ヒョウを保護してからひと月半が経ちました。
シャーシャー言いまくりのヒョウが少し落ち着いて初めて横になったとき、おっぱいの授乳した跡を見て子育て中だったと気付いた。保護して1週間後のことでした。心当たりはあった。その2ヶ月ほど前にヒョウが太った、お腹が大きくなったと騒いでいるうちに少しづつしぼんできたので、いらぬ心配だったと気に留めなかった。今にして思えばなんと迂闊なことだったか。
保護して以来ずっと鳴き続けだったヒョウ。子供たちを案じ呼び続けていたのに気づかなかった自分はまさに地獄の使者そのもの。しかも悩みに悩んで、結句ヒョウを元の場所に放つことはしなかった。保護した場所に戻したとしても、1週間も経てばヒョウが子供たちを探して再会する可能性は高くないと思えたし、店に再来する可能性はもっと低いと思えたのです。
現在のヒョウ。相変わらず人の顔を見ればシャーシャー
母子共倒れのリスクを避けた苦渋の決断でした。しかしどこかにいるヒョウの子供たちのことを思うと、これでもかというくらい胸が痛んだ。もしどこかにいるとすれば、おそらく当時生後ひと月半くらいのはずだ。(現在は3ヶ月くらいになっている。) 生後ひと月半の子猫とはどの程度なんだろうと、いろいろ考えた。
わが家に来た時のキーとクウは、推定で生後ひと月そこそこくらいだった。来たばかりの写真がないのは残念だけどその2週間後、街の大きな貯水池に落ちたキーを助けたときの写真がある。このときのキーが生後ひと月半ほど。キーとクウが自分で食べ物を探すようになったのは生後2ヶ月くらいからで、初めは真似事、やはり母親頼りだった。生後3ヶ月くらいになるといろいろ持ち込んできたが、アイスクリームの棒だったり(人間の)お菓子の袋だったり、食べられないよそんなものと、そのはかなさに将来を案じたものでした。
(左)貯水池に落ちたキーが生還した直後の写真(母猫リンと)
(右)推定で生後3ヶ月くらいになったキーとクウ
小学生の姉妹がSC内で衰弱したチキンを持ってきたとき、病院でチキンは生後ひと月足らずだと先生。状況からして、チキンは母猫とはぐれたというより捨てられた可能性が高い。チキンを見つけた場所が店の近くだと言うので周辺をくまなく探したが、母猫やさらなる子猫は見当たらなかった。しかしその2週間後になって、当時のスタッフK君がキリンを発見。すばしっこく逃げ回るキリンを餌で釣って(素手で)確保した。どうやらキリンは、モドキのために置いた餌をくすねて食べていたらしい。キリンは(一緒に捨てられた)チキンの兄妹と思われ、とすれば保護したときの月齢がほぼひと月半。
(左)衰弱した保護当時のチキンを必死で介抱した
(右)チキンよりも小柄だったキリンは2週間も独りで頑張った
つまり生後ひと月半の子猫は、気温と食べ物さへあれば独りで生きていける。人のトシに換算すると2才くらいらしいが、100%母親頼みの人の2才子とは随分違う。もちろんまだ母猫に甘えたいし教わるべきことも沢山ある。しかし母猫がいなくなっても自分の境遇を嘆かずに、とにかく生きようとする。K君が録画したビデオに映った逃げ回るキリンには、大人猫の風格さえあって感動したものでした。
1週間も経てばヒョウの子供がその場にいる可能性は低いと考えたのは、こんな経験があるからです。それでもSCの中にいれば見つかるかもしれない。自分の出勤日には捜索を繰り返し、初めの数日間は他のスタッフにも捜索を頼んだ。子猫とはいえ人を見れば隠れるだろう。3日目からはテープに録音したヒョウの声を流しながらの捜索でした。しかし子猫たちは見つからず、その情報もなかった。もしSCの外にいるのだとすれば、もう雲をつかむような話になる。結局捜索は諦め、もし存在したのだとすれば、今となっては誰かいい人の世話になっていることを祈るしかなくなりました。
当時の記事には生後2,3ヶ月と書いてますが、その後に2ヶ月弱だったとわかったちび太
捨てられたのか母猫にはぐれたのか、店に現れる前のいきさつは不明です
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