今日から12月、今年もあと1カ月。師走は多忙。年賀状の手配もまだできてない。何から手をつけようかと迷ってしまう。
毎朝メールを開くのは日課。今朝のメール。娘から思わぬメールが入っていた。
[年末の息子の20歳のお食い初め長崎行きは、28、29日の2泊3日で次のとおり予定を立てましたので、よろしくお願いします。
28日 我が家の愛車で出発。夕食は中華の予定(みんなで)
29日 1時から長崎茂木の料亭ニ見で。ホテルは予約しましたので、お二人のお帰りの新幹線の予約をお願いしますね〓たのしみです。]
※息子=京都の大学にいる孫のこと。
娘にとって長崎はすばらしい町、私には苦い思い出の町。
サラリーマンにとって転勤は宿命。長崎大水害のあった昭和58年長崎に転勤となった。当時まだ高校生の娘も長崎の高校に転校させた。
赴任した長崎の職場は労働組合が主導し大荒れ。労務対策で毎日が地獄のような日を送ることとなった。さらに長崎大水害が追い打ちをかけた。経験したことのないその対策。1月近く家へ帰れない日が続いた。
娘は高校を卒業し長崎で就職。職場の同僚だった彼とめでたく結ばれた。
結婚式の前夜、娘と最後の食事をしたのが“ニ見”だった。新鮮な海鮮料理のおいしかったこと。嫁に行く娘に対する複雑な気持。数少ない長崎の楽しい思い出だ。
今日はメールありがとう。喜んでご一緒させていただきます。