アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

本「日本残酷物語4~保障なき社会」

2024-11-05 23:13:38 | 映画とドラマと本と絵画

  「日本残酷物語」第4巻は、明治維新前後の世の中の激変に翻弄される庶民の記録です。

  表紙に書かれた文言は、「「血税」という語に、生血を搾り取られる恐怖を聞いた人々、経済・社会の急激な「御一新」の中で、脆くもさびれ崩れる町、村、家、かつて働いていた保障のしくみを失い、巨大な群が流離の境涯に落ちる」。250年続いた幕藩体制が壊れた後の動揺は、一朝一夕には終わらなかったことがこの本を読んでよくわかりました。

  「村八分の実態 藩政時代の下の農村は、一つ一つの村がみずからの手で自分たちの村を守らなければ、そのなかに住む一戸一戸の生活をすらあやうくする場合が多かったから、人々は自分たちの家を守ると同時に、また自分たちの村を守った。だが明治になって、納税の責任も連帯制を解かれ、人々もまた職業選択の自由がみとめられることになると、村のなかの古い秩序もこわれてきはじめる。村の共有林や共有山野が個人に分割されて、村全体の支えはしだいに影をひそめ、血縁中心の家がその支柱と変ってくる。しかし同族結合の要である本家も、連帯保証の重荷に耐えかねて没落するものが多くなると、村の秩序は混乱をかさね、家と家の対立ははげしくなっていく。そうした過渡期の混乱をもっともよく伝えるのが、村はずし、村八分という現象である」

  本書の中で、わたしがもっとも驚いたのが、この部分。村八分は、江戸時代からずっとつづいているものだと、なんとなく思っていました。ところが実態はそうではなくて、「むしろ共同体的な部落から近代的な部落へと変わってゆく過程で生じたものである」というのです。その理由は「生産プランを中心とした共同体ではその成員をみだりにふやしたり、へらしたりすることはできなかった。それはただちに生産にさしつかえることだったからである。したがって村八分などおこりようはなかった」。

  ところが、幕末から明治にかけて、部落内に新勢力が勃興し、旧勢力との間に対立が起きると、これまで続いていた共同体が完全に壊れた部落だったら、新勢力が勝っておわり。でも、「生産内容にかかわりある面は失われてゆくが、その形式的な側面すなわち冠婚葬祭などの行事慣習がなお保存されているのがほとんどであった」。たとえば、祭りの役割分担とか、葬儀の際の共同作業とかは昔のまま残されており、そうした方面で、気に入らない家をつまはじきすることで、「心理的に十分に苦痛を与えることは可能である。だから村八分は共同体の崩壊過程においてだけ生まれるもので、明治の村などにもっとも生じやすいものであった」。

  余談ですが、現在、共同体としての村がほぼ消えているはずの田舎でも、この記述のように、「擬制的な共同体が形式」として今も残っていると感じることはしばしばあります。わたしはこちらに来て、「村の法律と田舎の法律は違う」と言われ、別の人物からは「郷に入れば郷に従え」と言われました。「八分にしてやる」と脅された移住者もいると聞きます。「形式」すら存続できなくなった集落だと、やっと移住者は半端ものにされることなくすごせる、という皮肉めいた話もしばしば聞きます。こうしたことが、日本の農村の昔ながらのあり方ではなく、崩れかけた共同体だからこそ起きたことがらだという視点は、とても興味深い。

  本書には、なんと20年もの間ある新興の一家が八分にされ続けた話が載っています。八分がなくなったのは、この部落に小学校を作ることになり、小学校の建設費?をすべてこの家が出資してから、とのことです。村に多大な恩恵を施してもらって、いいかえると多額の出資を引き出して、やっと溜飲が下がったということなのでしょうか。ひどい話です。

  禄を失った士族たちの末路もすさまじい。私の父方の曽祖父は、いわゆる「士族の商法」で失敗して食い扶持をなくし、屯田兵として北海道に渡ることを決心した矢先、地元名古屋でなんとか仕事を見つけることができたので、遠い地に旅立つことはしないで済んだと聞いています。屯田兵、北海道開拓というと、見たことのない曾祖父のことをおもいだしていましたが、その実態をはじめて知ることができました。

  封建社会から近代社会へ。前時代と比べたら、住所も職業も選べるようになり、人々の自由度は増したように思えるのですが、内実は、簡単ではなかった。例えば村の共有物がなくなり、個人のものに帰すことで、山に住みながら勝手に薪を取ることができないとか、漁村に住みながら海草を自由に採取できないといった事態が起きました。また、職業選択の自由によって、それまで、下層の人たちが独占できていた仕事を他人に取られることになったりといったことも生じました。

  周防大島で生まれた民俗学者、宮本常一の、曽祖父から彼の父までの三代にわたる一家の辛苦の物語は、圧巻でした。決して平たんでない彼の生い立ちが、後年、彼独特の民俗学を産んだのだな、と納得できる一文です。

  第4巻も、多方面から見ないと物事がわかったとはいえない、ということを痛感する書物でした。次は最終巻。「近代の暗黒」です。

  


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