「かけはし」は、平成6年に岩手県オリジナル水稲品種として誕生したのだが、この品種の誕生秘話を知っているだろうか。
平成5年2月、岩手県で誕生した、オリジナル水稲品種「岩手34号(かけはし)」は岩手県の奨励品種に指定された。
よって、この年に種を増殖して、平成6年から大々的に作付しようとしていた時、岩手県の作況指数は30という大冷害に見舞われた。
平成5年といえば、大冷害でお米が足りないという事で、外国米が輸入されてので、覚えている人も多いだろう。
しかし、大冷害となってしまったことで、翌年用の種子確保の問題が出てきてしまったのだ。
他の品種に比べて、寒さには強いことを実証していた「岩手34号」のため、作付希望者が急増していたのだが、このままでは、希望者全員に供給することが難しい状況となってしまった。
そこで岩手県農政部は、平成5年12月7日、冷害の打撃を受けた中で、かろうじて確保した貴重な、「岩手34号」の種もみ約2トンを、石垣島に運び込んだのだった。
つまり、冬の間に稲を育てて種もみを増殖し、そのまま種まきに間に合わせようという前代未聞の大計画を、岩手県農政部は考えたのだ。
石垣島は二期作地帯で、一期作の田植えは普通3月の上旬に行われるのだか、その時は、岩手県の田植えに間に合わせるために、1月上旬、通常よりも2ヶ月も早く田植えを始めた。
当時の石垣島の水田面積は250ヘクタールで、その中の用水路の完備した超一級のほ場50ヘクタールの水田が、岩手の種もみ生産のために用意された。
ところが、このときの石垣島の気象条件も決して良くなく、1月下旬から2月の間に晴れた日は、たったの2日。
3月下旬になっても温度も気温は良くならなかった事から、貴重な種は、なかなか出穂しなかったのだが、3月31日以降、ようやく高温、多照の天候になり、各ほ場とも出穂が始まり、5月7日、遂に収穫が行われた結果、収穫予想を上回る116トンの種もみが収穫されたのだ。
そしてついに、平成6年5月12日、石垣島で増殖された「岩手34号」の種もみの、第1便が岩手県に到着し、直ぐに育苗に移され、26日には初田植えが岩手県玉山村で行われた。
この計画は、沖縄県、石垣島の農家の協力のおかげで、見事に大成功し、平成6年の田植えに間に合ったことと、天候までもが協力してくれたおかげで、その年の秋、石垣島産の種もみは、奇跡の大豊作となったのだ。
品種名の募集は、平成5年10月から約1年間行われ、「岩手34号」の名称募集のチラシとポスターは、北海道から沖縄県までかけめぐったことで、応募ハガキは163000通、応募名称は290000点を超え、その結果「岩手34号」は「かけはし」という名で発表されたのだ。
まさに「岩手34号」にとっては、ぴったりの名前だと、自分も思っている。
東北の農産物が売れない。
米が敬遠されている。
そんな苦しい中だからこそ、昨年から沈黙を続けている岩手県には、この「かけはし」の事を思い出してほしいと思っている。
あの時の、無謀とも思える大計画を、岩手県はやってのけたのだから、もう一度、もう一度、努力することは出来ないだろうか。
岩手のお米の復活を待っている人は、沢山いるのだから
平成5年2月、岩手県で誕生した、オリジナル水稲品種「岩手34号(かけはし)」は岩手県の奨励品種に指定された。
よって、この年に種を増殖して、平成6年から大々的に作付しようとしていた時、岩手県の作況指数は30という大冷害に見舞われた。
平成5年といえば、大冷害でお米が足りないという事で、外国米が輸入されてので、覚えている人も多いだろう。
しかし、大冷害となってしまったことで、翌年用の種子確保の問題が出てきてしまったのだ。
他の品種に比べて、寒さには強いことを実証していた「岩手34号」のため、作付希望者が急増していたのだが、このままでは、希望者全員に供給することが難しい状況となってしまった。
そこで岩手県農政部は、平成5年12月7日、冷害の打撃を受けた中で、かろうじて確保した貴重な、「岩手34号」の種もみ約2トンを、石垣島に運び込んだのだった。
つまり、冬の間に稲を育てて種もみを増殖し、そのまま種まきに間に合わせようという前代未聞の大計画を、岩手県農政部は考えたのだ。
石垣島は二期作地帯で、一期作の田植えは普通3月の上旬に行われるのだか、その時は、岩手県の田植えに間に合わせるために、1月上旬、通常よりも2ヶ月も早く田植えを始めた。
当時の石垣島の水田面積は250ヘクタールで、その中の用水路の完備した超一級のほ場50ヘクタールの水田が、岩手の種もみ生産のために用意された。
ところが、このときの石垣島の気象条件も決して良くなく、1月下旬から2月の間に晴れた日は、たったの2日。
3月下旬になっても温度も気温は良くならなかった事から、貴重な種は、なかなか出穂しなかったのだが、3月31日以降、ようやく高温、多照の天候になり、各ほ場とも出穂が始まり、5月7日、遂に収穫が行われた結果、収穫予想を上回る116トンの種もみが収穫されたのだ。
そしてついに、平成6年5月12日、石垣島で増殖された「岩手34号」の種もみの、第1便が岩手県に到着し、直ぐに育苗に移され、26日には初田植えが岩手県玉山村で行われた。
この計画は、沖縄県、石垣島の農家の協力のおかげで、見事に大成功し、平成6年の田植えに間に合ったことと、天候までもが協力してくれたおかげで、その年の秋、石垣島産の種もみは、奇跡の大豊作となったのだ。
品種名の募集は、平成5年10月から約1年間行われ、「岩手34号」の名称募集のチラシとポスターは、北海道から沖縄県までかけめぐったことで、応募ハガキは163000通、応募名称は290000点を超え、その結果「岩手34号」は「かけはし」という名で発表されたのだ。
まさに「岩手34号」にとっては、ぴったりの名前だと、自分も思っている。
東北の農産物が売れない。
米が敬遠されている。
そんな苦しい中だからこそ、昨年から沈黙を続けている岩手県には、この「かけはし」の事を思い出してほしいと思っている。
あの時の、無謀とも思える大計画を、岩手県はやってのけたのだから、もう一度、もう一度、努力することは出来ないだろうか。
岩手のお米の復活を待っている人は、沢山いるのだから
沖縄と岩手をつなぐかけはし、なるほどな、と思っておりましたら、数年後にいわてっこが誕生。
あれ?私が応募した名称だな、誰かの目にとまって使ったのかな?と思っていましたが、偶然ですよね?
まっ、どうでもいいんですけどね。