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日食が思い出させた遠い昔の「悪石島」

2016-03-09 09:09:56 | 日記

 昨夜から、4年振りの部分日食を我が家から見ることができると楽しみにしていたのだが、朝起きると雨が屋根をたたいている。日食の時間の始まりは9時54分13秒で食の最大は10時45分33秒。これまでには天気もよくなるだろうと太陽観察グラスも購入してこの時を期待して待っていたのだが、残念ながら、今回もまた暗い太陽を仰ぐことはできなかった。

 4年前の2009年7月22日の皆既日食を思い出した。その日、皆既滞の中心付近に位置していたのは鹿児島県トカラ列島に浮かぶ悪石島、世帯数36、人口70人の小さな島だ。その日は、皆既日食が6分25秒も継続することから、大勢の観光客が押し寄せることが予想されていた。島にある5軒の民宿には合わせても66名の収容能力しかなく、十島村ではこの期間の観光を外部の旅行会社に委託し、それ以外の観光客の入島は禁止した。旅行会社では宿泊場所として学校の体育館やテントを利用し、当日は人口の4倍以上に当たる約400人が島に滞在することとなったとある。

  その日は、今日と同じく朝からの大雨。雷鳴も響き渡り竜巻の恐れもあったため、観光客らに屋内への避難をよびかけた。そのため日食それも皆既日食を期待した人たちは、日食を直接的に目撃することができず、暗闇に包まれただけの間接的な体感となった。とニュースが報じていた。

 ずっと以前のことだが悪石島を仕事で訪れたことがある。

 昭和44年のことだが、当時、米軍統治の沖縄の返還交渉が大詰めを迎えていた。そのため復帰に合わせ沖縄のテレビ放送が開始できるよう、奄美までだったマイクロ波回線(テレビ回線)を沖縄本島まで延長する工事が急ピッチで進められていた。その一つとして中継塔やアンテナが悪石島に設置されることとなり、島外から約200人の作業員が集っていた。工事は長期にわたるため健康管理が必要であり、親会社のNTTから現地に医師を定期的に派遣することとなった。

 当時、九州地区を統括しているNTT九州通信局の職員部保健課に在籍していた私は、7月初めに悪石島に派遣される医師に随行することとなった。つまりカバン持ち。鹿児島から屋久島を経由してヘリコプターで医師と一緒に悪石島へ向かったことを懐かしく思い出す。 

 島の人たちは親切だった。島の小学生の健康診断にも立ち会うことができた。こどもたちの明るい笑顔が懐かしい。余談になるが、昨年8月23日NHKテレビで「小さな旅〝孤島にしあわせ”鹿児島県、悪石島」が放送された。島の景色や雰囲気はずいぶんと変わっているが、懐かしさ思い出に変わりはない。録画し何度も見返している。