ピー先生が語る「ポップスの変遷」
その②
1960年代「和製ポップス」のお話の続き、ナベプロ時代の思い出話。ウエスタンカーニバルには渡辺美佐賞があり、タイガースが優勝して貰らった。それでベビードールで衣装を作ってもらった。当時の美佐さんは若い自分から見ると、60歳くらいに思えたけど、本当は30代くらいだったんだろう。ナベプロのスパーク三人娘、中尾ミエ・伊藤ゆかり・園まり、弘田三枝子は無理をしていると思った。時は人を変える。
1960年から1975年まで、ベトナム戦争。フォークソング、ボブディラン、ニールヤング、ピーターポール&マリーetc そして「GS前夜」へ。以下はピーの語るライブ史(※順番は不同)
③GS前夜
1965年、大阪フェスティバルホールに、アストロノーツを見にいった、前座は寺内タケシとブルージーンズ、尾藤いさお
1966年、7月1日、ビートルズを見に武道館。
1966年、3月27日、ビートルズ・ファンクラブの集いに、ファニーズとして出演。
1971年、1月24日 日本武道館でサヨナラコンサート。
芸能プロダクション(ナベプロ・ホリプロ・スパイダクション)
③GSの萌芽
ピー先生、スタンバイしているマイクの前に進み、ここから自ら歌うGSのヒット曲の数々
♪ブルーコメッツの「ブルー・シャトー」を、力強い声で気持ちよさそうに歌います♪
サベージが姫路で公演した際に、前座で出演したと、♪サベージ「いつまでもいつまでも」♪を歌う。
次はスパイダースの「夕陽が泣いている」♪ショーちゃん、スパイダクション社長の田辺ショウチは、沢田と森本と岸部の3人だけひっぱろうとした。沢田が5人じゃないと嫌だと断った。彼は残念がっていたと、ピーの笑顔。彼はしょうがないから、テンプターズをスカウトした。
「夕陽が泣いている」は歌詞がいい、普通の人間じゃこの詞は出てこない。別れの色、いい歌詞ですね!と、思い入れたっぷりに「夕陽が泣いている」を歌った。
(※ジュリーによると、上条さんが3人だけ引っ張ろうとしたので、5人じゃない行きませんと断った。スパイダクションには、事務所の人から、田辺が待っていますからと言われて、スカウトされると期待して事務所に行ったら、相手にされなくて、ガッカリしたとライブのMCで語っていました。田辺氏は、逃がした魚のあまりの大きさに、猛烈に後悔したに違いない。ショーケンが語っていましたが、田辺氏から「君たちのライバルはタイガースだよ」と言われたのは、悔しさのあまり。)
それにしても、「いい曲ですね(^-^) 1人ウエスタン・カーニバル、それもアリかも」と気持ちよく楽しそうに歌うピー、まるでカラオケ大会みたい・・、と心の中で思いました。
♪シャープホークス「遠い渚」♪ ナンバ一番は3階にあり、4階は楽屋で、安岡力也はいると すごくデカイ。「遠い渚」は、作詞家、橋本淳に似合わない良い詞。上京してから、橋本淳にクソミソに言われた。「あんなん歌っていたら、お客さんが来ないよ。」悔しくて悔しくて、3日間悔しかった。子供が産まれて、産婦人科が有名な山王病院に行ったら、橋本淳に そこで会った。(※最近の話のようですが、橋本氏にかなりの恨み?)
「遠い渚」を歌うのは一番だけ、キーが高すぎて予行演習といいながら、結局 2番も歌う。力が入っていた。(歌詞)渚にすてようよ♪
シャープホークスの曲は全然知りません(-_-;)
次は「GSの全盛」へ