このところ冷え込みが厳しく、真冬の寒さが続いている。
午後からマッサン縁の京都の山崎に行こうかしらん、と目論んでいましたが・・
朝から雨も降ったり止んだりで、残念だがやめました。
ちょうど、今日の朝ドラの「マッサン」に山崎が出てきました。
先週の木曜日に行った、舞子公園。我が家からはJRの快速で20分ほど。
先週は上着を脱ぎたいくらいの、温かい晩秋の一日でした。
須磨はジュリーの子供時代に、お父様が海水浴に連れて行ってくれた所。
そして須磨は源氏の君が流された場所、そのお隣が舞子です。
対岸には淡路島が見える。ジュリーが子供時代に泳いでいた頃にはまだ橋は無かった。
海を見渡すビルの高い場所にクリスマスツリー
舞子駅前の起伏に富んだ地形にビックリ。駅を出たら、すぐ目の前が階段で
バリアフリーにはなっているが、この辺は足の悪いお年寄りが住むには、
なかなか厳しいところだと思うが・・・。
垂水の山手辺りも、凄い坂が続いている。六甲山と海に挟まれた、神戸南部
という場所の地形状、仕方がないのだろうけど、播州平野のどこまでも
フラットな場所で育った私には、よく歳を取っても住めるなー
と思ってしまうの・・・ですが、住めば都。海と山のある大変風光明媚なところです!
舞子の駅前の山側直ぐに、舞子ホテル。http://www.maiko-hotel.co.jp/
大正8年創建のこの邸宅は、海運業でも名を馳せた日下部久太郎氏が
海外からの大切な客人をもてなす邸宅として創りあげた。
ちょっとリッチにここでランチでも、と思ったが予約で満席ですと言われた。
残念、中を見たかったな。入口のステンドグラス。松林に帆掛け舟
舞子ホテルから、次は海を見渡す舞子公園へ。駅の海側、歩いて数分です。
http://loco.yahoo.co.jp/place/g-YcnuKO0pRRE/?utm_source=dd_spot
この日は晩秋とは言え快晴で、青い空、陽光に海面が輝いていた。
革命を志す孫文が匿われていたという、移情閣(孫文記念館)。
http://sonbun.or.jp/jp/
コロニアル風の屋敷に薄緑色の6角のタワー
青空の下、白い壁と薄緑の壁の色が美しい
孫文の銅像
今までは外からしか見たことがなかった、初めて入った。
建物の中から、橋を写す
中の展示物を読んでいたら、「花子とアン」の蓮子さんのモデルの柳原白連の
かけおちした宮崎青年の父、宮崎滔天が、孫文の協力者であったと知った。
赤い絨毯の急な階段
移情閣のむこう岸に見えるのは、まるで ここはニースか?というような景色、
右の白い建物はホテルだそうです。
お次は上の画像の、左手の建物
鐘紡の中興の祖「旧武藤山治邸」 こちらは海を見下ろす方向
こっちが玄関先
外の丸いバルコニーが印象的です。
ここは、中の各部屋の家具やカーテン、絨毯などの色合いがロマンチックな
意匠で、とても素敵だった。今まで行った、異人館や個人邸の中で一番
インテリアが可愛くて女性好みだったのは、別の場所から移築再現した際に
綺麗になったせいだろうか、元から日本人宅だからだろうか
ステンドグラスは昔のまま
窓から移情閣を望む
海沿いの二つの館から離れて、少し歩いて山手の方角にあるのが
「旧木下家住宅」
昭和16年に竣工した数寄屋造近代和風住宅です。昭和27年に木下家(木下吉左衛門氏)の所有となり、平成12年に故木下吉治郎氏のご遺族から兵庫県が寄贈を受けました。
阪神・淡路大震災以後、姿を消しつつある阪神間の和風住宅のなかで、創建時の屋敷構えをほぼ完全に残す貴重な建物として、平成13年12月に国の登録有形文化財に登録されました。
昔の日本家屋そのまま、私の子供時代にはみんな大なり小なり、
こんな家ばっかりだった。
和室のクリスマスツリー、派手ではないけど、落ち着いたおしゃれな飾りつけです。 ここは各種のイベントが催されて、どの部屋も、おしゃれに飾り付けられている。
各部屋には、季節の飾りつけ。インテリアコーディネイトされている。
2階から見下ろすと、屋根瓦の重なりがリズムを刻むように美しい
庭の木々の紅葉が、ちょうど見頃でした
晩秋の夕方の薄日に照らされ、まるで黄金色に輝くように見える
石畳の階段を下って帰った。
3邸巡りの共通券を買って、400円なり。他には殆ど見物人はいませんでした。
大阪からでも、須磨や舞子は40分ほどで来られますよ。
私は大阪は中之島界隈の景色が大好きです。
いつかマッサンに出てきた、住吉大社に行きたいな~と思っています。