一昨日の母の日は、みうをわが家にお迎えした記念日でした。
奇しくもみうの旧名は「おかあさん」、お迎えした2年前に改名したのです。みうをわが家に連れて来たのはソトチビ。正式にお迎えするまでの1年半、みうはわが家の家裏を根城にして過ごした。その1年半の間、ソトチビはみうのもとへと通い続けました。
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家裏のみうは2度の冬をソトチビと過ごした(再掲)
わが家の家裏はストックヤードになっていて雨風を凌げます。そこに寝床やトイレ爪とぎ飲水を常備し、朝晩を中心にご飯を提供しました。みうは殆ど鳴かず警戒心の強い、世間から独立して生活しているような猫だった。後に弱難聴と知ってその理由がわかった。当時からすごい小食で排泄も少なく近隣に迷惑をかけることもなかった。むしろ近隣にしっかりと認知されて評判のいい猫でした。
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2匹にとっては至福のひとときだったに違いない(再掲)
みうの他にもご近所のミーコやシャトランなど数匹の猫がいたけど(中外飼い)、たいした諍いもなく住み分けができたようだ。猫密度もさほど高くなかったので自由奔放に街中を闊歩していた。そうして外飼い猫で住み分けていたせいか、当時は他所から来るノラは殆ど見ることがなかった。袋小路の町内は車も人通りも少なく速度も遅い。みうは思う存分遊ぶことができたのです。
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道路から2階のベランダにご挨拶(再掲)
当時は被介護猫のテツが存命で、みうはテツが外に出ると甘えに来て、そのうち自分にも懐いてきたけどまだ家に迎えるのは躊躇していた。テツが亡くなりいよいよ忘れ形見のみうを迎える準備を始めたときに、ひょんなことからニャーが店から越して来た。しかもニャーはみうを見ると獲物のように追い始める。それでみうのお迎えが半年遅れたのでした。
家でのみうはニャーから逃げ隠れる日々が半年続いたが、イエチビが合流して里子に出るまでの4ヶ月間に状況が変わってきた。その後リン一家やちび太を迎えて多頭時代に入るとニャーとの関係も改善し、もともと控え目なみうは敵をつくることもなく、干渉することもされることもなく、何となくいつもリビングにいる存在として立場を築いてきたのです。
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最近はニャーにもくっついて寝れるようになった
みうは、今の生活に満足しているのだろうか。唯一心を許したあのソトチビはもういない。オジンに甘えたくても、いつも誰かが傍にいて近付くことができない。外を見たくても他の猫がいれば後ろからそっと見るだけ。何をするにも遠慮勝ちに、遠慮勝ちに。あれだけ小食なのに、日頃動くことがないから最近はふっくらとしてきた。庭や道路を飛び回っていた筋肉質の体型は昔の話だ。耳や目のアレルギーは昔の写真には見られない。家に迎えてから発症した可能性もあります。
猫は常に、与えられた環境の中で前向きに最善を尽くすだけ。みうだってもう昔のことは覚えてないだろう。比較の対象がない以上、猫に「幸せかい?」なんて訊くこと自体ナンセンスなのだ。でも保護者は知っている。保護者は、愛猫の代わりに考えてあげることができるのです。
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テンちゃんとみうは意外と気が合うのかも
本ブログのシリーズで書いている「ノラたちとの共存を目指して」は、その7の「ノラの幸せとは」を前にして筆が止まったままです。やはり家猫が究極の幸せなのだろうか。地域猫がひとつの形だとしてまい進するボラさんは多い。でも結局それは人間の感覚だ。一方シャッポは野生の本能の呪縛に翻弄されながらも、自由こそ猫のすべてと言っていたような気がする。もし自分がみうだったら、家に迎える前の家裏時代の境遇を望むかもしれません。
しかしみうをお迎えした身としては、それじゃあ立つ瀬がない。何としても今が幸せだと言ってほしいわけです。自信を持ってそう言えるためにはどうすればいいか。その答えが見えたとき、先のシリーズも筆が進むはずなのです。
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わが家の紅2点、みうとリン
奇しくもみうの旧名は「おかあさん」、お迎えした2年前に改名したのです。みうをわが家に連れて来たのはソトチビ。正式にお迎えするまでの1年半、みうはわが家の家裏を根城にして過ごした。その1年半の間、ソトチビはみうのもとへと通い続けました。
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家裏のみうは2度の冬をソトチビと過ごした(再掲)
わが家の家裏はストックヤードになっていて雨風を凌げます。そこに寝床やトイレ爪とぎ飲水を常備し、朝晩を中心にご飯を提供しました。みうは殆ど鳴かず警戒心の強い、世間から独立して生活しているような猫だった。後に弱難聴と知ってその理由がわかった。当時からすごい小食で排泄も少なく近隣に迷惑をかけることもなかった。むしろ近隣にしっかりと認知されて評判のいい猫でした。
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2匹にとっては至福のひとときだったに違いない(再掲)
みうの他にもご近所のミーコやシャトランなど数匹の猫がいたけど(中外飼い)、たいした諍いもなく住み分けができたようだ。猫密度もさほど高くなかったので自由奔放に街中を闊歩していた。そうして外飼い猫で住み分けていたせいか、当時は他所から来るノラは殆ど見ることがなかった。袋小路の町内は車も人通りも少なく速度も遅い。みうは思う存分遊ぶことができたのです。
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道路から2階のベランダにご挨拶(再掲)
当時は被介護猫のテツが存命で、みうはテツが外に出ると甘えに来て、そのうち自分にも懐いてきたけどまだ家に迎えるのは躊躇していた。テツが亡くなりいよいよ忘れ形見のみうを迎える準備を始めたときに、ひょんなことからニャーが店から越して来た。しかもニャーはみうを見ると獲物のように追い始める。それでみうのお迎えが半年遅れたのでした。
家でのみうはニャーから逃げ隠れる日々が半年続いたが、イエチビが合流して里子に出るまでの4ヶ月間に状況が変わってきた。その後リン一家やちび太を迎えて多頭時代に入るとニャーとの関係も改善し、もともと控え目なみうは敵をつくることもなく、干渉することもされることもなく、何となくいつもリビングにいる存在として立場を築いてきたのです。
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最近はニャーにもくっついて寝れるようになった
みうは、今の生活に満足しているのだろうか。唯一心を許したあのソトチビはもういない。オジンに甘えたくても、いつも誰かが傍にいて近付くことができない。外を見たくても他の猫がいれば後ろからそっと見るだけ。何をするにも遠慮勝ちに、遠慮勝ちに。あれだけ小食なのに、日頃動くことがないから最近はふっくらとしてきた。庭や道路を飛び回っていた筋肉質の体型は昔の話だ。耳や目のアレルギーは昔の写真には見られない。家に迎えてから発症した可能性もあります。
猫は常に、与えられた環境の中で前向きに最善を尽くすだけ。みうだってもう昔のことは覚えてないだろう。比較の対象がない以上、猫に「幸せかい?」なんて訊くこと自体ナンセンスなのだ。でも保護者は知っている。保護者は、愛猫の代わりに考えてあげることができるのです。
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テンちゃんとみうは意外と気が合うのかも
本ブログのシリーズで書いている「ノラたちとの共存を目指して」は、その7の「ノラの幸せとは」を前にして筆が止まったままです。やはり家猫が究極の幸せなのだろうか。地域猫がひとつの形だとしてまい進するボラさんは多い。でも結局それは人間の感覚だ。一方シャッポは野生の本能の呪縛に翻弄されながらも、自由こそ猫のすべてと言っていたような気がする。もし自分がみうだったら、家に迎える前の家裏時代の境遇を望むかもしれません。
しかしみうをお迎えした身としては、それじゃあ立つ瀬がない。何としても今が幸せだと言ってほしいわけです。自信を持ってそう言えるためにはどうすればいいか。その答えが見えたとき、先のシリーズも筆が進むはずなのです。
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わが家の紅2点、みうとリン