毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

ハスの華の写真を義父の仏前へ

2014-05-22 15:09:29 | 日記

からりと晴れ渡った五月晴れ、昨日の雨に濡れた木々の青葉が眼にしみるようだ。亡くなった義父のことが頭から離れないのか、なんとなく元気が出ない。今朝の散歩はいつものコースの約半分となった。

遊水公園の中にある池にピンクと白のハスの花が咲いていた。今が満開だろうか。華はお互いにその美しさを競っている。ハスは御釈迦様の華。13日にこの世を去った義父の仏前にこの写真を飾ればと、カメラをハス華に向けた。

                       

               

 

        


義父の死

2014-05-21 15:51:05 | 日記

   ブログは毎日書き続けることが大切とよくわかっているが、心ならずもしばらく休ませて戴いた。

   長い間病床にあった義父が13日午前9時55分、この世を去った。享年92歳。衝撃だった。

   10日のブログで義父の延命治療について投稿しているが、その時は義父の死にこれほど衝撃を受けるとは思ってもいなかった。

   小学校の時に父を亡くしている私にとって義父は心の支えだった。義父というより、むしろ私にとっては実の父親との思いが強い。

   今年10月、私たち夫婦は金婚式を迎えることになっている。その時まで義父は元気でいてほしかった。

   亡くなる日の朝、「病名は膀胱がん、肺も心臓も腎臓もすべての機能を失っています。ご高齢にもかかわらずよくこれまで頑張ってこられました。」と主治医の先生から詳しい説明があり、「とても我慢強いお方でした。この病気は最後まで激しい痛みを伴います。だが、一度も“痛い”とお聞きしたことがないのです。痛み止めは私の独断で処方させていただきました。」と付け加えられました。

   素晴らしい、我慢強いお父さんでした。誇りです。

   義父がが安らかな眠りにつくまで、家族と一緒にお見送りすることが出来たことは幸せでしたが、主治医の先生が「ご臨終です」と頭を下げられた瞬間、声が出なくなりました。涙が止まりません。立っていることもできず座り込んでしまいました。

   “我が家の奥さま”私以上に衝撃をうけたことでしょう。兄に連絡するために電話番号をメモしようとしたところ、手が震え字が書けないのです。衝心の“我が家の奥さま”を慰めることも出来ない私でした。

   翌々日の葬儀の席では親族の代表として、義父の生前を偲び弔辞を捧げたのですが、大粒の涙が頬を伝い、途中で声が出なくなってしまいました。

   「よく頑張ったね、お義父さん。病院を転々としながらの長い闘病生活。苦しかったことでしょう。きつかったでしょう。痛かったでしょう。」とやっと弔辞を終えることが出来ました。

  今日のブログ、どうやら仕上げることが出来ました。

  本当は、まだまだ今のような気持ちではブログを書く気になれません。ごめんなさい。

 


延命治療はしない。それでよかったのかな。

2014-05-10 14:35:35 | 日記

今日の最高気温は30℃を超えた。まるで真夏だ。

久しぶりに入院中の義父のお見舞いを思い立った。

今年1月、93歳の義父は救急車で病院に運ばれ、腎臓や肝臓などすべての内臓が痛んでいると告げられ、延命治療を行うかどうか聞かれたものだ。どう返事するか家族は悩んだものだが、義母がはっきりと延命治療はしませんと答えていた。

その後、何度も転院を重ね治療を続けてきたが、前立腺がんはますます進行し、最近では腎臓からの出血が止まらなくなり、病院では痛み止めの投与と輸血を受けるだけの治療となっている。

先日、担当の先生から「治療する方法はもうありません。痛みや出血など症状が出た時の対処療法だけです」とそれぞれの器官ごとに図を交えながら丁寧な説明を受けたと義母から連絡があった。

その説明の後で「延命治療処置に関する同意書」を提出してくださいと言われたそうだ。

今回病状と余後について及び延命治療処置について説明を受け了解しました。今後重症急変時には延命のための心肺蘇生術や人工呼吸器装着などの処置に対する方針を以下の通りに決めます。

該当項目をまるで囲んでください。

・すべての治療処置を希望します。

・すべての治療処置を希望しません。

・一部の治療処置をお願いします。 

もちろん義母は「すべての治療処置を希望しません」にまるを付けたという。

義父の病院は少し遠く見舞いに行くのは大変だが、“我が家の奥さま”週に1度は時間を見つけて見舞いに出かけている。

私は久しぶりのお見舞い。病床の痩せてしまった義父を見て驚いた。すっかり昔の面影はない。意識はかなりはっきりしており来たことは分かっていただけたようだが、短い見舞いの間にもたびたび苦痛を訴える義父の姿に声をかけることもできない。この痛みどうかしてとることはできないものだろうか。

「延命措置は希望しない」にまるをつけた、毎日、義父に付き添っている高齢の義母の気持ちはよく分かる。私も“我が家の奥さま”に延命治療はしない方がよいだろうと告げたことがある。だが、それでよかったのだろうかと自問自答する。

先日の新聞に「尊厳死法」の記事があった。

患者本人の意思を尊重して延命治療の中止を求める自民・民主など超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」で検討されているとあった。患者の対象は15歳以上で2人以上の医師が回復の見込みがない「終末期」と判定し、書面などで本人の意思表示があれば延命処置を中止できるという案が論じているという。

果たして「すべての治療処置を希望しません」に義父はどうこたえるだろう。長い間の苦しみから早く解放させたいという気持ちが先走ったのではと。複雑な気持ちになった。

 

 


こんなところで「雉さん今日は」

2014-05-09 20:14:07 | 日記

今朝の散歩は遊水公園コース。晴れ渡った青空と爽やかな5月の風が頬をなで「今日も1日よい日でありますように」と気分を引き立たせる。

公園の中にある蓮池にはハスの花が一杯。朝が早いのでまだつぼみのままだが、陽が昇り花が一斉に開くと壮観だろうと想像する。池の渕に立つ柳の葉が風になびき、いかにも優雅な風情を醸し出している。

                

思わず足をとめその風景に見とれるひと時は大きな幸せを感じた瞬間だ。

ふと、池から眼をそらしたとき、何かが動いている。オスの雉が一羽悠々と歩いているではないか。こんなところに雉がいるなんて、その驚きようと言ったらない。持っていたデジカメを雉くんに向けた。悲しいかな慌てたために写真はブレてしまった。誠に残念。

                

遊水公園の周囲は大住宅地、広い公園内のほとんどは湿地帯。付近の山からはだいぶ距離がある。雉は奥山にだけ住むと思っていたのだがこれは意外。まさか誰かがペットとして飼っている雉が逃げ出したのではあるまい。

雉さん「こんにちは、また明日もお会いしましょうね」と思わず話しかけた。

思いがけない楽しい今朝の散歩でした。雉さんありがとう。またお会いしましょうね。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


シーサーも欲しがった「野いちごのジェラート」

2014-05-08 11:07:56 | 日記

家の片隅にある私の仕事場。いつも座る机の上にはPCとプリンター。それに沖縄旅行で買ってきた思い出の品「シーサー」が10数年前からでんと座り続けている。

沖縄の町を歩くといたるところでシーサーに出会う。シーサーは伝説の獣の像、建物の門や屋根、町の高台や公園などに据え付けられ、家や人などに災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けだという。シーサーは南国沖縄ならではの風物詩。心が和んだものだ。

語呂合わせではないが、シーサーの故郷沖縄では4月3日を「シーサーの日」と定めていることを最近知った。いろんな行事が行われているようだ。

机の上のシーサーはずいぶん以前の沖縄旅行の折に、宿泊したホテルの売店で買ったもの。 

       町で見かたシーサーとは少し趣が違う。「盃片手におおいと誰かを呼んでいる姿」はユーモラス。

魔除けとは知らず、一瞬にしてそのユーモラスな姿が気にいり、ずいぶんと高価な買い物をしたようだ。

話は違うが、今朝、散歩の途中で赤い野いちごを見つけた。以前はどこにでもあったが今は珍しい。我が家の奥さまに見せようと少しだけど赤い実を摘んで帽子に入れた。

奥さま喜んだ。枝についた赤い実は花瓶に差して居間を飾った。 

        

残りはキューイと一緒にヨーグルトの上に載せ、奥さま即席のジェラートが出来上がった。3時のおやつにはもってこい。

    

3時になって机の前にジェラートが運ばれた。いつもは全く意識もされないシーサーが、大きな口を開けてジェラートをにらみつけている。

    

思わず「一緒にいただきましょうね」と声をかけた。小さな赤いイチゴが、いつもは忘れがちのシーサーとの中をとりもってくれた。