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1973年のレコ大の悔しさは忘れない。

2018年08月09日 | JULIE メモリーズ

訂正します。8月6日(月) 石橋貴明のたいむとんねる【昭和のイケメン最強は誰?】ですが、ジュリーは写真が出ただけ。スルーとガッカリしていましたが、録画を見直したところ 決して無視ではありませんでした。

あとで見直したら『ジュリーの名で世間が熱狂した沢田研二さん』とのMCにジュリーの画像が映し出され、大久保さんがカッコイイ~、タカさんが男が見てもカッコイイ!と興奮した顔で話していましたが、よく聞き耳を立てていないと聞き逃しそうな小さな音声でした。決して無視はしていませんでしたが、番組的には、取り上げは無しです。



昨日、録画していた五木ひろしさん司会の「人生歌がある」。

何の為に予約録画したのかスッカリ忘れ、何故ジュリーが出るはずもない歌番組を録画したのか? 消去する前に番組を早送りしてみると、ZUZU特集のトリビュートだったのだと思い出しました。

「恋のしずく」「雪が降る」…時代を紡いだ伝説の作詞家・安井かずみ特集!
歌謡史に大きな足跡を残した名歌手を、各回1アーティスト、特集します
。 

五郎さんが「危険なふたり」を歌います。

五郎さん『先輩の歌を歌うのはドキドキします』
五木さん『危険な二人の時、ジュリーは歌謡大賞を受賞。レコード大賞は僕と争っていたんです。ジュリーは大衆賞を受けて、僕がレコード大賞を受賞しました』 自慢そうな五木さん
五郎さん『僕はその横で 指をくわえて見ていました』
五木さん『そう言うことで、危険なふたりは思い出深い曲です。』

※五郎さんは「危険なふたり」を知りすぎているために、ジュリーのように歌おう似せようと、歌いまわしの端々に努力しているのが見えました。が、五郎さんのビブラートをきかせる歌い方と自身の声質と、ジュリーの張りのある声質が似ていないので、五郎風の「危険なふたり」になっていました。無理に似せようと思わずに、普通に素直に歌った方が良かったと思います。


 

ファンはこの年の1973年のレコード大賞の事は忘れていません。「危険なふたり」の大ヒットでソロで初の1位を獲得、この年の歌謡大賞を文句なく受賞✨ 続いてレコード大賞だって、間違いなくジュリー!と信じていたのに・・・五木さんの「夜空」がレコード大賞でした。

こちらで受賞者を詳しく→第15回レコード大賞  まさかの大衆賞を受賞、なんで左まき・・いや、左ききと一緒やねん! いえ、名曲だけどね。大衆賞はファンにとっては大ショック、大ガッカリな出来事でした。その出来事を、五木さんの言葉のお蔭で思い出し、45年後に再び蘇る悔しさ・・

レコード大賞は歌唱賞の中から選ばれます。前年は歌唱賞ワクに堂々と選ばれたジュリーが、何で大ヒットを飛ばした、翌73年の歌唱賞に選ばれないのか?大衆賞などと言う、急にできた よくわからない賞に回されてしまい、完全にジュリーの大賞の目はなくなりました。ず~っと五木さんよりも レコードを売っていたのに(-_-;) この当時は、まだ演歌強し(審査員が演歌以外を認めない)の時代でした。(その後は大衆賞に選ばれた曲も、大賞に選ばれる権利を得ました)

悔しい想い出を、当のライバルだった五木さん本人の口から 自慢そうに聴かされてしまい、例え45年前でも忘れてへんで~! というわけで、今日のカテゴリーはジュリーメモリーズでございます。 

歌謡大賞を受賞したジュリー ⇒ 「危険なふたり」沢田研二

この年から早川さんがスタイリストになり、三つ揃いのスーツで貴公子然としたジュリーのファッションは、さらにお洒落にカッコよく、劇的に変わりました。

ちなみに前年の1972年でジュリーは「許されない愛」で歌唱賞。和田アキ子さんに引っ張っていかれたアレです。→第14回レコード大賞 和田さんの最優勝歌唱賞の獲得も、物議をかもしたそうです。

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