・やる気のない店主達・相手を間違えている商店街の人達
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念願のコムシティーが再建されました。
現役のころ黒崎駅前商店街の近くに住んでいた私は他人事ながら、コムシテイーが関係者の方がたの計画通りの同商店街の発展に繋がるように祈っております。
然し私の率直な感想から言えば多分関係者がお感じになっておられるように非常に難しいような気もいたします。
それでご参考までに一昔のことを最初に書いて見たいと思っています。
1.店主のやる気のなさ?
1980~1990年ころ駅前に巨大デパートのそごうが進出すると言う噂に、当然のように商店街は猛反対しました。
そのころ私は残業で遅くなった時は、明るい商店街を通って帰ることにしていました。
当時は午後の八時過ぎても、まだ街は賑やかで、多くの人が行き来していました。
ところが多くの店はその人達を尻目にシャッターを降ろし始めるのです。
店主達は一体売る気はあるのだろうかと疑いました。
百貨店進出反対の運動をする前にすることがあるのでは。
開店時間に制限のある大店舗の営業時間外まで頑張れば生き残れるのに。
結局はまだ八幡地区に巨大な工場を持っていた新日鉄の労働組合長からも、デパート進出賛成の発言が新聞に出たほど、消費者からも反対運動に対して冷たい眼を向けられていました。
2.店主のエゴイズム
ある天ぷらやで食事をしていた時、駅前商店街に繋がる大きな藤田商店街の衰退について、同商店街にあったユニードの閉店の影響が大きすぎた。その閉店の一番大きな理由は駐車場不足だと話しになった時、店の主人が実は同地域の駐車場不足解消のために、商店街の近くの黒崎小学校のグラウンドの地下に巨大駐車場を作る話が持ち上がったのだが、複数の駐車場業者の反対で中止になったことを話しました。
そして黒崎商店街の尻尾の藤田商店街は全滅状態。細長いそごうデバートでは商店街回遊の通路として商店街に続く歩道橋まで作ったのに。
3.店主の戦略の誤り
旧八幡市の発展の基礎となった、新日鉄の起業祭が11月にありました。
昔程はありませんが、今でも太谷グラウンド、中央区商店街周辺上げての大きな祭りです。
ある時、駅前商店街が、起業祭と対抗するように、木屋瀬宿場祭りを同時期に開催しました。
念のためいいますが、私もそうですがかっては新日鉄の巨大工場とその関連会社の関係者やその家族達が今の八幡西区やその周辺地域に多く住んでおり、その人達が起業祭の後バスに乗り、黒崎駅前で降りJRや筑豊電鉄に乗り換えて帰るのに。
さすがにこの起業祭の木屋瀬宿場祭りの同時期開催は一度だけでしたが、その時私は黒崎駅前商店街の店主たちの向いている方向が違っていることに気がつきました。
彼らが相手にならないほど小さい中央区商店街へ対抗するのでなく、起業祭協賛のセールを打つべきでした。
つまり、駅前商店街の店主の敵は旧八幡市内の他の区の商店街ではなく、博多や小倉のデパートや商店であり、相手にしなければならぬのは消費者であることを忘れていたのだ。
かって彼らが反対していたそごうは、西武ライオンズが勝っても、ダイエイ・フォークスが勝っても祝勝セールをやるのに、今だに地もとの駅前商店街は何処が勝っても、地もとの企業の起業祭があっても何の反応なしですから。
その後も商店街の核の一つになっていたダイエー系のトポスや長崎屋の閉店に対して反対運動も出ませんでした。
当然のようトポス周辺の商店街は衰退。長崎屋の土地を持っていた菅原産業は再開発に就いての地域からの良い返事が得られなかったとしてホテルと駐車場を造りました。その駐車場は街の中心のふれあい通り、それも真向かいの当時の商店街の中心の井筒屋デパートに対して尻を向けて立つの言う普通の商店街では考えられない商店街になりました。
詰まり外野から見れば商店街の店主達は自分の店だけが、今なんとか生き残ればよいとしか考えられないことをし続けたように見えました。
・旧コムシィテー失敗の原因 一つは素人の市役所の人が社長になったこともあるでしょうが、私が覗いて直ぐ気がついたのはコムシィテーとしてのコンセプトや戦略が全くないことでした。
先に書いた駐車場の例と同じで、土地を提供した駅前商店街と同じに、店主達が思い思いにビルの中に店を広げているだけ、これでは博多、小倉どころか目の前の前のそごう、今の井筒屋と共存共栄も出来る訳はありませでした。
・余りにも人物が小さすぎる店主達
駅前商店街の衰退は黒崎、八幡地区の企業の合理化に伴う人口の減少、マイカー通勤の増加、郊外の大規模店の影響など言われますが、多分私が改めに言うまでもなく関係者の方達も保守的な店主達のやる気のなさ、それと人物の小ささを痛感されていると思います。
そごうの開店に猛反対した黒崎商店街の店主達、行政や商工会議所が動いてやっと少しだけ動く人達。大丸、三越、阪急などの全国レベルのデパートの進出をどちらかと言えば歓迎する博多の店主達。
背後地は山ばかりで離れ小島のような若松商店街はサンリブや駅近くのスーパーなどと共存しています。
そのような街とも比べて見ても、中には立派な人もいるとは思いますが黒崎商店街の店主は余りにも小物の人が多いような気がします。
今いくら文句を言っても愚痴っても仕方がありませんが、黒崎地区の再開発はこの前提 で考えねば成功しないような気がします。 (続く)
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念願のコムシティーが再建されました。
現役のころ黒崎駅前商店街の近くに住んでいた私は他人事ながら、コムシテイーが関係者の方がたの計画通りの同商店街の発展に繋がるように祈っております。
然し私の率直な感想から言えば多分関係者がお感じになっておられるように非常に難しいような気もいたします。
それでご参考までに一昔のことを最初に書いて見たいと思っています。
1.店主のやる気のなさ?
1980~1990年ころ駅前に巨大デパートのそごうが進出すると言う噂に、当然のように商店街は猛反対しました。
そのころ私は残業で遅くなった時は、明るい商店街を通って帰ることにしていました。
当時は午後の八時過ぎても、まだ街は賑やかで、多くの人が行き来していました。
ところが多くの店はその人達を尻目にシャッターを降ろし始めるのです。
店主達は一体売る気はあるのだろうかと疑いました。
百貨店進出反対の運動をする前にすることがあるのでは。
開店時間に制限のある大店舗の営業時間外まで頑張れば生き残れるのに。
結局はまだ八幡地区に巨大な工場を持っていた新日鉄の労働組合長からも、デパート進出賛成の発言が新聞に出たほど、消費者からも反対運動に対して冷たい眼を向けられていました。
2.店主のエゴイズム
ある天ぷらやで食事をしていた時、駅前商店街に繋がる大きな藤田商店街の衰退について、同商店街にあったユニードの閉店の影響が大きすぎた。その閉店の一番大きな理由は駐車場不足だと話しになった時、店の主人が実は同地域の駐車場不足解消のために、商店街の近くの黒崎小学校のグラウンドの地下に巨大駐車場を作る話が持ち上がったのだが、複数の駐車場業者の反対で中止になったことを話しました。
そして黒崎商店街の尻尾の藤田商店街は全滅状態。細長いそごうデバートでは商店街回遊の通路として商店街に続く歩道橋まで作ったのに。
3.店主の戦略の誤り
旧八幡市の発展の基礎となった、新日鉄の起業祭が11月にありました。
昔程はありませんが、今でも太谷グラウンド、中央区商店街周辺上げての大きな祭りです。
ある時、駅前商店街が、起業祭と対抗するように、木屋瀬宿場祭りを同時期に開催しました。
念のためいいますが、私もそうですがかっては新日鉄の巨大工場とその関連会社の関係者やその家族達が今の八幡西区やその周辺地域に多く住んでおり、その人達が起業祭の後バスに乗り、黒崎駅前で降りJRや筑豊電鉄に乗り換えて帰るのに。
さすがにこの起業祭の木屋瀬宿場祭りの同時期開催は一度だけでしたが、その時私は黒崎駅前商店街の店主たちの向いている方向が違っていることに気がつきました。
彼らが相手にならないほど小さい中央区商店街へ対抗するのでなく、起業祭協賛のセールを打つべきでした。
つまり、駅前商店街の店主の敵は旧八幡市内の他の区の商店街ではなく、博多や小倉のデパートや商店であり、相手にしなければならぬのは消費者であることを忘れていたのだ。
かって彼らが反対していたそごうは、西武ライオンズが勝っても、ダイエイ・フォークスが勝っても祝勝セールをやるのに、今だに地もとの駅前商店街は何処が勝っても、地もとの企業の起業祭があっても何の反応なしですから。
その後も商店街の核の一つになっていたダイエー系のトポスや長崎屋の閉店に対して反対運動も出ませんでした。
当然のようトポス周辺の商店街は衰退。長崎屋の土地を持っていた菅原産業は再開発に就いての地域からの良い返事が得られなかったとしてホテルと駐車場を造りました。その駐車場は街の中心のふれあい通り、それも真向かいの当時の商店街の中心の井筒屋デパートに対して尻を向けて立つの言う普通の商店街では考えられない商店街になりました。
詰まり外野から見れば商店街の店主達は自分の店だけが、今なんとか生き残ればよいとしか考えられないことをし続けたように見えました。
・旧コムシィテー失敗の原因 一つは素人の市役所の人が社長になったこともあるでしょうが、私が覗いて直ぐ気がついたのはコムシィテーとしてのコンセプトや戦略が全くないことでした。
先に書いた駐車場の例と同じで、土地を提供した駅前商店街と同じに、店主達が思い思いにビルの中に店を広げているだけ、これでは博多、小倉どころか目の前の前のそごう、今の井筒屋と共存共栄も出来る訳はありませでした。
・余りにも人物が小さすぎる店主達
駅前商店街の衰退は黒崎、八幡地区の企業の合理化に伴う人口の減少、マイカー通勤の増加、郊外の大規模店の影響など言われますが、多分私が改めに言うまでもなく関係者の方達も保守的な店主達のやる気のなさ、それと人物の小ささを痛感されていると思います。
そごうの開店に猛反対した黒崎商店街の店主達、行政や商工会議所が動いてやっと少しだけ動く人達。大丸、三越、阪急などの全国レベルのデパートの進出をどちらかと言えば歓迎する博多の店主達。
背後地は山ばかりで離れ小島のような若松商店街はサンリブや駅近くのスーパーなどと共存しています。
そのような街とも比べて見ても、中には立派な人もいるとは思いますが黒崎商店街の店主は余りにも小物の人が多いような気がします。
今いくら文句を言っても愚痴っても仕方がありませんが、黒崎地区の再開発はこの前提 で考えねば成功しないような気がします。 (続く)
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