もうそんな生活に慣れちゃいました。
ニャーがいつも傍にいる生活。
家にいるときは、どんな状況でもいつも自分の傍にいます。
部屋を移動しても、いつの間にか同じ部屋に来ている。
別に甘えるわけでもベタベタするわけでもない。
さりげなく近くで遠くで、澄ました顔して傍にいる。
これまでさんざん書いたように、ニャーは保護者を観察する猫。
そう、保護者を眺めているのが好きなんでです。
やや、向こうの戸棚の上にニャーが・・・なんて、実は洗面所の鏡の中
ニャーが最近ハマってるのは、オジンと朝風呂に入ること。
わが家の朝は慌ただしい。
猫たちの世話や掃除が済むと風呂に入って、夫婦のどちらかが店へと向かう。
自分は、一段落してからゆっくりと風呂に入るのが日課です。
その頃になると、ニャーもそわそわ。
ひと休みした自分が立ち上がると、一目散に風呂場に駆けていく。
扉の前に座って、「はやくはいろうよ。」
にゃーの催促は無言、人の顔をじっと見るだけ。
すぐ後ろの戸棚の上でくつろいでいたニャーでした(目は開いてます)
一緒に風呂に入ると言っても、湯船に浸かるわけではありません。
邪魔の入らない空間で、保護者と一緒にいるのが目的なのかな。
これだけストレートな親愛の表現、やっぱりネコって羨ましい?
写真の表情じゃわからない、ニャーは行動で示すから。
しかし、そんなニャーに対する自分にはいまだに贖罪の意識が。
みうやリン、クウを追いかけ襲い掛かるたびにニャーを何とかしようと、
追いかけ追い詰め怒鳴りつけ、小刻みに毛を逆立てて怯えるニャーに体罰を与えた。
それでも寄り添ってくれたニャーが、自分との蜜月を諦めるまで続けてしまった。
今度はお風呂の蓋の上でくつろぐ(オジン入浴中)
当時の自分は、家(の猫社会)に平和を取り戻そうと必死だった。
そして、自分の大切なものを見失っていた。
その後1年もの間、延々と書き続けた自粛自戒にも拘らず心から変われなかった。
それまでいつも一緒だったニャーが、ポツンとひとりでいることが多くなった。
そして1年半前の正月、忘れもしないあの一大事。
膀胱炎から尿管結石、急性腎炎を患ったニャーは2ヶ月の間、生死の間を彷徨った。
オシッコが完全に出なくなったときは、腹の底から声を絞って苦しがった。
そのきっかけとなった病気、突発性膀胱炎。
典型的なストレスを原因とする病気だった。
入浴中は湯のレベルが上がって飲めるように(これもニャーの楽しみのひとつ)
病院で、麻酔なしの尿管カテーテルに2度も耐えたニャー。
自分(オジン)も生きた心地がしなかった。
しかしニャーは結局自力で開通させ、体調も回復に向かった。
ニャーの頑張りは、この愚かな保護者をも救ってくれたのです。
ニャーの信頼を裏切り、どれだけ寂しい思いをさせたことか。
これからはテツの忠告(テツとの対話17 「ニャーへの伝言」)を忘れまい。
言葉ではなく、自分の行動で示すべし;
1.オジンがニャーを大好きなこと
2.オジンがニャーを信頼し、とっても大切に思っていること
2.オジンがニャーを信頼し、とっても大切に思っていること
自分にとって、ニャーはかけがえのない相棒になりました。
これからはほんわかオジンとほんわかニャーで、わが家のネコ社会を平和にするぞ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます