2月11日のブログで下記の事を書いたが、少し気になったのでインターネットで「少子化」で検索した所世田谷区のアンケートの結果が出ていた。
少子化問題解決を妨げているもの
男女共同参画に関する区民意識・実態調査報告書(少子化の原因)
私が調べた「教えてgoo」と世田谷区のアンケートの5位までの順位の比較
(分類の仕方と表現が違っていたが、世田谷の分になるべく合わせた。)
「教えてgoo」の回答の集計
1.経済的負担が大きい
2.企業の協力がない
3.晩婚化
4.地域の支援体制
5.将来の社会状況に不安
世田谷区のアンケート
1.経済的負担が大きい
2.子育てよりも自分の生活優先
3.将来の社会状況に不安
4.晩婚化
5.出産・子育てが女性の自立の障害になっている
双方を比較してみると、大きく違っているのが、「子育てよりも自分の生活」とか「女性の自立の障害になる」と言うのが世田谷の分で目立っていることだ。
「教えてgoo」では子供よりも「自分の生活優先」は10位にしか入っていないし、「子育てが女性自立の障害」などの回答は全くなかった。
これは東京、全国の地域の差、男女共同参画の為の調査と、少子化そのもの問題の調査と言うデータの取り方の差によるのだろう。
それにしても世田谷のアンケートで男性の約52%、女性の43%が「子育てよりも自分の生活優先」を理由に上げているのに驚いた。
<<社会人としての責任観念が希薄になった理由>>
そしてその原因は私がかねてから、思っている国民の社会人としての責任観念の希薄化にあるような気がする。
<子供の教育に自信をなくした親、権利と思いやり>
最初に私の小さな経験を聞いて頂きたい。
1.息子が学校から持って帰った試験の答案を見た。(昭和40年頃)
「お母さんからお菓子を二つ貰いました。弟がそれを見て一つ呉れと言いました。貴方はどうしますか」と言った問題だった。
息子の解答は「弟に一つ別けてやると」書いていたが、[×]がついていた。
つまり二つ貰ったのはその子の権利だから、それを主張すべきだと言うのだ。
私は驚いて、学校がそう言うのならそう覚えるしか仕方がないが、うちの家の中だけは権利より兄弟への思いやりや兄が弟の面倒を見る責任の方が大切なので、 息子の書いた通りにしろと言った。
然し、戦前からの価値観を否定された私の声が如何に自信なかったか、今でも覚えている。
<権利重視、義務無視の教育>
2.昭和50年ころだと思うが、本屋でたまたま中学の社会の教師用の指導書を見ていると、「憲法には権利の記述はあるが、義務の記述は全くないのである」と書いてあった。
私は驚いて本屋の人には申し訳なかつたが、全ページを繰って見た。
義務の文字はそのページ以外全く見当たらなかったのだ。
そして再度指導書を見て、その巻末にその頃教科書裁判で勇名を馳せた大学教授の推薦の言葉を発見し、なるほどと思ったことを今でも覚えている。
後で憲法の権利と義務の項目を見たが、義務の項目には権利の濫用をしないことと、権利を社会のために活用することしか書いなく、義務については権利ほど明確には記されていなかった。
然し、他人の権利を侵さないこと、権利に伴う義務や責任など、教育の場で教えるのは当然過ぎると思うが、学校の先生のなかにはこの様な指導書の考えを鵜呑みにして権利ばかり教えていた人もいたのだろうか。
<権利ばかり言う大人の発生>
そして、当時の親の中には、私のように自信ないながら、世の中は権利だけではうまく行かない事と、教えずに、戦争の反省からアメリカの言う事をそうだそうだとそのまま受け入れた人もいたのだろう。
そして、そのような先生から権利についてだけ習って、それに伴う義務や責任があり、権利以外に大切なことがある事を学校からも親からも習わぬまま、大人になり、結婚して、子供を生み、その自分の子の非行を棚に上げて、学校の責任ばかり問う親になったかも知れない。
<個人の義務、責任を問わない風潮>
そして世の中全体が個人の権利のことを言っても、政府、政治家、企業や責任を追求することはあっても、個人の義務や責任を問わない風潮が出来上がってしまったようだ。
1.個人責任問題
たまに政府の関係者が、個人責任のことを言うと忽ちごうごうとした批判が起こる。
例えば、イラクで日本人三人が拉致されたときのことだ。
彼らの家族が好き勝手なことを言っていたテレビを見て国民の多くが、憤慨していた時、政府の要人が個人責任と言った途端に一部のマスコミや一部のへんてこな評論家が色々とクレームを付ける。
実は彼らは、その家族の後に胸に一物を持つ左派がくっついている ことを知っていながらだ。
2.教育荒廃の原因
教育荒廃の現象が明らかになって、そのマスコミの責任追求が始まった。
最初の文部省までは厳しかったマスコミの論調も、教育委員会、学校、校長、教師、に行くに連れてその鋭さは衰え、最後に一番問題なのは家庭だ と判ると、殆ど黙り込んでしまう状態だ。
(なお日教組も大いに関係していると思うが全くと言って良い程マスコミに出ないのが不思議だ。)
そして教育再生会議がいじめっ子を出席停止にすると答申するとまたマスコミが元気を取り戻す。
何故一番問題の家庭教育の見直しの具体策が殆どでないのを追求しないのか。
3.「産む機械」発言
それに、今度の柳沢さんの「産む機械」発言だ。
彼が言いたかった、女性がある程度の責任を持ってくれ とのお願いについての議論が全くないままだ。
そして、それがいつもの政争の具にされて、大事な国会の場所と時間を食いつぶしている。
個人の義務や責任とかを言うと、直ぐに軍国主義化を連想するのか、国中がそれを言うのがタブーになっているようだ。
その空気が国中に浸透して、国民は権利があることは、マスコミや左派政党などが主張しても、少子化問題について、国民になんらかの社会に対する義務や責任があることは、軍国主義アレルギーで誰も言わない。
<<若い人達へのお願い>>
だから、「子育てより自分の生活優先」の考えが出てくるのだ。
そう言う私だって、戦争中の「生めよ増やせ」など言うのは物凄く抵抗がある。
結局は、当事者個人が、 「自分さえ良ければそれで良い」とだけ思わずに、少子化が国や社会に及ぼす影響と自分のあり方を考えて貰うしかないと思う。
資源のない日本が今の繁栄を享受しているのは、優れた人的資源のお蔭で、もしそれが枯渇したらどうなるかなど自分自身で考えて 欲しいと思う。
政府の人達や政治家は言いたくても言えないし、マスコミは判っていても言わないのだから。
どうぞ若い人達は家庭に入ってまたは共稼ぎで、子供を産み育てるのか、「自分自身の生活を優先する」のどちらを選ぶか、その結論はどうあれ、世の風潮などに流されず、自分なりの価値観で良く考えて下さい。
それぞれの価値観を持った国民がいと始めて民主主義が成り立つものだと思います。
然し、世田谷区の世論調査の結果を(分析する必要があると思いますが)仮にそのまま受け取って52%もの若い人達が、「子育てより自分の生活優先」と思っていたら国や社会はこの先どうなるのでしょう。
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