普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

児童・生徒にスマホを持たせて良いの?

2019-02-21 12:33:28 | 教育

戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
 最近の報道によると政府は通学中の児童・生徒の安全確保のために今までの学校にスマホを持たない方針を変えてスマホを持たせることを検討を始めたそうです。
 なおブログ入力だけネットカフェを利用しているので講読している読売を調べましたが、その記事はどこにも見当たりません。最近のテレビで見たのでしょう。
 たまたま19日のNHKクローズアップ現代でスマーホ過労急増!?大人も子供も記憶力低下と言うショッキングな放送をしていました。
 政府の考えでは学校に着いたときのスマホの処理をどうするか。家での子供のスマホ使用をどうするかに就いて何も触れていません。
 私の句に「勉強の邪魔になるのに子にスマホ」と子供に甘い家庭が多い様です。スマホでつい勉強がおろそかになる家庭。そんな家庭で帰宅した子供からスマホを取り上げるでしょうか。
 同日投稿の「小・中学校のいじめを如何に防止するか」で
・イジメの道具に成っているネット特に閉鎖的空間の出来易いラインなどに参加できスマホをの小中学生のスマホの使用を制限する必要があるのに、小・中学校生にもスマホを持たせようとする政府!?
どう考えても可笑しくないですか。
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スマホ中毒の子供の治療は読書の習慣漬けを

2018-05-19 15:43:08 | 教育

戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でもお互いに世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
「なんで子供にスマホを許すの?」
 5月12日のNHKで表記のような問題を取り上げていました。
 学校にも行かずに10数時間もスマホ漬けの子、入院でやっと何とか立ち直った子。スマホによるイジメに逢った子などなど。
 貧乏人の子沢山の家庭に育った私がテレビを見て最初に気づいたのは、
・そんなにスマホをやっている家庭のスマホ代が幾らかかる?
・そんな子の教育にも厳しい国の会計の中で無償化するのか?
・子供の場合もスマホは普通の大人の人が使っている様に、必要なときの通話、情報の収集に限ること
・そんな子の男親は何もしないのか?
「幼児からの読書教育を始めよう」
 私は昨年の秋に「勉強の邪魔になるよう子にスマホ」でなくて、子の将来のために役立つ「幼児からの読書教育を始めよう」表記のことを投稿しました。投稿を読まれた方おられると思うのでその概要を書きます。
*私の読書経歴
 昭和一桁の時代の本は殆どすべての漢字にふりかながついていた。だからカルタで覚えた平仮名の知識があればどんな本でも雑誌でも読むことができた。私の子供時代では日中は学校の宿題や予習そっちのけで晩まで遊んでいた。然し夕食後の娯楽と言えば鉱石ラジオもやっとだから、本を読む以外に暇をつぶすしかなかった。当時は少年クラブなど子供向けの本と勧善懲悪の講談本。それと兄が借りて来たを本。彼が寝るのを待っての読書。(子供五人が雑魚寝の部屋は電灯はつけはなしの部屋だった)。それでも足らず親の眼を盗んで「人妻椿」など子供の眼からみても妖しけな題の婦人雑誌までと言う文字通り乱読。そのお蔭で小学校では貧乏で中学校に進めない私は進学の子の手助けになるよう彼の横に坐らされる。高等小学校に入るといきなりの級長。それまで書くと私がいかにも頭が良いように思われるかもしれないが、九九の暗算が出来ずに居残りの勉強をさせられた。詰まり乱読のお蔭で他の生徒より早熟だったのに過ぎない。高等小学校の教師からいきなり旧制の工業学校に行ってはという話があり、当時は姉と兄の就職で少し暮らしに余裕が出来たので親も賛成。そして受験勉強も全くしないまま倍率9倍の難関の中合格。工業学校では英語、技術関係の授業で私の読書の経験が活かせずにボロが出る。他の人達は試験で徹夜同然の勉強をするのに予習・復習の経験のない私はいきなりクラスの中位に低迷。(家では机などなし。あるのは食事、皆で集まる場所としての飯台しか無かった。)
*幼年・少年期の読書の良かった点
 私の経験から感じたこと。
・読書により授業中に必須の集中力が養われ、読書で得た知識が活かされる。(テレビなら観ながらでも他のことが出来るが、読書は集中しないと読めない。)
 今の小・中学校などの国語・歴史・社会・理科など一般学科は読書により積み重ねた知識と集中力があれば授業の内容は理解でき、少年時代の柔らかい頭ですぐに覚えられるし忘れない。
 然し今の中学、高校では英語と数学だけは特別の勉強なしでは皆に就いて行けない。英語では誰よりも早く英文に慣れること、その為には子供に教科書以外に英語で書いた易しい本を多く読ませること。(注記参照)、数学では問題の解き方、計算、文字式の変換などはスピードも要求されるので練習も必要。「英語・数学は習うより慣れろ。」

「幼児からの読書の習慣を着けよう」
 これから先は前に書いたものとかなりダブりますが今も変わらない私の意見です。
 今の少年・少女を取り巻く環境は激変しています。
 皆が行くから皆高校に行く、行くとしても良い学校に行かねば、ろくな大学に入れない。良い大学に行かなければ録な就職先もない。下手すれば大学を出ても単純作業の非正規社員になるかもという厳しい環境です。それで小学校から偏差値に象徴される生徒への締めつけ。
 国でも現在は例年の小学校6年生の国語、数学の学力テストとその成績の発表があり、学校にハッパをかけ、新聞も如何にして学力を挙げるべきかを書いています。
・勉強の邪魔になるよう子へスマホ
 小・中学生を待つ厳しい将来、そのために学校の偏差値などの締めつけなど子供を取り巻く厳しい環境のなかで、小・中学生の家でのスマホの使用時間1~3時間。某テレビの娯楽番組でスマホを持つ人または持ちたい人が全体の65%も。昭和初期より遥かに厳しい環境なのにスマホで時間を潰すなど、当時生まれの私からみれば世の中はどうかしているとしか見えませんが。
 そて今回NHKが取り上げた問題。。
 一日で学校にも行かずに10数時間もスマホ漬けの子、入院でやっと何とか立ち直った子。
 おまけにスマホによる非行、イジメなど多くの問題が頻発しているのに。
 私が前から書いているようにイジメの起こる原因の一つは学校で社会や教師から孤立した学級という密閉空間で発生しています。スマホの世界は典型的な密閉空間でイジメの起こるのは当然でか。
「男親はどうしているのか」
 私の家でもそうですが、どの家庭でも事実上妻が主導権をもっていると思います。然し女性は優しくて子供の無理な願いについ受け入れる人も多いと思います。
 昭和初期生まれの悪い癖で、こんなときこそ男親の出番だと思うのですが。今子供の将来を取り巻く環境が如何に厳しいか、そのため今何をすべきか、スマホを持たないために起こるかもしれない問題をどうして避ければ良いかなど論理的に話せるのは男親であり、そうするのが男親としての責任だと思います。
 繰り返しますが、何時間もスマホを扱う時間があれば、その時間に頭の柔らかい幼児、少年・少女に読書習慣を身に着けさせて置くべきだと思うのですが。

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注記:私は就職後、本代を節約するために、通勤時間を利用して読むのに時間がかかる英語の原書を読む事にしました。どうしても乗らなければならない電車・バス内の読書。往復の1時間×300日×10年間=3,000時間の読書で昔の英検1級のペーパーテスト合格(勿論、会話は不合格)、昔の共通一次では95点(マイナス5点は会話がらみの問題)。
 その英語がこれでの成り行き任せの私へ大きな変化をもたらせました。岡山への転勤(正確に言えば左遷)。建設工事会社の英文の仕様書の解読、来日の外国人技術者への対応、ブラジルへの長期出張、関連会社へ出向してのイラン、シンガポールーへの長期出張。退職後80歳までの外国人技術者の協力のためのボランア団体への参加。


2/24「コミュニケーションの道具と材料」(2)

2018-02-24 12:35:19 | 教育

戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。もし宜しければ是非ご一読の上、趣旨にご賛成ならお手数ですが拡散をお願いします。
「子供時代の読書の大切さ」
 前回は藤原雅彦さんが国語教育の大切さのご意見に関して、「コミュニケーションの道具と材料」の内その材料に就いて私の経験を書きました。今日はコミュニケーションの道具としての国語の基本となる読書の問題に就いて私の経験に就いて書いてみたいと思います。読みようによっては自慢話のように見えると思いますが、ご辛抱戴いて読んで戴ければ幸いです。
・昭和初期の子供達が字を覚えたのは正月のいろはカルタによるカナ文字。次に百人一首による平仮名でした。それで昭和初期の多くの子は小学生になる前から総ての本にふり仮名がついていたので何でも読むことが出来ました。それで日中は外で遊び暮らしていた私たちの夜の楽しみは読書だけ。当時はテレビ無し、ラジオも物好きな父親が作った鉱石ラジオだけ。中でも私は無類の読書好き。貧乏人の子沢山の家庭で、毎月の給料日に四人の男の子へ買ってくれた佐藤愛子さんの父親の紅緑さんの「一直線」や「ああ玉杯に花受けて」の少年クラブや、兄が余所から借りてきた譚海(たんかい)と言う勧善懲悪の講談本。私は兄が読み終えるのを待つか、寝るのを待ち構えて本を読みました。子供五人がごろ寝で、電灯が一晩中点け放しの家でしたから。それで私は小学校に入る前から殆どの本を読むことができました。小学校を出るころは母と姉の眼を盗んでの子供心にも妖しげな「人妻椿」のタイトルの婦人クラブなど手当たり次第。
 だから今で言う国語のハナ、ハト、マメ、マスなどは私にとっては問題外、(サイタ、サイタ、サクラガサイタは弟の時代)。
 それと入学前後で読書で自然と身についた物事の理解力、集中力で数学、理科、歴史なども学校の授業は予習復習なしで皆に就いて行けました。
 唯、皆と同じに手を焼いたのは読書では役に立たない「九九の声」の丸暗記。
 弱かったのは兄の得意の書道、図画、工作。
 然し学校の生徒の評価は兄の得意な学科ではなく私の得意な分野だけ。
 家に帰っての勉強は宿題を除いてはゼロ。何しろ勉強する時は腹這いか、皆で使うちゃぶ台だけ。親から勉強しろと云われたことなし。それでも貧乏で中学受験のできぬ私が受験する子の横に坐らさせました。何かと相談に乗れと言うのです。
 高等小学校卒業間近に担任の先生から急に工業学校に進学を勧められ親もそれに同意。受験勉強なしに受験したのに、結果は9倍の倍率の中何と合格。
 然し調子が良かったのはそこまで。理由は英語、技術的な専門教科はそれ迄の読書力が活かせなくなったのと、皆徹夜を厭わない学期試験への受験勉強をしたのに、勉強の習慣のない私。慌てて夏休みに英語の勉強のし直し。何かして学級の中位程度に追いついたのがやっと。
「今の小学校の現状」
私がイランに居た当時部下が「漫画を読む」と言ったのに驚きました。漫画は見るものと思っていたのに。世の中は本を読むより見て直ぐ判る漫画 を読む時代になったのです。それと本のように集中しなくても判るテレビの「ながら勉強」の出来る時代。
 そして「勉強の邪魔になるよう子にスマホ」の普及。政府は初等教育の無償化を進めているのに親は子のスマホの為に月に1万円近くを使うヘンテコな今。昔人間の私は子の願いに負けて母親がスマホを許しても、子の将来の為に絶対に持たせないのが男親の勤めと思うのですが。
 私の経験のように読書による児童の理解力、集中力があれば授業も遥かに楽になるし児童の成績も、授業のコスパが上がるのにと言う教師、児童にとって不幸な時代?!
 勿論多くの小学校で読書の時間を設けていますが私の子供時代の読書量に比べると「やらないより増し」の効果しかないようです。
 小学校には多くの問題が云われています。
 教師の負担増大。「授業とは直接関係ない」多くの報告。時間のかかる授業の準備。部活活指導のための教師の負担増。そして起これば深刻な影響のあるイジメ問題。一方的な思想に囚われた日教組の存在。それに取って付けたような児童へのプログラミング教育、そして英語教育の導入。
 政府がやらねばならぬのはまず日教組でゆがめられた学校業務の合理化、児童の読書の習慣化、そのためスマホの禁止、そして新しい学科の採用の要否とその優先度の見直しだと思うのですが。

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小学生への英語教育の問題・コミュニケーションの道具と材料

2018-02-20 11:03:31 | 教育

戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。もし宜しければ是非ご一読の上、趣旨にご賛成ならお手数ですが拡散をお願いします。
 文藝春秋の2月号で「国家の品格」の著者の藤原雅彦さんが、「小学生に英語教えて日本が滅ぶ」「一に国語に、二に国語、三四が無くて五に算数」を書いて居ました。
 それを見て私の自分史の資料に纏めていたのを思い出しました。
「壁の花(1)」
・イランにいた時私ども日本人グループが派遣先の会社主催のパーティーに誘われたことがある。簡単な挨拶の後各自適当に相手を見つけてのお喋りの立食パーティー。気がつけぱ何時のまにか日本人同志が集まっている。詰まり現地の人達と話す話題がないのだ。これだけでも恥ずかしいのに、一番惨めなのは私。日本人の話題はゴルフとマージャン。そのような経験も知識もない私だけポツンと壁の花。
 それで何度かの帰国の飛行機では何時も屋台でジュース片手に二時間も喋るブラジル人、あちかちから面白い話題を聞いては触れ回る私のカンウンターパートたちのように、積極的に話題を溜めねばと反省しているのだが帰国したら直ぐに忘れてしまい、家内から何時も何か面白い話はないのて言われている。
「壁の花(2)」
 今度は話題に関して厳しい話。ブラジルにいた時、噂好きの現地の人達から、日本有数の大メーカーが私の出張先の周辺で進行していた巨大な石油化学コンプレックスの保全工事の一括受注に失敗したという噂が流れてきた。その理由が受注後責任者になる予定のマネージャーが客先の質問に殆ど喋らなかった。詰まり肝心なマネージャーが仕事のことは何も判っていないと言うのが拒否の理由だそうだ。実はその会社はメンテナンスの実績があまりないので日本で1,2を争う私達の化学工業会社がそのサポートに廻り、保全部門の私の友人が現地に乗り込んで計画に協力していた。その彼が通訳付きでもマネージャーの援護射撃すべきなのに控えめの好紳士だったのも影響したのかも知れない。それと私の経験から考えると、当然予想される質問。保全から見た開発途上のブラジル、僻地とも言える現地の抱えている問題や、巨大コンプレックス特有の保全の問題とそれらの対策に就いて準備が足らなかったのか?その双方とも経験のある私が同時期に、同じ地域にいたのに!!彼は私が左遷同様の転勤になるまえ山ばかり行く劣等生の私の記憶しか残って居なかったのだろう。私がその場に居れば片言英語で関係者の質問に総て答えられたし、当時現地では手回し計算器の時代で、現地の人が飛びつきそうな当時入力はテープ、記号は1010の時代に同業他社の先端を切って開発した、英字使用のコンピューターによる資材、保全管理システムの採用を提案できたのに。

 この仕事を推進してきた人達は、全国で有数の会社共同によるプロゼクトが何故したのか不審に思っていると思いますが、私は帰国後もこの彼の大失敗の告げ口をになるような話を、会社の関係者は勿論誰にも話したことがありません。然しこの様な大切なことを身の回りの人に知って貰う自分史に残しておこっうて思っています。
「コミュニケーションの道具と材料」
 藤原雅彦さんは「国家の品格」でも持論の読書の必要性を書かれています。
 万国共用語の英語が出来ても、仕事では当然に専門的なことを知らなければ何も話せません。一般的な人も旧新日鉄が作った外国人から質問が出そうな日本の話題を集めた和英対訳の「日本」のように話す種がなければいざと言う役に立ちません。
 一般の人で言えば片言英語でも買い物や宿泊でも先方の方が何とかして売り込もうとします。普通のことならスマホの英語でも殆ど用が足せます。用が足せないのは親しくなった人から日本のことを訊かれて返事が出来るかと言うことです。
 問題はこちらか先方に売り込むとき藤原さんも書いていたように、多分実業界からの要請だと思いますが、勿論誰でもが流暢な英語がしゃべれば最高でしょうが、私のような片言英語でも相手を説得できますし、それでも必要とする人材は大会社でも数人居れば十分です。その為に今でさえ問題の多い小学校の教師や生徒にさらなる負担を加えるなど完全にピントが外れていると思います。どうしても流暢な英語の出来る人が欲しいのなら、東大などの一流大学の英語による授業。教授と学生の英語よる討論、英語の論文の提出をさせるべきです。そうなればそ大学を目指す高校、塾もそれに対応する教育をすると思います。それだけで流暢な話の出来るエリートの教育で十分な期間があると思います。
 そして藤原さんの云われるように、学校も小学校から英語を教えるのでなく、日本のことを教えろ、そして表題に書いた[コミュニケーションの道具」の英語より片言英語でもそれを話す「材料]の知識やし識見の養成の方が遥かに大切だというのが私の「壁の花」の失敗の反省や友人の大失敗を聞いた私の意見です。
 なお読書の問題に関する私の経験や初等教育の意見は長くなりますので、次回の投稿にしたいと思っております。

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能力のない生徒まで高等教育無償化?

2017-12-09 11:49:25 | 教育

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  11月28日の読売新聞で「高等教育無償化」「進学後に頑張る人には門戸」の大きな見出しで自民党の田村さんと茂木経済再生省の質疑が出ていました。
田村さん:所得の低い家庭は無償化するよゔだが、対象者の成績は問わないのか?
茂木さん:高校の成績が芳しくなくても、大学などへ進学後に頑張る人もいるので、門戸はできるだけ閉ざしたくない。一方国費で支援する以上、(進学後に)しっかり成績を納めているかは見ていく。

 財政状況が厳しいなかで、高校の成績が悪い人にも高等教育の無償化をする余裕など有るものかと思っていたところ、12月5日の新聞で可なり具体的な内容の報道がされていました。
 支援対象者(とするかどうかの判断)は、高校在学時の成績だけで判断せず、学習意欲を確認する。大学進学後は、学習状況に一定の要件を課す。単位数の取得状況、平均成績、処分などの状況に応じて支給を打ち切こととする。→茂木さんは「高校の成績が芳しくなくても、大学などへ進学後に頑張る人もいるので」と言い読売も「進学後に頑張る人には門戸」と報道していました。
 支援措置の対象となる大学は、学問追究と実践的教育のバランスが取れている大学などとする。具体的には実務経験のある教員による科目の配置、厳格な成績管理の実施・公表などを要件とし、関係者が参加する検討の場での審議を経て、ガイドラインを策定する。
 なお別の面では就職に役立つ技能を得ようとする学生を支援し、若者の安定的な雇用を後押しする狙いからだ。と言う解説でした。
「上記の記事で判らない点」
・支援対象者(とするかどうかの判断)は、高校在学時の成績だけで判断せず、学習意欲を確認する。→この文章を「高校在学の成績と学習意意欲で判断する」と読むのが普通ですが、「成績はともかく学習意欲を重点に置くと」と読めば茂木さんの説明になります。
 いずれにしても申請者も学校もみな学習意欲があると言うに決まっています。そうすれば高校の成績が最低(良く言われる四則の計算が出来なくても)でも希望者は学習意欲があると言うに決まっています。それで全員対象となる?そんな馬鹿な!
・大学進学後は、学習状況に一定の要件を課す。単位数の取得状況、平均成績、処分などの状況に応じて支給を打ち切ることとする→大学進学後は単位数の取得状況、平均成績、処分などのチェツクは誰が行う、文科省では出来ぬので学校。その際国立、公立、私立を問わずその経営面から厳しいチェックは出来ず、余程メディアが飛びつくような酷い学生を申し訳に申請するだけ、他の連中は遊んで居て卒業できる?国にそのよう学生にも無償化する余裕はあるのでしょうか?
・解説の就職に役立つ技能を得ようとする学生を支援→「技能」と言え工場で言えば作業員、医療で言えば看護師、町で言えば美容師、料理人に必要な技能。昔で言えば起業がやっていた給料を貰いながらの工員の補習事業に、大病院の住み込みの看護師教育など。これらは今までの例から言えば専門学校の仕事。決定事項、解説とも国公立、私立とも専門学校の字がない。その教育の費用を持つ国。財政の厳しい国も大変。
 それはまだ許せるとして、技術立国の国の最先端の工業・医療技術、深い知識と判断力を要する国公立の職員を目指す人を意欲だけで支援して良いのか、国や国公立の大学、一流の私立大学へ目指す学生に対しても上記の専門学校並みの取り扱いで良いのか?
 どのケースにしても無償化は、進学先のレベルに併せた程度の能力を持つ生徒だけにしか適用しないようにしなければに金はいくらあっても足りないし、そうしなければ卒業しても単純労働につくしかない学生を輩出と言う金の無駄遣いに終わると思います。
「私の意見」
 上記以外の基本的な問題に就いての私の意見です。
 前にも書きましたが、社会主義的政策を進めるためには、対象者に社会主義的負担を負わせねば金が幾らあってもたりない。
 例えば国全体の問題で言えば、社会福祉政策という社会主義的政策を進めるためには、所得税増税(欧州諸国のように20%以上に)いう社会主義的な負担を国民に負わせなければ財政赤字の伸びは終点知らずになります。
 今回の例で言えば、高等教育無償化の場合は対象高校生に一定の成績獲得と言う負担を負わせるのは当然です。前記のように抜け道だらけではいずれ行き詰まるのは目に見えています。中央教育審議会会長を勤めた山崎正和さんの言う様に対象高校生に一定の能力を要求と言う負担を生徒に負わせるのは当然です。
 その方法は簡単で対象者は大学入試共通一次試験で希望する進路に必要な学科で一定の成績を挙げた生徒に限ること。結果的に政府の言う進学後の能力調査より正確、公平に出来ます。
 絵画、音楽など特殊面に進む生徒には前記試験の他、進路に適合する試験を別途受けさせること。
 現在高校生の一部は選挙権を持っています。と言うことは卒業生は大人の考え方と責任を持っていると言う前提に立っています。
 大学での無償化を受けるには生徒がそれなりの負担を持つ責任があるのは当然だし、高校側もそれを教えるのも当然です。(以上は12月7日まで書いたこと)
 12月8日の読売は「無償化先行残る課題」として関係者から出た次のような問題点を挙げています。
・政府案は「高校在学時の成績だけで判断せず本人の学習意欲を確認する」としたが、どのような条件になるのかは不透明。向学心をきちんと確認するための仕組みも必要→現実は前にも書いた様に進学したい人が全員が当選。
・無償化は今でも勉強しない日本の学生がますます勉強の動機付けを失い兼ねない。→全国一斉の学力試験を行い一定の成績を挙げない生徒を淘汰する。。
・大学の「厳格な成績管理を実施・公表すること」としているが具体的な基準は決められていない。→前に書いたとうり大学側の甘い査定に終わる。
 私立大の約4割が定員割れと言う状況で無償化が進めば、「淘汰されるべき経営難の大学の救済処置になって仕舞う」の懸念もある→今回の投稿で触れて居ませんでしたが、以前にも投稿したように、共通一次の試験で一定の成績を納めた生徒の割合で大学への給付金の査定し制度として良い大学を伸ばし良くない大学の淘汰をすべきと思います。そうすれば大学も受験生も頑張ることに繋がります。
 是れだけ取り上げても、厳しい財政状態の中で教育に関する無償化の政府案が如何に杜撰なことか判ります。9日の新聞では「またとうとうばら蒔きに終わった」と言う自民党議員の言葉を紹介していました。

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奨学金破産の問題を解決するために

2016-09-09 16:19:27 | 教育

8月24日のNHKで「クローズアップ現代+」の反響続出!奨学金破産、中退の挙げ句借金まで、ホームレス化する学生と言う宣伝文句の「クローズアップ現代+」の追加放送がありました。
 そして結論は給付型の奨学金の提案です。
 報道によれば政府もその方向で検討しているそうです。
 一兆を越す借金を抱えているのに。
そしてわずか3%増の消費税増税も見送ったのに。
 素人でもわかることですが財源は何処から?
「私の意見」
 私達が若いころは中学校を卒業すれば皆正規の社員になれました。成績の良い子は大会社の、あまりよくない子は地もとの中小企業の工員や大工、サービス産業の正規社員として働いていました。
 私が五十歳のころ出向した企業でも、三流の大学卒業生が工員でしたが正規社員として採用されていました。
 だから奨学金返済の問題は卒業した本人の意識の問題をのぞいてほとんどありませんでした。
 大きな会社ではそれぞれに教育機関を設けてその会社向けの教育をし、工員でも職長、作業長として工員のトップに登ることができました。
 私の会社の例でいえば、年間の収入でいえば残業代のつかない初級管理職の私より残業代のつく職長のほうが余計に貰っていました。
 状況は激変しました。
いつも書くことですが、膨大な低賃金の国民を有する中国などの台頭による企業の競争力の低下です。
 大会社はほとんど教育機関は放棄しています。その業務を工業・商業学校やそれに類する学校が代行しています。
 昔はその学校を出れば職員として採用されていましたがが、今はどうでしょう?
 状況は激変したのに就学・就職の考え方や状況は高度成長誌時代とあまり変わっていないようです。
 高校までは事実上全入の時代、親がかかりですから良いですがそれ以降の問題です。
 学校を出れば何とかなるだろうと専門学校や大学に行く。中にはこれと言った目標もなしに皆が若い行くから大学に行くと言う人も?
 大都会での憧れ、独りの生活の憧れで親元を離れる。
 現実は大変です。親の負担を少しでも下げるために、サービス産業で働いても当然といえば当然ですがただでさえ安い給与の正規社員と比べるとはるかに安いアルバイト代しからえない。
 大都会に憧れ、憧れの独りの生活をし、憧れのだけで進路を決めていては、一流大学か自分の適性にあった専門学校卒業生をのぞいて彼らを待つのは単純労働の非正規社員の道しかありません。
 まさにNHKの言う「奨学金破産、中退の挙げ句借金まで、ホームレス化する学生」の世界です。
 私の孫の例ですが、親と同居だからなんとか生活できましたし、彼女もアルバイト終了、帰宅、食事、すぐ就寝、早起きして2~3時間の勉強と頑張ったおかげ、目標も療法士と言う今向きの仕事ですから卒業前に就職の内定がでました。
「私の提案」
 わずか一例だけの成功例を取り上げての提案ですし個々にはいろいろの事情もあると思いますが次のようなヒントもあると思います。
・よほどの農山村地帯でない限り親元から通学できる学校を選ぶこと。
・地もとの一流大学か、美容師、料理人など自分の適性にあった専門学校か、世の中のニーズにあった保育士、療法士など養成の学校を選ぶこと。
・それで対象の学校が通学範囲にないときは、NHKが指摘したような問題が起こることを自覚し対策を考えること。
・進路については教師、親などと十分に相談すること。
国に対して
・財政が厳しい中で折角の学校への補助金、学生への奨学金支給の結果、単純労働の非正規社員を生み出すような馬鹿なことのないように、公立、私立大学のへの補助金を含む管理のあり方見直すこと。
・その例として前にも書いたように初級数学もできない学生をうけ入れている私立工大への補助金の減額など管理強化すること。
・本当に意欲があり成績も優秀だがビ貧乏で進学できない生徒を選ぶこと。
それがNHKの言う学生の奨学金破産、中退の防止という学生のためにもなると思います。

追記:大学生・成績・所帯年収が条件で無利子奨学金を全希望者に支給の記事が出ていました。給付がたの奨学金については、検討中だそうです。
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奨学金返済で一家破産?

2016-06-15 12:11:10 | 教育

 6月2日のNHKの「クローズアップ現代+」で「奨学金で一家破産に!?教育貧困家庭の衝撃」とい言う番組を聴きました。
 一人は奨学金600万の返済で月14万円の収入の中から5万円払わねばならない一人暮らしの保育士の女性の話。
 一人は奨学金850万円の返済に困っている一人暮らしの男性の非正規社員の話です。
 いずれも通学中に生活費を稼ぐ為にアルバイトをしたこと、卒業後はこのままでは生活が出来ないので自己破産するしかないが、保証人の親まで返済の義務を負わせねばならぬと立ち往生しているそうです。 (昔人間から見れば奨学金の金額は途方もない額のような気がしますか、その場でメモをしたので間違いない数字です。)
 そして番組の結論は西欧諸国のように奨学金を給付制度にしてはと言う話しで国会でもその話が出ていると言うことでした。
 私はたまたま前回の[川柳「遊ぶならと弟を背に括られる」貧乏の今昔 ]で姉と兄弟の助け合いで私以下の三人の男の子が旧制の工業学校に進み卒業後は初級管理職を約束された大手企業の職員に採用されたと書きました。
 その中でも書きましたが、当時と現在の考え方の違い、高度成長→長期低迷と時代も違いますので私の孫のことについて書きます。
 私の息子の入社した企業がいわゆるブラック企業に売り飛ばされて、給料が大幅に減額、悪いことに離婚で父一人娘一人の暮らしでした。
 孫の娘は高校卒業後、療法士の資格をとるため地もとの私立大学に進みました。帰宅後、書店でアルバイト、夕食後就寝、午前4時に起きて復習の頑張り。卒業前に世の中に先駆けて内定、初任給20万円。息子が自分と余り変わらない初任給を娘が貰ったと悔やみ半分自慢半分で言っていました。孫も奨学金を貰ったそうですが勿論返済など充分な余裕。
「私の意見」
・この事実と貧乏時代の私の経験から言えることは、同じ収入でも「一人なら暮らせぬが二人なら暮らせる」こと。
 前記の二人とも諸事情もあったのでしょうが、地もとに残り親と一緒に居れば600万円以上の借金をしなくても授業料の範囲の2~300万前後の奨学金で済んだと思います。
 親のいる地方の大学に通えば地元の市町村に取っても、将来の地もと就職に繋がるとして大歓迎と思うのですが。
・奨学金850万円の返済に困っている一人暮らしの男性の非正規社員本人も、大学まで行き、大借金までして得た知識も活かせないで誰にでも出来る非正規社員の仕事をするなど不本意なことと思いますが、高校・大学に何らかの補助金を出している国に取っても大きな損失です。
 私が「日本の貧困化の問題と教育」で書いたように「国公立の大学には高校の全国一斉テストで一定の到達度に達しない生徒はたとえ定員不足になっても入れない。普通学科には弱くても、特殊技能を持つ人達のための国公立や私立の学校には補助金を出すなどの、厳しい処置が特に「人が行くから自分も行く」という学生の将来のためになると思います。
・番組の結論は日本もの西欧諸国のように奨学金を給付制度にしろと言っています。
 NHKや民放でのこの種の番組で良くあることですが、一方的な自社の主張ばかりして、それに伴うの問題点には殆ど触れないことです。
 NHKは奨学金を給付制度にした西欧諸国の殆どは20%前後かそれ以上の消費税を国民に課していることには全く触れて居ませんでした。
 日本では消費税を8%から10%にするのにももたついています。
 安倍さんは公約の消費税増税を見送るとしても、緊急を要する保育・介護に関する費用は消費税の枠外からひねり出すと言っています。然し前記の保育士への給与改善や、それ目指す学生へ奨学金の給付制度は考えられるとしても、もう一人の850万円の奨学金返済に苦しむ一般学生への給付制度をする余裕などあるでしょうか。
 前記の非正規社員になった人がどうか判りませんが、人が行くから自分も行く、それで取り敢えず一般学科を選択する生徒やその親たちは、その前に学資や一人での生活費や、生徒の行く末など充分に考える必要があると思います。

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○日本の貧困化の問題と教育

2016-05-20 12:36:08 | 教育

 今まで市場中心主義経済運営と社会主義的な規制強化の必要性に書いて来ましたが、今回は国の貧困化に伴う金を持つ人たち、能力・意欲がありながら貧乏な人たちの二分化を防ぐ教育の問題を考えてみました。
「シンガポールの教育制度」
 私は一党独裁の社会主義国シンガポールに一年半ばかり居ましたが、一番に気付いたの
はその教育制度でした。
 小学校の四年生になると全国共通の一斉テストで、成績の良いものは所謂進学コース、悪い者は労働者向けのコースに振り分けられる。つまり四年生の成績でその人の一生は決まってしまうという割り切りかた。
 なお企業は採用条件で、最終学歴とその際の共通テストの成績の「優」の数まで指定しています。つまり卒業時の学校の成績までにオープンになっているようで、学校毎の差別化を防ぐためとして全国共通の一斉テストの活用を制限する日本の全国統一試験の取り扱いとまる反対です。
参照:シンガポールの教育制度
 そしてそのシンガポールの一人当たりのGDPは世界の1~2位になったそうです。
 余所者の私が見た、その割り切った教育制度や計画的な都市開発、国民優先で経費の安い住居の提供が象徴するように全体として社会主義的国家運営と市場中心主義の運営がうまくいった結果が今の繁栄をもたらしているようです。
「大学を出たのにそれと全く関係ない現場作業をする作業員」
 私が居た当時のシンガポールの首相のリー・クァンユーは日本の高校生のレベルの低さを批判していました。何しろ高校全入状態の日本の高校生。選ばれた生徒しか入れない同国の高校生ですから。
 私が出向した建設・保全専門の会社の一番の売りは大卒の作業員でした。そして私は彼らを率いてイランの保全工事に出張しました。どちらかと言うと建設主体の彼らに対して、私はその基本的な作業の仕方まで指導しなければなりませんでした。そして大卒なのに完全なブロークンの片言英語。
 そして今は大学は出てもそのその習ったことを活かせずに非正規社員として、ロボットのように作業する人達、機械のようにマニュアル通りに客に対応する非正規社員が普通になっています。
 その一方、日本はその歳出の約24%は国債費、33%は社会保障費のため残りの43%で全てのことを処理しなければなりません。
 その厳しい財政事情の中で、今までのような高校・大学への一律的な支援を見直す必要があるのではないでしょうか。
 なお鳩山さんの時代の劇作家の山崎正和さんが見た教育界の問題点と提案を付記していますので家ご参照下さい。
「私の提案」
・中学で全国一斉テスト、高校の共通一次試験の試験問題の内容は必要最小限にとどめる。例えば国語(現代文)、数学、英語、理科系にはそれに物理、化学など山崎さんの言う「ナショナルミニマム」の科目と内容とレベルにとどめる。
・国公立の高校・大学では高校では中学・高校の全国一斉テストで一定の到達度に達しない生徒はたとえ定員不足になっても入れない。
・その結果学校側で定員不足になれば定員を削減するか、世の中のニーズに合わないものとして廃校にする。
・逆に一定の学力の生徒が希望の学校に落ちても本人の希望があれば他の学校に入れるようにする。
・特に優れた生徒・学生の希望者にはむ無利子の奨学金支給など支援をする。最近報道されている返済無用の奨学金に就いては反対。理由は優れた生徒・学生なら企業も収入が保証された正規社員として受けいれるてくれるはず。人が行くから高校・大学に行くと言う人に奨学金をだすほどの財政に余裕はない。
 昔の師範学校、陸軍士官学校、海軍兵学校のように(後記の)経営者育成など国策に添った学費無料、必要あれば生活費持ちの大学を造る。
・最近の東芝、シャープ、三菱自動車のような問題を起こさないために、米国のMBAのように経営者養成の国立を含む大学を創る。(現在では私立の一校しかない由)その教科
には企業経営による社会貢献などの日本的な倫理観も含む。。
・学力試験到達度不足で学校に行けない人でも再起を目指す人にはそれを支援する夜学を強化する。 
・上記のような科目には弱いが、一芸に秀でている生徒の進学先として音楽、美術、美容、料理などの国公立の高校・大学を作るかそれと同レベルの私立の専門学校への補助金を支給、特に優れた生徒・学生の希望者にはむ無利子の奨学金支給など支援をする。
・上記の学校の入試にもその技能のレベルの基準を設け、それに達しない生徒・学生、学校への補助金を出さない。
・私立大学には共通一次で一定の成績を取った学生の全体に対する割合を基準にして国の補助金を決める。それで学部の廃止や大学そのものが廃校になっても仕方がないと割り切る。
・前にも触れたが各種の手仕事に優れている生徒、高校で脱落した生徒、社会に出た後一念発起して別の道を歩む人達のために各種の公立、私立の夜学校の開設とそのための補助金を提供する。
・既定のレベル以上への公立・私立の高校・専門学校、大学へ進学する学生・生徒、就職後再起を目指す夜学の学生生徒の希望者には無利子の奨学金を支給する。
「提案の理由」
・付記の山崎さんの指摘された教育界の問題点
・財政健全化のための市場中心主義経済運営と社会主義的な規制強化の必要性
 NHKの番組で共産主義のキューパから米国に亡命した人が、その理由でいくら努力しても全て国家から奪われるからだと言っていました。その論法で言えば勉強嫌いでも高校無償→その金のため頑張った人がそれなりの評価や報酬を受けないと言うことになります。
 財政困難で国債が1兆円を越す日本で、能力も努力もやる気も乏しい「人が行くから自分も行く」と言う人を受けいれいれる高校・大学に予算を割く余裕は無いはずです。
・国の貧困化に伴う金を持つ人と能力・意欲がありながら貧乏なひと達の二分化を防ぐ

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付記:劇作家の山崎正和さんが見た教育界の問題点 (括弧内は私の意見)・習熟度別のクラス編成をする大学が国公私立の全体で80%を越えた。一部の私立大学では、工学部の入学者なのに分数の足し算ができない学生がいる。
・第2次大戦後、意欲によるものでなく、「ただ何となく」進学になってしまった。
・問題は高学歴化が学力向上に結びついていないことだ。
・戦後の義務教育には学力を確認する関所がなくなった。(全国統一テストがあるが活かされていない)
・高学歴化の結果、特に「出来ることもなく」「何をしたいか判らない」生徒がめだつ。
・鳩山政権の高校全入の趨勢は必ずしも若者の願いでなく社会の側の要求でもなかった。
・学問が好きで能力もあるが貧しくして高校に進めない若者には授業料免除だけでなく、生活を助ける奨学金も与えるべきだ。
・しかし勉強が嫌いだが勤勉であり各種の手仕事に優れている若者も国が援助すべきだ。 
・「読み書き算術」の基礎学力の充実を図るべき。
・義務教育段階で「ナショナルミニマム」を習得することを文字通りに生徒に義務づけることだ。
・そのための習熟度クラス編成(丹羽宇一郎さんは教育のレベルを下げのでなく、学校と生徒の努力で一定の学力を保つべだと反対。)、到達度試験を中学でも行うべき、今の世の中で落第など乱暴と言うのなら、仮進級や仮卒業後に生徒が落とした教科を取り戻す制度をつくるべきだ。
・これに要する費用は高校無料化にかかる予算を転用すべき
・何事も抜本的に改革を標榜する民主党新政権へのささやかな提案だ。


田中真紀子さんの起こした新設大学認可問題に就いて考えること

2012-11-07 15:26:33 | 教育

・結果的に外国人の密入国を支援するような学校は認可するな・優秀でない、学問に意欲のない学生を受け入れねば経営できない学校には補助金を出すな
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田中文科相は冒頭、「大学の乱立に歯止めをかけて教育の質を向上させたい」とこう述べ、初めて大学設置・学校法人審議会の答申を覆し、3大学を不認可とした自らの判断に間違いがなかったこと強調した。
 設置審の答申を尊重して認可するという、戦後長く続いてきた認可手続きについて「事なかれ主義」と切って捨て、自らが進んで「劇薬」となって改革に臨む姿勢をアピールした。
 (産経新聞より)ことで大問題になり、野党、マスコミ、当の大学関係者からの批判に逢い、やや姿勢を後退したとして、また批判を浴びています。
 しかしその批判の中でも「大学の乱立に歯止めをかけて教育の質を向上させたい」と言う基本的な考え方には賛成の意見が多いようです。
 問題の3大学を含め新設、増設の大学は経営改善、それを抱える市町村では地域振興の理由も持っているようです。
 それに対して国が関与するのは許認可のほかに財政が厳しい中の補助金の支出です。
 それがなければ(実は後述の問題がありますが)国が関与するまでもなく大学や地域でいくらでも大学を作れば良いことになります。
 現在の民主党政権の支持母体の日教組の考えのように何でも公平に補助金を出そうとすれば国はいくら金が会っても足りません。 
 今回の答申をだした大学設置・学校法人審議会も国の財政事情を考えたのでしょうか。
 今回の大学を抱える地域の自治体の人は地域振興も良いのですが、結果的にはそれを大学への補助金を当てにしていることになります。
 筋論から言えば地域振興なら地方自治体から金を出すから、補助金など要らぬからこちらに任せろと言えば済むことです。
 ことが金と大学のレベルの向上維持や地方振興のためなら話は簡単です。
 文科、理科関係の大学なら、審議会の今までの教員のレベルや数などの基準に加えて、受験生を全員「大学入試センター試験」を受けさせ、ある一定のレベルの合格した人を一定の数を受け入れること、以後合格した人の数に比例して補助金を増減すれば済むことです。
 詰まり少子化の進行とともに補助金は次第に減ってくることになります。 (なおお断りして置きますが今までの意見と今後の話は大学での研究や・技術の開発などの機能やそれに対する補助金の問題は別としています。) 美術や体育などの学科はセンター試験に準じて専門の人達の統一試験・検査を受けることになるでしょう。
 大学の問題に就いては、少子化の進行で学生が減少→経営改善のために場合により一定のレベル以下の外国人留学生の受け入れ。
 その極端な例が山口県の某大学のように、外国人留学生受け入れ→東京のサテライト教室での授業→学生の大半が行方不明が示すように、レベルの低い学生の不法入国の手段となっていることもあるそうです。
 自民党政権の或る時期までは外国人の受け入れは特別の技術・技能に優れた人に限られていました。大学の留学生受け入れはあまり熱心ではありませんでした。
 それで全体的に言えば日本人、外国人を含んで均質な(均質が必ずしも良いとは限りませんが)中流意識をもつ社会を作って来ました。
 それが汚い・きついの3Kを嫌う人達の発生、少子化の進行に加えて(何度も書く中国などの興隆→企業の競争力の低下を補う非正規社員の採用と共に)色々な名目を付けての外国の単純労働者の採用と言う格差社会が生れ定着化しています。
 その結果生じた格差社会と核家族化などの社会の絆の崩壊に伴う犯罪などのトラブルの増加に加えて、一頃までは今のように目立たなかった在日の外国人の起こす犯罪などのトラブルが増えてきました。
 今や殆どあきらめた感のある少子化、格差社会、核家族化など難しい問題を抱えている日本としては、単純労働の外国人の増加や、それを結果的に支援しかねない優秀でない、学問に意欲がない学生(話が逸れますが日本人学生も含む)を受け入れねば立って行けない大学の新設には、田中さんの「大学の乱立に歯止めをかけて教育の質を向上させたい」と言うように、特別の注意をする必要があると思います。
 そう言う意味でも、「大学の乱立に歯止めをかけて教育の質を向上させたい」国の財政事情改善のためにも、大学に対する補助金の在り方は考える必要があると思います。

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イジメの根源のすべてに日教組が噛んでいる

2012-07-17 16:03:00 | 教育

・報告書類作成で教師を忙しくさせ、教師間の協力を阻害させ、イジメの生徒、モンスターペアレンツの発生の総てに貢献した日教組
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 経済音痴の私が毎日勉強させて頂いている「経済ニュースゼミ」の小笠原誠治さんが珍しくイジメ問題を取り扱っておられたので、その概要を私なりに纏めてみました。
・文部科学省を頂点とする教育制度と学校や先生を評価するシステムに根本的な欠陥がある。
・いじめの度に学校や先生や教育委員会に批判が集まるが、いじめはなくならない。
・学校の先生は何を訴えたいのは、忙しすぎる生活を送っているので、どうしても他人のことについて考える余裕がなくなってしまう。教師が何故そんなに忙しいのかと聞いてあげたらどうか。
・本当に全ての先生が忙しいのか、一部の先生が能率が悪くてそのせいで忙しい羽目になっているのか、つまらない報告文書などを作成させるので全般的に忙しくなっているのか、そんな実態が少しは分かると思う。
・少しでも先生の仕事内容を改善するきっかけを皆で見つけてあげれば、自分は忙しすぎると感じている先生も心の余裕ができるかもしれない。
・子供がいじめられて困っている事態を見聞きしながら、何もしない先生とは一体何なのか。
・他人のことなど考える余裕がないほど思いつめた状態にある先生の訴えも、本来は学校として或いは教育委員会として、もっと真剣に考えてしかるべきだ。
・結局学校といっても、文部科学省を頂点とした役所の組織だから、本省が言う事には現場の実情を無視した要求には逆らえない。
・文部科学省は、現場の実情など顧みることなく非現実的な命令を下すのは、自分たちの責任を回避することばかり考えているからだ。
文部科学省は全国の教育委員会から報告をもらう→各地の教育委員会は、今度は同じような命令を各学校に出し→学校長は、今度は各教師に対し、いじめの状況について報告をさせることになる
・当然のことながら文部科学省は、いじめが増えたような報告が全国から上がってくれば、何故いじめが増えたのかと、根掘り葉掘り聞くことになる。
・教育委員会も、いじめをいじめとして認めたくないという雰囲気が生徒の側にも分かってしまうので、加害者の生徒は益々暴走してしまう。
・文部科学省にいじめの問題を任せている限り、事態は改善するどころかむしろ悪化している。文部科学省の権限を大幅に縮小して、各都道府県や各市で最終的に責任を持つ体制にするか、今のまま文部科学省に責任を問う体制を維持するにしても、いじめが何件起きたかどうかを、学校や教育委員会に報告されるような仕組みは廃止し、学校の生徒や父兄、先生から直接苦情や情報を受け付ける体制にして、いじめの全体像を把握するようなシステムして、正確な情報を得るべき。
・いずれにしても、いじめた生徒を厳しく叱らないこと自体が間違っている

[私の経験] (なお昭和の年号と私の歳は同じですので参考まで)
・昭和22~23年:吉田内閣の後社会党の片山内閣が発足した当時は教育の独立と言う名で学校の閉鎖化が当然のようなムードがあった→現在はオープン化が目指されている
・昭和30年ころ「家族の思いやりより権利優先」と言う半煮えの民主主義教育が行われていることを子どものテスト答案を見せられて知った。
・学校も体罰禁止だけでなくて、お手手繋いで一緒にゴール式の教育、学芸会では皆公平に出演させるなどのやり方など、戦前派からみれば余りにも優しくなりすぎた。
・片山内閣からの文部大臣は学校に国旗・国歌の導入を指示、さらに道徳教育の導入を目指し、社会党や日教組からの批難を浴びた天野貞祐さん以外には、首相の臨時代理や若手の政治家の文部大臣ばかり→現在まで少子化の問題が言われるいるのに、付け足しのように決められた少子化担当大臣に少し似ている。・従って文部省は各省から一番軽蔑されていたと言う話しを昭和50年ころに通産省の人の話しを人づてに聞いた。
・同じころ本屋で当時教科書裁判で名を馳せた学者の裏書きのある教師用の指導要領書に「憲法に権利の既定はあるが義務は何も既定されていない」と言う驚くような記述を発見。
・平成に入って小学校の教諭になった娘女を通じて地域によりまた同じ学校でもクラスによって、実情が大きく代っていると言う実情が判って来た。
「私の意見」
・つまり学校と言う閉鎖社会で反国旗・国歌のほかにも、日教組は権利は他人に要求するもの、義務・責任は他人に問うものと言うと言う権利重視、義務・責任の軽視の教育と言う純粋培養が行われていた。→優しすぎる教育とともに、現在のモンスター・ペアレンツの発生、学級崩壊とイジメの一要因となった→今回の大津の場合でも加害者の児童・家族とも日教組の教えを忠実に守っているようです。
・昨日野田さんが言ったように「イジメする人は卑怯者」と言う日本の美徳の継承がなくなったし、今でも道徳の正式科目化には日教組、朝日新聞の抵抗で余り進んでいない→イジメの発生の一要因
・片山内閣から自民党内閣に代って、日教組に率いられた学校と文部省の間の確執(例えば日教組は生徒に皆オール5を付け政府は生徒の評価を正しくすべしと言うような)が起こった。文部省としては学校管理のためには独立の教育委員会もあり直接手を出せないので、委員会を通じて学校から報告書を出させた。結果は小笠原さんの言うように、いじめだけでなく全般に亙って教師に報告書作成という余分な仕事が増えた。
・教師間の協力も教師内の日教組支持と反対者の間でのぎくしゃくした関係が、教師一体の協力や業務改善の動きの障害となっている。
・教師は聖職でなくて国から搾取される労働者とする日教組と自民党下の文部省の争いは別途に発生した。結果はゆとり教育と言う名の土曜日休日獲得で、この面では日教組の勝利となった。
・民主党の政権発足で日教組出身の輿石さんの政権党幹事長、同出身者の神本美恵子さんの文部省政務官就任で長かった文部省・文科省の戦いは現在では日教組の完勝に終わっている。
 勿論、教師の忙しさには戦前と違って情報過多の生徒に集中力を付けさせるための余計の手間が増えて来ましたし、いじめ防止も前回書いたように少子化に伴う子ども社会でのルールの訓練不足やクラス毎の閉鎖社会の発生など要因もあります。
 私が纏めたように教師を忙しくし、イジメの減少を妨げ、モンスターペアレンツや学級崩壊などに日教組の存在が大きく関わっているのは間違いないと思います。
 民主党が政権与党でありたいなら、官公労、自治労は無理として、日教組を社民党にゆずり、自民党は政権奪回した時は、先ず安倍さんの始めた教育改革を進めるべきだと思います。 

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高校無償化でも所得制限拒否の民主党

2012-03-08 17:20:35 | 教育

 日教組の「お手手つないでゴール」・私の経験・「子育ての社会化」と「子育ての外注化」・シンガポールの社会で子育てと教育
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 民主、自民、公明3党は6日、高校無償化に関する実務者協議の論点整理をまとめた。所得制限について、導入を求める自民党の見解を明記した一方、「制度の理念を大きく後退させる。実務的にも困難」とする民主党の意見も併記した。(産経新聞より)
 民主党は子供手当てでも同じ所得制限の自民党の要求でも同じ理由で反対しました。
 この理念とはネット出調べて見ますと「社会で子育て」の理念だそうです。
 だからどちらの場合でも、「所得制限 は必要なく、「どんな年収の子供でも社会で育てる」と明確化させる。」ことだそうです。
 私はこの報道を見て直ぐ日教組の「お手手つないでゴール」、「みんな百点」を思い出しました。
 自民党も多分同じ事を言ったと思うのですが、財政が楽なら良いが、厳しい時代だから所得制限を付けるのは当然だと思うのですが。
 私は何度も書くように貧乏人の子沢山の生まれで、父は一日中仕事、母は手仕事の炊事・洗濯・掃除から味噌から漬け物作り、内職と朝から晩まで働いていました。
 そんな家庭ですからこれと言った家訓もなく「余所様に迷惑をかけるな」「悪いことをすればお天道様が見ている」と時々言われる位で良く言う親の背を見て育ったようなものです。
 だから当然子供の教育、子育ては親の責任、仕事が就いた子の弟や妹の応援は 当然と思っていました。 (確か学校教育でも教育の一義的な責任は親だという安倍さんの時代にはっきりして、モンスターペアレンツの出現もあり 、それまで国・教育委員会・校長・教員との責任追求論議が下火になりました。)
 勿論、夫婦共稼ぎが普通になり、然も親の収入も減少している世界ですから社会の支援が必要なのは当然ですが、然し国の財政事情が苦しいのに、民主党もそのため約束のマニフェストが碌に出来ぬのに、何故「社会での子育て」の理念に拘らねばならぬたのかと思って、「社会での子育て」の考え方をネットで調べたところ、
子育ての社会化」と「子育ての外注化」
 と言う子ども文化総合研究所の資料を見つけました。
・「子育ての社会化」というのは、子育て中の親たちが子育てに関して、これまで以上の責任と役割を担うことになる。子育てが社会化していない場合、親は自分の子どもだけを育てていればよいということでもある。ところが、子育てを社会化すれば、親は、わが子以外の子どもの子育てにもかかわらなければならなくなる。
・「子育て支援」というのは、もともとは「子育ての社会化」をめざしていました。しかし、「子育て支援」が進んでも、自分の子ども以外の子育てにも責任と役割を担う親たちが増えたようには思えません。それどころかむしろ、自分の子どもの子育てにさえ責任と役割を担うという意識が希薄な親たちも目につくようになってきました。
 なぜこのようなことになったのでしょうか。『子育て支援の危機―外注化の波を防げるか―』という本の中で、「子育ての外注化」という言葉を使ってそのことをわかりやすく説明しておられます。著者は子育て支援というのは「保護者と子どもが、ともに生活する存在としてある、それを社会のシステムがサポートする」ことだと述べておられます。ところが実際は、子育て支援と称する「子育ての外注化」がおこっているというのです。つまり「子どもが消費サービスの対象物、すなわちモノとしてしか見られなくなるという危険性」が孕まれています。
・「子育て支援」という名の下に、「子育ての負担を母親から保育園へ転換するという政策」が展開された。そのことが「子育ての外注化」を引き起こしている。「良心的な営みとして子育て支援」をしようとしている多くの人が、「社会全体の流れの中で、外注化のシステムの中に組み込まれていくことが問題」である。

 「社会での子育て」、「子育ての社会化」、「子育ての外注化」の繋がりまたは違いがなんであるか判りませんが、「子育ての外注化」と言う言葉には引っ掛かります。
・シンガポールの教育
 「社会で子育て」と言いますがその典型的な例が、私が元滞在していたシンガポールです。
 小学校4年の学力試験で上級クラスと普通クラスに分けられ、6年の卒業試験で「特別コース」「特級コース」「普通コース」、さらに中学卒業時には日本のセンター試験でさらにコースが決まっ来ます。
 その上一般の生徒も就職試験ではセンター試験の成績で採否が決められます。
 詰まり子育ての外注化どころか、政府が「子育ての社会化」をしているのです。
 日本では「社会での子育て」と言いますがどの学校へ進めるか、そのために塾にやるか否かは、親が決めます。詰まり「子育ての外注化」です。
 これは必ずしも悪い訳ではありませんが、問題は皆が高校へ行くから勉強は嫌いだが、高校に行く、大学もこれと言った当てもないが、とりあえず就職に潰しの効く文科系を選ぼうと言う親がおり生徒がいることです。
 このような生徒や、裕福な家庭の生徒に一律に無償化の援助をするなんて。
 結果は未曽有の就職難。離職率の増大。
 どう考えてみ的理念のための無駄遣いと思います。
社会で子育てもいいですが、シンガポールの場合は極端としても何らかのメリハりを付けるのが本当の子育てではないでしょうか。
 そのような金があるのなら優秀な向学心に燃えている生徒に思い切った学費の補助ををしたり、学問は嫌いだが手仕事が好きな生徒への応援もすべきと思うのですが。
 これだけ考えてもやはり始めの直感のように、「社会での子育て」の理念の名に借りた社会主義的な悪平等の一律のばら蒔きとしか思えないのですが。

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参考:シンガポールの教育制度
○4年の終わりに各学校ごと学力試験があり、その結果に基づいて5年6年のクラス分けがなされる。即ち、「語学(英語と母国語)能力の高い上級クラス」と「基礎英語及び基礎母国語による授業を受ける普通クラス」の2種類である。(実際は語学力の高いクラスもさらに2種類に分けられる) 語学力別にその後の各教科の授業内容が組まれるため、個々の理解力・能力に応じた授業が行われるメリットがある反面、その後の試験で基礎クラスの子が上級問題に挑戦する機会はほぼ失われるとも言える。
○小学校6年の終わりには卒業試験がある。この成績によって、中学校4年間のクラスが「特別コース」「特級コース」「普通コース」に分けられる。つまり中学校クラス分けのための小学校卒業試験の成績は、4年生での学力試験による5・6年生クラス分けに左右され、それは小学校入学以来の語学力に左右されること大である。
○中学校卒業時には日本のセンター試験高校入学版と言えるO(オー)レベルテストまたはNレベルテストを受ける。Oレベルテストの成績によって入学出来る高校が決まり、高校においては大学入学選抜試験に当たるAレベルテストを受ける。一方、Nレベルテストは職業専門学校入学のためのものである。中学校普通クラスの生徒はNレベルテスト受験のために4年間を過ごすとも言えるだろう。
以上は成績優秀な者にこそ高等教育の機会を効率よく与えるというシンガポール型選抜制度である。教育の機会均等はどうなる!? もっと大きくなってから勉学に目覚めたり成績が伸びる子だっているはずではないか? という批判は昔から存在する。しかし戦後シンガポールが効率的な高度成長を遂げた実績の前に、これらの批判は跳ね返されてきた。資源のない小さな島国が生き残るために人材育成を国策の最優先課題とし、エリート集団を選抜することに、教育の成果を求めようとしてきた結果だと言えよう


子供の日によせて・荒れる学校

2010-05-06 14:40:43 | 教育

 私の「石原都知事が嘆く若者気質」のブログにオハイオさんと言う米国在住の方から貴重なコメントを頂きました。
 確かに日本の現在の若者のひ弱さと危険さには目を覆いたくなるものがあります
 しかしいつの世もそういう子供たちを作ったのは大人だということです。私はアメリカ居住で、豊かな国ですが、若者の自立心は今なお旺盛です。18歳になれば、ほぼ全員家から出て行きます。たとえ大学が家から近くても、寮に入る子供がほとんどです。就職して、家から弁当を親に作ってもらって、会社に行くなどということはまずありません。それは自立が大事だということを豊かな時代になっても、忘れずに社会、親が実行しているということです。また、日本も各親、祖父母がその気になれば出来るはずです。
 この文章を読んで私の追及しているテーマの一つの日本の教育の問題の一つをオハイオさんが指摘されいるのに気付きました。

[戦後教育の問題]
 戦後占領軍は日本に民主主義を中心とする新しい考え方を導入し、それに基づく憲法を日本に持たせました。
 個人の権利・自由・個性の尊重、プライバシーなどなど。
 そしてその一方神道や武士道など戦争に繋がるものとして否定しました。 (後に許されましたが。)
 勿論、被占領国の日本はそれを受け入れざるを得ませんでした。
 然し占領軍の本意は判りませんが、仮に善意であったとしても彼らは大切なこと忘れていました。
  米国の環境と日本の環境が全く違うことを無視したように見えることです。
  米国では今でもキリスト教が生活にしみこんでいます。
 日本では神道はいたしかたないとしても、当時まで国民生活に大きく関わってきた仏教までが戦後何故か判りませんが衰退してしまいました。
  そして日本が持っていた農村文化、神道や仏教に基づく美風は殆ど無視されていました。
  米国ではフロンティア精神があるのに武士道は否定されました。
  それとオハイオさんの指摘されたように米国の社会環境としては個人に自立心が強く自己責任の考えが浸透しています。
  つまり行き過ぎた権利や個性尊重の主張にブレーキを掛けるものとして、自己責任の考えがあり、それが他の個人と衝突したときには、訴訟社会と言う環境があります。 
  そして学校教育で教え切れない所は米国ではキリスト教による教えがありますが、戦後日本では事実上無宗教の世界になってしまいました。
  占領軍の施策で勢いづいたのが、今まで押さえ付けられた共産、社会主義思想を持っていた大学教授などの知識人や、共産党や社会党の影響を強く受けた日教組、全教などの教職員組合です。
  当時の私の象徴的な思い出は、教職員用の指導要領書を本屋で立ち読みしたときです。
  今の憲法には権利の規定があるが、(それに伴うべき)義務も責任も記述されていないのだと言う記述に本当に驚きました。
  その指導書にはこの記述以外に義務や責任の文字がないのに改めて驚きました。 
(生徒用の参考書には義務、責任の言葉を何度も見ましたが、上記の指導書を見た教師は権利ばかり教えていたのでしょう。)
 
最後のページに当時教科書裁判で名を馳せていた家永さんの推薦文を見てやっと納得が行きました。
  当時は教育の独立の名の元で半ば密閉社会同様の学校では日教組などが頑張っている一方、私を含む一般の国民は敗戦の虚脱状態から抜けきれませんでした。
 つまり戦後しばらくの間は教職員組合が自分達の考えのように児童・生徒を洗脳するには絶好の環境だったのです。
  詰まり米国から貰った先の考え方に伴う義務や責任と言うブレーキがないまま、日教組の人達は権利や自由や個性尊重などを教えていたのです
  私も子供達が学校で教えられたことに対する個人の権利などの素朴な疑問に、学校ではそう教えられているかも知れないが、家では権利などより家族の思いやりが大切だからと教えていましたが、その言い方にも力が無かったのを覚えています。
  勿論、占領軍撤退以後は日本は完全に独立国になったのですから、占領軍の教育政策の不具点など修正すれば良かったのですが、何故か殆ど修正はされませんでした。
  日教組などの権利重視、義務・責任の無視、お手手つないで一緒にゴールなどの横並び教育などの弊害や、(夏休みなど長い実質的な休日があるのに)ゆとり教育という名の土曜日休日獲得などの彼らのやり方は誰でも知っていることです。
  そして本格的な教育の見直しが始まったのは戦後から半世紀もたった、安倍さんの時代です。
  今モンスターペアレンツなどの言葉が流行り、学校でのいじめや荒れる学校などはもう当然のことのように語られています。
  その一因は日本の国情を無視した学校教育にあると思います。
  そして私のような多くの親達は学校で教えられたことの拙い点を子供に教え、それより日本の美風を守るべきだと子供達を教えたと思います
  然し一部の親達の中には大戦への強い反省から戦後の学校の教育をそのまま受け入れた人達もいるようです。
  そしてその親に育てられた子が、個人の権利や個性ばかりを主張する親になり、またその親が子供を育てるなど、戦後から2~3世代を経て荒れる子供やモンスター~が生れたのかもしれません。
 唯、幸いなことには「モンスター~」の数が少ないのはまだ日本には健全な家庭が多いことを示していることです。
 それを学校で言えば地域により、同じ地域でも学校により、同じ学校でも学級により荒れた状態が違う現象となっています。
  私ごとですが、年度が変わる度に教師をしていた私の娘にどこの学校に転勤になったか、その学校は荒れているか尋ねるのが習慣になっていました。
 私の友達に元・日教組の闘士(念のために書き添えますが彼は個人的にはとても人柄の良い尊敬すべき人です)がいますが、彼も良く荒れた生徒の対応に悩んで話しをして居ました。
 私は荒れた学校や生徒を産んだのも、教師がモンスターペアレンツに困らされているのも、権利重視、義務・責任の無視または軽視の教育をしてきた日教組にもその責任の一部を負うべきと思うのですが。

[鳩山政権と日教組]
 民主党が衆院選で大勝してその支持母体の日教組の勢いがまた増しそうな形勢です。
 彼らの全国一律の学力テストの範囲縮小は彼らの持論ですし、教育の責任を国から地方、地方から地域から学校に移す公約も日教組の主張に沿ったものです。
 彼らの本心はマスコミの眼が届かないに範囲を教育の責任と実施を分散させて、自民党の義家弘介さんが国会で明らかにした北教祖のように、後は民主主義の名の元で「吊るし上げ」とうによる校長などを圧迫して、自分達の主張を通そうとする戦略が見え見えです。
 私たちは鳩山政権の教育政策に対して何時も気をつけておく必要があるような気がします。
 一方、日教組は所属の教師が困らされている学力の低下、荒れた生徒、困った父兄を産んだ責任の一部は少なくとも自分達にもあることを直視すべきだと思います。
 学校の荒れた責任を今までの自民党政府や社会の所為などと、モンスターペアレンツのように自分のことを棚にあげて、他に責任を被せていては何時までも荒れた学校の問題は解決しないと思います。

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小中学校の英語教育について

2009-04-03 17:44:10 | 教育

 昨夜のNHKのクローズアップ現代「どこまで必要 日本人の“英語力”」の放送があり、立教大学大学院教授・同時通訳者で有名な鳥飼玖美子さん、英会話の教育を受けないままいきなり海外は派遣された経験を持つリコー専務取締役の中村 高さん、それと、海外の大学で授業した経験を持つ「国家の品格」で有名な藤原正彦さんなどが出演し、ビジネスやネットの世界で英語と触れ合う機会が増えている。国際TV電話会議や英文メールのやりとりなど。多様化する英語と、日本人はどう付き合えばよいのか、について放送がありました。

[どこまで必要 日本人の英語力]
  その中で出た出演者の話の主なこととそれに就いての私の経験と意見を書いて見たいと思います。
鳥飼、藤原:会話力より先に話す話題を持つこと
藤原:英語力も大事だかその前に日本のことを良く知るための国語力の強化が必要

・私が赴任していた南米のある地域で、大きな石油化学コンプレックスの建設の話があ り、重工業部門では日本でも有数な巨大企業がそのメンテナンスに参画する計画が有り、私の会社もその支援のため、私の元の同僚も現地に派遣されて来ましたが、最終的にはその計画は失敗に終わりました。
 噂ではその理由は、そのプロゼクト・マネージャーが現地側との会議で、一言も喋らなかったために、そのプロゼクト自体の実力がないと判断されたそうです。
 そのマネージャーがメンテナンスの経験はないのは致し方ないことですが、サブ・マネージャーとしてのメンテナンスではベテランの私の同僚も不幸にも英語が出来なかったので、初めての英語の会議の雰囲気に呑まれて、彼に代っての充分な発言が出来なかったのでしょう。
・私の勤めていたボランティア・グループで本人から聞いた話です。
 彼は国連の婦人関係のグループの長として働いていたのですが、あるパーティーで参加した時、女性たちが犬や猫などのペットの話で盛り上がっていたのに、その知識があまりないことと、重要な話でもないのでひたすら聞き役に廻っていたそうです。
  パーティーの終了後、彼の秘書から彼がもって積極的に会話に参加すべきだと叱られたそうです。
 私などは正に技術一本槍で、パーティーなどではいつも「壁の花」状態になりいつも反省していたことを思い出します。

鳥飼、中村:先ず思い切って話す勇気が必要、間違っても相手が問いただしてくれるからお互いに理解できるよになる
鳥飼:英語の読み書きができねば、会話が薄っぺらになる。

・私の属している英字新聞輪読会に70歳台の人がいます。
 彼は英会話には非常に熱心で、週に4回は別の教師に習っていますが、新聞を読むのは全くの苦手で、会員から何度も英語の本を読めとか、時には英文法を勉強してはめとか言われるのですが、老いの一徹(私も老人ですが)聞き流すだけです。
 それで彼の会話は10年以上やっても、依然として日常の挨拶や自己紹介の範囲しか出てない様で、それ以上のコミュニケーションは多分取れないだろうと思うのですが、彼はそれなりに満足しているようです。

・鳥飼さんの話と少しずれていますが、私が元居た会社では一流の大学の卒業生とか取らないのですが、その人達も現地に赴任直後はまったくの片言しか喋れませんが、一週間もすれば何とか現地人とも通じるようになります。
 それは厳しい入試のために、英語の読み書きの基本的な実力があるからです。
 一方、私が出向していた建設会社では大卒の作業員もいましたが、所謂三流大学卒ばかりで、厳しい入試の洗礼を受けてない人達ばかりです。
その人達、何とか現地の人と話は通じるようにはなりますが、何年経っても片言の英語ばかりです。
・外国では文書によるコミュニケーションが普通ですが、その中で基礎的な文法的のエラーがあれば、軽蔑されるだけです。
 外国の人達と仕事をする時に、会話だけでなく文章の作成能力も大切な要素になると思います。
 受験英語が良く攻撃されますが、その果たした功績は大きいと思います。

[小中学校の英語教育の問題点]
 私は06年の8月の英語屋さん振り回される初等英語教育
に、
 延べ約5年間の私の海外出張の経験から言えば、海外の人とのコミュニケーションで大切なのは、次の順だと思っています。
 本人の品性→話す題材の知識それを相手に判らせる意欲その道具として言語力(読み書きの能力)→会話力(会話を円滑に進めるためのテクニック(ユーモア、雑学等の知識を含む)→リスニング、スピーキングのスキル)))

と書きました。
 私の意見はNHKに出た人達の意見とどこか似ているようです。
 今の中小学校でやっているのは、私が言う最下位のリスニングやスピーキングのスキルのトレーニングが重点の様です。
 私が言う2位の話す題材の知識に就いては一般学科に当てられているようですが、英語の授業でその時間を取られるようでは虻蜂取らずに終わりそうです。
 普通の海外旅行や日本に観光に来た来た外国人の応対で、鳥越さんや中村さんの言う様に、少しはもたもたしても何とかなっている実情を考えると、英語教育のために、そんな目的で大切な時間を取られるのは勿体ないと思います。
 やはり鳥飼さんの藤原さんの言う様に、外国人に伝えることの教育のもっと重点を置くべきだと思います。
 それは外国人が日本について興味を持っている事、そして日本人として彼らに伝えたいこと、例えば日本文化、日本の歴史、日本の国情など外国人との交際に不可欠なもの教育だと思います。
 それには藤原さんの言う様に、日本の本をもっと読ませることです。
 中学高学年から高校になるにつれて、鳥飼さんの言う様に、英語の原書を読ませたり、日記などで英語の文書をもっと書かせる訓練を増やしたり、大学では英語で授業したり、英語でレポートを書かせるべきだと思います。(それが判っていれば高校生はもっと英語の勉強に力を入れます。)
 中小学校で英語教育をするのなら、その目的をもっとはっきり示し、重点の置きかたや時間の配分をもっと適切に行うべきだと思います。

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技術立国日本が危ない

2008-04-03 15:16:25 | 教育

 昨夜のNHKの「クローズアップ現代」で中国の清華大学では政府主導のもと、企業との強力な連携に伴う膨大な資金力を用いて、優秀な学生を集め、最先端の機器を導入し、それに惹かれて、また世界のトップ企業が参入→また資金が増えると言う戦略を紹介していた。
 そしてその結果大学の周辺に世界の企業が研究所を設置し、技術研究センターの様相を呈するまでになった。

 そして日本人として見過ごせないのは、世界一、二を争うトヨタ自動車、産業機械ではトップクラスの日立と言う日本の先端企業までが同大学の近くに研究所を設立していることだ。
 特にトヨタは経団連で会長を勤めた奥田碩さんや、現在の副会長の張富士夫さんなど日本の政治にも大きな発言力を持つ人がいるのに、そして日本は誰でも言う技術立国を国是としているのに、日本の強力なライバルとなった中国の技術向上に手を貸しているのだ。

 私はトヨタや日立も日本の科学技術の進展に色々な面で寄与していると思うので、彼らを批判しようとは思わない。
 私の言いたいのは日本の大学を含む学制のあり方だ。
 つまり今の大学は企業のニーズに応えているのか。
 同番組の応義大学塾長の安西祐一郎さんは中国の清華大学は殆どが応用技術の研究なのに対して、日本の大学が基礎研究がどちらかと言えば主力になっていると説明していた。
彼の説明によれば、トヨタも日立も日本の大学との応用研究の協力より、中国の大学との協力を選んだのだろうか。

 日本の大学は日本企業のニーズに完全に応えているのだろうか。
 日本は1949年前後に大きな学制改革を行った。
国公立で言えば、旧帝大の他に、旧制の高等学校、工業専門学校の殆ど全てが、大学になり、所謂、駅弁大学と揶揄された。
 そして旧制の高等学校から大学になった多くの大学も工学部を設置した。
 中国の台頭以前は技術日本として、世界第二位の経済大国になり国民全てが中流意識を持つと言う世界から羨まれ妬まれる国となった。
 その点では大学も企業のニーズに応える卒業生を提供していたのだろう。

 世の中は変わった。
 超低賃金と膨大な人員を持つ中国の台頭による日本の相対的な競争力の低下だ。
 それに伴う歳入の減少と、それまでの経済の拡大が影響に続くと考えたばら蒔き政策による800兆にもなる国の借金の負担の増加で、先進国で最低レベルまで教育費を削減された。
 それに加えて、日本の少子高齢化の影響の拡大だ。

 今は大学全入時代と言われている。
 だから大学に入るより早く世に出た方が本人のためにも国のためにもなる生徒も希望すれば皆大学に入れる。
 それに加えて厳しい受験戦争が緩和されて、生徒が余り勉強しなくても推薦やOA入試で合格できるようになった。
 当然のように大学のレベルが低下した。
 文芸春秋の4月号によると、世界大学ランキングで百位以内に入っているのは前述の学力低下の理由とは縁のない大学でさえ東京大学、京都大学、大阪大学、東京工大の国立4校に過ぎないそうだ。
 そして世界的に理工離れが進む中で米国の大学だけは理数系に強い優秀な人材が留学してくるので、世界トップの座が譲ることはないだろうと書いている。
 これを見ても例え中国でも、厳しい受験戦争をくぐり抜けたやる気満々の学生、豊富な資金をもつ大学と共同研究したくなる企業の気持ちも判るきがする。

[私の提案]
1.小学校から大学までの教育の重点の見直し
 詳細は下記に資料を見て頂きたいが、「ゆとり教育」の基本的な考え方である、「自ら学び、自ら考え自ら課題を解決する力(以下「考える力]と略称する)の精神を活かし、それと今までの欠けていた躾け教育を取り入れて、今までの考える力の教育は小学校、中学校で終わり、高校教育、大学入試では詰め込みの試験から次の様に変更してはどうだろうか。
小学校では、躾け、詰め込み(80)、考える力(20)→中学校 躾け、詰め込み(70)、考える力(30)→高校(通常の進学校) 詰め込み(60)、考える力(40)と児童、生徒の発育に応じて、教育の重点を移して行き、理数系の大学入試では次のように、詰め込み(60~40)、考える力(40~60)+共通一次試験(必須)とすれば良いと思う。

参照: 教育改革はまず大学入試から

2.大学への補助金を集中的に使う
(1)共通一次試験の特定科目で一定の成績を納めた学生の全体に占める割合で国の補助金を決める
 ・推薦やOA入試ばかりで学生を集める大学は補助金が減るので経営が厳しくなる。
 ・ 従って共通一次試験が入試の必須要件となる。
 ・学生も共通一次試験で一定の成績を取れるよう勉強する。
 ・この補助金方式で増え過ぎた大学の自然淘汰が出来る。
 ・上記により節約できた補助金を優れた大学に廻すことが出来る。

3.大学は基礎研究、応用研究、現場に役立つ技術者の育成のいずれかに特化するかそのすべてに重点を置くかの方針を定め、効率的の運営をする。
(1)応用研究に重点
企業側
・企業は応用研究に重点を置いた大学と所謂、産学協同で研究する。
・必要あれば資金の提供をする。
・活動中に発見して優秀な学生の囲いこみする。

学生側
・学生は学校の授業では得られない企業のノウハウを学び、また企業の実態をり、就職活動に役立てることが出来る。

大学側
・運営資金が豊かになる。
・企業のノウハウを知ることが出来る。
・大学の研究が企業のニーズとかけ離れたものになることが避けられる。

(2)基礎研究に重点
・政府は1.で余裕が出来た補助金を基礎研究重点の大学に廻す。
・その補助金は大学が出した論文の数とその引用率で決める。

(3)技術者の育成に特化
・即戦力の技術者の育成
・教授陣は研究より授業に重点を置く。
・企業から教授へ受け入れ、企業の実態に則した授業をするとともに、企業とコネを付けておく。
・企業での現場実習にも重点を置く。

 現在日本は中国などのBricsの厳しい追い上げに会い気息奄々の有り様だ。
 唯一の頼みの技術も例にあげた清華大学の様に、日本に追いつけ追い越せの勢いだ。
 そして日本の研究者数も既に中国に抜かれて世界第三位に落ちたそうだ。
 エレクトロニクスの分野では一部ではあるが韓国から抜かされた。
 それに対応する日本の学制改革は遅々として進まない。
 ゆとり教育の基本的考え方である、「自ら学び、自ら考え自ら課題を解決する力」は正に理数系の問題の研究や技術開発にには欠かせない力だった。
 然し実際に得た成果?は生徒だけでなく教師の休日増加と言う現実に突き当たって失敗に終わりまたもとの「詰め込み」へ重点が移ってしまった。
 然し技術立国しか日本が世界に伍して行く道はないと誰でも言う。
 文科省はじめ学校関係者、企業の人達奮起を期待したいものだ。

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教育格差ほか(大丈夫?日本人の学力-2

2008-03-13 12:53:10 | 教育

   先日のブログで私ごとを書いたところ多くの方からご心配のコメントを頂きまして大変恐縮しております。
  お蔭さまで家内もなんとかすこしづつ落ち着いております。
  本当にありがとうございました。

 3月8日の夜、NHKで恒例の「日本の、これから」で「大丈夫ですか?日本人の学力」のタイトルで早稲田大学教授の榊原英資さん、東京大学大学院教授の佐藤 学さん、作家の「あさのあつこ」さん、有名な杉並区和田中学校校長の藤原和博さん、ローソン代表取締役の新浪剛史さんと、レギラーの三宅民夫さんと武内陶子さんの司会、それに市民40人と中学高校の生徒約7,8名を加えてのての討論会が行われた。
 そして、その中で特に印象に残ったものとして、11日は、[何故勉強をしなければならないか]と[携帯にはまる子]を取り上げた。

 今日はその残りの問題を纏めてみた。

[杉並区和田中学校の塾利用]
 杉並区の和田中学校での保護者の有志団体によりつくられた「和田中学校地域本部」主催による『夜スペ』と名付けた補習授業が2008年1月26日より実施されている。
ことに対して基本的には評価していた私に取って、非難が集中したのは意外だった。

主な批判と回答と問題点
・教育の機会均等に反する。
  回答:土曜日に授業に遅れた子に補習授業をしている。
  公立中学校でこれを土曜日補習授業に現役の教師とボランティアでやっているのは珍しいと思うが。
・塾講師でなくて何故現役の教師を投入しないのか。
  回答:教師の負担が大き過ぎる
・この様な良い方式があれば、民間企業だったら直ぐ真似するのに、何故和田中学校に限られているのか。(ローソンの新浪さん)
 回答:なし。
 私は教育委員会や各学校の校長にことなかれ主義と余り仕事を増やしたくない後ろ向きの考えが浸透しているのが原因だと思う。
 彼らは「ゆとり教育」の主旨に沿った、土曜日の現役教師による課外授業や補習授業さえまともの取り組んでいないのだ。
 詰まり彼らは学力低下している生徒より教師や教育委員会の方を向いているのだ。
 そしてこの番組の教育の機会不均等批判もその線に沿ったものだと思う。

 参照:和田中と地域を結ぶホームページ

    
杉並区立和田中学校 (Wikipedia) 

[教育格差と習熟度別授業]
 東大の佐藤さんは、先進国の中で社会格差の点で日本が最低レベルに近いことを上げこれが教育格差を産んでいると主張し、NHKも東大合格者の大部分がその父兄の収入の多い人達で占められていると資料を見せた。
 私は公立の中小学校でも教師は勉強ができなくても意欲のある生徒には、万難を排して且つ優先的に、それに応える義務があると思う。
 具体的に言えば、そう言う生徒全員が例えば100点満点で70点は少なくとも取れるようにすべきだ。
 そのためには習熟度別でも良いし、場合によれば補習授業もすべきだ。
 そしてそれを妨げるものがあればそれを一つづつ除いて行く努力をすべきだ。

教師が教育に専念出来ない原因と考えられる対策
1.その最大の者は教師の仕事が多過ぎることだ。
・教師の書くレポート多過ぎれば減らす→校長、教育委員会。
・モンスターペアレンツへの対応→教育委員会または専門の人に任せる。
・教科の取捨先選択と重点化→小学校の英語廃止、私の意見だが国語力の強化など
・教師作業の標準化と他教師のノウハウの交換、資料の共通化
・一般事務の合理化→事務員の採用、一般企業でやっている小集団活動による改善運動の推進
・部活動の範囲の縮小、重点化→学校の選択制度の採用
・面白おかしい授業と繰り返し計算など忍耐や辛抱のいる授業の採用のめりはりを付ける
2.地域や学校によって違うと思うがもう一つ大きいのは日教組所属している教師し所属そていない教師と価値感の統一→生徒の方を向いた授業だ。

優秀な生徒の希望者の育成
・優秀な生徒で希望者への問題集解答を中心とした特別教育
 優秀な生徒には(手間のかかる)特別な授業をしなくても判る筈だ。
・和田中学方式
・生徒が希望する特定のテーマの自主研究の援助
 これらを見て判るように、この殆どが下記に書く様に、当日殆ど議論されなかった日教組、校長、教育委員会や中央教育審議会が大きく関わっているのだ。

[番組で取り上げられなかった問題]
日教組とモンスターペアレンツ
 私はNHKの番組のタイトルを見て、最初に思ったのは、教育問題の根源に必ず介在する日教組の話は先ず絶対に出ないだろうと思ったが、その他に学校を悩ましている「モンスター・ペアレンツ」の言葉さえ全く出なかったのは意外だった。

教育委員会
 日教組全盛時代にその対応のため教師管理対策に特化したまま、すっかりお役所化してしまい、時世が変わって今では家庭教育により重点を置き、へんてこな父兄から教師を護らなければならないのに、その対応が全く出来ず、相変わらず学校と教師管理ばかり考えている教育委員会の言葉一つ出なかった。

・家庭の責任
 これについては、専業主婦と思われる人が、今の教育の基本的な問題は家庭の教育責任を忘れているとの熱弁に満場の拍手、特に意外にも生徒の殆どが拍手していたのに、全くこの問題(11日に書いた携帯に嵌まった子の親のあり方を含めて)について論議されなかった。
 NHKは学力向上に大きな影響を与えるこの問題に何故取り上げなかったのだろう。

[番組の出席者の選定]
 NHKのこの種の番組で目立つのは出席者の選定の問題だ。
 今度の問題でも、気がついたのは質問に対する出席者の回答がほぼ均衡しているのに、携帯による一般の人達の回答に大きな差が出ていることだ。
 そして、私から言わせれば出席者より一般回答者の意見の方が遥かに健全のように見えるのだが。
 これをNHKの側に立って言えば、なるべく多くの考えの人達の討論で、NHKの提示した問題点を多方面から考えさせようと言うのだろう。
 然し、この報道で、国民をミスリードしている危険性を考えたことがあるだろうか。
 例えば昨日の「携帯に嵌まった子」やそれを甘やかせるだけの親を無批判のまま見せられたた生徒達の何人かは、携帯やゲームに熱中して勉強をさぼる仲間やそんな優しい親もいるのだと心強く思った生徒もいたに違いない。
 そして、この拮抗する論議を見た生徒の中には、自分達が勉強したくないのは学校や先生が悪いのだと自己弁護の種を見つけた人達もいるのではないか。
 本当は一般の聴取者からの意見のように、多くの人達が健全な考えを持っているのに。

 出席者選定では特にゲスト出演者にNHKの傾向がもっと強く現れている。
 今回の出演者のなかで「あさのあつこ」さんなど全く知らなかった。
  Wikipedia のあさのあつこ
さんの人物評では、
 毎日新聞のインタビューに「(美作市に)住んでいて、憤りを感じるんです。繁栄に取り残されているというか、景気が上向いたなんてどこの話? って」「中央や絶対の権力に抗いたい気持ちが私にはある。それは彼の大人への抗いに通じます」などと応え、地方在住者としての中央や大都市への強烈な反撥を隠さない。
とある。
 彼女の選定はNHKに良く出る、政府に批判的な金子勝
さんと同じ流れの選定だが、NHKはどうして、そしてどこから彼女を探して来たのだろう。
 その様なゲスト出演者と、一般の参加者の中で、一般にリベラルと見られている榊原英資さんなど出席者の中では一番右翼的な発言をしているように見えた。

 私は、時々はNHKも思い切って、「たかじんのそこまで言って委員会」レギュラーの三宅久之さん、宮崎哲弥さん、勝谷誠彦さんなど歯に衣を着せぬ人達と、日教組の役員を呼んで教育問題を論議させたら、その問題の本質の一端が明らかになるのではないかと思うのだが、NHK(民放も多分同じ)や日教組のやり方を見ておれば所詮夢に終わるのは間違いないのが残念だ。

参照:カテゴリー →教育問題
               教育改革、ゆとり教育

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