昨日、1月17日、阪神大震災の特集をやっていたけど、今年、11月に発生する埼玉県南部を震源とする震度7の地震で、多くの人が建物の下敷きになりますが、
建物の下敷きになって、亡くなる率がどれくらいか。マスコミ報道されていないので、当ブログ読者だけにお知らせします。
阪神大震災後に、神戸大学生協が神戸大生を対象にアンケートをとったものがありました。
建物の下敷きになった神戸大生の数が850名となっていました。(神戸大学学部生は1万人弱。)
神戸大学生で、圧死または焼死したのが39名なので、それらの人は、アンケートに答えられないので、39/889 亡くなる率は、4.3%となります。
家族と住んでいるものは、家族や近所の人が助けますが、単身者や学生は、誰も助けてくれません。
地震直後は、建物の下敷きになった人は、誰もが、助けに来てくれると思うそうですが、実際には、だれも助けに来てくれません。
島根県出身のある神戸大理学部生の場合、建物の下敷きになって、8時間後に救出されました。
最初は、アパート2階が落ちてきて、天井との少しの隙間で、寝たまま、上下・左右には少し、動けたと言います。
誰かが助けに来てくれると思っていたら、誰も助けに来てくれません。
そのうち、数時間が立ち、天井が体の上にのしかかってきます。
体は、寝たままでも、地震直後には動けた上下・左右にも動けなくなったと言います。
そして、のしかかる天井の重さで、意識が遠のいてきます。
彼は、死を覚悟したと言います。
後悔は、大好きなファミコンゲームをなぜ、最後までプレイしなかったのか。
そして、8時間後、誰かいませんか。の声で気づき、ありったけの声を出して、場所を知らせて、救出してもらったと言います。自然発生した民間の救助隊でした。
彼は、救出されると同時に、その救助隊に加わり、自分と同じ、下敷きになっている人を助けに行ったといいます。
そして、その後、彼は、大学卒業後、大手企業に就職せず、ファミコンショップに就職、その後、一時期、カードカルトの店員もしていました。
また、私の作った神戸大学情報統計部では、部員たちが仲間の下宿を見に行きました。斎藤君という1年生部員の下宿。何人かの部員で、行くも、近所の人が、
ここには、人がいないと言われたので、いないものとしてその場を去ったと言います。
実は、斎藤君は、押しつぶされたアパートの1階にいました。アパートの隣室がファミリー住まいで、家財道具を壊れたアパートから引っ張り出そうとして、
引っ張り出した時に、偶然、斎藤君が見つかり、助け出されたと言います。
もし、アパートの隣室の人が、壊れたアパートから家財道具を引っ張り出さなかったら、斎藤君は、死んでいたと言われています。
斎藤君いわく、必死に助けてと叫んでいたそうですが、マスコミのヘリコプターの騒音などで、外にその声が届かなかったようです。
一番、悲惨だったのは、神戸大生3名が、生きたまま焼け死んだ六甲道駅近くの学生下宿でした。
友人たちが、駆け付け、崩れた建物の下から引っ張り出そうとしても、工具がないので、どうすることもできません。
そのうち、近くで発生した火事が迫ってきて、引っ張り出そうとした友人たちに、俺のことはどうでもよい。逃げてくれと言ったそうです。
そして、生きながら焼け死にました。
自衛隊はなぜ来なかったのか。
それは、震災発生から3時間ほど、兵庫県庁と知事とが連絡がつかなかったからです。自衛隊の出動には知事からの要請が必要です。
要は、兵庫県は、自衛隊に出動要請しようにも、知事の居場所がつかめず、要請ができなかったのです。
貝原知事は、どこにいたのか、女好きの貝原知事は、震災発生当時、県に居場所として届け出ていなかった愛人宅にいたのです。
もし、速やかに、自衛隊が出動していたら、死者の数は、グーンと減っていたと言います。
多くの死者の怨念をかぶり、貝原知事は、阪神大震災20周年記念前に、交通事故であっけなく亡くなりました。
六甲道駅近くの火災は、400軒ほど焼いただけで震災当日夕方には、消えましたが、長田のように7000軒ほど焼ける大火にはなりませんでした。
もし、長田のようになっていたら、神戸大理学部の子も斎藤君も生きたまま焼け死んだことになります。
震災当日に大規模火災が消し止められたのは、近くに、山口組の総本部があったからだと言います。
神戸市消防本部が消火に当たった長田区の火災はあそこまで延焼。全国から集まった山口組組員が総本部への延焼を恐れて、必死になって消火に当たった灘区の火災は、ほどなく鎮火しました。
灘区の大規模火災現場。建物の倒壊が多くて、倒壊した建物により、道がふさがれ、車の通行はできません。
神戸大学情報統計部の当時の部長は、ファミマで震災時バイトしていました。
裏の駐車場に、店長の買ったばかりの新車が止められていました。
が、付近建物が倒壊して、車は移動できません。
後輩は、店長と一緒に、店長の買いたての新車に火が移り、燃えていくのをじっと見ていたと言います。
店長は、酒を飲みながら泣いていたと言います。
ファミマは、店内がスプリンクラーからの放水により、水浸しとなったものの、店とその上のマンションは焼けなかったと言います。
こんな惨劇が、今年11月に埼玉県・東京都で発生します。
阪神大震災、突然来たわけではなく、多くの霊能者は来ることを知っていました。
ひょうたん良先生は、1月14日に、親類・縁者・祈祷顧客に、神戸に大地震が来るので神戸に近づくな。
大阪にいとけと電話しまくっていました。電話を受けた人で、お店経営者は、全員、お店を臨時休業にしたと言います。
日本霊能者連盟では、大地震事前お知らせサービスも行っています。