのかと言う事だ。

・独特の海産物の流通システム
 然しその点について今度のストに関しての、マスコミの解説で漁業独特の漁業者と流通業者のやり方と、売り物が魚介類と言う完全な「なま物」であることに問題があることに気づかされた。
 普通の売り買いは互いの担当者が対等の立場(といっても普通は売る方が下手に出ることが多いが)売買価格を決めるのが普通だ。
 然し魚介類の値段はセリで仲買人や小売業者によって決まる。
 漁業者はその市場に品物を持ち込むだけて、「燃料の高騰でそんな値段では赤字になる」など自分の意志を反映できない。
 だからそれが気に入らなければ、いきなり全国ストとなる。(なんてどう考えてもおかしい。)
 この状況は農産物も同じだが、最近は農業者が自分の店を持ったり、通信販売などで直接消費者と接触することで、途中のマージンを省いて生き残りを図っているがなま物を扱う漁業ではそれも難しいのかも知れない。

 もう一つは圧倒的な購買力を持つ大手スーパーの力だ。
 彼らから見れば地方の漁協などは弱小業者だ。
 だから「100円の魚が売れても、60円はスーパーの取り分で、漁師の収入は24円だけ」と言う様な無茶な商談が成立することになる。

・考えてみればおかしなスーパーの魚介類の売り場
 普通の市場の魚屋さんでは品物が揃っているのは朝の内だけで、夕方になると殆ど棚はがらがらになっているのに比して、スーパーでは午後5時頃に行っても、魚介類もそれを使った寿司なども朝ほどはないにしても、ある程度並んでいる。
 その日売れ残ったものはどうしているのだろうか。
 新聞によればその処分費用もスーパーの取り分の60円の中に入れているそうだが、そんな費用も漁業者の犠牲で処理されているのだろうか。
 第一に今のエコ時代に棚を常時埋めるために、余計に仕入れ売れ残りを捨てるなど通用するのだろうか。
 そんなことで、ただでさえ枯渇しかかっている漁業資源を浪費して良いのだろうか。
 それとも「あのスーパーの魚は古いから行かない」と、家内が良く言うように売れ残りをまた冷凍し、翌日また解凍して棚に並べるのだろうか。
 勿論、何時行っても魚介類の揃っているスーパーは、消費者、特に兼業主婦にとってはありがたいことだが、消費者側も考える余地があるような気がするのだが。

・漁業関係者の経営感覚の欠如?
 漁業の構造改革、漁業関係者を苦しめている魚介類の流通システムの改善、海洋資源の保全、豊漁貧乏の問題、漁船数の適正化、一部で行われ居る魚介類の養殖の拡大などなど、今までの取れるだけ取る、後は他人任せからの脱却を図るなど、漁業関係の経営改善が何故進まないのだろうか。
 彼らが経営感覚を持っていたら、今度の全国ストで燃料価格上昇の補てんよりも、政府に流通システムの改善を訴えると思うのだが。

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*注1:
私は経済や農村問題について永い間関心を持っており、それなりの意見を持っていましたので、素人の癖に厚かましく「私の意見」を書いてきました。
 正直に言って、今度の漁協の一斉ストで始めて漁業と流通の問題を知りました。
 そんな私が偉そうに[私の意見]を書くのも気が引けるので[私の疑問]の点を並べてみました。
 それで多分認識違いや勘違いも多いと思いますので、どうぞご遠慮なくご指摘、ご指導下さるようお願い致します。

*注2:政府の責任
 洞爺湖サミットでアフリカ諸国などが、諸悪の根源である原油の高騰をもたらしている投機資金の規制を求め、日本も内心そう思って居たはずで、しかもEUなどもそれに賛成していることを知っていた。
 然し、福田さんや政府関係者は、投機資金規制に腰の引けた米国に遠慮して、サミットでこの件を一言も口に出さなかった。
  漁協はその政府の責任を追求すれば、国民に漁協の立場をより深く理解して貰えたと思うのだが。


米国型市場経済中心主義は万能か

2008-07-04 12:00:37 | 企業経営

 昨夜のテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」でタクシーの数激増に伴い低賃金で働く運転手の問題などについての新たな規制の動きを伝えていた。

[小泉改革以来の日本の変化]
 小泉改革以来日本は大きな変化をしてきた。
大規模小売店舗立地法
により都市部のシャッター街の続出。
外国人研修制度
を悪用した中小企業の輩出
 中でも超優良企業とされるトヨタ自動車のお膝元の愛知県での摘発件数が最も多いそうだ。
改正労働者派遣法 
実施に伴う労働者の賃金の低下、賃金や社会格差の発生→派遣労働者の待遇改善の動き
 中でも象徴的なのは経団連を率いる御手洗冨士夫さんが会長を勤めるキヤノンでの偽装請け負いの疑惑だ。
・農村の振興のために大規模農業に助成金を出し、その他については助成金カット→農村の疲弊→自民、民主のばら蒔き政策
・地方の行政機関による談合取り締まりの強化→小さなパイを奪い合う中小企業の競争の激化→単発的な受注と従業員の給料カット→生活保護所帯に劣る収入
と言うように地方の人達を護るべき立場の地方の行政機関がこのような人々を生み出している。

[改革の基本的な考え方と現実]
 これらの改革の基本的な考え方には、経営者、従業員、農村の人々は皆、元気で、善良で、やる気があり、賢くて自分の行く先への判断力がある、などなどの前提に立っている。
 だから、それらの人達は仮に競争に負けても、別の機会や場所で立ち直り、また新たな挑戦をするので社会が活性化し、国民はそれにより大きな利便を得るという考え方だ。
 それで竹中平蔵さんが今でも言う様に、社会格差が出るのは当然だという発言になる。
・タクシー業者は転身を考えずに生き残りのために成果の見えない戦いを続けている。
・一般企業の経営者で根っからの悪党は別として、中には企業の生き残りを優先して、法すれすれの運営をし、ついその度を越して偽造などの法に触れる運営をする人も出てくる。
・従業員も何もタクシーや低賃金の派遣労働にしがみつかなくても転身先がありそうなものだが、そこも低賃金なので行き詰まり状態になっている。(先のタクシー問題でコメントした人も同じことを言っていた。)
・彼らは金中心の価値観を切り換えて人員不足に悩む、例えば農村や介護施設などで生き甲斐を求めて働けば良いと思うのだが、価値観の切り換えなどの大きな決心も付かない人が大部分だ。
・農村の人達には高齢や、棚田などの理由で大規模農業を目指す政府の施策について行けない人達も多い。
・シャッター街化した商店街の人達も、一国一城の良き日のことが未だ忘れられず、国の施策が悪いとか、行政機関の援助が足りないと言う人達も多いような気がする。
 多くの人達は善良だが、中には高齢で働きたくても働けない人、新しい事に挑戦するより地道でこつこつと仕事をするのに向いた人達、また慎重で今の仕事を切り換えられない人達も多い。(小泉改革については*注1参照)
 そんな厳しい競争を国民に強いている一方で、西欧諸国では何処でも行われている10数%の消費税を僅か5%に抑えている。
 これで競争に就いて行けない人達に福祉厚生予算を廻そうというのは無理な話だ。

[日本と西欧諸国]
 市場経済中心主義の基本的な考え方の、企業も人も競争させることで経済の活性化を図ると言うのは、狩猟民族である西欧諸国の考え方で、建国以来の共同生活で助け合いをしてきた農耕民族である日本人とは相容れないやり方だ。
 まして、白人国家建設のために土着の人達を駆逐し、労働力として黒人奴隷を使用して発展した米国とは全く成り立ちが異なっている。

 最近の情勢を見ると、環境問題、原油価格の高騰に関して先物市場の規制などに腰が引けた米国と、それを推進する立場の英国を除く西欧諸国、逆にイラク問題では強硬な米国と英国に比して、批判的な英国を除くEUと見て来ると、日本人の心情としては、米国の国民より西欧諸国の人達の心情に近いような気がする。
 そう言えば、割合に狭い国土、それに伴う日本と似た経済環境、長い国の歴史など日本と似た環境を西欧諸国が持っている。
 私は前にも書いたが、日本はここらで米国一辺倒から、少し車間距離を置き、その分だけアジアとEUに少し軸足を移したらどうだろうか。
  そして、EUと協力して、環境破壊を考慮した、そして投機資金などの横行を防ぐ、持続可能な節度ある新型の市場経済システムを確立してはどうだろうか。
 何度も書くが米国がポシャッタ時(ローマ帝国ではないが何時かは来る)、日本が孤立してしまわない様、アジア諸国と共にEUとの関係強化も考えた方が良いのではないだろか。

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*注1:小泉改革の弁護
 小泉改革について弁護すれば、いや弁護にもならないかも知れないが、改革当初は各種の規制緩和や経費削減の一方で、保育所や老人ホームの拡充などで、弱者の救済をし、併せて労働の機会を増進しようと言う話が良く新聞紙上に出ていた。
 結果はやる気満々の竹中さんや猪瀬さんばかりが頑張って改革は進んだが、改革に伴う救済に当たる厚労省や人材を育成する文科省など各省は旧態依然のままで、規制改革ばかりが独走する形になってしまった。
 それでやっと今になって、タクシーの規制や派遣労働法の見直しを行われている。
 ただ政府、与党にとって気の毒なのは中国の台頭による企業の競争力の相対的低下の問題が改革の実施に併せて起こり、ことをより難しくしてしまった事だ。

参照:
小泉改革
   小泉改革とは何だったか
 小泉さんのやったこととこれから
 小泉さんがやってきたこと、またはし残したこと事 

米国との関係
 中東紛争から学んだもの(1)米国の民主主義とは
 その場凌ぎの政治から抜け出すために
 米国がもし~したら、~しなかったら
 
  米国との関係の見直し
 米国は日本を護ってくれない?
 石油問題と米国との関係の見直し 


職場での「うつ」と過労死

2008-05-24 14:39:45 | 企業経営

 昨日各マスコミで、職場でのストレスなどが原因で「心の病気」となったとして、労災認定を受けた人は前年度比3割増の268人で、過去最多となったことが23日、厚生労働省の調べでわかったことが報道された。

[うつと過労死の増加]
 本日付けの読売新聞
によると、概略次のように報じている。
・268人のうち、未遂を含む自殺(過労自殺)も15人増の81人で最多、長時間労働などで脳や心臓の病気になり、労災認定を受けた人も過去最多となり、労働環境の悪化で疲弊する人が増えている実態が浮き彫りになった。
・心の病気を理由とした労災の申請者数も、952人と過去最高を更新した。
・脳や心臓の病気で労災認定を受け、いわゆる「過労」と考えられるのは前年度比1割増の392人になった。
・過労の392人を原因別にみると、長時間労働が主因とされたのが362人。1か月平均の残業時間では80時間以上100時間未満が135人で最も多く、100時間以上120時間未満も91人、160時間以上も35人に上った。
・厚労省は、1か月の残業80時間以上を「過労死ライン」として認定の目安にしている・年齢別では、50歳代の163人と40歳代の115人で、全体の7割以上を占めた。心の病気とは異なり、中高年層で働き過ぎが目立つ結果となった。
・厚労省ではこれは「職場環境が厳しくなっていることを反映した結果であり、企業に対する指導や監督を強化していきたい」としている。

[経団連の責任?]
 私の現役時代はうろ覚えだが、1か月の残業時間の限度は80時間で、それ以上は法律違反になるので、管理者は皆非常に気を使っていたのを思い出す。
 現在の労働基準法をネット上で調べてみると、原則的な限度時間は1カ月45時間だが、残業時間の上限に関しては、行政官庁は「過重労働防止など職員の健康等を配慮した限度時間に関する指針」に基づいて使用者及等に対して職場の健康管理など、必要な助言及び指導ができることになっているそうだ。
   参照:得々情報(残業時間の限度基準について) 
 

 いつこの様に法律が変わったのか知らないが、非正規労働者の使用によるコスト削減を狙った労働者派遣法を提案した経団連からの圧力があったのかも知れない。
 それが月に160時間以上の残業と言う途方もない労働者酷使が違法とされずにまかり通っている理由だと思う。

 私は可哀相なマクドナルドの店長でも企業のあり方について書いたが、今日は日本の伝統的な家族主義的経営を目指す企業と今日流行りの徹底的成果主義で生き残りを図るかる企業の比較により表記の過労死やうつの増加の問題を考えて見たいと思う。

[家族主義的経営を目指す企業と成果主義の経営]
経営方針
 家族主義的経営の会社(以下F社とする)
 従業員個人の能力を活かし、製品開発、体制や運営システムの合理化に全員参加させ、競争力を高める。
 成果主義の会社(以下P者とする)
  徹底的な体制や運営の合理化、最小人員で最大の利益を上げることで競争力を高める。

従業員の企業への忠誠心
 F社:マイ会社の意識で、自分の責任範囲の会社の事や設備に対しても、自分の家庭のように関心を持つ。
 P社:労働を提供しその見返りの給与を持つだけの繋がりで、自分の生活の安定的確保以外の会社への関心は少ない。

従業員数
 F社:最低人員数にある程度の余裕を持たせる(例えば10%)
 P社:最低人員に殆ど余裕を持たせない(例えば0~2%)

管理者の職務
 F社:責任部署の業績の向上、部下の指導と管理、必要な時の部下の援助、情報の収集、責任範囲の業務にかんする研究
  詰まり管理者には残業代を払わなくて良いというのは、管理者がこのように余裕のある仕事をしていることが前提になっていたのだ。
 P社:責任部署の業績の向上、部下の指導と管理、部下の欠員が出来たときの代務、管理者自身に割り当てられた雑務

従業員の能力の活用
 F社:一般要員は仕事の合間や、小集団グループの活動により改善提案をする。
   管理者は要員の自主活動の指導、他社、他部門からの情報または自身の研究の成果を業務に活かす。
 P社:日常業務処理で責任者、一般従業員も考える余裕なし。
  会社自身も始めからそれを期待していない。
  管理者も部下の指導や自分で勉強する余裕もない。

一般従業員の意欲
 F社:改善提案が少ないが仕事は確実だ、仕事で時々ミスをするが良く改善提案がでるなど、要員の個性が活かせる。
 P社:割り当てられた仕事をやるだけ→退職者の増加

管理者の育成
 F社:現職管理者による育成(例えば管理者が休みのときは候補者に臨時に代務させるなど)→実際に就任させる前にある程度の評価が出来る。
 P主:育成の時間がない→後は当事者の努力に待つ→管理者のうつの増加。

欠員の補充(企業の業務の拡張、従業員の病気、退職、産休など)
 F社:部下の仕事を範囲を調整して捻出、一時的な残業時間の増加
 P社:残りの人員でなんとかする→残業時間の増加
    管理者が代務の頻度の増加→残業時間の増加
    要員もこのことを知っているのでつい無理をする→病気

[成果主義の弊害]
 以上パターン化して書いているので、その割合は違ってもどちらの性格も持っている企業が多いこと、実際には私が書いた以外の問題も多いと思う。
 ただはっきりしているのは、最近よく言われる成果主義的な人事管理が大きな影を落としているのは間違いない様だ。
 最低人員の長時間労働→過労やうつなどの心の病気→要員の退職→人員不足または訓練不足の要員の入社→長時間労働の悪循環に陥っているようだ。
 特に過労死に関しては、40~50歳代の人が全体の7割を占めていることは、本来は余裕を持って部下のほうに眼を見張っていなけれ゛はならない指導者や管理者自身も最低人員を抱えているために、自分で手を出して夜遅く働かねばならぬ厳しい実情を示している。
 私は日本の企業が是非昔の家族主義経営の良い所を見直して貰いたいと思うし、政府もこのような悲惨な事態を避けるために労働基準法の見直しをして貰いたいものだ。。

[現役の方たちへ]
 もう一つこのブログを訪問されている現役の方達に知って貰いたいのは、企業の経営はどうであれ、私がいつも言う様に、
・40~50歳代の人達の過労死や長時間労働が原因で脳や心臓病にならない様に、くれぐれも健康に気をつけて必ず健康診断を受け、悪ければ早い内に直ぐ処置をすること、
・そして出来れば身体と頭を動かす趣味をなんとかして持って貰いたいものだ。
 仕事以外の趣味を持つ事が「うつ」防止に繋がり、40~50歳代の健康と趣味が退職後どれだけ長く余生を楽しんだり、なんらかの形で社会の貢献できるのだ。

 勿論、信念に従って自分の健康や余生のことなど考えずに、企業のために全力を上げて働くのも立派なことだが、少なくとも退職後に悔やむことのないようにして貰いたいものだ。

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可哀相なマクドナルドの店長

2008-05-22 10:51:51 | 企業経営

[可哀相なマクドナルドの店長]
 日本マクドナルドは全国の直営店の店長など約2000人について、管理職から外した上で、残業代を支払う方針を発表した。

21日付けの読売新聞によれば概要次のように報じている。
・記者会見した原田泳幸会長によると、職務手当をなくして残業代に振り向ける。
・店長の残業が少ない店ほど業績がいいという社内調査結果が出たとして、今後は残業を減らす方向で取り組む考えを示した。
・残業が増えた場合は「成果給」を減らすなどの調整を行うため、人件費の総額は現在と変わらないという。

 一方これに対して
・同社店長らによる労働組合「日本マクドナルドユニオン」の若松淳志書記長は「店長は残業で人手不足を穴埋めしている。残業する店長は評価されないため、今後は残業を申告しない『サービス残業』が増えるのでは」との懸念を示した。

他社の動向
 同じ問題を抱える流通、外食企業の中には、下記のように残業代を支払う代わりに、他の手当を削る方向に向かっているようだ。
・セブン―イレブン
 管理職のまま店長手当を大幅削減し、残業代支払い
・ファミリーマート
 店長を管理職から外し店長手当を削り残業代を支払い
・ローソン
 店長を管理職から外し残業代を支払い
・すかいらーく
 店長を廃止、残業代支払いで経費が増加しないよう人事制度の見直しを検討

 これらの業界で共通して言えるのは、移動の激しい従業員の早期の戦力化のため彼らの言動を規定するマニュアル→従業員のロボット化→ロボットはいくら使っても草臥れないという企業の考え方→これを嫌った従業員の移動のサイクルだ。

 優秀な一部の製造業のように、従業員を人間として扱う→その意欲の向上→自主管理活動による改善提案→業績の向上の日本型の人事管理とは対照的に、サービス産業の米国型の「人間の機械化」をベースにして方式で他社に勝つためには、終夜営業→従業員の酷使の道に走るのが落ちだ。

マクドナルドの人事管理
 上記のように他社と比較してみると、職務手当て削減して、残業代支払いに加えて残業が増えた場合は「成果給」を減らすなど、もと店長の人達にとっては最悪の労働条件だ。
 しかも店のイメージが営業成績に影響するサービス産業のトップが記者会見でこの様な発言をするなどの神経が疑われるが、これも米国本社の直接管理下にある同社のトップだからと思えば判る様な気もする。
 然しそのような店長の意欲を無くしてしまう様な発言を聞いた同社の労働組合が、「残業する店長は評価されないため、今後は残業を申告しない「サービス残業」が増えるのでは」との懸念を示すのは当然だ。

 「サービス残業」は、一般的な社員で法定労働時間を超えた場合、残業代の支払いを義務づけている労働基準法に明らかに違反するものだ。

[やや改善に向かった業界の動き]
  然し最近のサービス産業の一連の動きには良い面もある。
 それは従業員の残業についての意識が高まった事だ。

 私は基本的には、少なくとも店長が管理職が否かは別にして、少なくとも従業員を指導する立場の人達への残業代支払いは良い事だと思う。

企業経営の合理化
 何故なら残業代支払いという経費を要することが、企業にとって指導者や一般の従業員の合理化のインセンティブになるからだ。
 言い換えれば会社は今までサービス残業をしていたのでついおろそかになっていた、指導者や一般の従業員の管理から眼を外せないというメリットがあるからだ。

 その意味で労働組合の人達は、従業員のためにも、そして組合員が生活の頼りにしている企業の存続、繁栄のためにもサービス残業の実態から眼を離さないでいて欲しいものだ。

従業員の健康管理
 また残業代支払いのための時間管理は、従業員の健康管理のために是非進める必要がある。
 何故なら、企業の立場から言えば、とかく過重労働に陥り安い彼らが、そのために病気になったり、過労死したり、最悪の場合そのことに付いて彼らから裁判に持ち込まれれば、会社のイメージが一度に悪くり企業業績の悪化や、今のような採用される側の売り手市場では優秀な従業員が逃げる→更に従業員の酷使の悪循環に陥るからだ。

 いやそれ以前に、従業員の健康管理は、会社の従業員に対する基本姿勢を示すものだからだ。

参照:マクドナルドへの地裁判決について

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