みうの命を奪った病気のことは、みうのためにも書かなければとの思いがずっと強かった。ところが書き始めたら、すぐにわかった。今更みうの病気を語っても、まさに「死んだ子の年を数える」のと同じでやるせなさが残るだけ。ましてや医学的な興味があるわけでもない。要はみうの話題にしがみついてみうを傍に感じたい。結局は未練なんです。それがわかったので、タイトルは素直に「みうの思い出」としました。
みうが愛用していたリビングのベッドは、闘病生活の舞台となった
前庭疾患という病気についてはみうが亡くなった2日後にまとめて書いた。(過去記事「何がみうに起こったのか」) 病院の先生にも確認しながら、自分でも詳しく書いているなと思います。みうの闘病を支えながら末梢性であることを信じ、いや信じようとしていた。2度の眼振の再発も、眼振の水平性の確認も、跳び直り反応の喪失もナックリング異常も(前出過去記事参照)、すべては自分の願望へと結びつけていた。それが最後の最後にどんでん返しを食らって、みうを失うという最悪の結果に陥ったのです。まともな精神状態ではなかったのだろう、初めから「予後不良」だったと自嘲的にまとめあげて、最後は運命論で締めくくっている。
しかしみうが悲運だったかどうかなんて、本人(猫)が決めることだ。「テンちゃんFOREVER」に書いたように、みうが保護者である自分の愛情をしっかり感じていたならば、人生(猫生)の長さなんて関係ない、みうは幸せだったと言うに違いない。そして「テツとの対話・その20 最後の5分間」にあるように、みうが逝く直前に自分に抱かれていることを認識していたと思えることは、みうだけじゃなく自分にとっても心底救いになったのでした。
7月7日、倒れた日の病院帰りはまだ余裕があった
さて、みうの病気を語るときは"倒れる前"と"倒れた後(前庭疾患発病)"に分かれます。
みうのもともとの異常
・手術跡が見えないのに発情しない
・難聴(完全ではない)
・周期的に涙を流し、ときに血の涙、血の目やにとなって目を赤く腫らす
・耳の縁にかさぶたができてポロポロと欠ける、耳に水虫のような膨れができる
・臭腺(こめかみ腺)のあたりから時折出血する
これらは家裏時代からあったものと思われます。家に迎えてからは2人の先生に診てもらったが結膜炎とかアレルギーの見立てで、2年もの間断続的に手を変え品を変え投薬したけど治らなかった。特に耳の異常は、家に迎えてからも進行悪化の一途でした。
この倒れる前の症状のひとつひとつについて、いろいろ調べてみたのですがここでは省きます。というのも、これらが前庭疾患の発症と関わりがあるのかがわからない。(先生には「ないでしょう」と言われた。) ただ、倒れたときに初めて診断された耳ダニによる異常(鼓膜の損傷と中耳の炎症)は、もっと早く気付くべきだったことは間違いない。
症状が出たときのみう(左から目、耳、こめかみ腺)
この後耳の縁はかさぶたになっては欠け落ち、耳全体が小さくなっていった
猫の前庭疾患について、みうの症状については前述過去記事に書いているので、ここでは一般論として簡単にまとめます。前庭疾患は平衡感覚を司る神経に支障をきたす病気で、黒目が揺れる眼振、よろよろして歩行困難、顔や身体が斜めになる斜頸などの症状が特徴。主に「末梢性」と「中枢性」がある。
・末梢性前庭疾患
中・内耳炎、感染、耳の中の腫瘍やポリープ、外傷、甲状腺機能低下症等によって起こる。中・内耳の炎症によって起こるケースが最も多い。治療は抗生物質や抗炎症薬が中心。原因となる病気を治癒すれば前庭疾患も治まるので予後良好。通常2週間ほどで治るケースが多いが再発することもある。尚、原因がわからないものは「突発性前庭疾患」と言われ、この場合は何もしなくても数日で治る。
・中枢性前庭疾患
頭部外傷、脳炎、脳腫瘍、脳血管障害、感染などにより起こる。脳幹を障害する炎症性疾患が最も多い原因とされるが、ダニ紅斑熱やFIPでも脳のこの領域が障害を受けることが多くある。治療や予後は原因によって異なり、抗生物質、消炎剤などを用いる。発作を伴うなど状況によっては、脳圧降下剤や抗てんかん薬が必要な場合もある。
末梢性か中枢性かの見分け方には眼振の方向性などあるが、前述過去記事に張ったリンク記事に詳しく書いてあります。みうの場合は耳ダニの発見や中耳の炎症、また眼振の方向性から末梢性と思われたが、闘病が10日過ぎて眼振が再発したあたりから四肢の不自由やナックリング異常が見られ、中枢性ではないかとの疑念が日増しに強くなっていった。少なくとも眼振が再発した際には、先生に中枢性の検査を依頼すべきだった。だけど当時は中枢性=予後不良=死のイメージがあって、最後まで踏み出せなかったのです。早く対策を打っていれば少しは状況が変わったのだろうか。
倒れてから2週間近く経ち、状態が安定してきた頃に眼振が再発した
みうはその後落ち着いたと思った頃に2度目の眼振再発し、倒れてから33日目にあの痙攣の朝を迎える。そしてこの保護者に何の対策を考える時間も与えず、あっという間に逝ってしまった。後には突然思い出になってしまったみうとのやりとりと、消化不良の愛情がそのままの形で遺されたのでした。
一緒に暮らす者との死別は、別居する者の訃報よりも遙かに影響を受ける。物理的にも精神的にも。でもこの悲しみを乗り越えたとき、人はよりやさしくなれるような気がします。今は、みうの死は他のどの猫の死とも同じなのだと思えるようになりました。寿命の短い猫は先に死ぬことによって人に死の意味を教え、人をやさしくしているのかもしれません。
みうの思い出記事、これからもできる限り書いていくつもりです。
その夜、猫たちも入れ代わり立ち代わりみうとのお別れを行った(上はちび太)