俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

利権

2016-06-20 09:39:53 | Weblog
 人は不満があれば文句を言うがそうでなければ黙っている。情けない話だが、釣り銭が足りなければ文句を言うが多過ぎても黙っているように、厚遇があっても黙っている。常態化した厚遇であれば自覚さえされなくなる。
 年金を受け取る立場になって初めて年金受給者がどれほど厚遇されているかを知ったし、癌患者になってから患者に対する様々な厚遇があることとその制度を利用して医療機関と医療関係者がこっそりかつごっそり稼いでいることを知った。
 部外者から見えない場所に大量の利権が潜んでいる。表から見ていればこの構造に気付かない。たまたま仕事上でほんの少しだけゴミ問題に手を出したところ、ゴミ絡みの利権が非常に多いことに驚かされた。例えばアルミ缶は再利用可能だから商品価値がある。自治体などはこれを無料で回収しているから濡れ手に粟のように儲かる。ゴミの山と思っていたものが実は宝の山だった。
 しばしば問題になるが教育にも利権が絡む。教科書の採択など小さな問題であり、修学旅行のような巨大団体ツアーは利権の温床になっている。担当する教師にとっては当たり前の役得に過ぎないが実態が知られれば社会問題になるだろう。
 政治家の役得も幾らかは暴かれつつあるがこれらは氷山の一角に過ぎない。都知事を筆頭とする首長は勿論のこと、県会議員や市会議員も役得を満喫している。名古屋市や富山市では市会議員が勝手に自分達の報酬を増額したとして市民から批判をされている。自分達のルールを自分達で決めるのだからお手盛りだらけになる。
 悪名高い政治資金規正法がザル法であるのは自公民の3党合意に基づく。この悪法を利用して利権を貪り過ぎた政治家は週刊誌等によって袋叩きに遭うが、法そのものが一向に見直されようとしないのはそんな事情があるからだ。
 人が今の地位に留まろうとするのはその利権を知っているからだ。他の地位にもやはり利権はあるだろうが外部にいる限りそれがどんなものなのかは分からない。男は男であることの利権を喜び、女も同様だ。専業主婦も兼業主婦も独身者も、それぞれが自分の利権にある程度満足している。こうして人は今得ている利権を手放すまいとするからお互いに妬み合わずに現在の地位に固執する。
 キリスト教の影響からか妬み深い欧米人は「隣の芝生は青い」`The grass is always greener on the other side of the fence.'と考えるが、日本人にとっては「住めば都」であり「手前味噌」が好ましい味だ。あちこちに隠れた利権があるからこそ多くの日本人は現在の立場に満足するのだろう。
 筋の通った改革はしばしば利権集団の圧力によって潰される。外部にいる人にはそれがなぜ否定されるのか理解できない。改革を妨害するのは外からは見えない利権だ。社会の隅々にまで利権が蔓延っているからこそ不合理な制度が温存される。

犯罪者

2016-06-19 11:40:15 | Weblog
 犯罪率についてこんなデータがある。犯罪認知率が最も高いのは大阪府の2.1%で、最少は秋田県の0.5%。沖縄県は1.0%でほぼ平均値だ。その一方で犯罪検挙率では沖縄県民0.4%、、在日米軍人0.2%、在日朝鮮人1.9%、在日中国人1.6%、在日ブラジル人0.5%となっている。全く皮肉な話だが犯罪率が低い米軍人が増えたほうが日本の犯罪率は下がるだろう。
 意外な数値に驚くだろう。もしトランプ氏のような民族差別的な発言が許されるなら、米兵ではなく朝鮮人や中国人の国外追放のほうが日本の治安維持のためには有効だろう。勿論そんなことを主張したい訳ではない。私が言いたいのは在日米兵に対する差別が不当だということだ。在日米軍人に犯罪ゼロを要求することは理不尽であり、相手の弱みに付け込んでそんな要求を突き付ける前に沖縄県民による犯罪をゼロにして模範を示すべきだろう。自分達にできないことを他者に要求すべきではなかろう。
 確かに敗戦直後の進駐軍は酷かった。戦勝国という特権意識も働いたから、本土と沖縄を合わせた性的暴力被害者数は数万人に達したと言われている。この凶悪な米兵の性欲から国民を守るために政府は「性の防波堤」として米軍基地の近隣に「特殊慰安施設」を設けることにした。
 占領軍としての米兵と現在の在日米軍人は全く質的に異なっているのに今尚、日本人は敗戦直後のイメージを引き摺っている。このイメージを利用して現在の在日米軍人を鬼畜のように見なすことは余りにも公正さを欠いている。
 私は決してアメリカによる占拠を是認しようとは思わない。日米地位協定という不平等条約が存在する限り日本はアメリカの属国であり続ける。日本が真の独立国になるためには不平等条約を改正すべきだ。そのためには日米同盟の功罪や地位協定の問題点を国民が正しく理解する必要がある。
 意外な事実に気付いた。兵士の性欲処理を現地調達に任せる野蛮な軍隊と、被占領地の住民の人権を守ろうとする人道的な軍隊があるということだ。
 現実問題として男の性欲をルールによって抑え込むことは難しい。組織として何らかの手を打たなければ兵士は勝手に現地調達に励む。つまり占領地の住民に対する無差別の暴行だ。これを抑止するためであれば組織として性欲処理施設を用意することは許容されて然るべきだろう。
 売春施設を準備することは女性の人権を踏み躙る蛮行として非難され勝ちだ。しかしそれを怠ることによって引き起こされるのが現地の住民に対する凌辱だ。どちらが人道的かと考えれば、プロの女性を活用することによって現地の住民の安全を図ることが優先されるべきではないだろうか。
 慰安婦を帯同する軍隊はいかにも人権を軽視しているように思われ勝ちだが、占領地の住民の安全を守るための必要悪だったのではないだろうか。トイレを作らなければあちこちがトイレ代わりに使われるものだ。現地調達に任せて自らは手を汚そうとしない無責任な国こそ人道に対する犯罪者として咎められるべきだろう。
 

未来

2016-06-18 09:48:25 | Weblog
 知的障害者によるサッカー大会を初めて観戦した人がこんな感想を漏らした。
 彼らのサッカーは通常のサッカーとは全然違う。最大の特徴は、プレイヤーの極端な偏在だ。戦略や戦術は殆んど無く、ゴール前に張り付いているいるゴールキーパー以外の全員が敵も味方もボールの周囲に群がって、全体がまるで1個の生命体のように激しく躍動する。その有機体のようにさえ見える不思議な動きは流れるようで美しい。
 私は知的障害者を愚弄したくてこんな話を書いている訳ではない。ゲームに参加するために少しでもボールに近付くこと、これは至極真っ当な判断だ。私自身、小学生の時はそんなサッカーを楽しんでいた。むしろ相手チームの選手のいない場所に配置した味方にパスを繋いで得点しようとするような姑息な手段こそ、遊びとしてのサッカーから逸脱して勝つことだけを目的とした悪知恵のようにさえ思える。これは正々堂々とした戦いではない。
 目先の利害に捉われることは動物としての宿命だ。現在と未来を秤に掛けたら殆んどの人が現在を選ぶ。食事制限が必要な人でも目の前にご馳走があれば欲望を抑え切れないし、たとえ彼女がHIV(エイズ)に冒されていると分かっていても美女の魅力には抗い難い。大切な赤ちゃんを抱いていても突然後頭部を殴打されたら手を離してしまうかも知れない。痴漢の濡れ衣を着せられた時に、一刻も早くその場から逃れたいという思いから嘘の自白をして罪を認めてしまう人は決して少なくなかろう。爪を剥がす類いの拷問を受ければ仲間を裏切ってしまうこともあり得る。
 人は未来よりも現在や近未来を大切にするものだ。想像上での苦痛よりも現実の苦痛のほうが耐え難い。これは動物としての必然だ。こんな人類だから民主主義においても現在を重視することになる。未来の安定した幸福よりも今の安逸のほうが優先され勝ちだ。その理屈は幾らでも並べられる。不確かな未来よりも確かな現在のほうが重要だ、非常時である現在を乗り切らないことには未来などあり得ないetc.etc.。
 要するに飢えた人々にとっては2日後のステーキよりも今のパンのほうが重要だということだ。ポピュリズム政治家はそんな人々に取り入ろうとする。ギリシャのチプラス政権やタイのタクシン派のように薔薇色の未来を約束すれば大衆はたとえそれが未来を犠牲にして国を破綻させるとんでもない政策であっても気にしない。背に腹は代えられないから願望に目が眩んで現実が無視される。
 切羽詰まった人が多いほど薔薇色の近未来は魅力を増す。危機的な状況においてこそ不合理な空約束が効果的であるとは全く困ったことだ。あの聡明なドイツ人でさえナチスの甘言に騙されてヒトラーに全権を委ねてしまった。
 今のところ日本は危機的状況ではなかろう。しかしマスコミが危機を煽れば煽るほど大衆は危険な選択をしようとするものだから、良かれという思いで煽ったことがとんだ危機を招くということは大いにあり得る。合成保存料の危険性を過度に騒げば食中毒が増えるし、DDTの毒性を騒ぎ過ぎたばかりにマラリアによる死者を激増させてしまった。たとえ善意に基づくものであろうともデマゴーグに頼って現実を軽視すれば恐ろしい結果を招きかねない。

繋がり

2016-06-17 09:49:22 | Weblog
 退院してようやくぐっすり眠れるようになった。布団や枕を選り好みするからではなく四六時中の点滴から解放されたからだ。自慢できる話ではないが私は寝相が悪い。だから寝ている間に点滴の針を抜いたり曲げたりするのではないかと思うと安眠できなかった。通常の就寝時間帯の0~7時の睡眠時間は1~3時間程度だった。これでは睡眠不足になる。夜眠れなくても昼寝をすれば睡眠時間は足りる筈だが人には生活のリズムがあるから脳の働きが低下していた。点滴から解放されてリモコンからラジコンに進化できたような気分だ。
 繋がるという言葉には二面性がある。絆に当たる英語のbondの原義は「縛る」だ。同じように「繋がる」とは「拘束される」ということだ。
 企業や家族と繋がれば拘束されるし、スポンサーとの繋がりが強過ぎれば研究も報道も歪められてしまう。ゴータマ・シッダールタは我が子をラーフラ(障害)と名付けた。
 私は今も携帯電話を持っていない。携帯どころかPHSさえ出回っていない時代に散々トランシーバーを持たされたことで懲りている。トランシーバーは便利でいつでも本部と繋がっていられたが、これは自分を常時管理下に置くということだった。
 小学生であれば絵日記を提出する。情報を共有すれば学校とも親とも繋がっていられる。しかしこれは自分を管理させることでもあるから高学年になれば嫌になる。繋がることを拘束と感じるようになる。
 熱々の恋人達でも一日中一緒にいれば息が詰まる。適度に距離を保ったほうが快適だ
 繋がる権利があるように繋がらない権利もある。定年後の男性は孤立し易いと言われているが、彼らに社会参加を促すことは多くの場合、余計なお世話だ。折角、一生で初めて獲得できた自由を妨げるべきではなかろう。
 日本では繋がることが重視され勝ちだ。これは繋がることが好きな人々が繋がって発言するからだろう。稲作のための共同作業が欠かせなかった日本人は繋がることを過大評価する。無縁社会という言葉を使って絆の喪失を嘆く人が少なくないが、多くの人は自らの意思に基づいて希薄な関係を求めている。関係の濃厚な農村社会を理想化すべきではない。
 猿と同様、人類も群居動物だった。群居本能が廃れていないからこそ群がることを喜ぶが、価値を共有していなければ共生を強制されることは不愉快だ。
 ウィグル族やチベット族にとって、価値を共有できない漢民族との共生は難しい。中東のクルド族やヨーロッパに広く分布するロマ(ジプシー)にとっても他民族との繋がりなど煩わしいばかりだろう。
 イギリスがEUから離脱するかどうかが国際問題になっているがイギリスという国そのものが連合王国だ。EUからの独立はスコットランドや北アイルランドの分離独立という国内問題に直結する。
 繋がることにはメリットもデメリットもある。完全な断絶を望む人などいないのだから目指すべき方向は緩やかな連帯だろう。繋がるか繋がらないかの二者択一ではなく、どの程度の繋がりを保つかということが、一般論としてではなく個々の関係において定められるべきだろう。
 

部分

2016-06-16 09:58:45 | Weblog
 先日「英国一家、日本を食べる」という本を買って表紙の言葉にギョッとした。「人食紀行」と書かれていたからだ。勿論これは誤読であり「異邦人食紀行」だった。以前に新聞のテレビ欄の「今日の料理」に「人肉じゃ」と書かれていたことがある。これは「一人肉じゃが」が変に区切られたせいだった。小学生の頃、ニンニクを「人肉」と書いた同級生がいたことをふと思い出した。
 文字に対する誤解は再確認することによって解消できる。しかし発言であれば証拠が残らないから意外な誤解が起こり得る。マスコミやネットが有名人の言葉尻を捉えて非難することが少なくないが前後の文脈から考えて言い掛かりと思えることが少なくない。
 阿刀田高氏の「詭弁の話術」は私の愛読書の1つだがこんな話が紹介されている。
 昭和49年のことだ。野党議員が衆議院予算委員会に三菱商事の社長を呼んで吊し上げた。タイで合弁事業の指揮を執っていた社員が社内報に「豚は太らせてから料理せよ」と書いてタイ国とタイ人を蔑視したのはケシカランと叱責して社長に謝罪させた。この経緯は新聞でも報じられたらしいがとんだ誤読だった。ここで豚に喩えられていたのは自社の合弁事業であってタイ国やタイ人ではなかった。中途半端に合弁事業を打ち切るべきではないという主張に対する酷い言い掛かりだった。マスコミは出典を調べることを怠って、悪徳企業を懲らしめる正義の味方として野党を称賛したが、政治家もマスコミも全く無責任だ。
 強大な権力を握る政治家やマスコミと喧嘩をしても不利になるだけだ。二の矢・三の矢で矢継ぎ早に攻められては堪らない。だから三菱商事の社長は「読解力0の阿呆共め」と思っても陳謝せざるを得なかった。こんな事情があるから政治家もマスコミも増長する。
 写真が真実を写さないことも意外と理解されていない。写真があれば「百聞は一見に如かず」と信用する人が多いが、写真は印象を操作するための道具としてしばしば悪用される。人の表情は刻一刻変化するから一瞬の表情を切り取ってしまえば印象が変わる。サミットを成功と伝えたい新聞なら安倍首相の笑顔を使い、失敗だったと報じたい新聞は苦々しい表情を使う。こんな簡単なことで印象を操作できる。
 部分は全体の一部として捕えるべきであり独り歩きをさせてはならない。外科医は悪い臓器を切り取ってしまえば片付くかのように考え勝ちだがその臓器を失った人がどうなるかということを余り考えない。
 専門医は自分の領域しか考慮しないから部分の改善が全体の改悪を招いても気にしない。血流、血糖、コレステロールなどが不足すれば脳の機能が低下する。しかし生活習慣病を「治療」しようとする医師は平気で脳の機能を低下させる薬を乱用する。昨年コレステロールの摂取制限が取り消され、今年の5月には高齢者の血糖値の基準値が緩和された。来年にはいよいよ高血圧の「正常値」が根本的に見直されるのではないかと私は期待している。部分医療ではなく総合医療こそ望ましい。
 ある人が2つの症状のために内科と整形外科に通ったとする。この全く異なる症状の原因が同一であった場合、内科と整形外科が類似した薬を処方するということは大いにあり得る。その場合、薬効成分が重複するから過剰投与になる可能性が高い。総合医療あるいは「お薬手帳」に基づいてこんな重複を回避する必要がある。

その場凌ぎ

2016-06-15 11:01:57 | Weblog
 大半の社会問題は厳罰化によって解決できない。原因に正しく対処しない限り、モグラ叩きやトカゲの尻尾切りに終わる。
 12日にフロリダ州で起こった銃乱射事件はアメリカ史上最大の惨事となったらしい。乱射事件の度に対策が講じられるが、犯人が死を覚悟している限りどんな厳罰化も無意味だ。この問題についてアメリカ人は根本的問題点に着手できないから一向に改善されない。一番簡単で確実な方法は銃の規制強化だろう。日本人にとっては当たり前なことがアメリカ人には当たり前ではない。トランプ氏のように、銃の規制よりもムスリム(イスラム教徒)の入国規制のほうが有効と主張する政治家もいる。政治的思惑とその場凌ぎに終始している内に次の悲劇が起こる。
 政治資金規正法を悪用したということで舛添知事が叩き潰されたが知事をクビにしても問題は解決されない。ザル法である政治資金規正法や様々な政治家特権が見直されない限りミニ舛添が蔓延る。舛添叩きに参加した議員の多くが議員特権を悪用している。これはやり過ぎた同業者に対する近親憎悪であり自らの保身に過ぎない。
 昔、無知な財務大臣がいて円高是正のために無駄な為替介入を繰り返した。しかし黒田日銀総裁が通貨供給量を増やしたところ簡単に円安が実現した。効果の無い対策に幾ら金を注ぎ込んでも死に金にしかならない。
 自称「平和主義者」は自衛隊の存在や憲法の曲解を非難する。しかし曲解が罷り通るのは憲法に欠陥があるからだ。条文が曖昧だからこそ曲解の余地が生じる。曲解を許さない明確な条文に改めることこそ必要なことだろう。歪んだルールも欠陥車も放置せずに改善することが必要だ。
 税収が足りなくなると馬鹿の1つ覚えのように消費増税が叫ばれる。しかし累進制度を欠く消費税の増税こそ最悪の増税策だ。取り易い所から取り立てるという現行の税慣習を改めない限り税の不公平と矛盾は拡大する一方だ。
 有害な薬は沢山ある。これらを一々攻撃しても埒が明かない。有害な薬が出回る原因が問われねばならない。最低限、医療が自然治癒力に大きく依存していることと、薬の効能が人体の正常化ではなく異常化であるという事実を大前提として見直す必要がある。
 犯罪の大きな原因は貧困だろう。だからと言って貧困を無くすことは目標にし辛い。貧困を無くすことは犯罪を無くすことよりも困難だろう。この点では大日本帝国は賢明な選択をしたと思う。貧困に限らず多くの不幸の元凶である無知の撲滅を目標に掲げた。つまり教育の充実こそ急務と考えた。このことを国内に限らず新領土においても徹底した。台湾でも朝鮮でも南方諸島でも、教育がインフラ整備と並ぶ重要事業と位置付けられた。この政策は高く評価して良いと思う。
 マスコミは問題の原因に迫ることよりも当事者の攻撃に終始したがる。問題の本質を究明するよりも個々の事件を騒ぎ立てるほうがスキャンダラスかつ具体的で面白いからだ。確かに犯罪と貧困の関係のように、原因に迫れても解決できないケースは少なくなかろう。その場合には原因の原因にまで遡る必要が生じるかも知れない。その場凌ぎに終始している限り、空騒ぎに終わらざるを得ない。

無駄な入院

2016-06-14 20:35:01 | Weblog
 食道癌を患って以来、3度入院したがどれも無駄な入院だった。2月以降、私の医療費は自己負担限度額を越えているから、越えた分はタダになる。私だけではなくこんな無駄な入院のために公金である健康保険料が大量に無駄遣いされている。
 1・2回目は抗癌剤治療のための入院だった。これらは医師が後で認めたとおり「効果の無い」治療だったから、結果的に無駄な入院だったと言って差し支えなかろう。
 以前から私は抗癌剤を、抗向精神病薬と並ぶ最も有害な薬と考えている。だから抗癌剤治療など受けたくなかった。しかし「抗癌剤治療を受けなければ手術も放射線治療もできない」と脅されては受け入れざるを得なかった。その結果は2回とも悲惨だった。効果が無かっただけではなく副作用に苦しめられることになった。入院する度に「寝たきり老人」状態になって退院することを強いられた。抗癌剤の毒性から解放されるためにはどちらも退院後1週間以上掛かったが決して全快することは無かった。
 その後の通院による放射線治療は予想以上に有効で、一時は根治することも可能かと期待したが、肺炎という副作用が現れたために現在では無期限中断中だ。
 肺炎の自宅療養を始めて約1週間後の7日(火)に病状が重篤化した。夕方から40℃近い発熱があり、丁度その翌日が受診予定日だったから翌日に主治医にそのことを伝えたところ血液検査やレントゲン検査が行われ「一刻も早く入院せよ」と命じられた。
 その後は医師の思惑とは違った展開になった。その夜から熱が下がり始め入院予定日の朝には何と平熱になってしまった。これなら入院する必要はあるまいと思ったが、私には直近の体温のデータしか無く、これに基づいて医師を説得せねばならない。しかし主治医と連絡が取れないまま前日の指示どおりに入院するしか私には選択の余地は無かった。
 広辞苑に拠れば入院とは「患者が治療・検査を受けるために一定期間病院に入ること」とされている。だから治療も検査もしなければ医療行為には該当しない筈だ。困ったことに既に平熱に戻ってしまった私の今回の入院では絶食して点滴をすることぐらいしかできない。体温と血圧を毎日定時に測る以外に何の検査も無い。本人は至って元気なのだから治療も必要無い。こんな入院のために、本人の負担無しに健康保険料が浪費されて良いものだろうか。医療保険制度の無駄は網の目のように張り巡らされており隅から隅まで無駄によって埋め尽くされているようにさえ思える。私としてはこんな「保険金詐欺」紛いの行為に加担したくない。色々と屁理屈を並べて早期退院を勝ち取ることが一患者にできる細やかな抵抗だった。

再々入院

2016-06-09 10:01:39 | Weblog
 肺炎が悪化したために今日から3度目の入院をすることになった。食道と肺の間に穴が開いてそこから飲食物が流入するから肺炎が慢性化した。これを治療するには飲食を断つしか無い。飲食を断っても死なないためには点滴等による栄養補給が不可欠だ。
 要するに絶食することが目的でありそれを可能にするために入院して一日中点滴をするという実にくだらない事情だ。抗癌剤による副作用で悶々とした前回までよりはマシかも知れないが非常に退屈な入院になりそうだ。
 今回は何日の入院になるか分からない。前回までとは違って退院後には速やかにブログを再開できるつもりだがそれがいつになるかは分からない。

調べる

2016-06-09 09:44:33 | Weblog
 人間には知識欲がある。だから新しい知識や正しい知識を歓迎する。しかし知ろうとするだけでは不充分だ。自ら調べねばならない。私は最近、調べることの重要性に気付いた。知識のために最も重要なことは知ることではなく調べることだと確信するに至った。知るために調べることなど余りにも当たり前なのでこれまで全く自覚しなかったが、世間の多くの人は与えられた情報から取捨選択するばかりで自ら調べようとはしない。大学生にもなれば宛行扶持(あてがいぶち)の知識で満足することなく、自ら調べなければならない。
 例えば政治問題に疑問を持ったとする。知りたいだけの人はマスコミが騒いでいる間だけ関心を持って報じなくなれば忘れる。彼らは移り気なのではなく四方山話のネタとして情報を集めるだけだ。だから鮮度の落ちた情報には価値を認めない。
 「調べない人々」は世論に乗っかって集団ヒステリーとも言うべき騒ぎを起こす。自ら起こすと言うよりもアジテータ(扇動者)に乗せられていると見なすべきだろう。騒動の対象は何でも構わないが碌に調べもせずに踊らされる人々はこれを社会参加だと本気で考えているようだ。
 彼らの主張は常に上滑りだ。一々否定していれば切りが無い。私のブログでは彼らに対する怒りが多数を占める。敢えて新しい例として薬叩きを取り上げよう。
 散々薬の批判をしている私だが、薬叩きの仲間とは思われたくない。私が薬を批判するのは主に3つの理由に基づく。薬が同時に毒であること、対症療法が原因を無視して症状だけを緩和する偽医療であること、そして薬に頼るべきではない神経症などの患者に安易に薬が投与されて医原病を招いていることだ。
 不思議なことに2種類の批判がある。私はこれを抽象論と中傷論と名付けたい。例えば政治資金規正法という悪法がある。私はこれを政治家を利するだけのザル法だと考えており早急に廃止または大改正が必要と考える。その一方でマスコミは法の欠陥には触れずその法律に基づいて悪事を働いた政治家の内ごく一部を極悪人として吊し上げる。マスコミが権力者であることを誇示することが目的だろう。
 薬についても同様だ。彼らは特定の薬をまるで悪意に基づいて作られたかのように非難するがそうではあるまい。どの薬も善意に基づいて作られており、それが有害なのはその理念に根本的な誤りがあるからだろう。彼らのやっていることはモグラ叩きやトカゲの尻尾切りを招くばかりで枝葉末節に対する攻撃に過ぎない。こんなことを幾ら繰り返しても薬は改善されない。別の有害な薬が開発されるだけだ。
 憲法についても同様だ。彼らが非難するのは憲法を曲解する人であり曲解に基づく法律だ。私は曲解を許す曖昧な条文にこそ根本的な原因があり、曲解を許さない確固たる条文に改めるべきだと考える。なぜこんなに姿勢が異なるのかさっぱり理解できない。
 社会問題を調べれば個々の問題には必ず重大な原因があることに気付く。個々の問題に拘泥して根本問題を放置する限り何ら改善されることは無い。原因を無視して結果責任ばかりを追及する現代の風潮は耐え難い。

水平持ち

2016-06-08 09:51:45 | Weblog
 使わない傘を横向きにして持ち歩く人がいる。使わない傘は杖のように縦にして持つのが当たり前だと思うのだが彼らはまるでリレーのバトンのように横に持って前後に振る。平坦な場所であればさほど気にならないが、登り階段や昇りエスカレータでこんな持ち方をされれば傘の先端が目の前に迫るから、単に不快なだけではなく実際に危険だ。きっと周囲の歩行者に気を使う必要の無い過疎地育ちの田舎者なのだろう。
 とは言え私も大阪在住時に2・3度見掛けた。そんな時は必ずワザと当りに行った。決して因縁を付けようとした訳ではない。無知な人にそれが危険であることを理解させるためだ。全員、傘を縦に持ち替えて逃げるように立ち去った。偉そうに注意をするよりもこうしたほうが却って円満に解決できるのではないだろうか。
 私は役割上やむを得ない場合以外は、上から目線で他人に注意したくない。第三者に注意や指導をすることは優越感に基づく行為だ。注意されて怒る人は、注意されたということに怒るのではなく見下されたことに怒っている。明らかに自分が間違っていたことに気付かされた時、劣等意識の強い人ほど恥じ入る代わりに逆切れし易いから注意が必要だ。私が編み出した方法は自らを当事者にすることによって優越者の位置に自分を置くことを回避する。当事者であれば被害者と加害者という立場の違いがあっても一応同じ地平に立てる。あとは相手が反省すれば済むことであって私がわざわざ教え諭す必要などあるまい。
 傘の横持ちを水平持ちと名付けた人は多分、「水平」という言葉に凶器というイメージを持つ少数者つまり団塊の世代の全共闘崩れの人だろう。他の世代は「公平」とか「平等」という悪くないイメージを持っている。当時の凶器になり得た「水平」の用語例は3つある。
 第一の例は「水平打ち」だ。これはプロレスの力道山の得意技だった。斜め上から打ち下ろす空手チョップを強化した荒業だ。鍛えることが難しい喉を攻撃するから必殺技にもなり得た。
 第二の例は多分、新左翼側による造語だろう。マスコミが報じる機動隊は、学生の暴力に耐える正義の味方だったが、機動隊員も人間だ。耐えてばかりではいられずたまには憂さ晴らしもした。周囲に見えないように足を掛けたり乱闘のドサクサになれば、盾を防具としてではなく横向きにして武器として使った。それを学生の側では「盾の水平打ち」と呼んでいた。「盾」と「横」と「水平」のシャレを狙ったネーミングだったのかも知れない。
 外から見ていれば案外気付かないことだが機動隊員と学生の体力差は歴然としていた。片や屈強な戦士であり片や青瓢箪だ。戦にならないほど戦闘力が違っていた。
 最後の1つは「催涙弾の水平撃ち」だ。これはマスコミも使っていた言葉で機動隊員による過剰警備と位置付けられていた。たとえ催涙弾であろうとも銃のように扱って人に向かって発射すれば充分凶器になった。
 水平持ちと名付けた人についてプロファイリングを試みたが当たっているかどうかは分からない。知っている人がいれば教えてほしい。