52年前の今日は米英に宣戦布告し第2次世界大戦が始まった日。すべての国民に耐えがたい大きな犠牲を強いた4年間の戦争の始まりの日だ。幼かった私だがこの日は忘れることが出来ない。
霜の降りた寒い日だった。ラジオは臨時ニュースで、真珠湾攻撃の成果とマレーシアに侵攻したことをけたたましく報じていたことをおぼろげながら覚えている。
死者は300万人を超えた。各地の主要な都市は空襲で焦土と化した。沖縄では地上戦が行われ非戦闘員の女と子ども含め沢山の人が亡くなった。沖縄では今もなお米軍の基地をかかえ、すべての県民が悩み苦しんでいる。一瞬にして廃墟となった広島・長崎の原爆。戦争は残酷、非情、幾多の人を苦しめた。例えようのない悪だと思う。
最近、百田尚樹さんの小説“永遠の0(ぜろ)”が評判になっている。特攻で散華した主人公の生きた足跡をたどる孫の物語。読み終わって涙がほほを伝わった。
鹿児島知覧の平和祈念館を訪れたことがある。若き特攻隊員の遺書とも言える数々の手紙があった。国の平和を守るの一心で、爆弾を抱えて飛びたつ若者。2度と帰ることはなかった事実。この世の出来事とは思えない、この世の地獄。
1945年8月15日、戦争の終わる日を迎えた。だが、その後数日は戦争が続き、多数の犠牲者の出たことを初めて知った。
先日、朝のラジオで「妻と飛んだ特攻兵」の著者富田正義さんのインタビューがあっていた。「なぜ妻と」と興味が湧き早速読んでみた。
“女が乗ってるぞ!”滑走路を走る飛行機の後部座席に、さらさらと風になびいている長い黒髪が見えたのだ。そしてほどなく群衆は、あの白いワンピース姿の女性も忽然と姿を消したことに気づいたのだ。九七戦闘機に乗っていたのは、ソ連軍戦車に特攻しようとする谷藤哲夫少尉(当時22歳頃)。そして見送りに来ていたはずの妻・谷藤朝子(当時24歳頃)がいつの間にか後部座席に。
※「妻と飛んだ特攻兵」から
1945年8月19日~21日にかけての満州における出来事だ。関東軍の国境守備隊はソ連軍との圧倒的な戦力差の前に破壊的な敗北を喫した。しかも信じられないことに、居留民を残したまま撤退してしまった。そんな日本人居留民にたいし、ソ連兵は虐殺、暴行、略奪とやりたい放題の蛮行を働く。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。
当時満州に分散されていた特攻基地の11人の将校が、軍命には背くが、居留民の逃避の時間を少しでも稼ぐために、自らの命を犠牲にしようとしての特攻だったという。妻は残って辱めを受けるよりはと、夫と行動を共にしたのだろう。夫婦愛の片りんを見ることができる。
そのほか、千島列島東端の占守島しゅむしゅとうのたたかい)でも、太平洋戦争末期の1945年8月18日~21日にソ連労農赤軍と日本陸軍との間で激しい戦闘が行われた。力尽き全員が玉砕したとある。
悲惨な戦争の現実がそこに見える。
戦後48年、日本は平和の道を歩んできた。世界中の国々が日本は平和の国と認めている。日本は永久に平和な国であって欲しい。そのための努力を大多数の国民は常に政治に望んでいる。だが時代に逆行しかねない「秘密保護法」の強行採決。今の与党の政治に不安がつのるばかりだ。
霜の降りた寒い日だった。ラジオは臨時ニュースで、真珠湾攻撃の成果とマレーシアに侵攻したことをけたたましく報じていたことをおぼろげながら覚えている。
死者は300万人を超えた。各地の主要な都市は空襲で焦土と化した。沖縄では地上戦が行われ非戦闘員の女と子ども含め沢山の人が亡くなった。沖縄では今もなお米軍の基地をかかえ、すべての県民が悩み苦しんでいる。一瞬にして廃墟となった広島・長崎の原爆。戦争は残酷、非情、幾多の人を苦しめた。例えようのない悪だと思う。
最近、百田尚樹さんの小説“永遠の0(ぜろ)”が評判になっている。特攻で散華した主人公の生きた足跡をたどる孫の物語。読み終わって涙がほほを伝わった。
鹿児島知覧の平和祈念館を訪れたことがある。若き特攻隊員の遺書とも言える数々の手紙があった。国の平和を守るの一心で、爆弾を抱えて飛びたつ若者。2度と帰ることはなかった事実。この世の出来事とは思えない、この世の地獄。
1945年8月15日、戦争の終わる日を迎えた。だが、その後数日は戦争が続き、多数の犠牲者の出たことを初めて知った。
先日、朝のラジオで「妻と飛んだ特攻兵」の著者富田正義さんのインタビューがあっていた。「なぜ妻と」と興味が湧き早速読んでみた。
“女が乗ってるぞ!”滑走路を走る飛行機の後部座席に、さらさらと風になびいている長い黒髪が見えたのだ。そしてほどなく群衆は、あの白いワンピース姿の女性も忽然と姿を消したことに気づいたのだ。九七戦闘機に乗っていたのは、ソ連軍戦車に特攻しようとする谷藤哲夫少尉(当時22歳頃)。そして見送りに来ていたはずの妻・谷藤朝子(当時24歳頃)がいつの間にか後部座席に。
※「妻と飛んだ特攻兵」から
1945年8月19日~21日にかけての満州における出来事だ。関東軍の国境守備隊はソ連軍との圧倒的な戦力差の前に破壊的な敗北を喫した。しかも信じられないことに、居留民を残したまま撤退してしまった。そんな日本人居留民にたいし、ソ連兵は虐殺、暴行、略奪とやりたい放題の蛮行を働く。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。
当時満州に分散されていた特攻基地の11人の将校が、軍命には背くが、居留民の逃避の時間を少しでも稼ぐために、自らの命を犠牲にしようとしての特攻だったという。妻は残って辱めを受けるよりはと、夫と行動を共にしたのだろう。夫婦愛の片りんを見ることができる。
そのほか、千島列島東端の占守島しゅむしゅとうのたたかい)でも、太平洋戦争末期の1945年8月18日~21日にソ連労農赤軍と日本陸軍との間で激しい戦闘が行われた。力尽き全員が玉砕したとある。
悲惨な戦争の現実がそこに見える。
戦後48年、日本は平和の道を歩んできた。世界中の国々が日本は平和の国と認めている。日本は永久に平和な国であって欲しい。そのための努力を大多数の国民は常に政治に望んでいる。だが時代に逆行しかねない「秘密保護法」の強行採決。今の与党の政治に不安がつのるばかりだ。