普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

少子化と若い人達の責任

2007-02-13 21:54:48 | 少子高齢化

2月11日のブログで下記の事を書いたが、少し気になったのでインターネットで「少子化」で検索した所世田谷区のアンケートの結果が出ていた。
少子化問題解決を妨げているもの
男女共同参画に関する区民意識・実態調査報告書(少子化の原因)

私が調べた「教えてgoo」と世田谷区のアンケートの5位までの順位の比較
(分類の仕方と表現が違っていたが、世田谷の分になるべく合わせた。)
「教えてgoo」の回答の集計
1.経済的負担が大きい
2.企業の協力がない 
3.晩婚化 
4.地域の支援体制 
5.将来の社会状況に不安

世田谷区のアンケート
1.経済的負担が大きい
2.子育てよりも自分の生活優先
3.将来の社会状況に不安
4.晩婚化
5.出産・子育てが女性の自立の障害になっている

双方を比較してみると、大きく違っているのが、「子育てよりも自分の生活」とか「女性の自立の障害になる」と言うのが世田谷の分で目立っていることだ。
「教えてgoo」では子供よりも「自分の生活優先」は10位にしか入っていないし、「子育てが女性自立の障害」などの回答は全くなかった。

これは東京、全国の地域の差、男女共同参画の為の調査と、少子化そのもの問題の調査と言うデータの取り方の差によるのだろう。

それにしても世田谷のアンケートで男性の約52%、女性の43%が「子育てよりも自分の生活優先」を理由に上げているのに驚いた。

<<社会人としての責任観念が希薄になった理由>>
そしてその原因は私がかねてから、思っている国民の社会人としての責任観念の希薄化にあるような気がする。

<子供の教育に自信をなくした親、権利と思いやり>
最初に私の小さな経験を聞いて頂きたい。
1.息子が学校から持って帰った試験の答案を見た。(昭和40年頃)
「お母さんからお菓子を二つ貰いました。弟がそれを見て一つ呉れと言いました。貴方はどうしますか」と言った問題だった。

息子の解答は「弟に一つ別けてやると」書いていたが、[×]がついていた。
つまり二つ貰ったのはその子の権利だから、それを主張すべきだと言うのだ。

私は驚いて、学校がそう言うのならそう覚えるしか仕方がないが、うちの家の中だけは権利より兄弟への思いやりや兄が弟の面倒を見る責任の方が大切なので、 息子の書いた通りにしろと言った。

然し、戦前からの価値観を否定された私の声が如何に自信なかったか、今でも覚えている。

<権利重視、義務無視の教育>
2.昭和50年ころだと思うが、本屋でたまたま中学の社会の教師用の指導書を見ていると、「憲法には権利の記述はあるが、義務の記述は全くないのである」と書いてあった。

私は驚いて本屋の人には申し訳なかつたが、全ページを繰って見た。
義務の文字はそのページ以外全く見当たらなかったのだ。

そして再度指導書を見て、その巻末にその頃教科書裁判で勇名を馳せた大学教授の推薦の言葉を発見し、なるほどと思ったことを今でも覚えている。

後で憲法の権利と義務の項目を見たが、義務の項目には権利の濫用をしないことと、権利を社会のために活用することしか書いなく、義務については権利ほど明確には記されていなかった。

然し、他人の権利を侵さないこと、権利に伴う義務や責任など、教育の場で教えるのは当然過ぎると思うが、学校の先生のなかにはこの様な指導書の考えを鵜呑みにして権利ばかり教えていた人もいたのだろうか。

<権利ばかり言う大人の発生>
そして、当時の親の中には、私のように自信ないながら、世の中は権利だけではうまく行かない事と、教えずに、戦争の反省からアメリカの言う事をそうだそうだとそのまま受け入れた人もいたのだろう。

そして、そのような先生から権利についてだけ習って、それに伴う義務や責任があり、権利以外に大切なことがある事を学校からも親からも習わぬまま、大人になり、結婚して、子供を生み、その自分の子の非行を棚に上げて、学校の責任ばかり問う親になったかも知れない。

<個人の義務、責任を問わない風潮>
そして世の中全体が個人の権利のことを言っても、政府、政治家、企業や責任を追求することはあっても、個人の義務や責任を問わない風潮が出来上がってしまったようだ。

1.個人責任問題
たまに政府の関係者が、個人責任のことを言うと忽ちごうごうとした批判が起こる。
例えば、イラクで日本人三人が拉致されたときのことだ。
彼らの家族が好き勝手なことを言っていたテレビを見て国民の多くが、憤慨していた時、政府の要人が個人責任と言った途端に一部のマスコミや一部のへんてこな評論家が色々とクレームを付ける。
実は彼らは、その家族の後に胸に一物を持つ左派がくっついている ことを知っていながらだ。

2.教育荒廃の原因
教育荒廃の現象が明らかになって、そのマスコミの責任追求が始まった。
最初の文部省までは厳しかったマスコミの論調も、教育委員会、学校、校長、教師、に行くに連れてその鋭さは衰え、最後に一番問題なのは家庭だ と判ると、殆ど黙り込んでしまう状態だ。
(なお日教組も大いに関係していると思うが全くと言って良い程マスコミに出ないのが不思議だ。)
そして教育再生会議がいじめっ子を出席停止にすると答申するとまたマスコミが元気を取り戻す。
何故一番問題の家庭教育の見直しの具体策が殆どでないのを追求しないのか。

3.「産む機械」発言
それに、今度の柳沢さんの「産む機械」発言だ。
彼が言いたかった、女性がある程度の責任を持ってくれ とのお願いについての議論が全くないままだ。
そして、それがいつもの政争の具にされて、大事な国会の場所と時間を食いつぶしている。

個人の義務や責任とかを言うと、直ぐに軍国主義化を連想するのか、国中がそれを言うのがタブーになっているようだ。
その空気が国中に浸透して、国民は権利があることは、マスコミや左派政党などが主張しても、少子化問題について、国民になんらかの社会に対する義務や責任があることは、軍国主義アレルギーで誰も言わない。

<<若い人達へのお願い>>
だから、「子育てより自分の生活優先」の考えが出てくるのだ。

そう言う私だって、戦争中の「生めよ増やせ」など言うのは物凄く抵抗がある。

結局は、当事者個人が、 「自分さえ良ければそれで良い」とだけ思わずに、少子化が国や社会に及ぼす影響と自分のあり方を考えて貰うしかないと思う。

資源のない日本が今の繁栄を享受しているのは、優れた人的資源のお蔭で、もしそれが枯渇したらどうなるかなど自分自身で考えて 欲しいと思う。
政府の人達や政治家は言いたくても言えないし、マスコミは判っていても言わないのだから。

どうぞ若い人達は家庭に入ってまたは共稼ぎで、子供を産み育てるのか、「自分自身の生活を優先する」のどちらを選ぶか、その結論はどうあれ、世の風潮などに流されず、自分なりの価値観で良く考えて下さい。

それぞれの価値観を持った国民がいと始めて民主主義が成り立つものだと思います。
然し、世田谷区の世論調査の結果を(分析する必要があると思いますが)仮にそのまま受け取って52%もの若い人達が、「子育てより自分の生活優先」と思っていたら国や社会はこの先どうなるのでしょう。

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少子化問題解決を妨げているもの

2007-02-11 21:54:27 | 少子高齢化

少子化問題でいろいろ書いてきたが、年寄りの時代後れの発言ではないかと言う反省から「教えてgoo」の少子化の原因のQ&A欄を纏めて見た。
 「教えてgoo」 国の少子化対策について、その他

<<少子化の原因>>(回答者約30名、複数回答)
1.金銭面的な余裕がない 20人
 (1)教育費用、高学歴化、出産費用とうで経済的な余裕がない。、
 (2)それに対して、費用の事を言い訳にし過ぎる
貧乏人の子沢山の言葉を見ろと言う意見も3人いた。
2.企業の協力がない 13人
 (1)収益重視、給与が心配、産休が取り難い、復帰後が心配、
 (2)出産後リストラになる。
 (3) 年功システムの廃止のお蔭で金が一番いるときに低い給料
 (4)子育てへの企業の支援がない
3.晩婚化 12人
 (1)遊びや仕事で、女性の理想が高い
 (2)高齢出産を避ける、
4.地域の支援体制 10人
  子供を預けるところがない
5.日本や地域環境の悪化の不安 9人
6.家族構成の変化 8人
  核家族化、母親へなることの不安感
7.未婚化 7人
  一人が気楽、仕事第一、男が頼りにならない
8.女性の社会進出 6人
9.子どもは社会の財産と言う考えがない 4人
10.子供を持たない方が有利だ 3人 
   国や会社のシステムが子供を持つほど不利になる
11.子供より自分だ 3人
   子供から自分達の楽しみが奪われる
12.子供を育てる時間がない 2人
13.自分の価値観を持ってない 5人
   子供を持つのと、会社で働くのがどちらか社会の為になるか
   世の中の風潮に流される人が多い
   家族、親子、地域、社会、国のことなど考えない 
14.子供に取って済み難い社会だから 3人  
16.夫の協力がない 3人
   勤務時間が長すぎる
17.自分の義務を考えない 3人
18.地域の協力がない  2人
19.子供を持つ良さを知らない 2人
20.未婚の母を忌避する文化 2人
21.女性は家庭に戻るべきだと言う声がでない 2人
  (1)奇麗事ばかり言う
  (2)政治家も本当の理由が判っているのに言えないで、場当たり的な対策で
お茶を濁している。  

<<少子化対策を阻む基本的な問題>>
個々について意見を差し挟むことは止めるが、全体で気がついたことは、
1.その是非は別として、女性とははっきり書いてないが、女性の考え方に問題があるような書き方をしてるように見える人が多い。

2.問題点の中には、私の持論である、「農村の花嫁問題」でその半分の人口を占める女性のことが殆ど表面に出て来なかったことで示されるように、永年に渡る女権拡張の動きの中で、それに伴う女性の責任や義務の観念が薄れて来ている と思われることが基本にある様な気がする。

3.問題点の2位を占めているように、社会の活動の基本となる企業の少子化にたいする責任が極めて大きい
市場経済の波に揉まれて大変なこともよく分かるが、私たちが現役だったころの良く言われてきた、企業は社会に奉仕すると言う企業理念 を持って欲しい。

4.自分さえ良ければ良いなど考えずに、以下のようなことも良く考えた上で、その進路を選択する若い男性や女性達がもっともっといて欲しいものだ。
(1)金が全てでなく、金があっても貧しい暮らしも有れば、金がなくても豊かな暮らしあること
(2)
少子化など自分とは無縁ではなく、それが今論議を呼んでいるいじめなどの子供社会の問題や日本経済に大きな影響を及ぼしていること。
(3)世の風潮に流されずに自分自身の価値観で進む。

5.テレビのある解説者が言ったように、(Q&Aで書かれた止むを得ない事情ならともかく)子供がない家庭でも自分でそれなりに満足しておれば良いなどの無責任な発言をしたり、そのような考え当事者がを持っていたり、企業の経営者が自分の会社だけ儲ければ良いとだけしか思っていなかったら、日本の社会が成り立って行かなくなるのは目に見えている。
再度産む機械発言について


<<福祉先進国で出産育児の経験のある女性の意見>>
最後に、福祉万全の国で出産育児の経験のある女性の意見の概要を紹介する。
 「教えてgoo」 少子化対策
福祉万全の国でも少子化問題はある。
少子化の原因は、
女性の社会進出→結婚の年齢が上がる→高齢のためなかなか妊娠ができにくくなる
出産、育児→自分のしたいこともできない→自由がなくなると考える
最近は世の中が便利になる→いろいろ我慢することがなくなった
子供のために犠牲になるのが嫌だと考える

[豊かさに溺れ貧しくなる日本]

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女性の役割と少子化

2006-10-26 10:19:18 | 少子高齢化

私どもの英字新聞輪読会で、ジェニファー・松井の「War on Wemen」という論文を読みました。
http://www.japantimes.co.jp/shukan-st/articles/op20060929/op20060929main.htm

その概要は、
1.女性への闘いは激しさを増していて、日本も例外でない。
社会の不孝と破壊は女性の理由にする事が多い、男女同権は結婚と家庭の基礎を蝕み、日本の出生率低下の原因となっていると言われている。
与党の鷹派からなる憲法改正プロゼクトチームは、個人主義が戦後に利己主義にゆがめられて解釈され、家庭やコミュニティーの価値観を壊し、出生率の低下を来したと結論づけている。
彼女は全体の文脈から見るとそんなことはないと言いたいようです。
2.憲法では男女同権を定めている。
3.政府は(女性を攻撃している家庭の概念)を米国から借りてこようとしている。
米国との違いは、宗教的な言葉でなくて、国家主義的な言葉を使っていることだ。
私は新聞などで読んだことはありませんでした。
4.愛国主義的な言葉で、女性に恥ずかしい思いをさせてその独立性を捨てさせようとしているのは、ヒットラー時代の閣僚が取ってきたやり方だ。
近代社会では、女性の役割を放って置かなかった。それは優れて立派な物だった。
然し、(時代の)変容(transformation)は女性からその相応しい役目を奪ってきた。
結果は、前の理想とは無関係のドイツ女性らしさ(womanhood)についての一般の歪められた見方となっている。
 ?????!!!!!?????!!!!!?????
5.最近の素直で従順な紀子さまが、国の為に自らのお子様をお産みになったことは、改定された憲法の元での日本女性の将来へのぴったりと例えとなるだろう。
それはヒットラーの閣僚が見つけることが出来なかった、新しいファシストの世界秩序の到来を告げるヒロインのよりよい例である。
何を言っているんですかね。?????

Ms. 松井は"Student Times"の論客の中では、まあ増しな方だと思っていますが、4.から5.までは彼女らしくない論理の飛躍があるのか、私の英語力の不足かで何を言いたいのかよく判りませんでした。
ただ、日本人として、日本に半世紀以上も住んでいるである私にとって、紀子さまのご出産が「ファシスト」の世界に繋がると言う外国人の発想にはついてとても着いて行けません。
然し、私は彼女の文章から改めて、日本における女性への対応と、家庭における両親の役割を改めて考えさせられました。

<<女性の責任>>

彼女が例に上げた、女性に関する彼女から言わせればいわれのない指摘は、私も必ずしも女性だけが問題だとは思いません。
戦後の女性に対する差別への反省や、男女同権の考え方から、女性の立場が向上したのは、非常に良い事立ったのですが、女性の権利向上に伴う、「責任」という面では殆ど議論されず、マスコミも取り上げて来ませんでした。
それが、今になって少子化などと言う大きな問題に日本が直面して原因だと思います。
次に私の以前に投稿したものの該当部分の抄録を見て下さい。

<<農村の花嫁問題>>
http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20060613
一番のよい例が戦後から今まで続いている「農村の花嫁」の問題です。
マスコミでしばしば農村の青年の嫁不足の問題や都会からや外国からの花嫁取り上げられました。
然し農村の若者の半分を締める、若い女性は殆どこの問題を取り上げるテレビの画面に出てきませんでしたし、今でも全くと言っていい程見られません。
農村を維持して行く責任は男の若者だけにあるのででしょうか、若い女性の責任はどうなっているのでしょうか。
最近、農村の花嫁問題はマスコミに殆ど出てきませんが、もう解決したのでしょうか。
私はこの問題が定着してしまって、もうニュース・バリューがなくなったからでは無い事を祈っています。

<<少子化に対する女性の責任>>

既に家庭では女性が磐石の地位を占め(私の家などは特にそうです)、社会的地位の向上とともに、女性の社会に対する責任の重さも増えてくるのも当然です。
特に女性にとって大きな負担を強いる出産の問題については、女性の意見が大いに反映されるべきなのは当然です。
それで女性自身が、自分自身の立場だけでなく、地域のコミュニティーや国と言う私たちが生活を共にしているグループの将来も考えて行動すべきだと思います。
だから男女同権、共同責任と言う以上に女性の責任とは言えないとしても、少なくとも女性自身が良く考えるべきだと思います。

<<少子化に対する若い夫婦の責任>>

人によっては、少子化が必ずしも悪くないと言う人もいますし、労働力が足らなければ輸入すれば良いと言う人もいます。
然し、彼らは少子化から派生する年金の危機などの余りにも多くの問題、労働者の輸入に伴う人種問題や階級社会化等は(多分意識して)言わないし、勿論、そのその具体的な解決策など出そうとしません。
このような楽観的な発言には眉に唾を付けて聞くべきだと思います。
結局は一番の当事者として、夫婦自身で問題を考えるしかないような気がします。

<<子供に対する親の責任>>

昔だったら普通3~5人からの子供がいて、その家庭の中や近所の世界の中で自然と社会のルールを学んで来ました。
現状からして全く仕方がないのならともかく、自分たちの都合だけで、子供を一人だけ生むことで、そのような子供の権利や勉強のチャンスを奪って良いのでしょうか。
またいじめ論議が盛んになって来ました。
今でも、進んで来ている少子化がその子たちの教育面で、色々と良くない影響を与えているのも考えるべきではないでしょうか。

有名な田島陽子先生によれば、家庭にいる女性は半馬鹿扱いにされていますが、家庭で子供を産み、立派な人に育て上げるのが、そんなに詰まらない事でしょうか。
仕事に付くのも良いし、そこで社会的地位を築くのもいいし、家庭で社会のために 立派な子供を育て上げるのも立派な仕事と思います。
女性の方達がもっと多様な価値観を持って頂ければ、少子化にも歯止めがかかるし、世の中はもっと良くなると思うのですが。


女性の方にお願い:
どうか、Ms.松井のように子供を産む事が、それがファシストや国家主義などの道に繋がるなど考えないで下さい。
世の動きに惑わされずに、もっともっと貴女自身の価値観をもってそれぞれの道に進んで下さい。
 
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少子化問題について(3)(女性の責任)

2006-06-13 22:54:00 | 少子高齢化

<頼りになる女性達>

少子化の問題で避けて通れないのは、女性の責任についての考え方です。

テレビの少子化に関するテレビのインタービューで、子供を持つ自信がないと言うのはよく分かりますが、一人でいる方が楽しいとか、他にやりたいことが一杯あるとか女性の人が言うのを聞くと、少子化に関する女性の責任などについて読んで貰えるかどうか、心配していました。

然し、先日の日テレ系の「たかじんのそこまで言って委員会」の放送を見て、ひょっとしたら読んで貰えるかも知れないと思いました。
男女共同参画というテーマで田島陽子先生と遥洋子さんの熱弁の後、司会者が彼女達の意見に賛成の人の拍手を求めた所、半分近く女性が占めている聴衆から、全く拍手がありませんでした。

そう言えば、昔、私たちの英語のクラスで、外人の女性の先生が、いかに日本女性が惨めた立場におかれているかを話した後、クラスの女性達にもし貴女達が生まれ変わるとすると、外人と結婚するか聞いた所、一人も手を挙げる人がないのを見た先生のキョトンとした顔が今でも思い出します。

つまり日本でも自分の考えをしっかり持った女性も多いこと。
然し、テレビではそんな人の発言を殆ど放送しないこと。
それと女性が少なくとも(私の家のように)家庭では支配的な立場にあるのを良くわきまえていることです。

<<女性の責任>>

日本のメディアは権力や強者には厳しく、弱いものには同情的で、極端な場合強者は悪、弱者は善と言わんばかりの報道をしがちです。
そしてそれが日本を可笑しくさせて来た一因となっているようです。

例えば、学校の荒廃の問題では、最初は国に全責任があるようなこと言い、次は校長や教育委員会、それから先生に批判の矛先を向け(何故か日教組は対象外)、最後には家庭に一番大きな問題があるかも知れない事が判って、メディアの報道は鎮静化して、荒廃の問題はメディアにとって既成事実の取り扱いになってしまいました。

もっとも教育基本法の問題が出てきて、また国の批判が始まりましたが。

女性の問題について言えば、昔、農村の花嫁の報道が盛んな時がありました。
然し、農村の男性の立場から、嫁が来なくて困っていることを報道しているのは良いが、農村の人口の半分を占めている筈の、女性がテレビの画面に殆ど出てこないのです。

農村を守る責任が仮に男性があるとすれば、当然同じ農村に住む女性にもその責任があると立場からの検証が殆どないのです。

女権論者からすれば女性を馬鹿にするなと言わねばならぬ事ですが、そんな意見も殆ど出ないので、当然に問題の解決にいたらず、教育の問題と同様、既成事実化して、メディアにも殆ど取り上げられなくなりました。

<少子化に対する女性の責任>

田島陽子先生の立場からはまだまだ不満でしょうが、既に家庭では女性が磐石の地位を占め、社会的地位の向上とともに、女性の社会に対する責任の重さも増えてくるのも当然です。

特に女性にとって大きな負担を強いる出産の問題については、女性の意見が大いに反映されるべきなのは当然です。

それで女性自身が、自分自身の立場だけでなく、国と言う私たちが生活を共にしているグループの将来も考えて行動すべきだと思います。

<少子化に対する若い夫婦の責任>

これが戦時中だったら、「生めよ殖やせよ」の大キャンペーンをやる所でしょうが、そんなことをしたら軍国主義の再来を狙っていると批判が出ます。

人によっては、少子化が必ずしも悪くないと言う人もいますし、労働力が足らなければ輸入すれば良いと言う人もいます。
然し、彼らは少子化から派生する年金の危機などの余りにも多くの問題、労働者の輸入に伴う人種問題や階級社会化等は余り言わないし、勿論、そのその具体的な解決策など出そうとしません。
このような楽観的な発言には眉に唾を付けて聞くべきだと思います。

結局は一番の当事者として、夫婦自身で問題を考えるしかないような気がします。

<子供に対する親の責任>

昔だったら普通3~5人からの子供がいて、その家庭の中や近所の世界の中で自然と社会のルールを学んで来ました。

現状からして全く仕方がないのならともかく、自分たちの都合だけで、子供を一人だけ生むことで、そのような子供の権利や勉強のチャンスを奪って良いのでしょうか。

今でも、進んで来ている少子化がその子たちの教育面で、良くない影響を与えているのも考えるべきではないでしょうか。

私が6日に投稿した貴方たちの老後の問題、今の立場、国の将来の問題等考えると多くの選択肢があり、それのどれを選ぶかは本人の価値観の問題で、誰も批判できることではありません。そして政府の人達もその選択に対して何も言えないのも事実です。ただ一つお願いしたいのは、貴方達の選択が貴方達自身だけてなく、国の将来も決めることを良く考えて、充分過ぎるほど良く考えて頂きたいのです。

(June 6, 8 投稿参照)


少子化問題について(2)(人的資源と階級社会)

2006-06-08 11:28:39 | 少子高齢化

<人的資源しかない日本>

日本は良く言われるように、人的資源しかない国です。
そして、その唯一の資源を使って、厳しい市場経済の中を生き抜き、しかも、その大きな恩恵に預かってきている国の一つです。
そして唯一の人的資源が減っているのが少子化に関する大きな問題の一つであることは誰でも知っていることです。

その解決策として他国からの作業者や技術者の導入が言われており、一部の会社では既に実施されているようです。
日本で従来から認めていた、技術者などのや特殊の才能を持つ技能者の導入は、今までも殆ど問題なかったようですが、作業者の全面的な導入は考える必要がある気がします。

その例として西欧や米国では作業者の流入に伴う問題も多く出ているようですが、報道で見る限り国を揺るがす程の大きな問題にされてないようです。

<私が経験したカルチャーショック>


それは西欧や米国は後で書くように、一種の階級社会から成り立っており、国民の間でもそれを容認する風潮があるからのような気がします。

それについて私の経験した小さなカルチャーショックを聞いて下さい。
私の始めての海外勤務でブラジルに行った時驚いたのは、海岸でネイティプのアメリカ・インディアンや、黒人、西洋人等さまざまな顔色や髪の色をしている子供たちが、日光浴をしているの夫婦の周りで遊んでいたことでした。

現地の友人にその事を話すと、米国では人種差別がないとか、平等、自由とか言っているが、本当の意味の人種間の交流や、平等といった点ではブラジルのほうが遥かに進んでいると言って自慢していました。

そのブラジルで、私たちのグループがホーム・パーティーを計画し、前のアパートの人達も招待しました。
実はそこの娘がかってその州のミスに選ばれた美人で、その人が来てくれるのを密かに期待していました。
然しその家族がよこしてくれたのは、その家の女中だけでした。
後で現地の人に聞いて判ったのですが、私たちが招待した人の中に、私たちを世話してくれていた女中や、会社お抱えの運転手などがいたので、そんなパーティーに家族が行くなど沽券に関わると思ったのでないかと言う事です。
こんな事など、会社などの上下関係や、職業抜きで、知った人を皆同じに扱いにするのが習慣の日本人には考えられないことです。現地の人が自慢していたブラジルでも階級社会があったのです。

数カ国の海外勤務で判った事は、その国の人達やその国を構成する人種によって、非常に優秀な人達もいるし、私たちが見習うべき良い所も多くある一方、市場経済に就いて行けない人も中にいるのは現実問題としては認めざるを得ないのも事実です。

このことについては、日本政府は勿論言わないし、メディアでも人種差別と取られかねないことを言う人はありません。

然し、低い収入から何時までたっても抜け出せない、単純労働者が増え、能力の高い人がさらに高収入を得ると言う状態が進めば、私が経験したように収入の差による階級が生まれることになります。


話で聞く米国のスラム街、ガードマンが常駐する壁に囲まれ金持ちのコミュニティー。私がブラジルで見た、設備の整った街の高層マンションの裏の給水さへ不便な貧民街。マレーシャのように、人種問題解決のために、一部の人達に特別待遇をするなど、日本人として割り切って行けるでしょうか。

<労働力導入と階級社会の形成>


今、格差社会が問題になったいますが、それが進んで階級社会になるなど考えられますか。それに西欧のように人種問題が絡んでくれば、そんな事には不慣れな日本政府も右往左往することでしょう。 

勿論、各国ともそれぞれの事情や、違って価値観もあり、それを尊重しなければなりませんが、日本も国内事情や価値観を基準にして判断する必要があると思います。

一番困った問題は、人種間による市場経済への適応性の差の問題が、報道されないので、(私も仕方ない事だと思っていますが)、特に結婚適齢期の若い人達が、イージーゴーイングな労働力の導入の議論を聞いて、少子化が進んでも何とかなると思いがちになることだと思います。

[人的資源しかない国の子供減る]

(参照June6,13投稿)


少子化問題について(1)

2006-06-06 16:29:36 | 少子高齢化

<<終わり良ければ全て良しか?>>

6月1日の出生率1.25%の報道にまた議論が起こっていますが、ここで年寄りの意見も聞いて下さい。

<叔母の死>
昨年、身内で二つの不幸がありました。一人は叔母で、一人は従兄弟です。叔母は子供が一人もないまま離婚し、その後自分の持ち家で内縁の夫と二人で暮らしていました。

叔母は90歳近くになり、夫も寝たきりになったので、二人を世話する条件で、叔母の遺産を全て夫の娘に相続させることにに決まりました。

その後、叔母も入院しましたが、娘が約束の週に一度の見舞いにも来ず、病院の支払いも滞りがちなのを 、やはり週に一度は見舞いに来る甥や姪達にこぼしていました。

入院が長引いたので、噂に聞いた病院のたらい回しで、4回も転院させられました。その都度一度家に帰って見たいし、夫も見たいと言う叔母の希望も何故かその娘の拒否に会ったと聞いて、甥、姪達を怒らせていました。

そして私の家内と息子が見舞に行ったその日に、見取る人一人もいないまま、旅立ってしまいましした。

<従兄弟の死>
その後、その甥の一人も不治の病気で床に就いたのですが、本人の希望と病院の先生の行き届いた計らいで、自宅療養をすることになりました。

彼は兄弟も多く、また子だくさんだったので、彼の病床にはいつも多くの人がいて、病人本人の冗談で笑い声がたえませんでした。

彼は頑固にも、家族になるべく世話をかけぬよう、入浴、排便など一人ですませていました。最後の夜も自分でトイレに行き、寝床で眠りについたまま家族皆から見取られながら一生を終えたそうです。

<老後をどう考えますか>

彼のような羨ましいような死に方にひきかえ、入院中の叔母の気持ちはどっだったでしょう。唯一の救いは身近に何人かの親戚がいたことかも知れません。

今の若い人達もきっと80歳以上は生きるでしょう。そして年をとる程、否応なしに、夫婦の内どちらかは先に逝き、友達も限りなく0に近づいて来ます。

その時、我が子を持たないのは、自分の責任だから諦めるしかありませんが、一人っ子がいても自分の生活もあり、100%頼りになるか判らないのは残念ながら事実だし、入院しても訪ねてくれる親戚さえ少子化で居なくなるかも知れません。

それでも孤独に耐えて最後の日を迎えますか。

<終わり良ければ全て良しか、それとも>

若い時苦労しても、終わり良ければ全て良しと思いますか。それともテレビのインタービューで見る若い人の言う様に、今のことだけ考えておけばいいでと思いますか。もしかして今が良ければ後はどうでもなれと思っていませんか。

考え方はそれぞれあるのは当然であり、誰も批判する余地はありません。

ただ老婆心から言えば、今のことばかりでなく、取り返しのつかない若い時の選択を、老後になって後悔しない様、良く良く考えておく必要があるような気がしますが。

私個人は、
[では逝って来ます皆さん有り難う]
と言って見たいと思っていますが。 

(参照:June 8,13投稿)