大正末期から昭和にかけて活躍した作家・久生十蘭の、「美国大陸横断鉄路」という短編を読みました。アメリカの大陸横断鉄道敷設にまつわるノンフィクションです。
江戸時代末期、1860年代なかごろ、アメリカ東部からすでにネブラスカ州オマハまで敷かれていた鉄道に、カリフォルニア州オークランドからシエラネバダ山脈を越え、約1200キロの鉄道をつなげるという計画がもちあがりました。
標高3500メートルの山を越えるためには、莫大な建設費がかかるのですが、この計画では、「あくまで難所を避け、延長をいとわずにうねうねと迂回していく」ので、勾配が急に高くなったりする箇所がなく、無理な工事の必要のないいいプランでした。
ただし、そうなると、やたら線路が長くなるため、今度はものすごい人件費がかかる計算になりました。白人労働者は到底雇えません。そこで、実業家たちが考えたのが、中国人労働者でした。
清朝末期の時代、カリフォルニアに金鉱が見つかってから、中国人移民が急速に増え、「採金者としてもっとも成功したのも支那人だったが、外国人のうちで最も多く殺されたのも支那人」という状況だったそうです。
その後、ゴールドラッシュが下火になり、仕事をなくした中国人労働者が膨大にいたため、彼らをただ同然で使うことを前提に、オークランドからオマハにいたる鉄道敷設の計画が実現した、というのです。この作品は、敷設に駆り出された中国人労働者たちの苦難のようすが描かれたものです。
あまりにひどい労働環境に絶えかねて逃亡者が続出するので、連れ戻した逃亡者にすさまじい虐待を与えてじわじわと殺すようすが、ホラー映画の一場面のように描かれています。
「股の間に首を差し込まれ、わがねた縄のようになっているのがあるかと思うと、粘もちのように、腹も胸も板のように薄くのばされているものもある。頭骨のこめかみのあたりが、一寸角ほど四角に切り取られているものや、岩壁に沿ってたち、七十斤ほどもある岩盤を両手で支えているものもある」
見せしめにひどいことをすればするほど労働者が逃げ出し、すると、さらに虐待がひどくなる、という悪循環が続いたようです。清朝末期の混乱に乗じて、中国から多数の人々を甘言で、あるいはさらってつれてくる船の中でも、あまりに劣悪な環境のため、たくさんの人が病気になったり死んだりしたそうです。彼らを海に投げ捨て、また中国の港に人集めのため船出する、という事態が続いたようです。
中国人ならいくらでも補充できる、と踏んでの行為だったようですが、当然工事ははかどらず、さらに難航しました。労働者たちを管理するのは、人の命をなんとも思わないならず者たち。彼らは、虐待を与えることに無上の快感を感じていた風で、つぎつぎに新手の殺し方や虐待方法を考え出します。
ジャーナリストだった作家が、入手できた日本人や中国人の記録からまとめた作品のようです。ノンフィクションとは信じがたいほど、かなり猟奇的で残酷な話がつづきます。
ただ、人を人とも思わないならず者に憤りを感じるのは事実ですが、彼らと彼らを使う実業家たちの、効率の悪さというか、頭の悪さのほうに、より驚きを感じます。
当時でも、有色人種を侮蔑していても、有色人種の労働者を効率よく使う経営者はいたはずです。労働環境を劣悪な状態にしていたら、いつまでも工事はすすみません。ならず者たちと彼らの雇い人たちは、結局仕事をしたかったわけではないのだな、鬱憤晴らしのほうに頭を使い、懸命になっていたのだな、とおもわれる箇所があちこちにありました。
ところで、その後、どんな経緯を辿って横断鉄道が開通したか、この作品には書かれていません。最後まで中国人労働者を酷使して完成したのか、それとも別の方法をとったのか、不明です。機会があれば、鉄道完成の顛末を知りたいものです。
江戸時代末期、1860年代なかごろ、アメリカ東部からすでにネブラスカ州オマハまで敷かれていた鉄道に、カリフォルニア州オークランドからシエラネバダ山脈を越え、約1200キロの鉄道をつなげるという計画がもちあがりました。
標高3500メートルの山を越えるためには、莫大な建設費がかかるのですが、この計画では、「あくまで難所を避け、延長をいとわずにうねうねと迂回していく」ので、勾配が急に高くなったりする箇所がなく、無理な工事の必要のないいいプランでした。
ただし、そうなると、やたら線路が長くなるため、今度はものすごい人件費がかかる計算になりました。白人労働者は到底雇えません。そこで、実業家たちが考えたのが、中国人労働者でした。
清朝末期の時代、カリフォルニアに金鉱が見つかってから、中国人移民が急速に増え、「採金者としてもっとも成功したのも支那人だったが、外国人のうちで最も多く殺されたのも支那人」という状況だったそうです。
その後、ゴールドラッシュが下火になり、仕事をなくした中国人労働者が膨大にいたため、彼らをただ同然で使うことを前提に、オークランドからオマハにいたる鉄道敷設の計画が実現した、というのです。この作品は、敷設に駆り出された中国人労働者たちの苦難のようすが描かれたものです。
あまりにひどい労働環境に絶えかねて逃亡者が続出するので、連れ戻した逃亡者にすさまじい虐待を与えてじわじわと殺すようすが、ホラー映画の一場面のように描かれています。
「股の間に首を差し込まれ、わがねた縄のようになっているのがあるかと思うと、粘もちのように、腹も胸も板のように薄くのばされているものもある。頭骨のこめかみのあたりが、一寸角ほど四角に切り取られているものや、岩壁に沿ってたち、七十斤ほどもある岩盤を両手で支えているものもある」
見せしめにひどいことをすればするほど労働者が逃げ出し、すると、さらに虐待がひどくなる、という悪循環が続いたようです。清朝末期の混乱に乗じて、中国から多数の人々を甘言で、あるいはさらってつれてくる船の中でも、あまりに劣悪な環境のため、たくさんの人が病気になったり死んだりしたそうです。彼らを海に投げ捨て、また中国の港に人集めのため船出する、という事態が続いたようです。
中国人ならいくらでも補充できる、と踏んでの行為だったようですが、当然工事ははかどらず、さらに難航しました。労働者たちを管理するのは、人の命をなんとも思わないならず者たち。彼らは、虐待を与えることに無上の快感を感じていた風で、つぎつぎに新手の殺し方や虐待方法を考え出します。
ジャーナリストだった作家が、入手できた日本人や中国人の記録からまとめた作品のようです。ノンフィクションとは信じがたいほど、かなり猟奇的で残酷な話がつづきます。
ただ、人を人とも思わないならず者に憤りを感じるのは事実ですが、彼らと彼らを使う実業家たちの、効率の悪さというか、頭の悪さのほうに、より驚きを感じます。
当時でも、有色人種を侮蔑していても、有色人種の労働者を効率よく使う経営者はいたはずです。労働環境を劣悪な状態にしていたら、いつまでも工事はすすみません。ならず者たちと彼らの雇い人たちは、結局仕事をしたかったわけではないのだな、鬱憤晴らしのほうに頭を使い、懸命になっていたのだな、とおもわれる箇所があちこちにありました。
ところで、その後、どんな経緯を辿って横断鉄道が開通したか、この作品には書かれていません。最後まで中国人労働者を酷使して完成したのか、それとも別の方法をとったのか、不明です。機会があれば、鉄道完成の顛末を知りたいものです。