また、芥川龍之介の作品を読んだ、「河童・或阿呆の一生」(新潮文庫版)です。これは芥川龍之介の最晩年の作品集で6編から成っている。
大道寺信輔の半生:大導寺信輔という少年の物語で芥川龍之介の自伝小説だと思ったが完全にそうではない。単なる少年の生まれてから学生時代までの半生を綴ったもので龍之介の未完の作品です。
玄鶴山房:離れで肺結核により寝込んでいる主人玄鶴とその家族の物語で最期に玄鶴は病死してしまう。彼の婿、娘、妻、妾と子、看護婦らの家族の当時の時代にありそうな悲劇です。
蜃気楼:主人公の「僕」は友人たちとともに蜃気楼を眺めに鵠沼の海岸に出かけた時の物語。結局は蜃気楼は見えなかったが、その時の遭遇した出来事が書かれている。何てことのない話だが私のウオーキングコースとかぶっているので神妙な気持ちになった。
河童:精神病患者の第二十三号の主人公が登山中に河童の世界に迷い込み、そこで繰り広げられる物語。ネタバレなるので詳細は述べられないが、河童の世界を面白く描いているが当時の日本社会、あるいは人間社会を痛烈に風刺、批判した小説でされている。ヨーロッパの著名人や主義などが多く引用され読みこなそうとして苦労した。
或る阿呆の一生:芥川龍之介の一種の自伝で51のごく短い断章から成っている。日記でもないエッセーでもない全体に脈絡がありそうでそうでもない不思議な断章でこれが当時の龍之介なのだと思えてしまった。
歯車:芥川龍之介が歯車の幻覚に悩まされた当時の状況を日記形式で綴られている。彼の苦悩の精神状態が赤裸々に見える、彼がどうして自殺したかを考えさせられる作品です。
読破してすべての作品について言えることは芥川龍之介の死に向かっている軌跡が見えてくる感じがして恐ろしくも残念な気持ちです。