J友様から教えていただきました。
昨日、ジュリーがライブで間違えたピーの誕生日 1946年9月22日はザ・タイガース瞳みのるの誕生日・70歳になる 【大人のMusic Calendar】 関連記事も読みごたえありです。
昨日の神戸のライブ、私はよくわかりませんでしたが(5列真正面でしたが)「我が窮状虫」の最後の方でジュリーが何かを払うような仕種を。
すぐにMCで「今、最後の方で虫が飛ばんかった?あれ誰や、久世さんか?
蝶々とか フラフラ周りを飛んでると、あいつかな?と思うんですよ」
最前列のJ友様は「羽のような」と言われていました。 去年の岡山でJ友さんが、白い光がスーっとジュリーの横を上がっていったのを見た、と話していたのを思いだしました。 昨日の虫といい、それは何だったのか誰だったのか・・・のはわからないけど、ジュリーの事を大好きだから現れたに違いない。ジュリーに忘れないで欲しいと思っているのでしょうね。
昨日、ライブの最初こそ声が出しにくそうなジュリーでしたが、「サムライ」のジュリーの歌声は心に響くように素晴らしかったです。 J友さん達が口々に、「夜のヒットスタジオ」の畳敷きのジュリーの姿が見えた!とおっしゃるんですけど・・・
私には、まったく今のジュリーそのままの姿しか見えませんでした(^^ゞ
目の前のジュリーは顔も体つきも丸くなり、髪は灰色になり、68歳の年齢相応に歳をとっていました。ジュリーもやっぱり、人間やったんやな・・ 今更にして思いながらも、ジュリーの「サムライ」の、若い頃よりもずっと迫力を増し太くなった声に酔っていました。
何かの拍子に、昔のジュリーが私にも垣間見えることもある・・・ けど、見えても見えなくても同じ。ジュリーはジュリーに違いないし、こういう見えない自分でも「私はジュリーのファンよ~!」と言いたいの。(^-^)
結局のところ、私もJ友さんも皆、そういう自分に満足している、自分を肯定している。そんな自分に安心している。みんな、そんな自分が好き。
「ジュリーを好きな自分が好き」なんだと思います。
この「ジュリーを好きな自分が好き」という言葉は、もう数十年も前に女性誌に載った、ジュリーファンを評しての言葉だったけれど、その時には若かった私は、正直よく意味がわからなかった。
ジュリーも自分も 歳を重ねた今だからこそわかる。自分自身を好きじゃない人が他の人を好きにはなれない。ジュリーファンの私は、ジュリーから元気を貰い、そうして健康な精神を保っている(つもり)ので、自分を肯定できるのだと思います。その中には自負とプライドも含まれている。
それぞれのジュリーへの想いの違いはあるかもしれないけど、やっぱり
あなたも 「ジュリーを好きな自分が好き」
でしょう?
それから思い出しちゃいました、「名月赤城山」の中の歌詞
「落ち目の三度笠」 ジュリー自身が数十年前にラジオ番組で言っていた言葉だった。(笑)
それで、この言葉を憶えたのだわ。なんか面白い言い方、と思ってココロに止まったの。歌の歌詞だったんですね。「落ち目の三度笠」は誰かを指していったのか、自分自身を揶揄したのか、そこは思い出せない。国定忠治は、ジュリー世代にはお馴染みの演目で、男心に~♪の歌詞は、頭に沁みついているんでしょうね。