北海道JA新すながわ「ゆめぴりかの里」、島根県JAしまね隠岐「島の香り隠岐藻塩米」、高知県JA高知県四万十「四万十厳選にこまる」とマスクバトンリレーはつながり、福井県「いちほまれ」にバトンは渡ったようだ。
先の2産地がマスクを作り、四万十が出遅れていた時に、自分は「3産地が揃えば、信号機になる」と言ったら、言葉を覚えたての子供のように、「信号機」と繰り返していたが、自分が信号機と言ったのは、カラーだけを言ったのではない。
人のいない所に、信号機はいらない。
人が少ない場所に信号機があっても、効果は薄い。
信号機を必要としている場所は「どこか」。
信号機が、何故必要なのか。
信号機がある事で、何が起きているのか。
それを、産地に気付いて欲しかったから「信号機」と言った。
否応無く消費地は変わる。
それも悪い方へと。
復活には時間がかかり、元の生活には二度と戻らない。
「新しい生活が始まる」と言うが、その新しい生活の中で、産地は必要とされるのだろうか。
地域ブランド米は、生き残っているのだろうか。
生き残るためには、産地は何を考え、何をしなければならないのだろうか。
多分、今までと同じ考え方では、無理だろう。
変わらなければ、消費地から切り捨てられると思っている。
青色だから、進む事が良いのか。
黄色だから、注意をすれば良いのか。
赤色だから、立ち止まった方が良いのか。
何れも合っていて、何れも違っていると思う。
ありとあらゆる方向から見て、そして考えて、動いてほしいと思う。