我が家の家庭文化は、戦前の農家のように暗いと言えば、少しオーバー
かもしれない。私は戦前の農家をイメージでしか知らないが、父は地方
農家の末っ子育ちであり、同居していた故・祖父母も農家出身だった。
母親だけは都会の育ちだが、上からの押し付けに従順で古風な頭のニホ
ンジンである。
家庭文化がどのように形成されるかは、時代背景・価値観や地域性が関
係する外には、形成主体としての男親、父親の影響が一番大きいだろう。
父親の気質・性格・年齢・学歴・職業・経済力等々が関与するが、端的
に言えば、主に彼の人間性と文化が家庭をある形にしてしまうのだろう。
父親の人間性と文化(水準)は、その妻に被色的に影響し、子もそれに被
染する。私は自分の家庭文化が(全てではないが)嫌いだつたので、父母
とは日常、距離を置いて接するのが小学生の頃からの習いだった。家庭
文化や家庭規範・価値観から離れた場所に、自分形成をしてきた、そう
しないと自分が保てないような人間だった。
ところが今、老いたる父母と三人で暮らし、食事等日常の家事を私が担
っていると、父母、特に母親との距離が近くなって来ている。同時に母
親の様々な価値観や性格が、私の方に流れ込んで来る。それが私には、
不快、苦痛でならない。親の好みや都合に合わせて、日常の生活を巡ら
せてしまうと、自分が萎んでいくかのような、アイデンティティーの危
機みたいなものさえ感じる。
そんな事情のせいなのか、毎日が不機嫌でダルい。
睡眠の質も悪い感じで、自分がすっきりしない。
何だか首筋も、ストレスでとても凝る。
昨日、首の凝りを精神科で訴えて、葛根湯を処方して貰った。
昨晩、寝る前に一袋飲んだら、今朝はとても気分が良い。
寝ても休まらなかった心身が、寝て休まった気がした。
漢方薬はストレス等の心因性疲労にも効くようである。
漢方薬は元気を取り戻すのに、優れて有効であると感じる。
が、どんな漢方が効くのか、精神科医は漢方医ではないので、判らない
のだろうが、もっと漢方を、精神科処方に広めるべきではないのかと、
私はしみじみ実感として思っている。
さて、家庭文化の話に戻すと、家庭文化なんて簡単に変わる訳がないの
である。だから子は、父母が形作ったそのような家庭の場から離れて独
立するものだが、結婚や老親の介護問題等で、この文化問題が再燃する
のかもしれない。
家庭文化に限らず、企業文化や社風、学園文化や校風でも、或いは地域
文化さらには時代の文化等々と合わない、と悩む個人を考えてみてもい
い。自分を取り巻く文化環境と自分とは、融合と対立、和と不和を繰り
返すのが定めだと、観念すべきなのかもしれない。環境に働きかけて環
境=外界を改変するというのも、出来るならそれで良いが、困難なこと
の方が多いだろう。
環境に合わせて自分を変えろ、などとも言われるが、是々非々である。
自分が生きる上に、取り巻く環境にどう働きかけ、環境から利を取り害
を最小化するかである。自分が生きるとは、そういうことの繰り返しだ。
(だが私は、そのような「賢(さか)しら」が嫌いなのでもあるのだが‥。)
環境とは大小の河の流れのようなものだ。ヒトはそこに浮かぶ小舟でさ
えなく、底に沈む石ころのようなものだ。小舟では流れに合わせるべく
懸命な舵取りを要するし心細い。いっそ、水底の石を観念すべきか。
環境に立ち向かうのではなく、それ以前に、自分が自然・無心であり、
水のいかなる流れをも厭わず、水圧の底で自在に転がれること。
それが、環境に従っているようで、環境に流されない、至人のあり方
なのかなと、今思い付いたのだが、その道は険しいなぁ。
かもしれない。私は戦前の農家をイメージでしか知らないが、父は地方
農家の末っ子育ちであり、同居していた故・祖父母も農家出身だった。
母親だけは都会の育ちだが、上からの押し付けに従順で古風な頭のニホ
ンジンである。
家庭文化がどのように形成されるかは、時代背景・価値観や地域性が関
係する外には、形成主体としての男親、父親の影響が一番大きいだろう。
父親の気質・性格・年齢・学歴・職業・経済力等々が関与するが、端的
に言えば、主に彼の人間性と文化が家庭をある形にしてしまうのだろう。
父親の人間性と文化(水準)は、その妻に被色的に影響し、子もそれに被
染する。私は自分の家庭文化が(全てではないが)嫌いだつたので、父母
とは日常、距離を置いて接するのが小学生の頃からの習いだった。家庭
文化や家庭規範・価値観から離れた場所に、自分形成をしてきた、そう
しないと自分が保てないような人間だった。
ところが今、老いたる父母と三人で暮らし、食事等日常の家事を私が担
っていると、父母、特に母親との距離が近くなって来ている。同時に母
親の様々な価値観や性格が、私の方に流れ込んで来る。それが私には、
不快、苦痛でならない。親の好みや都合に合わせて、日常の生活を巡ら
せてしまうと、自分が萎んでいくかのような、アイデンティティーの危
機みたいなものさえ感じる。
そんな事情のせいなのか、毎日が不機嫌でダルい。
睡眠の質も悪い感じで、自分がすっきりしない。
何だか首筋も、ストレスでとても凝る。
昨日、首の凝りを精神科で訴えて、葛根湯を処方して貰った。
昨晩、寝る前に一袋飲んだら、今朝はとても気分が良い。
寝ても休まらなかった心身が、寝て休まった気がした。
漢方薬はストレス等の心因性疲労にも効くようである。
漢方薬は元気を取り戻すのに、優れて有効であると感じる。
が、どんな漢方が効くのか、精神科医は漢方医ではないので、判らない
のだろうが、もっと漢方を、精神科処方に広めるべきではないのかと、
私はしみじみ実感として思っている。
さて、家庭文化の話に戻すと、家庭文化なんて簡単に変わる訳がないの
である。だから子は、父母が形作ったそのような家庭の場から離れて独
立するものだが、結婚や老親の介護問題等で、この文化問題が再燃する
のかもしれない。
家庭文化に限らず、企業文化や社風、学園文化や校風でも、或いは地域
文化さらには時代の文化等々と合わない、と悩む個人を考えてみてもい
い。自分を取り巻く文化環境と自分とは、融合と対立、和と不和を繰り
返すのが定めだと、観念すべきなのかもしれない。環境に働きかけて環
境=外界を改変するというのも、出来るならそれで良いが、困難なこと
の方が多いだろう。
環境に合わせて自分を変えろ、などとも言われるが、是々非々である。
自分が生きる上に、取り巻く環境にどう働きかけ、環境から利を取り害
を最小化するかである。自分が生きるとは、そういうことの繰り返しだ。
(だが私は、そのような「賢(さか)しら」が嫌いなのでもあるのだが‥。)
環境とは大小の河の流れのようなものだ。ヒトはそこに浮かぶ小舟でさ
えなく、底に沈む石ころのようなものだ。小舟では流れに合わせるべく
懸命な舵取りを要するし心細い。いっそ、水底の石を観念すべきか。
環境に立ち向かうのではなく、それ以前に、自分が自然・無心であり、
水のいかなる流れをも厭わず、水圧の底で自在に転がれること。
それが、環境に従っているようで、環境に流されない、至人のあり方
なのかなと、今思い付いたのだが、その道は険しいなぁ。