戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。もし宜しければ是非ご一読の上、趣旨にご賛成ならお手数ですが拡散をお願いします。
「子供時代の読書の大切さ」
前回は藤原雅彦さんが国語教育の大切さのご意見に関して、「コミュニケーションの道具と材料」の内その材料に就いて私の経験を書きました。今日はコミュニケーションの道具としての国語の基本となる読書の問題に就いて私の経験に就いて書いてみたいと思います。読みようによっては自慢話のように見えると思いますが、ご辛抱戴いて読んで戴ければ幸いです。
・昭和初期の子供達が字を覚えたのは正月のいろはカルタによるカナ文字。次に百人一首による平仮名でした。それで昭和初期の多くの子は小学生になる前から総ての本にふり仮名がついていたので何でも読むことが出来ました。それで日中は外で遊び暮らしていた私たちの夜の楽しみは読書だけ。当時はテレビ無し、ラジオも物好きな父親が作った鉱石ラジオだけ。中でも私は無類の読書好き。貧乏人の子沢山の家庭で、毎月の給料日に四人の男の子へ買ってくれた佐藤愛子さんの父親の紅緑さんの「一直線」や「ああ玉杯に花受けて」の少年クラブや、兄が余所から借りてきた譚海(たんかい)と言う勧善懲悪の講談本。私は兄が読み終えるのを待つか、寝るのを待ち構えて本を読みました。子供五人がごろ寝で、電灯が一晩中点け放しの家でしたから。それで私は小学校に入る前から殆どの本を読むことができました。小学校を出るころは母と姉の眼を盗んでの子供心にも妖しげな「人妻椿」のタイトルの婦人クラブなど手当たり次第。
だから今で言う国語のハナ、ハト、マメ、マスなどは私にとっては問題外、(サイタ、サイタ、サクラガサイタは弟の時代)。
それと入学前後で読書で自然と身についた物事の理解力、集中力で数学、理科、歴史なども学校の授業は予習復習なしで皆に就いて行けました。
唯、皆と同じに手を焼いたのは読書では役に立たない「九九の声」の丸暗記。
弱かったのは兄の得意の書道、図画、工作。
然し学校の生徒の評価は兄の得意な学科ではなく私の得意な分野だけ。
家に帰っての勉強は宿題を除いてはゼロ。何しろ勉強する時は腹這いか、皆で使うちゃぶ台だけ。親から勉強しろと云われたことなし。それでも貧乏で中学受験のできぬ私が受験する子の横に坐らさせました。何かと相談に乗れと言うのです。
高等小学校卒業間近に担任の先生から急に工業学校に進学を勧められ親もそれに同意。受験勉強なしに受験したのに、結果は9倍の倍率の中何と合格。
然し調子が良かったのはそこまで。理由は英語、技術的な専門教科はそれ迄の読書力が活かせなくなったのと、皆徹夜を厭わない学期試験への受験勉強をしたのに、勉強の習慣のない私。慌てて夏休みに英語の勉強のし直し。何かして学級の中位程度に追いついたのがやっと。
「今の小学校の現状」
私がイランに居た当時部下が「漫画を読む」と言ったのに驚きました。漫画は見るものと思っていたのに。世の中は本を読むより見て直ぐ判る漫画 を読む時代になったのです。それと本のように集中しなくても判るテレビの「ながら勉強」の出来る時代。
そして「勉強の邪魔になるよう子にスマホ」の普及。政府は初等教育の無償化を進めているのに親は子のスマホの為に月に1万円近くを使うヘンテコな今。昔人間の私は子の願いに負けて母親がスマホを許しても、子の将来の為に絶対に持たせないのが男親の勤めと思うのですが。
私の経験のように読書による児童の理解力、集中力があれば授業も遥かに楽になるし児童の成績も、授業のコスパが上がるのにと言う教師、児童にとって不幸な時代?!
勿論多くの小学校で読書の時間を設けていますが私の子供時代の読書量に比べると「やらないより増し」の効果しかないようです。
小学校には多くの問題が云われています。
教師の負担増大。「授業とは直接関係ない」多くの報告。時間のかかる授業の準備。部活活指導のための教師の負担増。そして起これば深刻な影響のあるイジメ問題。一方的な思想に囚われた日教組の存在。それに取って付けたような児童へのプログラミング教育、そして英語教育の導入。
政府がやらねばならぬのはまず日教組でゆがめられた学校業務の合理化、児童の読書の習慣化、そのためスマホの禁止、そして新しい学科の採用の要否とその優先度の見直しだと思うのですが。
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「子供時代の読書の大切さ」
前回は藤原雅彦さんが国語教育の大切さのご意見に関して、「コミュニケーションの道具と材料」の内その材料に就いて私の経験を書きました。今日はコミュニケーションの道具としての国語の基本となる読書の問題に就いて私の経験に就いて書いてみたいと思います。読みようによっては自慢話のように見えると思いますが、ご辛抱戴いて読んで戴ければ幸いです。
・昭和初期の子供達が字を覚えたのは正月のいろはカルタによるカナ文字。次に百人一首による平仮名でした。それで昭和初期の多くの子は小学生になる前から総ての本にふり仮名がついていたので何でも読むことが出来ました。それで日中は外で遊び暮らしていた私たちの夜の楽しみは読書だけ。当時はテレビ無し、ラジオも物好きな父親が作った鉱石ラジオだけ。中でも私は無類の読書好き。貧乏人の子沢山の家庭で、毎月の給料日に四人の男の子へ買ってくれた佐藤愛子さんの父親の紅緑さんの「一直線」や「ああ玉杯に花受けて」の少年クラブや、兄が余所から借りてきた譚海(たんかい)と言う勧善懲悪の講談本。私は兄が読み終えるのを待つか、寝るのを待ち構えて本を読みました。子供五人がごろ寝で、電灯が一晩中点け放しの家でしたから。それで私は小学校に入る前から殆どの本を読むことができました。小学校を出るころは母と姉の眼を盗んでの子供心にも妖しげな「人妻椿」のタイトルの婦人クラブなど手当たり次第。
だから今で言う国語のハナ、ハト、マメ、マスなどは私にとっては問題外、(サイタ、サイタ、サクラガサイタは弟の時代)。
それと入学前後で読書で自然と身についた物事の理解力、集中力で数学、理科、歴史なども学校の授業は予習復習なしで皆に就いて行けました。
唯、皆と同じに手を焼いたのは読書では役に立たない「九九の声」の丸暗記。
弱かったのは兄の得意の書道、図画、工作。
然し学校の生徒の評価は兄の得意な学科ではなく私の得意な分野だけ。
家に帰っての勉強は宿題を除いてはゼロ。何しろ勉強する時は腹這いか、皆で使うちゃぶ台だけ。親から勉強しろと云われたことなし。それでも貧乏で中学受験のできぬ私が受験する子の横に坐らさせました。何かと相談に乗れと言うのです。
高等小学校卒業間近に担任の先生から急に工業学校に進学を勧められ親もそれに同意。受験勉強なしに受験したのに、結果は9倍の倍率の中何と合格。
然し調子が良かったのはそこまで。理由は英語、技術的な専門教科はそれ迄の読書力が活かせなくなったのと、皆徹夜を厭わない学期試験への受験勉強をしたのに、勉強の習慣のない私。慌てて夏休みに英語の勉強のし直し。何かして学級の中位程度に追いついたのがやっと。
「今の小学校の現状」
私がイランに居た当時部下が「漫画を読む」と言ったのに驚きました。漫画は見るものと思っていたのに。世の中は本を読むより見て直ぐ判る漫画 を読む時代になったのです。それと本のように集中しなくても判るテレビの「ながら勉強」の出来る時代。
そして「勉強の邪魔になるよう子にスマホ」の普及。政府は初等教育の無償化を進めているのに親は子のスマホの為に月に1万円近くを使うヘンテコな今。昔人間の私は子の願いに負けて母親がスマホを許しても、子の将来の為に絶対に持たせないのが男親の勤めと思うのですが。
私の経験のように読書による児童の理解力、集中力があれば授業も遥かに楽になるし児童の成績も、授業のコスパが上がるのにと言う教師、児童にとって不幸な時代?!
勿論多くの小学校で読書の時間を設けていますが私の子供時代の読書量に比べると「やらないより増し」の効果しかないようです。
小学校には多くの問題が云われています。
教師の負担増大。「授業とは直接関係ない」多くの報告。時間のかかる授業の準備。部活活指導のための教師の負担増。そして起これば深刻な影響のあるイジメ問題。一方的な思想に囚われた日教組の存在。それに取って付けたような児童へのプログラミング教育、そして英語教育の導入。
政府がやらねばならぬのはまず日教組でゆがめられた学校業務の合理化、児童の読書の習慣化、そのためスマホの禁止、そして新しい学科の採用の要否とその優先度の見直しだと思うのですが。
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