こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

様々な現実を見つめらがらも、日々を前向きに考えて進んでゆくためのブログです

ガラガラ声で収録となってしまった

2011年01月31日 23時12分52秒 | Weblog
咳止めを飲んだり、うがいを繰り返すなどして、なんとか収録までには声が出るようにしたいと努力していたのだが、ついに時間切れとなってしまい、まだ声がガラガラのままで、2月11日放送予定の、日本テレビ「ハッピーMUSIC」の収録をしてきた。

研ぎ方については、スタジオでは実践せず、VTRを見ながらとなったのだが、その時の声もガラガラのまま。

本当なら、短い収録時間の中でも、色々な話をしたかったのだが、声が出ないのではどうにもならない。

よって、喋り足りない収録となってしまい、自分としては残念であるが、内容としてはアットホームぽくって、良かったのではないだろうか。
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第40回日本農業賞の受賞者に2地域が選ばれた

2011年01月30日 22時29分59秒 | Weblog
第40回日本農業賞の発表があり、自分がブランド化を手伝っている2地域から受賞者が出た。

大賞の集団組織の部で、宮城県の栗原市瀬峰地区循環型農業推進会議。
特別賞の集団組織の部で、北海道北斗市の函館育ちふっくりんこ蔵部。

TPP対策を考えると、個人ではなく集団組織でシステムを作り上げるべきだろうと思う。
しかし、ただ組織が大きいだけというのも、やはり生き残る事は出来ないのは当たり前のこと。

組織としては小さくても、内容がシッカリとしていれば、それなりの作戦は立つ。

今回の2地域は、「山椒は小粒でも、ピリリと辛い」という、良い見本となるだろう。
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ブラント化の準備は出来ている・・・

2011年01月29日 23時34分25秒 | Weblog
3月2日に、茨城県の潮来市で「買ってもらえる米づくり研修会」が開催されることになっており、このときの講師を依頼された。
実は潮来市には、平成16年にも一度講師として呼ばれており、今回行く事になれば2回目となるのだ。

依頼文の中に、「西島様に平成16年度一度講演をしていただいております。その後、地域オリジナル米の取り組みを初めて今年で6年目になりますが販売に苦戦しています。また、本市は、水稲以外に特産物がなく米で生き残りをかけなければ農業は衰退してしまいます。このような状況ですので講演をよろしくお願いいたします」とあったことから、もう一度行って上げようという思いになったのだ。

実は講演以降、地域とは、ほとんど付き合いが無かったのだが、自分の講演内容を踏まえた上でのブランド化を進めている事は知っていて、その内容についても把握していた。
(まさか6年も立っているとは思っていなかたが・・・)

そこで、改めて潮来市のブランド米「あやめちゃん」のブランド内容を確認してみたところ、ブランドの考え方もしっかりしているし、品質区分などについても、シッカリと基準が出来上がっていたし、実際に地域が販売しているお米についても、今日の夕食で試食してみたのだが、ブランド米としての基準は完全に満たしていた。

ということは、依頼分に書いてあった通り、ネックになっているのは「販売」。
ブランド化するために一番必要な「売り先」を持っていないという現実。
実力がありながらも、売り先が、手足が無ければどうにもならないという、一番厳しい現実。

ではどうしよう。
スーパーで売るような「力のない」ブランド米ではないし、スーパーで売ってしまったら、今までの努力が水の泡となってしまうし、大切なブランドが壊れてしまう。

厳しい事に、「あやめちゃん」はコシヒカリ。
これからの時代、色々な面で不利になると思われている品種、コシヒカリなのだ。
このままで行くか。それとも違う品種も試みるか。
違う品種を使用するとしたら、地域の合っていて、差別化できる品種はあるのか。

さらに、ブランド化の微調整と修正は、どの時期に、どのタイミングで行えばよいのか。

そして、TPP対策は間に合うのか。
間に合わせるとしたら、今年の秋の新米から実行していないといけない。

ブランド化するための限界期間と考えている3年間を過ぎ、6年間というプランク。
考えれば考えるほど厳しいが、しかし、ブランドの企画内容は良いのだ。

なんとか救い出す方法を見つけなければ。
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次の空間には決済書など

2011年01月29日 23時19分50秒 | Weblog
昨日、1つの地下空間には、意外と量があったはずのオリジナル米袋を入れても、までまで余裕があったことから、贅沢に地下空間を使用することにして、2つの目のブロックには、決算書や直ぐには使用しないものを入れ、3つ目のブロックには、メーカーの米袋や、産地の米袋などを入れる事にした。

よって今日は、2つの目のブロックに、40箱以上にもなる決算書と、直ぐには使用しないものの、残しておきたい資材などを入れる事にした。

ところが、昨日に内部の状態を確認してところでは、微妙に天井が湿っていると感じる程度であったのだが、今日なると、天井に水滴が付いているという、まだ完全には乾ききっていない現状だった事が判ったのだ。

しかし、既に運び入れる準備をしてしまっていたため、いまさら中止する事も出来ず、運び入れた箱の上に、水滴が落ちてもよいように、ビニールを被せるという応急処置をしておいた。

でも、箱を運び入れている時でも、天井から床に水滴が落ちるという事はかなったので、たぶんそのまま乾いてしまうことだろう。
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地下空間を使い始める

2011年01月28日 23時55分28秒 | Weblog
新店舗には、地下に4ブロックに分けられた、倉庫としても使用できる空間がある。

仮店舗から移動してきたとき、本当ならこの空間に米袋などを入れる予定だったのだが、まだコンクリートが乾いていなかったため、使用する事を断念して、暫定的に自分の部屋に置いてあったのだ。

引っ越してきてから2カ月たったことから、そろそろコンクリートも乾いたのではないかと、確認してみたところ、2ブロックには、まだ水滴が残っているものの、残りの2ブロックは完全に乾いていて、いつでも使用できる状態となっていたことから、1ブロックに米袋などを置くと、どの程度のスペースを使用してしまうのか、使い勝手はどうなのか等を調べるために、自分の部屋に置いてあったあったオリジナル米袋を、実験的に地下の空間に移動させ始めてみた。

見た感じでは、そんなに収納できるようには思えなかったのだが、、自分の部屋では4畳半のスペースで、天井まで積んであった米袋が、壁4面を1列でぐるりと使用しただけで、余裕で収まってしまい、まだ8割以上の空間が空いているという、驚きの収納力があったのだ。

これは助かる。

資材は細かく購入すると割高となってしまうし、常に在庫を気にしていなけければならないので、まとめて仕入れておく場所が欲しくてしょうがなかったのだから。
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自分と気付いてくれない

2011年01月26日 23時52分40秒 | Weblog
風邪もほとんど良くなり、咳もかなり止まってきているのだが、依然として声がガラガラになってしまったまま。
だから、直接会って打ち合わせをしているのならともかく、電話だと、自分とは全く気がついてくれない。
しかも、長く話していると、咳が出始めてしまうし、弾丸トークもする事も出来ないので、余計に違う人に感じてしまうようだ。

もっとも、自分でも喋るのが早すぎていると思っていたので(自分でも呼吸ができないときがある)、これを期に、喋るスピードを遅くしようと考えているのだが、ゆっくりと話すというのは、思った以上に難しい。

ゆっくりと話していると、時間がもったいない気もするし・・・
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JAさがと話して

2011年01月25日 21時53分37秒 | Weblog
今日JAさがと、今後のお米の販売などについての話をした。

温暖化の問題や品質の問題、さらにブランド化の問題など、話し合わなれければならない内容は山ほどあるのだが、今回は、その中の一部しか話す事が出来なかった。
なぜなら、単純に取扱数量を変更するだけなら簡単なことなのだが、変更することで産地の取り組み方が変わってしまうという大問題があるため、単純にはいかないのだ。
しかし、売れない米や売りにくい米を、いつまでも人情だけで抱えていても、お互い少しも良い方向へは行かないし、TPP問題も目の前にある事から、ハッキリとした決断を出すことにしたのだ。

その決断を出すきっかけとなったのが、佐賀県を代表するお米の1つ「上場コシヒカリ」の販売を22年産米から全て取りやめたことである。

「上場コシヒカリ」を持つJA唐津(旧JA上場)は、お米、佐賀牛、イチゴなど様々な農産物を持っている、佐賀では一番強い農協で、自分がまだ佐賀米に力を入れていたときから、「上場コシヒカリ」は佐賀だけでなく、九州の中でも売れている米であった。
しかし自分としては、「今は良くても、このままだと時代から置いていかれる」という思いがあり、栽培方法も全農安心システムではなく、特別栽培米に切り替える事、品質の安定を図る事、ブランド米のポジションの維持と、さらに前進する事を何度も言っていたのだが、なかなか動いてはくれないままだったのだ。

その結果、一時期は店の看板品種であった「上場コシヒカリ」も、他産地から新しく生まれたブランド米に、少しずつシェアを奪われていき、販売力の落ちてしまった「上場コシヒカリ」は、ついに自分の店頭から消えるだけでなく、関東市場からも、同時に消える結果となってしまったのだ。

だから、二度とこのようなブランド化の失敗を繰り返さないためにも、産地とはシッカリと話し合っていかなければならないと思う。
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早々と講演資料を送った

2011年01月25日 20時57分47秒 | Weblog
2月11日に山形県のJA山形おきたま白鷹地区で講演する内容が、先日、北海道で行った講演と近い内容なので、今回の講演は、北海道で使用した資料をいじくって作成した。
そのため、いつもなら講演日ギリギリにならないと出来上がらない資料が、早くも出来上がった。

北海道で使用した資料は122ページで、講演時間は3時間半あったのだが、それでも全てを話す時間はなかった。
よって今回は、1時間半の講演のため、大幅に縮小して50ページ程度にまとめたかったため、資料を削除しては追加しての繰り返しをしながら作り続け、各産地のブランド化事例なども大幅に省いたのにも関わらず、結果としては116ページとなってしまった。

このページ数では、当然、全てを話す事は困難。
だから、説明できない部分がある事を考え、資料を見てもらえば判るようには作ったつもりである。

山形米の現状を考えると、けっして良い状況であるとは言えないことから、今回の資料内容は、初めて消費地の現状を聞く生産者にとっては、結構シビアな内容となってしまっている。
そのため、明日、農協内で資料の確認をしてもらい、きつ過ぎると判断された場合は、資料内容を作り変えてトーンダウンさせるつもりでいる。
それに、この資料には、JA山形おきたまの主力品種である「コシヒカリ」について、一切触れていないという問題もあるのだ。
だから、その変更する時間も考えて、早々と資料を提出した。

早ければ明日中に、遅くても数日内に返事が来る事であろう。
いまから、変更する部分の内容を考えておかなければ・・・
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狩川城主からのメッセージ

2011年01月24日 07時30分55秒 | Weblog
かつては大部分が不毛の地で、荒地が広がっていた庄内平野に、10年の歳月をかけて、最上川よりも高いところを流れる、「立谷沢川」から水を引くことを考え、作られた北楯大堰によって庄内平野は、不毛の地から日本有数の米と米処に生まれ変わったのだが、この偉業を行ったのが、北楯大学利長(きただてだいがく・としな:1547~1625)で、最上義光の家臣。義光が庄内を支配した後、狩川城主となった人物。

その北楯大学利長から、1月21日の「武器が無い」のブログを読んで、「はえぬき」の本来の実力についてのメッセージが入っていた。

もっとも、そんなことはあり得ないので、「北楯大学利長」という名前を使用しているという事は、山形の稲作関係者で、それも山形の歴史から現状までを確実に把握していて、本当に山形の事を心配している人であろう。

「ササニシキ」の後継品種を目指て、山形農業試験場庄内支場で「あきたこまち:秋田31号」と「庄内29号」を掛け合わせて、1990年に「山形45号」とし誕生したのが「はえぬき」。
つまり「はえぬき」は、「コシヒカリ」を超える米という位置づけで誕生したわけでは、元々ない品種なのだが、確かに実力を持っている品種で、日本穀物検定協会が認定する食味ランキングでも、連続して特Aを取り続けている。

山形県の失敗と言うと、この「はえぬき」を、特Aを取り続けているのだから、「魚沼コシヒカリ」を超えるだとか、「コシヒカリ」に匹敵するなどと、本来とは違う相手と比較をしている事と、「はえぬき」が持っている特徴と個性を、正しい言葉で説明せず、「コシヒカリ」と同じコメントをしている事、さらに、流通でのブランド化が全くされておらず、全農の「売り切れてしまえば、それで良い」という考え方に、生産者が一致団結して文句を言わない事だろう。

品種としての実力はある。米粒の形もよいし、炊きあがりのツヤも申し分ない。粘りも強めで、甘みも感じる。
しかし「はえぬき」には、他の品種が持っていない特徴があり、それが「弾力」。
お米を売るときに、この「弾力」が特徴なんだと伝えておかないと、消費者からは、「どう炊いても、なんとなく硬い」、「芯が残る感じがする」、「炊きにくい米」とか、違った評価となってしまうのだ。
だから、店頭に並べて、「コシヒカリ」と同じ様な炊きあがり特徴で販売してしまったり、「コシヒカリを超える品種」なんだと、違う説明をしてしまってはいけないのだ。

なら、今からでも販売方法を改めれば、「はえぬき」は復活できるのかというと、「全てが遅し」
自分としても、この品種がブランド化出来ていれば、日本の品種は変わっていたと思っているのだが・・・・

山形は、「はえぬき」「どまんなか」と貴重な品種を潰してしまったと思っている。
そして、もしかしたら今度は、山形県最後の品種となる「つや姫」かも・・・
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後1日というところかな

2011年01月23日 23時22分36秒 | Weblog
咳が出ればうがいをして、身体は冷やさないようにして、家から1歩も出ずに大人しくしていた事もあり、風邪はかなり良くなってきてはいるのだが、まだ咳を1度してしまうと、そのまま止まらなくなってしまうし、熱は微熱のままの状態で、さすがに体力は落ちたと感じている。

だから資料作りも能率が上がらず、1日かけても数ページ進んだだけ。
あと1日休む事が出来たら、咳が出なくなくったら、もう店に出ても大丈夫だろう。

店の忙しさにもよるのだが、大人しくしていたい。
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A→B→Cの繰り返しでは駄目だ

2011年01月21日 23時36分28秒 | Weblog
北海道北竜で行った「TPPに対抗するためのブランド米づくり」や、作り始めた「活性化のための地域ブランド米の必要性」を作っている中で、一つ気がついた事がある。
それはA→B→C、リターン、A→B→Cでは目立たないという事。

何の事かというと、歌に例えると判ると思うのだが、歌にはメロディーが当然あって、歌詞の1番と2番のメロディーは、同じものが多い。
同じメロディーを使用すれば、歌詞も作りやすいし、聞いている方も効きやすいし、とにかく覚えやすい。

自分みたいに、音楽を聴きながらブランド化の計画を立てているような「ながら族」には、一番聞きやすいメロディーなのだが、ブランド化を考えているとき、この考え方が、一番ダメなのだという事に気がついたのだ。

ブランド化は繰り返すものではなく、進むもの。変化するもの。飽きさせないもの。
したがって、A→B→C、リターン、A→B→Cではなく、A→B→C、リターン、A→B→D。または、A→B→C、リターン、A→D→E。究極だとA→B→C→D→Eなどと成らなければならないのだ。

これに気がつく切っ掛けとなったのが、ホルストの代表作「惑星」の「木星」に歌詞をつけた、平原綾香の「Jupiter」。
神秘的で壮大なメロディーに、歌ではタブーとされていた息継ぎ(ブレス)を、そのまま入れてしまって、歌の1つとしてしまったし、壮大なメロディーがからこそ、歌い上げてしまって終わるという歌が多い中で、突然音域を戻してしまったりと、自分が持っていた歌のイメージを、ことごとく壊してくれた曲。

今まで何度も聞いていて、その都度「変わっているな」とは思っていたのだが、今回初めて「綺麗で終わる事が全てではない」と感じさせてくれた事で、ブランド化の中のA→B→Cの法則が見えたのだ。

もっとも、この法則については、様々なブランド化の中で、自然と以前から使用していたのだが、パターン化して考えた事はなかったのだ。
パターン化して考えてみれば、どのプランド計画が、どうして壊れてしまったのかとか、頓挫してしまったのかの理由等が、自然と見えてきた。

なるほど。
これは、今後のブランド化計画に役に立つな。
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武器が無い

2011年01月21日 22時57分42秒 | Weblog
声が出ないことから、今日も部屋で休んでいたのだが、ただ休んでいるほど無駄なことはないので、2月11日に山形県のJA山形おきたま白鷹地区で講演するための資料作りを始めた。

テーマは「活性化のための地域ブランド米の必要性」。
先日、北海道で行った講演と近い内容なので、この資料をいじくっていくことにしたのだが、直ぐに壁にぶち当たってしまった。
なぜなら、県や全農が行っていた山形米のブランド化が、ことごとく失敗しているので、手の着けようがないのだ。

山形県で一番栽培が多い「はえぬき」は、大半が業務用米として流通しているし、「コシヒカリ」は生産者直送というイメージが強い。
「あきたこまち」「ひとめぼれ」等は、流通の中で存在すらなく、鳴り物入りでデビューした「つや姫」も、明らかに失敗の道を歩んでいる。

つまり、地域を活性化させるために必要なブランド米が、ことごとく壊れてしまっているのだ。

時期的には、話題の「つや姫」でブランド化することが一番だろうと思うのだが、県や全農が、この「つや姫」をどう育てていきたいのかが全く判らないので、自分としても、この「つや姫」で実行してしまって良いのかの判断が出来ないのだ。
県や全農のブランド化の考え方を無視して、地域だけの取り組みとして「つや姫」を独自に動かすことは出来るのだろうか。

伝わってくる情報だと、県があちらこちらで規制をかけているようで、なかなか扱いにくいお米となってしまているようだし・・・
かといって、業務用米にまで落ちぶれている「はえぬき」を使用して、地域のブランド化することは100%不可能。
(「つや姫」が成功すれば、「はえぬき」を引っ張り上げることは出来るが・・・)

さて、困ってしまった。
「つや姫」自体は県に縛られていても、流通が全農ではな、農協で出来るのであれば、まだ作戦は立つのだが。
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声が出ない

2011年01月21日 09時06分42秒 | Weblog
昨日休んだので、咳も時々しか出なくなっているし、体力的には戻ってきているのだが、なんと声が出ない。

昨日、北海道のJAひがしかわの販売部長が2人店に来てくれたのだが、残念ながら合えず終いだったため、今日来るJA北信州みゆきの人たちとは会いたいと思っているのだが、声が出ないのではどうにもならない。

今9時を回ったところで、実際に会うまでには、まだ2時間ある。
なんとか声が出るようになる方法はないものなのだろうか。
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薬が効きすぎてしまった

2011年01月20日 23時41分05秒 | Weblog
8時半の特急スーパーカムイで新千歳空港に行くため、8時過ぎにホテルを出たのだが、以前来た時よりも滝川駅の周辺は、さらに寂れてしまっていて、コンビニも薬局もないため、風邪薬を買う事が出来なかった。
仕方が無いので、飛行場についてから買って、飛行機に乗る直前に飲むのはまずいだろうと思って、急いで飲んだ。
本当なら、腹の中に何か入れておきたかったのだが、喉が腫れてしまっていたので、固形物を飲み込むのがつらく、胃の中にはジュースしか入っていなかったのだ。

この状況だと、もしかしたら気圧の変化で目眩がしてしまうかもと思っていたら、案の定、新千歳空港を飛び立って、一番高度が上がった頃になったら、具合が一気に悪くなってきてしまった。
しかし、具合が悪くなってしまった原因が解っていたし、丁度隣の席が空いてこともあり、2席を使って窓に寄りかかりながら羽田まで戻ってきた。

羽田に着いたころには、具合も良くなってきてはいたのだが、まだ電車に乗って帰るだけには回復していなかったため、タクシーで家まで戻る事になった。

木曜日という事もあり、外回りのスタッフも含めて全員店にいるため、自分は訳を言って、早々にベットに入って休むことにした。
だが実際には、寝る前に、メールチェックなど色々とやる事があって、一通りの作業が終わった頃は、既に体力は限界。
ベットに戻る力もなく、そのまま炬燵の中に潜って、18時頃まで寝てしまった。
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午後から風邪が悪化してきた

2011年01月19日 23時14分47秒 | Weblog
講演会が終わって宿泊した先は、北竜町にある「道の駅・サンフラワー北竜」で、ここは、お洒落な中世オランダをイメージした建物がポイント。
建物ず続いている「サンフラワーパーク北竜温泉」は、ひまわりの花や茎などの成分を利用した「ひまわり湯」で、神経通、間接痛、冷え性、五十肩、関節のうちみ、くじき、こわばり、筋肉痛、疲労回復、健康増進、そして肌が滑らかになると大好評だそうだ。
自分はその施設にある「サンフラワーパークホテル」に宿泊したのだが、地元の人たちが夜に温泉に入りに来るので、結構人がいるのかと思ったのだが、観光シーズンではないため、やはり宿泊は自分1人。
夜の温泉は人だらけだったが、朝の温泉は自分だけだったので、大浴場、泡風呂など、一通り(露天風呂はパス)に入ってきた。

だから午前中は、結構体調が良かったのだが、午後から、だんだんと風邪の症状と咳が酷くなってきて、夜の頃になると咳ばかりしていた。
したがって、早めにホテルに戻りたいという気持ちもあったのだが、北海道に来た時にしか会えない人と会っていたため、22時頃まで無理をしてしまった。

だからホテルに戻ってきたときにはグッタリ。
風呂にお湯を張ったまま風呂のドアを開けて、さらに、少しでも喉が潤うようにと、ペットの傍にコップに水を入れて置いてから寝た。

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